人気ブログランキング |
おはようございます。

早いもので、今日はもう金曜日。

そして、明日は5月最後の土曜日で、肉まんの販売は今週でおしまいです。また11月に再開します。小麦粉は間に合わないけど、玉ねぎは、わが貧弱家庭菜園のものを今週は使えます。

その貧弱なわが家庭菜園に、ひょんなことからやって来てくれたカワイイ、しかし強い味方。
b0317003_08060667.jpg
これならワタクシでも、カンタンに扱えます。その向こうにあるのは耕耘機ですが、こっちの方は、エンジンをかける時に鉄製のハンドルをかなりの速さでグルグル回さなくてはならないのですが、家庭菜園同様に貧弱なワタクシはその段階で疲れ、この機械を扱うのを早々に諦めてしまった、という経緯がありますので、こちらの小さい機械で出来る範囲でチマチマとやろうと思います。

畑でフト顔を上げると、
b0317003_08063735.jpg
そこにバラが咲いている、というのが、やっぱり嬉しくて、しばしば手を止めて見つめてしまうワタクシ。5月の今頃、やっぱり同じように日差しが強くて5月にしては暑過ぎる昼下がり、まだ小さかったコータローと一緒に病院に向かっていた道の途中、瀟洒なお宅の庭に、幻のように咲いていた花が忘れられず、あれはきっと薔薇だ、と思い苗を買って、植えたのが4年前。

マメに手入れしてやらないせいで、全然大きくなってないけれど、こうして毎年、優雅な花を咲かせてくれるから、あの幻のように美しかった花を見た昼下がりのこと、そしてその数日後には天国へ旅立ってしまった「湯布院のおいちゃん」のことを、美しく思い出すのです。

平凡な日常の中に、こんな美しい花とか、音楽とか、そういうものがあると、なかなか良いな、と思います。

ほんの些細な出来事からも、何かが特別なものになったり、特別な場所になったりすること、ありますよね。だから、普通に日常生活を送りながらも、自分だけにしか分からない思い出に、浸ったり、どこかに飛んで行ったりもして、心はなかなか自由です。

以前、ドイツ語学習をやっていた時、その時のラジオ講座がものすごく良くて、あれは今考えてもしみじみ黄金期だった、と思うほど充実したラジオ講座であったのですけれど、その時に聞いたドイツの歌「In einer kleinen Konditorei」という歌がワタクシはとっても好きで、カセットテープ(古いですな)が伸び切ってダメにしてしまったほど聞いたのでしたが、これは日本語版も出ています。日本語では「小さな喫茶店」という題名です。

歌詞の訳はドイツ語とは随分違いますけど、雰囲気というか、佇まいというか、そういうのをよくとらえて、実に上手な日本語訳になっている、とてもいい歌です。今日はそれを聞きたくなりました。


ではでは、明日の「木ノ口かたし」も、どうぞよろしくお願いいたします。

皆さまも、良い一日をお過ごし下さい。

おはようございます。

昨日は、うっかり空白を作ってしまいました。一応「毎日書く」ということを目標にしておりますこのブログ、時間さえ許せばいくらでも書くことができるのですが、生憎、貧乏暇なし、というのを地でいっているわが家といたしましては、いかに無能な主婦であっても(というか無能な主婦だからか)、なかなかそういうわけにはいきません。

一日のうちのなるべく早い時間に書いてしまう方が安心なのですが、というのも、最近は夜遅くなると次の日に早く起きられなくて、弁当が間に合わなくて、弁当を届けに行く、となってしまうからです。

しかし朝の時間に書くということは、子供たちは例えば味噌汁とごはんと弁当のおかずの残りなどを、各自でよそって食べている、ということで、ワタクシがわざわざ並べて「はい、どうぞ」ということはしていないのです。

これについては、例えば、ごはん時に自分は何も動かずに座って食べ物が出てくるのを待っているヒト、になっては困るから、というもっともらしい理由をつけることも出来ますが、本当はただ朝起きてからすぐに何かを書いていたい、というワタクシの「読み書き中毒」症状のためなのでした。

しかしこれは、他のヒトがごはんを食べているのに、同じ食卓でパソコンに向かっているのはどうなのか、というモンダイになりそうな気がしますね。うん、あまり感心しないことだなぁ、ヨクナイかもしれない、とにわかに反省してしまう、こうして書いているといろいろなことに気がつきますから、やっぱり書くことはいいことですね。と、すぐに都合のいいように正当化する。

そのように、母親としてはどうなのか、ということが多いワタクシですから、例えば子供が学校に持って行くものの準備なども、真面目に見てあげたりしてなかったので、わが家の子供たちは忘れものが多かったかもしれません。しかし娘たちは成長してみれば、そうそうだらしないこともなく、自分でちゃんとしているようなので、それでもよかったのかなと思います。

しかし、まだ2年生のコータローは、最近忘れものをして先生に叱られて泣いたりしていたので、さすがにちょっとかわいそうになって、じゃあ一緒に確認しようか、ということになって一緒に準備しました。しかし、母があまりあてにならないと思ったのか、もう一度自分で確認しています。いいことです。
b0317003_06363936.jpg
ワタクシ自身は、もう何度も書いているように、そういう経験(お母さんが一緒に準備するとか、宿題を見てくれるとか、あとは何だろう、とにかく母親がしそうなこと全般)が全くないので、何をどこまで、どうしていいのか、というのが未知の世界でした。

未知の世界に足を踏み入れる、というのは、どんなことでもタイヘンなことです。だから、いろいろとタイヘンだったような気もしますが、でもそういうことは忘れて、楽しかったことだけを覚えています。ホントに人間って都合がいい生き物です。しかし、おそらく子供たちはタイヘンだったこととか、イヤだったこととかもちゃんと記憶していて「自分が親になったら、こうする」とか「あのようにはならないぞ」などと思っているはずなんです。なので、それはその決意の通りにしてもらったらいい、と思います。

良くも悪くも現実の存在であるモデルがあった方が、やりやすいのではないか、と、ワタクシは考えます。というのも、ワタクシのように母が暮らしの中に存在していなかった者というのは、現実の人間である母親を見ていないので「理想の母親像」などを頭で考えてしまったりして、タイヘン苦しむことになるからです。

なので、周囲のヒト(この場合は子供)が実際の人間を見ることができる、という点では、どういう母であっても、そこにいるだけでも何かしらの価値はある、ということです。まぁこれは何も母に限ったことではなく、いろいろな役割やお仕事をしているヒトビトでもそうなのだと思います。立派でなくても、向いてなくても、ちゃんとやってなくても、周囲のヒトビトは、その人間そのヒトから、何かしら学ぶことがあるんだろうな、と、いろんなことが向いてなかったワタクシは考えるのです。

自分が、このことに向いていない、と分かってしまうというか悟ってしまうことは、がっかりするし、少し悲しかったりすることでもありますが、だからといって、それをやったらダメ、ということもないのだな、と思います。やってみたければ、下手なりにやってみればいいのだな、と。
b0317003_06373478.jpg
今年も「おいちゃんのバラ」、咲いてくれました。これ、もう何年もたっているのに、全然大きくなっていないのは何故かと言うと、強風で折れてしまったからなのです。そういうのもマメに手入れをして、支えてやるなり何なりしなくては、大きくならないんだなぁと思うワタクシ、この園芸というのも自分には全く向いていない、ということを、もう相当に前から気がついていて、それは本当にガッカリすることなのですが、でもだからといって、やったらダメということもない。

すぐに草だらけにしてしまう庭ですが、細々と、出来る範囲でやっていこうと思います。

哲学者の土屋賢二氏が言ってたように何事もヒトと比べると「悩み」になってしまいますから、比べる必要はないのです。

そうそう、開き直って、やってみたいことは、やったらいいんじゃないのかな。

それにしても、いろいろはかどらないのですが、落ち着いて順番にやっていこうと思います。

ではでは皆さまも、今日も良い一日をお過ごし下さいませ。
















こんにちは。

ここ2~3日、茶碗を洗い過ぎたせいなのか、夜に家の流しにまた山積みになっている茶碗を洗うのが、「よだきい(大分弁 面倒とかダルいとかいう意味です)な」と思ってしまったワタクシですが、でもこれはきっと、家の流しが「木ノ口かたし」よりも狭いせいで圧迫感があるからだろう、と思うことにしました。

このように「よだきい病」になりそうな時は、そのままにしないで、それを最後までやってしまった方がいい、ということは経験済みなので、洗ってしまったのですが、昔はこれが出来なかったのよね。積み残したままにしたりしてましたから、少しは進歩したんじゃないかしら。

しかし、この「よだきい病」に罹りそうな時、というのは、いろいろな原因が複雑に絡まり合っていることが多いのですが、まぁ結局のところなんだかんだと用事や気にかかる事が多すぎて、要領の悪いワタクシがそれを上手くこなせない、というだけのことなのですが。ホントに同時進行でいろいろやる、というのはムズカシイ。


ちょっと前にオシャレにおける「香りのモンダイ」ということについて書きました。その時にワタクシは、自分が食べ物を扱う仕事をしているから、家に香りの強い洗濯関係のものとかシャンプーなどを持ち込みたくない、というようなことも書きました。しかし、娘たちはお年頃なので、シャンプーなどは仕方がないか、と思って解禁しているのですが、家の洗濯や自分はもっぱら無臭あるいは、ごく微香の石鹸を使用していて、なるべく「無臭の女」でいようと思っているのです。

