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本は読めなかったけど

前に「麩のラスク」の絵に「足が痛い」と描いていたコータロー氏、この度、重要なバレーボールの大会も終わったので念のため整形外科に行っておくか、ということで今日、整形外科に行きました。

病院などめったに行かないので、ワタクシは待ち時間を当てにして本を2冊も持っていたのでしたが、行ってみると待合室には誰も待っておらず、あっという間にコータローは呼ばれて行ってレントゲンを撮って、そしてすぐに診察に呼ばれました。

なので本を読む時間など全くなかったのでガッカリでした。

しかし、こんなに空いていてこの病院は大丈夫なんだろうか、とちょっと不安になりましたよ。

その持って行った2冊の本、というのはコチラ。
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介護とか死というものが、自分にとっても、はるか彼方の遠い未来のことではなくなったからでしょうか、どちらも興味深いテーマです。

とりわけ、この「『おひとりさまの老後』が危ない!介護の転換期に立ち向かう」という本は、今の介護の現状がよく分かり、せっかく出来た介護保険制度がどんどん悪い方に変えられていっていることには、ワタクシももう他人事ではない、と危機感を覚えたことでした。

この本は、そのような現実的な本にも関わらず、胸が熱くなったり、はたまた怒りが湧いてきたり、なかなかに感情が揺さぶられる本で、思いがけず泣ける本でもありました。志を持った方の話を聞く(読む)のはいいことですね。

整形外科では全く読む時間がなかったので、家に帰って来て「おひとりさま~」の方は急いでバーッと読んでしまったのでした。

そしてコータロー氏の足はどうだったか、と言いますと、疲労骨折を起こしていたけど、それももう治りかけている、との診断でした。本を読む時間もなかったけど。たいしたことなくて何よりでした。

それでは皆さま、ごきげんよう。

また明日。

# by sanahefuji | 2024-03-19 21:39 | 雑記 | Comments(0)
今日は久しぶりに堂崎天主堂に行きました。

堂崎天主堂に行くのは、島外から誰かが遊びに来た時、というふうに決まっておりまして、今日は春休みで岐阜県から遊びに来ている姪っ子ちゃんと一緒に行きました。

前に来たのはいつだった忘れましたが、中の展示物などが変わっているわけでもないのに、その時その時で見えるものが違うのが不思議。今日は展示してある写真の中の人物がどうもね、ワタクシの方を見ているような気がするんですよ。またまた妙なことを言っておりますけど、このブログをいつも読んで下さっている方なら、もうご存知でしょう。

なので安心して書いてしまうのですが、ワタクシも気になってチラチラとその人物を見ていたのですが、でもそれではイカンと思い、その写真の正面に行き、その人物と向き合って、ここでもお話をするわけです(心の中で)。その方はワタクシの心の内など何もかもお見通し、というような表情をしていらっしゃいます。しかし、だからと言って、特に厳しい感じではなく、もっと温かな雰囲気で語りかけてくるような感じ。

「いつから始めるんですか。」というようなことを聞かれている感じがしたなぁ。

なのでワタクシは、やや焦って、ちょっと今は待って下さい!今はまだ何かとゴタゴタもしておりまして、いろいろ整理がつかないのですが、でもでも必ず始めますから!

というようなことを、そこで答えたのです。

いよいよ頭がおかしくなった、などとはブログの読者さんは思わないと信じておりますが、しかしやっぱり妙なヒトかもしれません。

この堂崎天主堂に行った時には必ず、その先にある民俗資料館の建物にもワタクシは必ず行きます。そこには昔の生活道具などが展示されているので、それを見るのがワタクシはとても好きなので、必ず見に行くのです。

ここも展示物の動きは全然なくて、それどころか、殆ど放置されているような状態で、陶器などはまだ朽ちないのでいいのですが、木の道具とか藁とか布のものなどは傷んでくるので、それにもワタクシは胸を痛めておりまして、五島に来て、この資料館を見た時から、ずっとずっとここの道具たちをもっと活き活きとした展示に出来ないのかなぁ、ということを思っていました。がしかし、どうすることも出来ず、手も足も出せないまま20年以上がたってしまったのでした。

この道具たちが現役だった頃の活気、というのを想像すると、今のこの状態、というのが不憫でならないのですが、でもせめて来た時だけでもワタクシは並々ならぬ興味と関心を持って、この道具たちを眺めようと思うのです。

モノでもヒトでも動物でも植物でも人間が関わっているものは、関心を持ってもらえない、とか、気にかけてもらえない、という状態が長く続くと、なんだか荒んだようになったり、弱々しくなったり、生気のない状態になるような、そんな感じがするので。

人間と一緒に生きているものは、そんなふうになるような気がするなぁ。

「愛の反対は憎しみじゃなくて無関心」というのは、そういうことか!と今フト思ったのですが、どうでしょう。

しかしながらワタクシは、実際の生活ではいろいろなモノを放置するクセがあったり、園芸植物の存在を忘れて枯らす名人だったり、飾ったモノを埃まみれにしてしまいがちだったり、なので実はエラそうなことは何も言えません。

