前のブログによく書いたことですが、ワタクシは「やせ我慢」体質です。
「『ええかっこしい』やな」と言ったヒトもあります。
これは、ある方が「木ノ口かたし」に訪ねて来られて、「木ノ口かたし」建設についてのいろいろを聞かれたので話していた時のこと。
うちはお金がホントにないんで、あちこちから壊す家の材木をもらってきて柱や梁にして、薪用に売っていた軽トラ1杯2500円の端材に鉋をかけて壁にして、などなどと話していたら、ふんふん、と感心して聞いて下さっておりました。
そして、さも不思議そうに「どうして補助金をもらわなかったのか」と聞きます。
もちろん最初はそのことも視野に入れて、話を聞きに行ったり、相談したりもしたけれど、結局ワタクシたちは、それが自分たちの心になにかモヤモヤ引っかかるから、やめよう、ということになった、と正直に話しました。
すると出てきたのが、その「『ええかっこしい』やな」です。
ホント、ずばり言い当てられた感じ。そして、この歯に衣着せぬ感じ、ワタクシは全然キライじゃありませんで、むしろ好ましいです。
その「ええかっこしい」あるいは「やせ我慢」体質は、小さい頃からの習い性と成っている部分が大きく、それは、これまた何度も書いているように幼少期の母親の病気、そして死、が大いに関係していると思います。
自分の気持ち、特に悲しみとか怒りとか、あまり歓迎されないような感情には蓋をして、あたかも平気のように振る舞う、「前向き」な解釈をする、そしてそうしているうちに、実際のところ表面的には何事もないように過ぎていくのです。ところが、何事もないはずがないわけで、後々、体や心にいろいろな影響が出る、ということをワタクシは身を持って体験しております。
昨日の朝のラジオで、東日本大震災後に被災地で霊体験をした方々の聞き取りをしているノンフィクション作家の奥野修司氏の話が特に印象に残った、と書きました。
ある日突然、大切な人を失ったヒトが深い悲しみの中で、亡くなった方の霊に会ったり、不思議な体験をする、そのことを話したのは奥野氏が初めて、というヒトが殆どだった、ということ、そして1回で終わることはなく、「次はいつ来るんだ」と次回の約束をさせられた、ということも仰っていました。
この記事の中の「大切な人を亡くした私には何年たっても復興はない」「少しずつ復興していくのを見ると、取り残されていくような気がして嫌でした。自分だけが止まっている。」という遺族の方の言葉に、今、ワタクシ自身もその痛みと同じものを未だ感じている最中なんだ、ということをはっきりと悟りました。
震災で大切な人を亡くした方と同等には語れないかもしれないけれど、両親亡き後のワタクシ自身に、それ以外の大きな喪失体験が2年前にありました。
2年前というと、1月31日の土曜日に旧「かたし」の営業を終え、2月の終わりには建物の荷物を全てを引き払った、というその出来事です。
1月31日の夜は宴会だったのですが、ワタクシにとってこれは旧「かたし」の「お葬式」でした。
その後の展開については、ここに記してきた通り、多くのヒトビトに支えられ、昨年の春には「木ノ口かたし」の開店にまでこぎつけ、まあまあ順調に営業も出来ておりまして、ありがたい限りです。
でも、ワタクシの「悲しみ」は、また置いてけぼりだった、ということに気がつきました。
旧「かたし」が無くなる悲しみ、喪失感、そしてその後に起こった、いろいろな状況の変化などなどに、ワタクシは随分と一人傷ついたり苦悩したりしてきました。
でも、それを誰かに洗いざらい語る、ということはなかなか難しいことでした。立場が違えば、物事の受け止め方も違ってくるし、誰が悪い、ということでもないことばかりなので。
大きな喪失体験をした者は、悲しみに向き合う、という作業をどうしてもやらねばならない、ということを痛感している今日この頃。昨日のお話が心に刺さり、少しずつこうしてブログに書いてみたりしています。いつも読んで下さる皆さま、本当にありがとうございます。
それでも、ワタクシは2年前から今の今まで、普通に過ごせています。
そう考えると、悲しみや痛みを抱えながら、普通に過ごしているヒトは、いっぱいいるんだな、ということが分かります。
ワタクシのこの程度の体験でもそうなのですから、大震災での辛い体験を抱えたヒトビトの痛みや苦しみ悲しみはどれ程のものだろう、と思います。
いつかワタクシも、もっと強くなって、そういうヒトビトに寄り添うことができれば、と思ったりしています。
うーん、また「ええかっこしい」で締めくくってしまったなぁ。たはは。