しかし、その香りモンダイがずっと気になっていて、気になったことはそのままにしない、という目標を掲げておりますワタクシは、何かいい考えはないか、と思っていたところ、最近「練り香水」なるものがあることを知りまして、それをですね、買ってみたんです。これならば、何か家全体に移るほどの強い香りでもなさそうだし、お出かけの時にちょっと使うくらいならいいかな、と思いまして。

家全体、というの、大袈裟ではないのですよ、これが。例えば、子供たちが手作りお菓子を貰ってきたりすることがありますけど、この時に子供たちが「これ、○○ちゃんの家の匂いの味がする」と言うのです。これはどういうことかと言いますと、その家で使っている柔軟剤だか何かの匂いというのが家に充満していて、おそらく台所にある小麦粉なども、その匂いを吸収してしまうのですね。それでその「匂いの味」がお菓子についてしまうのです。

そういうことがあるのでワタクシは、強い匂いのするものには、タイヘン警戒してしまうのでした。

しかし、この度、香りモンダイに挑戦するために「練り香水」なるものを買ってみたわけですが、その香りを何にするか、というのは、もう決まっていました。それは「スズランの香り」です。
b0317003_12451503.jpg
ワタクシが高校生の頃、あれはいつだったか、誕生日だったかクリスマスだったか忘れましたが、とにかく何かのプレゼントに父親がスズランの香りの香水をくれたことがありました。

それは、昔からオシャレ関係には疎かったワタクシがその時初めて聞いたブランド「クリスチャン・ディオール」のものでした。

化粧や香水の匂いが苦手なワタクシにとっても、その匂いは全然きつい感じではなくて、すごくいい香りだったので、気に入って、ごくごく控え目ながら使っていたのでした。

そのスズランの香りを覚えた友達が「これって『ふじわら(ワタクシの旧姓ですけど)』って感じする」と言ってくれたのが、とっても嬉しかったのでした。

なので、いろいろな花の香りの中でも、やはり再びコレだろう、と思ったわけです。久しぶりに嗅いだスズランの香りは、やっぱり好きな香りでした。

しかし香りの記憶、というのは、他のどんな記憶よりも、その当時のいろいろなことを甦らせるものですね。スズランの香りに、その時は気がつかなかった家族の愛情とか、母がいなくて寂しいながらも温かかった家庭や地域のこと、友達のことなどなども思い出され、不覚にも涙がこぼれました。

ホントにね、時間がたたないと分からないことも、ありますね。

でもよかった、思い切って(そんなことくらいで思い切るな、という感じもしますけど)「練り香水」なるもの、買ってみて。

この歌、聞きたくなったなぁ。














おはようございます。

またまた始まりました、1週間。

「木ノ口かたし」はこの週末、金土日と「夜の部」が盛況で、「お片付け」担当のワタクシ、せっせと皿を洗ったり、部屋を掃除したりするのが気持ちが良い今日この頃、皆さまいかがお過ごしですか。

このような片付けの時に聞く音楽、というのは、例えばクラシックなんかでは優雅過ぎてちょっと合いません。あまりに優雅な気分になってしまうと、花でも愛でながらお茶でも飲みたくなりますから、やはりここは若者のパワーのある曲が良いですな。

というわけで、昨年の年末あたりからワタクシの中でブームがずっと続いている「あいみょん」です。

このヒトは上手いですね、ホントに。

こんなに若いのに、物事や人間の核心というものを既に掴んでいるのだなぁ、と思います。だからこんなに若者が聞いても中年が聞いても、いい、と思える普遍性のある歌を作れるのだと思います。一曲の歌の一つの物語が実にイメージしやすくて、その中の人物などがハッキリと浮かんでくるような気がするのです。

というか、まるで自分がその人物になったような気すらする。ホント、すごい。

そんな「あいみょん」の歌、好きなものはいくつもあるけど、物語に移入してしまう感じが特に著しいこの歌が、とても好き。この歌の中に出てくる男に自分は惚れているような、そんな錯覚さえ起こしてしまう、それくらい上手い、ホント上手すぎる「あいみょん」、ストーリーテラーです。



カラオケなんかには、もう何年も行ったことないけど、ちょっと「あいみょん」歌ってみたいんだよなぁ。歌えそうな歌が、いくつかあるんだけどな。カラオケ、いつか行きたいな。

さて、今日もまずは「あいみょん」を聞きながら「お片付け」。景気よくいきますか。

皆さまも良い一日を!





おはようございます。

昨日はヒドイ天気でしたが、わが家の子供たちがお世話になった保育園では「聖母祭」がありまして、コータローがお友達に誘われて参加してきました。そして、焼き菓子がいくつか袋にはいったものとマリアさまに捧げた後の花束を貰ってきました。
b0317003_04400873.jpg
外は荒天ですが、「木ノ口かたし」の一角は天使の祭壇のようになりました。ちなみに一番左のバラ一輪は、わが家のピエールさん。

例によって、また土曜の朝のラジオの話なのですが、昨日のサタデーエッセイはミュージシャンの大貫妙子さん。昨日はご自身の音楽活動の話などをしていて、作業中のワタクシが心の中にメモをした言葉がありました。それは「お客さまあってのこと」という言葉です。

ライブなどの活動も何もかも「お客さまあってのこと」で、「自分はお客さまに育てられた」というようなことも仰っていました。

ワタクシなどのように、チマチマとした活動しかしていない者であっても、それは全く同じなんだな、とワタクシは思いましたのです。

このちっぽけな「木ノ口かたし」のお店も、「土曜日開店『かたし』の人生劇場」のブログも、訪れて下さるヒトビトがいてのこと、と、つくづく思い、こんなにいくらでも店もブログもある中で、わざわざここに訪れて下さるヒトビトがいるなんて、なんてありがたいことだろうか、と感涙にむせびそうになった程です。オバサンはどうしてすぐに涙ぐんだり泣いたりするんだろう、と子供のころは思っていましたけど、年とともに涙腺が緩みやすくなる、というのは生理現象のようなものなのですね、きっと。

それから大貫妙子さんは、こんなことも仰っていました。それは、自分が人前で、まぁまぁまともに歌えるようになったのは、40年の音楽活動のうちの、この20年くらいのことである、というようなこと。

つまり最初の20年は、自分では少しもまともに出来てなかったと思っている、ということなのですね。

このことも、ワタクシは「あっ、そうなんだな。」と思いましたのです。

というのも、一応は飲食店でもある「木ノ口かたし」が始まって3年になりますが、ワタクシは未だに知らないお客さまがいらっしゃると、「どうしよう!」と思うのです。店なんだから知らないヒトが来るのは当たり前じゃないか、と思われるかもしれませんが、自分だったら、こういう個人経営の、なんだかよく分からない店には入れないと思うので、そのような果敢なヒトが来ると、少なからず動揺するわけです。店を構えておきながら、矛盾しているかもしれませんけど。

前の「かたし」の時は、店番はワタクシだけではなくてハルさんもいたし、飲食店ではなかったし、で、そこまで「どうしよう」とは思わなかったのですね。それでもやっぱり緊張はしていたけれど。

このように人見知りなのに接客業をやっていること自体が間違っているのかもしれないけれど、成り行き上そうなってしまったのだから仕方がないし、それに、やっぱりこのことは自分のためにはすごくヨカッタ、ということなのです。

なので、なんとかまともな従業員になれるように、と思っているのですが、これがなかなか難しい。何しろ、週に一度の店ですから、間が開いてしまうわけで、そうすると、その間に従業員感覚を忘れてしまうわけです。そういうこともあって、接客業になかなか慣れない、ということもあるのかもしれません。

音楽を生業として、おそらく音楽漬けのミュージシャンでさえ、自分が少しはまともに出来るようになった、と思えるまでに20年もかかるのなら、週一度の「木ノ口かたし」の従業員が、まともに接客できるようになった、と思えるのはいつのことなんでしょう。それまでに寿命も尽きてしまいそうな気がします。でもまぁ、それはそれでいいのではなかろうか。

そんな不肖の従業員でありながらもワタクシは、お客さまたちの「さんざめく」気配を感じながら、立ち働くことには無上の喜びを感じます。見知らぬお客さま同士がここで親しくなられたり、あるいはお知り合いだったヒト同士が、偶然ここで会って、お喋りに花が咲いたり、と、そういうことがあると、それはワタクシにとっても本当に嬉しいことで、そのような気配を、この建物も喜んでいる、と思うのです。

それは前の「かたし」の時にも常に感じていたことで、それは朽ち果てようとしていた建物が蘇り、自分が再び生きることで、誰かの、何かの役に立っている、という実感を伴うことだからだと思います。

それは、ずっと言っていることですが、あらゆるものの、本当の望みでは、ないのかな。

「木ノ口かたし」不肖の従業員のワタクシは、そのように思うわけです。

この「不肖」って言葉、ワタクシは実はあまり悪い意味だとは思っていなくて、むしろ好きなんです。これ、前にも書きましたけど、いつだったか、やっぱりラジオで宮崎駿氏と「ぐりとぐら」の著者の中川李枝子さん、というビッグなお二人の対談があって、アナウンサーの方が「なんだか姉弟(きょうだい)みたいですね。」とお二人に言ったところ、宮崎氏が「不肖の弟です」と仰ったのが、「なんてカッコいいんだ!」と思ってですね、ますます「不肖」という言葉を使いたくなりました。

宮崎氏が言うのと、ワタクシが言うんじゃアンタ全然別モノだよ、とは思われますでしょうけれど、いいのいいの、カッコいい、と思った言葉はどんどん使うのです。

不肖の妻、不肖の母、不肖の嫁、不肖の従業員、その他いろいろ、この言葉で表現するとダメ過ぎない感じがしていい、というか、何か温かみも感じるダメさ加減、ということで、いいのですな。モノは言いようです。

さてさて、そんな昨日の「かたしのお昼ごはん」は、
b0317003_04405550.jpg
・酢鶏
・イシダイの焼き魚おろしポン酢添え
・蕗とヒジキの煮物
・ポテトサラダ
・水菜と海苔の和えもの
・卵焼き
・茶碗蒸し
・玉ねぎとキャベツとスナックエンドウの味噌汁
・カマド炊き白米&古代米入り玄米
・ブルーベリー&胡桃のケーキ

でした。

ブルーベリーは今回のケーキで昨年収穫した分が完全に無くなってしまいました。再び会う夏まで待ちましょう。先週もブルーベリーのケーキだったのですが、先週は全部売り切れてしまったので、ワタクシは食べることが出来ずに非常に残念でした。なので今週は少し残ったのが実に嬉しかったワタクシ、売れ残ったことが嬉しいなんて、やはり不肖の従業員です。

これで小遣いを稼いでいるアサ曰く「アサは全部売れた方がいい」とのこと。

有能な従業員も育っております?!