何日か前に中学校の先生から電話がかかってきて、18日の月曜日の15時20分から50分の間に子供たちが記念の品を持ってご挨拶に伺います、というようなことを仰られたのですが、ワタクシは今日、途中まではこのことを覚えていたのですが、じつはその時間帯にはすっかり忘れていました。

本当に恐ろしいほどスッポリと抜け落ちていて、予告通りその時間にやって来た中学生が玄関の扉を叩くのを聞いてもまだ思い出しませんでした。

危うく、それを忘れて出かけるところだったので、まだ家にいて本当に本当にヨカッタ、と胸をなで下ろしたのでした。

そのようにワタクシは用事も忘れがちなので、やっぱりエラそうなことは全然言えないのですが、でもその時その時に出来得る限りの関心を持ってモノゴトに当たりたい、とは思っているのです。
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中学生が持って来てくれた記念の品、というのは「奥浦中学校生徒会」という文字が入った鉛筆でした。

ワタクシは現代のオトナにしては、割と鉛筆を使う方だと思います。それは何かの文章を書く時の下書きの時には鉛筆書きをするからです。なのですぐにカッターナイフで削ってスタンバイOKにしておきました。

3月中に下書きが必要な文章をいくつか書く予定もありますから、その時に使わせてもらいましょう。

そんなこんなで、少しずつ前に進めそうな気がしてきました。

ありがとう、中学生。

ではでは皆さま、ごきげんよう。

また明日。





# by sanahefuji | 2024-03-18 22:49 | 雑記 | Comments(0)

お喋りの効用

昨日、閉店間際に友が喋りに来てくれて(モノも買ってくれたけど)、夜の部が6時から入っているにも関わらず、閉店時間の5時まででは喋り足りないので5時40分くらいまで居てもらって、その後バタバタと準備。

その友が来る前には別のお客さまたち(この方たちももう殆どお友だちなのですが)と喋っていたので、ワタクシの中の喋りたい欲求はだいたい満たされて、昨日は肉まんとかいろいろけっこう売れ残ってしまっていたのですが、まぁいいや、という感じ。

商売よりも喋りたい、ということかもしれません。

そんなのだから儲からないのは確かですが、しかしこれは大事なことです。

というのも、生きていればいろいろとコマッタことが起きたり、何かしらの悩みがあったりするものですが、そのような時でも誰かに話したり、相談したりすれば、それが直接の解決に結びつかなかったとしても、それだけで随分と気持ちがラクになったり、自分で解決策を見つけられたりするものですから。

1か月くらい前に、「まちフェス」というイベントがあった時に大学の先生のお話があったのですが、その中に日本人の価値観の変化を知るのに興味深い数字がありました。

それは、

・「地域で挨拶以上の関係のある人が必要と思うか」という問いに対して、1973年には35%の人が必要と答えていたのが2018年には19%に減ったということ。

・「職場で相談できる人が欲しいか」という問いに対して、1973年は59%の人が欲しいと答えていたのが2018年には37%に減ったということ。

これ、ちょっと大丈夫??

とワタクシなどは思うのですが。じゃあ困った時なんかは一体どうするの?と。

困った時だけじゃなくて、悲しい時に一緒に泣いたり、嬉しい時とかメデタイ時とか、そういう時には誰かと一緒に喜びたい、とか思わないのかな?と。

とてもとても不思議です。

いつだったか、フェリーでバッタリ会った方と話していて、その方は長崎の心療内科に行く、ということだったのですが、そこで長崎の心療内科事情を少し教えてもらってビックリ仰天しました。

長崎あたりの心療内科はどこも予約でいっぱいで、なかなか新規では入れない、という話。その方は、たまたまキャンセルが出たところに入れてもらえてので、その日行くことが出来た、ということでした。

災害が起こったわけでもないし、紛争地帯でもない、一見平和な社会で、どうしてそんなに大勢のヒトビトが心を病んでしまっているのだろう、と考え込んでしまいました。

それって、前述した数字と何か関係があるんじゃなかろうか。

ワタクシなどのような単細胞人間が思いますことは、ペチャクチャと自分が喋ったり誰かの話を聞いたりするだけでも悩みはかなり軽減されたり、あるいは、深刻になる前にどこか必要な機関なり何なりと繋がることが出来たりする、ということは言えるのではないか、ということなんですが、どうでしょう。

そのような機会も場所も時間もない、ということになれば、一人で悶々モヤモヤする時間が増えて、最悪の場合「病んでしまう」ということになるんじゃないのかな。

なのでまぁ、「木ノ口かたし」の商売はそこそこでも自分がペチャクチャ喋れれば、結果、ワタクシは心療内科などに通わなくてもよくなる分、お金はかからない、ということで、昨日のようなことも許してもらいましょう。

そのように常にオメデタイ思考回路でいきましょう。

そして、佐賀県で開催されているバレーボールの大会「ドリームマッチ」の応援に行っている長女のハナから朗報!