おはようございます。

ここに弁当云々の記述をしているおかげで、見栄っ張りのワタクシが、ちゃんと弁当が間に合いました、とここに書けるように、と早く起きるようになりまして、弁当もちゃんと間に合ってメデタシメデタシ、ブログって役に立つな、と思っております今日この頃、皆さまいかがお過ごしですか。

それもこれも、読んで下さっている心優しき皆さまのおかげです。ラインやらfacebookやらインスタグラム、あとは何だ?まぁよく分からないながらもSNSやら何やらで忙しいでしょうに、このような、ただダラダラと牛のヨダレ方式に書き綴っている時代遅れのブログに訪れていただきまして、ホントにありがとうございます。

さて昨日は、わが貧弱家庭菜園にチマチマと野菜の苗を植えたり、種をまく準備をしたりしておりましたが、今頃になってようやく収穫できるようになったスナックエンドウを採ってきて弁当の一品にしたり、もはや大きくなることはないだろう、とまで思っていたくらい成長しなかったタマネギの苗がちゃんとタマネギになりつつあったり、サツマイモの苗も少しずつ大きくなってきて、不毛な畑からも一筋の光明を感じる今日この頃、皆さまいかがお過ごしですか、とは、さっき言いましたね。

サツマイモと言えば、昨年わが家のサツマイモは不作でした。というのも、苗を植え付けた後に全く雨が降らなくて、降ったかと思ったら、それが甚大な被害をもたらした台風の時だった、ということで、イモの苗も潮風に当たって、いじけたようになってしまったのです。

それで収穫は前年の半分以下となってました。しかし、今は昔と違ってイモを主食としてませんから、去年のイモがまだ残っています。それは「木ノ口かたし」の屋根裏部屋に保存しているのですが、最近それをとって来ては、サトがスイートポテトを作るのにハマっています。

部活で遅く帰ってきているのに、「今日は学校で宿題をしたからスイートポテト作ろうかな」などと言って、おもむろに作り始めるのです。

こうして何度もスイートポテトを作っているサトですが、そうそう毎日は作れません。それで、スイートポテトがなくなると「あースイートポテト食べたいな。部活から帰って来たらスイートポテトが食べたいんだよな」などと独り言のように言っている。それが、こちらに向かって言っているふうでもなく、ましてや決して「スイートポテト作って」とは言いません。何しろ控え目なサッちゃんですから。

しかし、その何度も何度も呪文のように繰り返される「スイートポテト食べたいな」という言葉が妙に気になって、「ひょっとしてこれは自分が作らなくてはならないのだろうか」という気持ちになってしまい、昨日はワタクシ、夕方になってスイートポテトを作り始めてしまったのです。
b0317003_08010188.jpg
昨日は、うちのイモでなくて、「木ノ口かたし」で売っている濱崎さんの安納芋で作ってみたら好評で、このようにあっという間になくなっております。

しかし、この「スイートポテトの呪文」のようなこと、前にもあったなぁ、と思いました。あれは遠征から帰って来た時のこと、遠征の宿のごはんで出てきた「コロッケが美味しかった」とサトが言うわけです。

「あーコロッケ美味しかったなぁ」と言う。何度も何度も「コロッケ」とこちらに言うわけでなし、あらぬ方向を見て独り言のように。やはり「かーちゃんコロッケ作って」とは決して言わない。何しろ控え目なサッちゃんですから。

しかし、そこでワタクシはまた、そのサトの術中にハマったかのごとく、「これはワタクシはコロッケを作らなくてはならないのではないだろうか」と思って、その残った去年のサツマイモでコロッケを作ったのでした。
b0317003_08030686.jpg
それはとても美味しくて、晩ごはんでたくさん食べて、これは弁当用に残したものですが、ワタクシが殆ど食べないまま、子供たちが全部食べようとしていたので、焦ってしまったワタクシは大人げなく「かーちゃんの分は?」などと言って、最後の一個を半分かじりかけていたものを、かろうじてもらいました。このような場合、正しい母親ならば「いいのいいの、かーちゃんは。お前たちが全部食べなさい」と優しく微笑んで言うのでしょうが、何分ワタクシは正しい母親になることも、「農家の嫁」同様、放棄してしまったので、自分も食べるのです。

それにしてもこのように、決して自分の要求を押しつけることも押し通すこともないのに、結果としては自分の思惑通りにヒトを動かしている、というのは、なかなかのものである、とワタクシは思いましたのです。

そこからもう一歩進めば、もしかするとワタクシが憧れてやまないファム・ファタールつまり「運命の女」の素質があるかもしれないなぁ、などと勝手に夢想する母、これっておかしな発想かしら。

このファム・ファタール(運命の女)というのはですね、19世紀末のヨーロッパで好まれたキーワードだそうなのですが、言葉そのままに、運命的な恋愛の相手、あるいは赤い糸で結ばれた相手、という意味もありますが、さらにそれが「恋心を寄せる男を破滅させるために運命が送り届けたような女」あるいは「どこか危うげで儚げで、男が放っておけず、気付けば男の運命がどんどん狂っている」という存在として、文学や絵画のモチーフとしてもよく登場したんだとか。

いわゆる「魔性の女」というやつですね。単なる運命の赤い糸の相手、というよりは、関わる男の運命を狂わしていく、というのが、芸術作品にはもってこい、だったのでしょうなぁ。うん、当事者の男だったらタイヘンかもしれないけど他人の事ならばそれは確かに面白かろう。そのテーマがヒトビトに好まれるのも分かります。

最近読んだ、とある雑誌に、実在した「運命の女」の記事がありました。それは偉大な作曲家マーラーの妻のアルマ・マーラーという女性。ウィーン一美しいと噂された美貌にくわえ、教養もあり才媛でもある彼女に魅せられ「脳が混乱」し、苦しめられもしたけれど触発された芸術家は多し。それは夫であるマーラーでさえも同じこと、アルマに浮気されて寿命を縮めはしたものの、彼女から受けた喜びと苦しみを糧に何曲もの交響曲を書いたんだそうですよ。

「苦悩と霊感。アルマはその双方を与えることができた、たぐいまれな『運命の女』だったのです。」とその記事は締めくくられておりました。

いやーいいですなぁ、ファム・ファタール。ホント、憧れるわぁ。それはちょうど「素晴らしい作品を遺して早死にする」という芸術家の運命と同じくらい、自分には無い要素だから憧れるのでしょう、きっと。

「どこか儚げで危うくて、男が放っておけない」という点では、なかなか素質があるかもしれないサッちゃん、こうしてスイートポテトあるいはコロッケとつぶやき、母を動かす能力もある。将来、ファム・ファタールになったら、ワタクシがそれを記述して、芸術作品に仕上げようかしら、などと、妄想逞しくしている今日はもう金曜日。

明日は「土曜日開店木ノ口かたし」でございます。

こんな下らないことを書いている場合ではなかったのでした。さて、準備準備。

ではでは皆さま、ごきげんよう。今日も良い一日を。

そして明日は大雨だそうですが、「木ノ口かたし」をどうぞよろしく。


昔好きだったマドンナの、その中でも大好きな曲を聞いて準備、ガンバロウっと。

cherishというのは、辞書で引いてみますと「①(人・動物・物)を(守ろうと)大事にする、慈しむ。②(望み・考え・感情などを)(大切に)心に抱く、持ち続ける」という意味なんだそうですよ。

素敵な言葉ですね。










おはようございます。

昨日の朝、ブルーベリーのジャムをオメデタク自画自賛していたら、急にワタクシは草に埋もれたブルーベリーたちの姿が脳裏に浮かび、ものすごく後ろめたい気持ちになって、あるいは薄情極まりない女のような気がしてきて、矢も盾もたまらず、農場に走り、ブルーベリーたちのもとへと駆けつけました。

それはそれはもうヒドい草、丈も伸びていて、ブルーベリーのところまでたどり着くために1時間くらいは草を刈り続けなければならなかったほどです。

そうしてやっと、ブルーベリーの木の周りの草刈りにかかったのはいいけれど、昨年の夏に被せた網がそのままになっているため、それに草刈り機が引っかかったりして、難儀なこと。

一日でどうこう出来る状況ではないので、これは足繁く通ってキレイにしてやらねば、と心から思ったのでした。いくら「いつもアナタのことを思っております」という気持ちではいても、やはり、実際に会わないとダメなんだ、ということがよく分かりました。ヒトははからずとも、薄情な仕打ちをしてしまうものであります。

草を刈っていたら、そこに2匹のアゲハ蝶がいて、よくよく見ると、どうも取り込み中らしい。
b0317003_07013031.jpg
なので、その周辺の草刈りは後回しにしようと思って、一通り草を刈り、昼になって帰り際に見てみると、まだつながっている。
b0317003_07041060.jpg
というわけで、その周辺の草刈りは、まぁいいか、と思ってそのまま帰ったのでした。

b0317003_06565609.jpg
木漏れ日が美しい5月の農場、蝶も恋する季節ですなぁ。

それにしても、そんなヒドい草に埋もれながらも、ブルーベリーたちは、もう既に緑色の未熟な実をびっしりとつけておりまして。それを見たワタクシは、こんな健気なブルーベリーたちに対して、感謝と祈りの気持ちを感じましたのです。

そんな時に思うのは、別に自分は「普通の農家」にも「農家の嫁」にもならなくっても、いいのかもな、ということです。現代の波に乗れなくても、時代遅れのままでも、故にこの農場が一代で滅びたとしても、別にいいんじゃないか、と。こんなふうに、今この世で生きている自分が、生きているもの同士で心を通わせるようにしてつき合いながら生きていけたら、それが自分が望むシアワセなんじゃないか、と。

まぁしかし、サトの話じゃないけれど「どうやって生活するか」という経済問題はつきまとうわけで、この姿勢でどこまでいけるか、それをどこまで貫けるか、というのが、これまでも、そしてこれからもワタクシの秘かな(では全然ないけど)実験、あるいは挑戦なのかもしれません。

b0317003_06530889.jpg
みんなが留守の間、ピヨピヨだった鶏も、こんなに大きくなりました(右端)。もう立派な娘鶏。

b0317003_07050674.jpg
小麦の中に何故か生えてきた、数本の大麦。草取りがてら、抜きましたが、美しいので飾ってみました。

見た目、という点では小麦より大麦の方が断然美しいです。色づいた様も大麦はプラチナブロンドの美女、といった感じ。小麦は庶民的でたくましさを感じる田舎の娘、かな。

それもまた、いいんだなぁ。











今日は弁当が間に合いました!

なので非常に達成感があります。そんなこと、お勤めしているヒトなら当たり前にしているようなことで、いちいち達成感を感じられる、というのは、いいのか悪いのか。いや、いいことです、きっと。

でもそれって、誰もが当たり前に出来ること、など誰が決めたというのでしょう。毎日弁当を作ってなおかつ決まった時間に仕事に行って、帰ってきたら家事もやっている、というヒトが、自分ってスゴイんだな、と気付いていただければ幸いです。

さっき、残り物と買ったパンで朝ごはんを食べていたのですが、先日作ったジャムを味見してみたらばですね、これが本当に美味しくて感動してしまったワタクシです。弁当の件でもそうですが、こういうのを「オメデタイ」と言うのでしょうなぁ。

b0317003_08233331.jpg
でもホントに美味しかった。なんでこのジャムはこんなに美味しいのか、と思いましたけど、やっぱり農場の環境がよくて、ブルーベリーが素直に育っているからではないかと。

しかし、パンがですね、国産小麦の全粒粉で、しかも天然酵母と謳っているものだったけど、何かいま一つ。やっぱりパン、自分で焼きたいなぁ、ってまた思いました。

だんだん、そのような感じが育って来ております。しかし、もう少し待ちましょう。もうどうしようもなく、もう一度パン焼きに挑戦したい、自分の気持ちは決まった!というところまで待ちましょう。

焦りは禁物です。焦って事を起こすと上手くいかない、ということは、いろいろな面で身にしみておりますからな、たはは。

今日は朝からブログを書いたのは、夜遅くなってしまって、次の日寝坊して、また弁当間に合わんかった、トホホ・・・とならないようにしよう、という魂胆です。

低レベルながら、いろいろとやってみましょう。

それから今日は畑をガンバッテみよう。

ではでは皆さま、今日も良い一日を!

どうしてもどうしても今日、聞きたくなったKANさまの曲。



この間の土曜日の朝のラジオ、サタデーエッセイのコーナーは、このコーナーの中でもワタクシのお気に入り、哲学者の土屋賢二先生でありました。前に土屋賢二先生の担当だった時にも確かここに書いたと思って、いつだったかと調べてみたら1月の終わりのことでした。

なので一人の方に、このサタデーエッセイの順番が回ってくるのが、だいたい3~4か月に一回くらい、ということですね。ワタクシがいつも面白い、と思うのは、まず養老孟司氏、この土屋賢二氏、指揮者の西本智美さん、そして、この春から新しく加わった作詞家の松本隆氏、などなどです。

今回の土屋先生のお話は「悩みを解消する方法」というテーマでした。相変わらず面白くて、聞きながら吹き出してしまっていましたが、やはり哲学者ですから、なるほどなぁ、と思うことも多いのです。

それで、その悩みを解消する方法というのを5つ示して下さいました。

1つめ、「同じ悩みを持った人を探す」というもの。これは、他人も同じ悩みを持っているからと言って、その悩み自体は変わらないけれど、何故か気が楽になる、というもの。確かにそうですね。自分だけじゃなかったんだ、と思って安心するんでしょうね。

2つめ、「無人島に行く」ということ。これは、多くの悩みは人と比較することで生まれるので、自分以外に誰もいなければ、比較しようがないから、ということです。

3つめ、「余裕のない生活をする」ということ。悩むためには悩むための余裕が必要なので、例えば、戦場にいて命の危険にさらされている場合、とか、試験があと1分で終わる、という時にヒトは悩まない、何故なら悩む余裕がないから、ということでした。確かに。

4つめ、「別の悩みを持つ」ということ。例えば肥満で悩んでいるヒトが髪を洗った時に抜け毛がひどいことに気がついた場合、肥満の悩みよりも薄毛の悩みになったり、あるいは癌が見つかった、と言われれば、すぐさまそれが悩みになり、それまで悩んでいたことは解消する、、というようなことです。

これワタクシも身に覚えあり。3年くらい前のこと、ワタクシはあることでひどく傷ついて、そのことで散々悩んでいたのだけれど、別の悩みが出てきた途端にその悩みなんて、もうホントにどうでもよくなっちゃった、というようなこと、あったあった。悩みというのは移ろいやすいものなのかもしれませんね。

そして5つめ、「特に何もしない」ということ。悩みというのは「できもの」と同じで、気にしなければ、いつの間にか解消している、ということもある、ということでした。

土屋氏曰く、男の95%はどうしても自分に自信を持てない、という悩みを持っているそうですけど、これは至極まっとうな悩みだとワタクシは思います。最初から自信満々な男など何の魅力もない、というかイヤなヤツのような気がしますから、それはそれでいいのではなかろうか。悩みながらも前に進む姿が美しいのです。

このように、悩みを解消する方法というのはいろいろある、ということが分かりましたね。

さっき、テレビでサラリーマンの家計がタイヘンだとか何とかいうような番組をやっていて、サラリーマンというのは当然毎月給料をもらうヒトビトのことで、例えば月に50万円、とかいうヒトでも住宅のローンとかなんとかでタイヘンだ、というような話をしていたのかなぁ。よく見てなかったけど。

それを見ていたサトがポツリと「うちってどうして生活できてるの??」と、つぶやきました。そのつぶやきが、あまりにも素朴なギモン、というふうでワタクシは笑ってしまったのですが、月々の給料など何もないわが家が、一体どうやって生活しているのか不思議でたまらない、と思ったのでしょうね。

何しろ、月に50万円の給料があってもタイヘンだ、と言っているヒトもいるのだから。

現状を見れば、わが家などは「お金の悩み」というのが大きなモンダイとなって然るべきなのに、これがワタクシなどは数字に弱いためなのか、何なのか、それが悩み、というふうに思えないのです。ワタクシがあまりにも悩んでないように見えたためか、親族からは貧乏なふりをして本当は儲かっていて小金を貯め込んでいるのではないか、と疑われたくらいです。

本当にそうだったら嬉しいんだけど、そんなわけもなく、本当にお金って貯まらないなぁ、とはいつも思っておりまする。しかし子供は大学、高校、中学、小学校という状態、サトでなくても「うちってどうして生活できてるの??」と思いますよね。

ホント、不思議だ。

しかし、一つ言えることは、五島で暮らし始めて18年、わが家では、その間にいろいろなものが循環し始めたんだな、ということです。そのいろいろの中の一つにお金も含まれるだけのこと、ということなのではないかと。

今の普通の暮らしというのは、お金だけに偏り過ぎている暮らしだから、月々50万円の給料があってもタイヘン、ということになるのかもしれないな、とワタクシはボンヤリと考えます。

このギモンに対する答えを出すには、まだまだしっかりとした考察が必要ですが、金はなくとも、他のところでバランスが取れているから、わが家は生活できているのかも、と、今、ちょっとそう思いました。サトはもう寝てしまったけれど。

お金はないけど悩んでない、とすると、ワタクシの悩みというのは一体なんだろう?

と考えてみましたが、どうでもいいような悩みとしては、「最近どうしようもなく髪がハネる」ということが挙げられます。これ、ホントに困るなぁ、と思って、美容関係では既にワタクシの上をいっているであろう娘たちに、どうしたらいいかを聞いてみました。

そしたらサトが毎日実践しているように「寝る時に帽子を被る」ということが一つ。そして「誰もそんなに見てないから気にしなくていいんじゃ。」というのが一つ。

確かにそれも一理ある、しかし娘というのは辛辣ですな。

髪がハネるのを気にするよりも、弁当を間に合うように作って欲しい、ということかもしれません。ここんとこ、アサが6時半に家を出るのに、2日とも間に合ってなかったのでした。

というわけで近ごろの悩みと言えば、弁当が間に合わないことかもしれません。

しかし、それは早く寝て早く起きればいいだけのことなのに、こんな下らないことを書いていたら、もうこんな時間!