コータロー氏が所属するチーム「長崎ドリーム」が優勝した、とのこと!

先月の「東福岡高校杯バレーボール大会」での優勝に続き、メデタイことです。

これは他のチームメイトがスゴイからなのですが、そのようなメンバーと共に練習したり試合をしたり、はたまたその子たちのお宅に泊めてもらったり、と本当に良い経験をさせてもらいました。

こういうことも人との出会いや繋がりがなければ出来ないことなので、本当にありがたいことだった、と思います。

日々感謝!

ではでは皆さま、ごきげんよう。

また明日。





# by sanahefuji | 2024-03-17 18:14 | 雑記 | Comments(0)

春眠暁を覚えず

今日はポカポカ暖かくて過ごしやすい一日でした。

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お店が終わって外に出て、見上げた空はもう春の空。

そして本日の「かたしのごはん」はコチラです。
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それにしても眠い!眠過ぎる!

今朝は30分寝坊したのも春だからかなぁ。

眠くて文章が思い浮かばないので、今朝なぜか心に響いた歌でも。



# by sanahefuji | 2024-03-16 23:04 | 「かたし」のお昼ごはん | Comments(0)

本日、小学校の卒業式

昨日の中学校の卒業式に続きまして、今日は奥浦小学校の卒業式でした。

ついについに、わが家の最後の小学生が卒業してしまい、18年間の小学校在籍期間が終わりました。

しかし、昨日の中学校の卒業式で感じたような、「すさまじい喪失感」は全く感じず、明るく晴れやかな気持ちです。
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卒業式の前日である昨日、コータロー氏が「髪を切りたい」と言い出して、しかもいつもは坊主でも5ミリくらいの長さで切るのに「5厘」にしたい、と言うのです。どういうわけかと思ったら、同級生の一人の子と一緒に5厘にしていくと約束したらしいのと、明日からバレーボールの県選抜チームが「ドリームマッチ」という佐賀県で開催される大会に出るので、気合を入れるため、のようでした。

というわけで卒業生5名中、2名が5厘。そしてコータロー氏は卒業式を終えた後、またまた最終のフェリーで本土に渡りました。

今回は応援には行けませんので、五島で健闘を祈ることとしましょう。

小学校の卒業式は、ほのぼのとして中学校とはまた違う良さがありました。そして何と言っても、まだ学校があるのですから悲痛な思いをしなくてすみます。もう絶対にあんな思いはしたくない、だから「奥小の守」の活動を頑張らないと!と、ワタクシはまたまた決意を新たにしたことでした。

そのように小学校との関わりはこれからもなくなるわけではなくて、自分の子供がいなくなる分、もっと自分から関わりを求めて行かなければ、と思うせいなのか、小学校が終わった感は全然ないのです。むしろ、自分の子供がいるから、という理由がなくなって、もっと純粋に支援することが出来るような気もしています。

いずれにしても何かが終わったら、また新しい形で何かが始まるのだと思います。

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コチラ、前の「かたし」のお客さまからお下がりで頂いたランドセル、途中、持ち手がちぎれたり、ポケットが外れそうになったりして、その度に黒いガムテープで修理しながら今日までなんとかもちました。

わが家の4人の子供たちのランドセルは全員お下がりです。だって6年しか使わないなんてもったいないから。

ワタクシが入学式とか卒業式なんかの式典で着るような衣装をヒトさまのお下がりとか、はたまた「かたし」の「ご自由に~」コーナーに出されていたものから貰ったりしたもので乗り切った(まだあと何回があるけど)のと同じようなことを子供に強いるのはどうかと思われるかもしれませんが、でもそれくらいのことは別に強いても全然かまわないということが、全員小学生を終えた今、言えるのではないか、と思います。

そりゃあまぁ、子供たちは本当は新品がヨカッタに決まっていますし、イヤな思いもしたかもしれませんが、でも、そんなことは特に重要なことでもない、ということです。

そしてそれは、この学校だったからそれでも良かった、ということもあるのかなぁ、と思ったりします。

良い環境で子供と一緒に過ごさせてもらって、本当にありがたいことでした。

というわけで、昨日今日と連続で卒業式でしたが、もう金曜日!

明日の「かたしのごはん」はコチラです。

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ではでは明日の「土曜日開店 木ノ口かたし」も、よろしくお願いいたします。



# by sanahefuji | 2024-03-15 20:50 | 「かたし」のお昼ごはん | Comments(0)

ここは五島列島福江島。「かたし」とは椿の古い呼び名です。2001年にIターンして就農した私たちが週に一度、土曜日だけやっている直売所&飲食店、ときどき居酒屋(居酒屋は予約制)「かたし」(2016年に「木ノ口かたし」に改名)での出来事、五島の暮らしの日常などなど。日本の端っこで繰り広げられる、ささやかな人生劇場を綴っていきます。


by 山﨑早苗