これも悩みかもしれません。

いや、でも書くのはやめられないんだから仕方がない、ということで、やっぱり何も悩んでないか。

あぁ、もうホントに寝なくては。

ではでは皆さま、また明日。

b0317003_20590376.jpg
麦畑、色づいてきました。




























連休中、子供の遠征について行った時に、船の中で読むために持って行った本の一つに、現代の作家の短編集がありまして、その中にワタクシが割と好きな作家、森絵都さんの「ラストシーン」という短編がありました。

これは何の「ラストシーン」の話かというと、映画のラストシーンの話なのです。そして、その映画の題名というのが、小説の中では「検察側の証人」となっていました。

ワタクシは本を読むのは好きだけど、読書家では決してありませんから、それがアガサ・クリスティーのミステリー小説の題名だということも知りませんでした。

そして、それが映画化されたものは「情婦」という題名である、ということも。

そのようなことは何も知りませんでしたが、この短編小説を読んでいたら、この映画をどうしても見たい!という気持ちになってしまったのです。

法廷劇であるその映画に出ているのが、ドイツ出身の銀幕の大スターであった女優、マレーネ・ディートリッヒ、ということで、ますます「見なければ!!」と思ったワタクシは、まずは五島にある「GEO」に行きまして、「検察側の証人」という題名の映画を探していたのですが、見つかるはずもありません。なんせ題名が違うのですから。

そのことに後で気がついて再び「GEO」に行き、今度は正しい題名「情婦、情婦、情婦はどこだ」と血眼になって「情婦」を探しましたが、これもナシ。

ひとたび見たい、と思ったら、どうしても見なければ気が済まないのが人情というもので、仕方がないのでネットのTSUTAYAで借りることにしました。

このネットでDVDを借りる、ということに対して、ワタクシには過去に大いなる傷を持っておりまして、そう大袈裟に言うならトラウマですけど、これがあるんで、一瞬迷いましたが、「見たい」という欲求に負けて、借りてしまいました。

過去のトラウマっていうのは、実はただ単にワタクシが馬鹿すぎた件、ということなのですがね、もう随分時間もたったことで、傷も癒えてますから教えてあげましょうか。

いつだったか、やはりネットのレンタルでDVDを借りたまではよかったのですが、その後、どういうわけか、ワタクシはそのことをすっかり忘れてしまっていたんです。ホントにどういうわけだったのか、謎なんです。いや、覚えていたけど、何か気力がなくて、それを返す、というところまでいかないで、また忘れ、ということを繰り返していた、というふうだったのかもしれません。

で、とにかく返却期限を大幅にすぎてしまい、延滞料金というものを払う羽目になりました。まぁ当たり前ですわね、そういう決まりなんだから。で、ビックリしたのが、その金額ですよ。その時の延滞料金というのが、ナント3万数千円、という大金。

その頃は、今よりもお金がなくて、本当に貧乏だったので、その3万いくらか、という金額を見てクラクラとしましたよ。そして自分の馬鹿さ加減に「死んだ方がマシ」というくらい打ちのめされたのでした。こんなにお金がなくて、欲しいものも買えない、日々の暮らしにも困っているくらいなのに、こんなバカっているか?と思ったなぁ、あの時はホントに。

あーあ、言っちゃった。このように、恥の多い人生を歩んでおりますワタクシですが、今ではそんなことも忘れて、またDVDを借りてしまいました。今度は絶対にちゃんと返そうと思います。

で、その「情婦」です。

これは、法廷劇、というのは書きましたけど、これ、ネタバレは絶対に御法度ですから、下手に感想は書かない方が良いでしょう。ただ、これを見た、ということのみ、記しておきましょう。

面白いです。なんせアガサ・クリスティー原作ですから。

そしてマレーネ・デイートリッヒ、よかオナゴ。これも当たり前ですが。

あらずじとは何も関係ない、いやもしかして、関係あるかもしれない感想、

「こんな『ろくでもない男』のどこが良かったんだろう。男と女ってやっぱり謎だな」

ということのみ、述べるにとどめます。





こんばんは。

昨日の「木ノ口かたし」も3週間ぶりならば、今日のエアロビも3週間ぶり、という具合に連休のおかげで、いろいろと久しぶりで新鮮ですが、さすがに昨日の一日は久々の長時間労働で疲れていたのか、今日は午後から、はからずとも昼寝、ということに。気がついたら寝ていた、という感じ。

おかげで清々しい気分で生ゴミ回収に出かけ、その流れですんなりエアロビにも行けて、そういう時は、いいことも、あるんだなぁ。山伏の方が書いた本を読んでからというもの、「魂のまにまに行動する」というような感覚を大切にしておりますワタクシ、そうすると、ちょっとした自分の望みがフッと叶ったりすることが多くなった気がします。別に怪しいスピリチュアルではありませんから、皆さまもどうぞお試しあれ。

それはともかく今夜は3週間ぶりの運動でスッキリしました。

家に帰って来たら遠くの方で、昨日書いたアオバズクの鳴き声がしていました。もう移動してしまって、わが家の近くにはいないのかなぁ、とちょっと残念。

姿は見えずともフクロウが自分のすぐ傍にいる、というの、なかなか胸トキメクことではないだろうか。

アオバズクは渡り鳥で、このアオバの季節に日本に渡って来て、若い緑が涼やかに香る夜、明るい「フクロウの声」を聞かせてくれますけれど、日本にずっといる普通の「フクロウ」の方は、アオバズクよりも低い声で「ホッホッ ゴロッホ ホッホ」というふうに聞こえる声で鳴きます。これを「五郎助奉公」と日本語にして表現することを「聞きなし」と言いますね。

こちらのフクロウの声は、ワタクシにはアオバズクよりも何故か少し寂しい感じに聞こえます。

ワタクシが通っていた小学校の裏の天神様のお堂の脇に、大きなアコウの木があって、フクロウの声は、校舎を飛び越えて茂っていたアコウの木から聞こえていました。

姿を見たことはないはずなのに、その校舎の屋上とアコウの木とフクロウの図、というのがワタクシの中ではセットになって記憶されておりまして、フクロウの声を聞くと、わが小学校とアコウの木とフクロウの夜の影を思い出すのでございます。

と言っても、前はたまに聞くことがあったフクロウの声、最近この辺りでは聞いてません。どこか山奥に引っ込んで、ひっそりと暮らしているのかな、と思います。

今宵はスパッと切った半分の月。

良い夢を。














土曜日開店「木ノ口かたし」を2回も連続して休んでしまい、久々の「木ノ口かたし」。

今朝のラジオでアオバズクの話をしていましたが、最近わが家の近くでも、夜になるとアオバズクの鳴き声(これは少し甲高く「ホッホッ、ホッホッ」というふうに区切りながら鳴くフクロウの声です)がしていたので、あーそうか、青葉の頃にやって来て、鳴き声が聞こえるからアオバズクなんだなぁ、と納得しました。

木々に若葉が眩しい季節です。

何年か前には、わが家の「守り木(こちらのヒトは敷地内の防風林をそのように呼びます)」のタブの木にアオバズクがやって来ていて、夜に鳴いていたものでした。このアオバズクの鳴き声は、いかにもフクロウの声でありながら、甲高いせいなのか、ちっとも寂しい感じがしませんで、むしろ明るい感じのするフクロウの声です。やっぱりそれは輝く青葉の頃のフクロウだからでしょうか。

そんな青葉の季節、明るい緑の中に野バラの花も咲いています。
b0317003_21380184.jpg
左側、例の「おいちゃんのバラ」も咲き始めました。こちらは栽培品種、ピエール・ドゥ・ロンサールという見目麗しく豪華な薔薇ですが、実は「香り」という点では圧倒的に原種の野バラの方が優れています。というか、ピエールの方に香りは全くありません。

目を閉じて、二つを比べると、地味な野バラの方がまさに薔薇そのもの、上品なのに華やかで、人を虜にするような芳しい香りがしてウットリとしてしまいます。バラは見かけによらないのです。栽培品種よりも野生の勝利、です。ホントにホントにいい香りですから、道端で見かけた時は、ぜひ嗅いでみて下さいませ。耕作放棄地なんかに、はびこっていて、そういうところではやっかいでイヤなヤツに思える野バラが、こんなに上品に香るなんてね、バラにだっていろんな顔があるのです。

さて、久々の「かたしのお昼ごはん」の記述。
b0317003_22014697.jpg
・ヒラスのカマの揚げ煮&厚揚げ
・蕗とチクワの煮物
・キビナとアオサとゴボウの天ぷら
・モヤシと鶏胸肉の梅和え
・卵焼き
・茶碗蒸し
・新玉ねぎとキャベツの味噌汁
・カマド炊きごはん&古代米入り玄米
・ブルーベリー&胡桃のケーキ

でした。
b0317003_22022969.jpg
こちら、茶碗蒸し。
b0317003_22063844.jpg
ワタクシがいなかった2週間前から玄米も登場。赤米と黒米を入れて、こちらは圧力鍋で炊いてます。

久しぶりの「木ノ口かたし」でワタクシは、緊張したり、アタフタしたり、そして喋って喋って、気がついたら何も食べないまま夕方に。

でも、営業時間終了後にゆっくりと頂きました。

今、注文中のハルさん作のプレートで食べてみましたよ。盛りつけのセンスはイマイチですが皿がいいから、美味しそうに見えるでしょ?!今に皆さまにも、このお皿で食べてもらえるようになりますから、楽しみにしていて下さいませ。
b0317003_22113677.jpg
玄米と白ごはん、半々っていうの、前の「かたし」の時によくやってたなぁ、と懐かしくなりました。今日も、しみじみ美味しい「かたしの昼ごはん」(実際は夕ごはん)でありました。

今夜はアオバズクの声、聞こえないなぁ。







こんにちは。

昨日、富江方面にお米と卵とジャムの配達&米糠の購入がありましたので、ついでに「ごはん屋さん」でごはんを食べようと思っていたら、臨時休業でした。

がっかりしていたところが、店が休みにも関わらず「まかない」で昼ごはんを食べさせてもらいまして、本当にありがたいことでした。持つべきものは「かたし」の縁ですなぁ。

そして、またまた夏に向けての爽やかなアクセサリーを仕入れてきましたよ。
b0317003_12511298.jpg
華奢で上品なブレスレットやネックレスで涼しげな首元、手元になること請け合いです。かわいいイヤリングもまたまた入りましたよ。
b0317003_12514624.jpg
ワタクシも昨年以来、ノンホールピアスをすることが多いのですが、これは誰のためというよりも、キラキラ光るものを見ていると、自分が嬉しくなるので、その日の気分でつけるのが楽しいなぁと純粋に思うからなのです。

しかし、今までしなかったことをすると「どうした?急に色気づいっちゃって?」となどと思われているかもしれません。まぁしかし、今まで色気が無さ過ぎたんだから、色気づいちゃってどうした?と思われるくらいでちょうど良いのかもしれません。

でも、もともとかわいいもの、キレイなものは大好きなのです。が、それを自分の身につけたり、オシャレをしたりするのが、なんだかとても恥ずかしかったのです。ワタクシはタイヘンにいろいろ屈折しておりましたから。

というわけで、今さらですが、アクセサリーをつけたりすることは、自分の気持ちを少しずつ、素直に、まっすぐに戻していこう、という行動の一つなのかもしれません。

この度、嬉しいことに、これを作っている方がワタクシが好きなものを一つプレゼントして下さる、ということだったので、上品なネックレスを頂きました。それが似合うようにガンバリマス!

贈られたものなら、その人の気持ちとか、自分で買ったものなら、その時の気持ちとか、そういうものも一緒に身につけられるのが嬉しいですね。


さてさて、明日は土曜日開店「木ノ口かたし」、ワタクシは2回もお休みしてしまいまして、久しぶりのお店なので、ドキドキ、緊張しつつ、新鮮な気持ちで楽しみです。

そうこうしているうちに、田んぼの季節も始まりまして、恒例の田吾作部会&田んぼの会の募集も始まります。いつもは5月の第1週目の土曜日から受付開始でしたけど、先週はお知らせが出来てなかったので、明日からの受付となります。
b0317003_12521644.jpg
今年の田吾作&田んぼの会の田植えは6月16日の日曜日です。

田んぼに親しんでみたい、という方、ぜひどうぞ。

「木ノ口かたし」での田植えの宴会「さなぶり」もありますよ~。

ではでは、明日の「木ノ口かたし」もよろしくお願いいたします。




こんばんは。

危うく来週に回しそうになっていた、ブルーベリーのジャム作りを、なんとか今週中に、と、今朝やりました。

昨年の夏に収穫したブルーベリーも、今回のジャムでおしまいです。昨年の夏は、しみじみといい夏でした。ブルーベリーも美味しかったし。
b0317003_21172456.jpg
こうして見ると、これは本当に夏の宝石のようですね。
b0317003_21145334.jpg
また今年の夏に、たくさん実が採れるといいなぁ、と思いますけれど、何しろ放任ですから、今の時点でもかなり草ぼうぼうになっていることでしょう。ホントにスマンスマン、といつも心の中で詫びております。なかなかブルーベリーの畑までたどり着けません。

前に行った時は、まだ可憐な花が咲いている時でした。ブルーベリーの花って可愛いんですよ。その可憐な花にもっと会いに行けばよかったのに。

会いたい何か、行きたいどこか、それがホントに多過ぎて困るのです。いや別に困らないか。会いたいものも行きたいところも、なくなった方が困った状態です、きっと。

注文分、小さい瓶を10個、今日持って行きましたから、残りはあと大きい瓶が6個と小さい瓶が3個です。

お早目にどうぞ!

売れてしまうのが惜しいような、寂しいような、そんな、あの夏の残像。










ブルーベリージャムが売り切れてしまっていたので、連休中、出かける前にどうしても作っておかねば、と思っていたのに出来なくて、「あーあ、間に合わなかった」とウダウダした気分になってしまい、また延び延びになってしまいそうな気配だったところに、ちょうどジャムの注文が舞い込んで来ました。それで「ヨシ!すぐに作るぞ!」という気分になりました。

草ぼうぼうの家庭菜園の草を刈るところまでは、なんとかやったけれど、機械で耕すのは自分で出来ないので、やはり出かける前には出来てなかったのですが、昨日ようやく夫にやってもらいました。しかし、「こんなふうに夫に頼っていては、いつまでたっても自分のペースで出来ないよなぁ。」と思っていたら、耕耘機よりもずっと小さくて女でも扱いやすい管理機が、ひょんなことから手に入りました。

あれは連休の初めのことだったか、明日はサトのバレーの練習試合、という時、先生の飲物として炭酸水を2本準備しておかなくてはならなかったのに、買うのを忘れていました。その夜は「かたし 夜の部」もあったのでバタバタしていたのです。

次の日の朝になって、「まぁ仕方がない、子供たちを送っていく途中でコンビニに寄って買おう」と思っていたところが、「木ノ口かたし」の冷蔵庫の中に炭酸水が2本入っているではないですか。夫も買ってないし、もちろんワタクシも買っていないし、前からあった、ということもない。

「???」

と、本当に不思議だったのですが、よくよく考えたら、その「夜の部」の時に、差し入れを持って来て下さった方があり、いろいろな飲み物と共に、その炭酸水も冷蔵庫に入れておいてくれた、ということだったのでした。

今、ここにあげたこと以外にも、そういうことってよくあります。

天使か何かが空から見ていて、ヒトを将棋の駒のように動かしているのかな?

うん、誰かがきっと見ているんだよ。

と思ったりします。

単なる偶然、と言ってしまえばそれまでですが、そんなふうに思うと、この世界はまだまだ面白いですね。

面白い、と言えば、
b0317003_08480365.jpg
ワタクシの愛するアイス、竹下製菓の「ブラックモンブラン」で当たりが出たらしいコータロー、自分で封筒に宛名を書いて、中に棒を入れて、裏に自分の住所氏名も書いて、準備万端整えておりました。

「かーちゃん、出しておいてね」と言うので、昨日、出しておきましたよ。

こういうのを見ると、竹下製菓のヒトも嬉しいんじゃないだろうか、などと思うワタクシです。

ささやかな日常にも、ちょこちょこと、面白いことや、いいことは、ありますね。

ではでは皆さま、今日も良い一日をお過ごし下さいませ。










おはようございます。

10連休が終わりましたね。長いお休みだったヒト、そうでもなかったヒト、どこかに出かけたヒト、どこにも行かなかったヒト、などなどヒトそれぞれ、いろいろでしょうが、とにかくまた日常が始まりました。

わが「木ノ口かたし」はこの10連休中、「夜の部」又の名を「居酒屋 えいじ」、これが8日間営業、ということになってました。一日は夫が別の飲み会に呼ばれていたので、お断りすることになったのですが、そこももし出来ていれば、10日のうちの9日のご予約を頂いた、ということで、「木ノ口かたし」なかなかよく稼働したのではないか、と思います。

このようなちっぽけな店でも、ゴールデンウイークというのは稼ぎ時なんだなぁ、とボンヤリと思っている無能な従業員のワタクシは、そんな忙しい中、合計5日も家を空けていて、やはりこの経営においては、ことごとく無能ぶりを発揮しております。肝心な時にいない、という間の悪さ、というのかな、それも無能のうちに入るでしょう。

まぁしかし、ワタクシが無能だと夫や子供が有能になる説を常々唱えている通り、サトもいない遠征中にはアサが相当に働いてくれたようです。

「木ノ口かたし」もゴールデンウイークの影響を受けて、なかなか忙しかったその時に、遠征について行ったワタクシはバレー部員の美少女を探したり、あるいは観光地のすぐ近くにある中学校での練習試合中に抜け出して、お土産を買ったり、ソフトクリームを食べたりしてのほほんとしておりましたが、他の保護者の方々からは「お疲れ様でした」「お世話になりました」などと言われるのが、なんとも心苦しいというかなんというか。

だって、子供たちは中学生だから、殆ど世話することなんかないし、ワタクシ自身は遠征について行ったことでは全然疲れてないのですから。何しろ移動が好きなワタクシ、まず船に乗る、というだけでも嬉しいし、4日も家を離れて外にいる、というのも実に嬉しい。家の用事を一切しなくていいというのが、こんなに楽なんだなーと改めて自分の家事能力の低さを実感します。

移動中や夜に本が読めるのも嬉しくて嬉しくて、今回は3冊持って行きましたが、帰りに港の売店で面白そうな古本を100円で買って、帰りの船ではそれを途中まで読みました。これが予想以上に面白くて儲けものでした。

そうやって帰って来たら、その日も「夜の部」は営業しておりましたが、ごくごく気の置けないお客さまたちだったので、夫もリラックスして自分も加わっているくらいだったので、特に手伝うこともなく、そしてワタクシがいなかったからといって、夫も子供もどうということもないふうでした。

その時にワタクシは、自分の家族ながら、自立したヒトって気持ちがいいなぁ、と思ったのでした。そして夫子供よりも、やはりワタクシが一番不安定で頼りないのかもしれない、とも思いました。

せめてお荷物にはならないように、これから自分の得意な分野で力を発揮していけるようにすればいいんだな、と、また思いました。

というわけで、この連休はワタクシにとっても、すごく充実した、そして目一杯充電できた、良い休日でした。
b0317003_09260316.jpg
観光地には何故かよくあるジブリのお店で女子たちにお土産。手紙女の血を引き継ぐアサにはレターセット。サトには小さい頃のサトにそっくりの「ぽにょ」、そしてこの絵ハガキは自分へ。ワタクシの今の心象。

男子たちには、龍馬専門のお店で、龍馬グッズを買いました。







この連休中、女子バレー部の遠征の引率で長崎に行ってきた時の話。

大会などに参加するわけですから、当然そこには大勢の女子バレー部員たちがやって来ているわけでありまして。

そのような場面では、ワタクシの中の「ナンパ男」の血が騒ぐというかなんというか、試合の応援をしながら、いろいろなチームの女子たちを眺めては、可愛い子はいないかなぁ、などと思うわけです。

五島には美人が多い、と何度も言ってますけど、長崎は女子バレーのレベルも高いそうだが、可愛い子率もなかなか高し。可愛い子がいっぱいいいます。ヨカッタなぁ、こんなことを書いているワタクシ、中年男でなくて。

しかしですね、可愛い顔立ちの子は多かれど、ワタクシが「ハッ」とするほど心惹かれるようなヒト、というのはそうそういません。というのもワタクシの中での基準というのが、なかなかに厳しくて、顔立ちとか容姿だけでは「ハッ」とはしないからです。もっとも大切なのは「佇まい」、「身のこなし」、そして「立ち姿の美しさ」、というのが求められます。これがまた、それを満たす条件のヒト、というのは本当になかなかいないのですよ。

そのようなワタクシのストライクゾーンの幅というのが、これは男女ではかなり違っておりまして、女子のストライクゾーンは広く、男子では著しく狭い、ということが挙げられます。故にワタクシが「ハッ」とする確率というのは圧倒的に女子の方が高いのですな。

そうですね、例えば女子(成人も含むけど)の場合100人に1人くらいの割合でいるとすれば、男子(やはり成人含む)の場合は1000人、いやもしかすると1万人に1人くらいになってしまうのです。残念ながら、と言うのが適当な表現かどうかは分かりませんが、とにかくそれくらい「ハッ」とする男子は少ない、ということです。あくまでもワタクシの基準ですが。

この度は女子バレーですから、美少女、というのにまず目がいくわけですけれど、いろいろなタイプの可愛いヒトや美少女がいて、見ていてたいへん楽しい。バレーも上手くて美少女、というような最強のヒトもいましたなぁ。

あ、もちろん、バレー第一に見ていますよ、技とかなんとか、そして、わがチームの応援を必死でやって、その上で鑑賞もしておりますから、そこのところ、どうぞ誤解のないように。何しろ大会の1日は長いのです。

この度の大会は長崎県内のみならず福岡の中学校からの参加もあったくらい、たくさんのチームが参加しておりまして、可愛いヒト、カッコいいヒト、いっぱいいました。その大勢の中で、ワタクシが「ハッ」として目を離せなくなった美少女が1人。

その少女は美しい顔立ちがよく引き立つ、スッキリとした短い髪をしており、ほっそりとした体型で、佇まいが実に清楚な感じなのです。そしてバレーも上手。気がつくと隣のコートで試合をしていた、その子を目で追っている、ということが何度もあったくらいです。

攻撃が上手くいって、チームメイトとはしゃぐ様子も、どことなく気品が感じられ、美しい立ち姿は乱れることがありません。

あー、ヨカッタなぁ、こんな場面を見ることができて、と、ワタクシはタイヘン得をしたような気がしていたものでした。

ところが!それだけではありませんでした。

ちょうどワタクシたちのチームが歩いて移動をしている時に、後ろの方から同じ方向に、その子の所属しているチームも移動しており、どういうわけか、その子だけが歩みが速かったらしく、わがチームの最後尾を歩いていたワタクシに追いついたのです。

そして、アレ、というように後ろを振り返ると、その子のチームメイトはまだ随分と後ろにいる、という状況。

ワタクシは思わず、その美しい横顔に見とれてしまいました。すると、目が合ったのです。その美少女と。

そこでワタクシは気がついたら「何年生ですか?」と声をかけておりました。条件反射的に。なんというナンパ男。

すると、一瞬ビックリしたような表情を浮かべ、しかしそれはすぐに、はにかんだ笑顔に変わり「3年生です」と軽く会釈しながら答えてくれました。

「か、か、かわいい!なんてカワイイんだ!(ナンパ男 心の声)」

予想以上に理想的なリアクションに、惚れてしまいそうになりました(ナンパ男 単純)。

美少女っていいなぁ。日常における何気ない場面が映画のワンシーンのように見えるんだから。

本当に得だなぁ。そして、それを享受したワタクシも、その一瞬が本当にシアワセだった、と言えます。

その先はないけれど、僕ぁホントにシアワセだ、と、たったのこれくらいのことで、ワタクシの中のナンパ男は満足したようです!?










こんばんは。

3泊4日の長い遠征の引率から戻って参りました。2日の朝の船に乗って五島を出発、今日、5日の午後6時過ぎに五島に戻って来たわけなので、実に4日間も出かけていたことになります。

この4日の間、中2日間は「さつき杯」というバレーの大会で、前後の一日ずつは、ひたすら練習試合、というバレー三昧の日々でした。

ワタクシのような運動音痴の者は、バレーのルールなどもよく分かっていなかったのですが、この遠征中に試合や練習の様子を、ずっと見ていて、細かい点はやっぱりよく分からないながらも、「あぁ、やっぱり何もかもが同じなんだなぁ」という思いを、またまた強くしたところです。

何かをやる時に必要な姿勢、とか、気持ちとか、上達していく道筋、とか、そういったことが。

それはスポーツでなくても、そして子供でなくても、もうホントに誰でも、なんでもそうなんだなぁ、と。

子供たちが通う中学校には、バレー部だけしかなくなって久しく、他の部はありません。そして帰宅部、という選択もないので必ずバレーをしなくてはならないのです。それは長女のハナもそうだったし、次女のアサもそう、そして、今、中2のサトがバレーをやっています。人数が少ないので、2年生でも1年生でも即戦力です。

小柄なサトでも、1年生でも試合に出ています。

そんな寄せ集めのような、わがチームも、今回のような島外の大会に行くと、体の大きな選手がズラリと並んだようなチームとも対戦しなくてはなりません。

バレーを志願してくる子供たちの中から、さらに選り抜かれた人材が選手になっているチームと、わがチームを比べると、それはもうその差が歴然としていて、当然負けるわけです。負けて負けて、これでもかこれでもか、というくらい、まぁとにかく負ける。

サトはリベロ、という守備専門のポジションなのですが、見ていると、やたらとボールがいくように思えました。小さい上に「負けん気」というものがあまりなく、頼りない雰囲気を醸し出しているせいなのか、狙われているようにも見えます。そして敵の思惑通り失敗もよくするのです。

ひたすら練習試合を繰り返していた初日、レベルの高いチームとの対戦中、サトは、そのようにやたらと失敗をして、そして先生に注意されていました。

「健気なサッちゃんの話」というところで書きましたが、自分の要求をすぐに引っ込めてしまう傾向のあるサトは、バレーのコートでもそれは全く同じく、すぐにヒトの陰に隠れて、控え目にしてしまう、ということでもありました。一事が万事、というのも本当にいつもその通り。

サトが何度も何度も失敗しているのを見て、ワタクシはドリカムのこの歌がBGMで流れるといいなぁ、と思いました。



ワタクシは、いろいろな場面で人間観察をしていて思ったのですが、キツイ性格というのは、強そうでいて実は強いわけではなく、本当のところは脆いものであり、真に強いヒトというのは柔らかく穏やかなんじゃないかな、と。

もしもそうであるならば、サトはけっこう強いのかも、と思います。だからこの重要なポジションを任されているのかもしれません。今のところ、失敗してばかりだけれど。でも、遠征の終盤頃になると、「お、今のよく取れたな!」という場面も多くなったようにも思います。

リベロというのはイタリア語のLIBERO、「自由」を意味する言葉です。なかなか、いいなぁ。

4日間の話、いろいろ書きたいことがいっぱいあり過ぎて、どこまで書けるか分からないけれど、弱小バレー部の子供たちが頑張る姿に触発されて、手紙下手のワタクシも(しつこい!引きずり過ぎ!)もっと、人に伝わる文章、心を動かす文章が書けるように、眠くても書こう、と思った次第でございます。

ホントに、なんでも同じ、おんなじなんだなぁ。何かが上手くなりたい、成し遂げたい、と思ったら、何度も何度も、やるしかない、のです。

そう何度でも。




皆さま、こんにちは。

ワタクシは、明日からサトのバレー部の遠征について行かねばならなくて、なんとそれが3泊4日、という長期間なのです。それで、家もこちらのブログも5日の夕方まで留守にするわけなので、さて、書き溜めでもしていこうかしら、と思ったりするんですけど、いや、それよりは家の用事の方が先だろう、と堅実な主婦の皆さまならそう思うことでしょう。

しかしですね、ワタクシは再三書いているように、堅実な主婦とは程遠く、そして中学生の部活の遠征のお世話係としてついて行くには、あまりにも不向きな保護者であるので、家を空けることよりも、ブログを空けることの方が心苦しいくらいです。

ワタクシの中では、中学生というのは、もう大人と同じくらいしっかりしていて、なんでも出来る、という認識なので、お世話など何をすればいいのか分からないのですけど、子供たちはバレーの大会に行くわけなので、殆ど試合をしているでしょうから、応援と簡単な使い走りなら出来るのかな、と思っておりますが、どうなんでしょう。

例えば子供たちの保険証などを、付き添いの保護者(ワタクシのことだけど)に預けて下さい、などと言われると、そんな他人様の大事なモノをなくさないか、忘れないか、などなど、自分が一番頼りなく、心配になります。わが家の子供たちならば、そのことがよく分かっているでしょうが。

というのも、ワタクシは、さっき船のチケットを取りに行くために港に行ったところが、財布を忘れていて(サザエさんか!?)、従って財布に入っている自分の島民カード(島民であることを証明するカードがあるんですが、これで船や飛行機が割引きになります)だけを忘れていて、もう一回出直す羽目になったり、月末に引き落とされる金額が通帳に入ってなかったことに、4月も終わった、しかも平成という時代も終わった、令和元年の今日になってから気がついて、シマッタ、と冷や汗をかいたり、と、そのようなことばかり繰り返しているからです。

それでも、船の中で読むための本が心もとなかったので、図書館が開いていてこれ幸いとばかりに、しっかり借り足して来ることだけは忘れないのです。ホントに、こんなお子様の保護者で大丈夫か、と思いますけど、なんとか「つつがなく」お役目を果たしてきたいと思います。

それで、5月4日の土曜日のことなんですけど、もう一回、お知らせしておきますと、「木ノ口かたし」は通常通り(9時から5時まで)開いております。そして「かたしのお昼ごはん」もやってます。ただ、ワタクシがいないため、「肉まん」「ふくれもち」「鶏おこわ」がないだけです。ケーキや「よもぎの米だんご」はありますよ。

夫とアサ&コータローで、せっせと準備しておりますので、「かたしのお昼ごはん」も、どうぞよろしくお願いいたします。



さっき、港や郵便局などなどに行って用事をすませていたら、見知らぬヒトビトがウロウロと歩いていて、これはもしかして観光客なんだろうか、と思いましたけど、きっとそうですね。何しろ、ゴールデンウイークなんだから。そのような様子を見ると、五島もすっかり知名度が上がって、観光客も多くなったんだなぁ、と実感します。

しかしゴールデンウイーク中の天気が今一つです。一昨日は大雨、その後もすっきりせずに、肌寒くて、どんよりとしております。晴れて輝く五島も、見られると良いのですけれど。
b0317003_11500242.jpg
わが愛しの小麦たちも、一昨日の大雨で一部分が倒れてしまったのですが、ホラ、もう穂が出てますよ!

遅れに遅れて蒔いた小麦の種、前の年にワタクシが収穫して確保しておいた、その種から再び小麦が実るなんて、夢のようです。種を蒔くのがあまりにも遅れたので、どうしようかな、蒔こうかな、どうしようかな、と迷いに迷って、ええい、もういい、また恥をさらすことになってもいい、と思って、蒔いた種が、こんなにスクスク大きくなってくれて(見るヒトが見れば、それはいろいろと不具合もあるかもしれないけれど)、ワタクシは本当に嬉しいのです。

なんでも、やってみるもんだなぁ、失敗したら恥ずかしいから、なんて思って、蒔くのをやめなくてヨカッタなぁって。


昨日の話ではありませんけれど、ダメでもともと、でも、やってみれば、何かは得られるものですね。

まぁしかし、この小麦、まだ収穫するまでは、何があるか油断はできませんけれど、ワタクシはもうすでに、ここを通って、その姿を見る度に、この小麦たちから、いつも嬉しい気持ちを受け取っています。小麦粉となってくれれば、それはそれは無上の喜び、そしてまた「木ノ口かたし」の商売にとっても良いことですが、それってオマケのようにも思えたり。

そんな甘っちょろいことを言っているから、農家の嫁にも有能な店員にもなれないのですけれど。

それでもやっぱりこの小麦の傍らで感じるのは、そこに生きて、存在してくれているだけで、ワタクシは勝手にシアワセな気分になってしまう、というような、そんな気持ち。

またまた昨日の話の続きのようでもありますが、何かを、誰かを、大切に思う、好きになるとは、きっとそういうことなのです。そんな気持ちになれるってこと自体が豊かなことで、ありがたいことだと思うのです。

それは、何をやってもなかなか結果を出せない者の、はたまた、モテない女の負け惜しみ的思考、かもしれませんが、ワタクシはそう思いますのです。

誰が何と言おうが、確かにワタクシはこの小麦たちの傍らでシアワセを感じるのだから。

これからも、ただそこで健やかに生きていて欲しい。

それだけがワタクシの願いです。




































こんにちは。

ゴールデンウイークの真っ只中、皆さまいかがお過ごしですか?

「木ノ口かたし 夜の部」は連休が始まってから毎日ご予約が入っておりまして、ありがたいことです。しかし無能な従業員であるワタクシは、知らないお客さまがいらっしゃると、例えば知らないヒトが家に来ると警戒して決して人前に姿を現さない飼い猫のような心境になりまして、出来れば家の方に引っ込んでいたい、と思うのですが、団体様だとさすがに店主一人では忙しいのでそうもいきません。

つくづく飲食業に向いていない、と思うのですが、しかしお客さまが来て下さることは、本当にありがたいことですから、向いていないながらも精進しよう、と思っております。生ビールも前よりは上手に注げるようになったのではないかしら。

しかし、他のお酒などは、未だに出すのにアタフタとし過ぎて、それを見かねて、か、料理で忙しい夫が手を止めてやってくれる方が多いのです。無能な従業員を抱えた店主というのはタイヘンだなぁ、と他人事のように思うワタクシです。

そのように「夜の部」の接客は苦手なのですが、お客さまがお帰りになった後に、後片付けをするのは好きな仕事です。ここ3年ですっかり板につき、割と手際よく出来るようになった、と思います。

ワタクシは、どんな「どんちゃん騒ぎ」の残骸であっても、うわー、とか、タイヘン、とか思うことはありません。それを片付けるのは実に単純で、成果が目に見え、なおかつ達成感の得られやすい仕事だからです。

「今日一日が不毛な一日であったとしても、少なくとも『木ノ口かたし 夜の部』の片付けはした」という、それは誠に低レベルな達成感ではあっても、何もないよりはマシなのです。

というわけで、この連休は、そのレベルの達成感は毎日味わえるのが、ありがたいです。

しかしワタクシは今、ちょっと元気がないのです。

何故かというと、1か月ほど前に応募した、とある手紙のコンクールの結果発表が最近あって、それがボツだったから。

これまで、運良く、とくに苦労もせずに書いた文章で、何度か賞金をもらったことに味をしめて、少しの時間で書けそうなものがあったら時々応募してみよう、などと思って、字数も短め、テーマも向いている、と思った手紙コンクールというのがあったので書いてみたのですが、これは箸にも棒にもかかりませんでした。

文章が上手だなどと、おだてられてはいるものの、そんなにたいしたことはない、ということくらいは自分で分かっているわけなのですが、その中でもワタクシは、この手紙というのが本当にヘタなんだな、ということを改めて思い知らされてしまって、ちょっと、というか、かなり落胆しているのでした。

ワタクシの手紙下手、というのをつくづく思い知らされている理由、というのが、これまでの人生で、まぁそんなに何通も書いたわけではないけれど、いわゆる恋文、というやつですけどね、これがことごとく全滅だったからです。いや、そんなに何回も書いてはないですけど。

そこで得た教訓は、「恋愛に文章力など何の役にも立たない」ということと、「手紙など書かない方が上手くいく、むしろ書いたら終わり」ということでした。

でもこれは、冷静になって考えれば分かることです。手紙など書いてしまうということは、既に正気を失っている、という状態であるわけで、かなり思い詰めている、ということなのですね。思い詰めた女、というのはコワイだろうな、と容易に想像がつくわけです。冷静な時ならね。

ま、冷静でないから書いてしまうわけなんだけれども。

しかし手紙コンクール、というのは、もちろんそんな切羽詰まった状態ではなくて冷静に書いたものですから、これでもやっぱりダメだった、ということは、ワタクシは本当に手紙を書くのが下手なんだなぁ、と心底ガッカリしましたのです。

読んだ人の心を動かせなかった、ということで。

手紙ってホント、難しいですね。

しかしながら、そんなヘタな手紙でも、たった一つ良かったことがあるとすれば、その時のワタクシが、余計なことは何も考えずに、ただただ正直に、素直に自分の気持ちを書いた、という自己満足は残っていることです。

「自己満足」ですから読んだヒトには伝わらなかったのかもしれないけれど、自分の心に正直に従った経験、というのは、何かの時に、自分を支える力にもなるのです。そしてそのことは、たとえ結果が伴わなかったとしても、心がとっても暖かくなる、清々しい経験でした。自分の心に従って行動する、ということは、こんなにも力が湧いてくることなんだな、ということが分かりました。

これにめげず、またまた挑戦しようっと。

あ、恋文ではありませんよ。コンクールなどの方ですからね。