今日は久しぶりに堂崎天主堂に行きました。
堂崎天主堂に行くのは、島外から誰かが遊びに来た時、というふうに決まっておりまして、今日は春休みで岐阜県から遊びに来ている姪っ子ちゃんと一緒に行きました。
前に来たのはいつだった忘れましたが、中の展示物などが変わっているわけでもないのに、その時その時で見えるものが違うのが不思議。今日は展示してある写真の中の人物がどうもね、ワタクシの方を見ているような気がするんですよ。またまた妙なことを言っておりますけど、このブログをいつも読んで下さっている方なら、もうご存知でしょう。
なので安心して書いてしまうのですが、ワタクシも気になってチラチラとその人物を見ていたのですが、でもそれではイカンと思い、その写真の正面に行き、その人物と向き合って、ここでもお話をするわけです(心の中で)。その方はワタクシの心の内など何もかもお見通し、というような表情をしていらっしゃいます。しかし、だからと言って、特に厳しい感じではなく、もっと温かな雰囲気で語りかけてくるような感じ。
「いつから始めるんですか。」というようなことを聞かれている感じがしたなぁ。
なのでワタクシは、やや焦って、ちょっと今は待って下さい!今はまだ何かとゴタゴタもしておりまして、いろいろ整理がつかないのですが、でもでも必ず始めますから!
というようなことを、そこで答えたのです。
いよいよ頭がおかしくなった、などとはブログの読者さんは思わないと信じておりますが、しかしやっぱり妙なヒトかもしれません。
この堂崎天主堂に行った時には必ず、その先にある民俗資料館の建物にもワタクシは必ず行きます。そこには昔の生活道具などが展示されているので、それを見るのがワタクシはとても好きなので、必ず見に行くのです。
ここも展示物の動きは全然なくて、それどころか、殆ど放置されているような状態で、陶器などはまだ朽ちないのでいいのですが、木の道具とか藁とか布のものなどは傷んでくるので、それにもワタクシは胸を痛めておりまして、五島に来て、この資料館を見た時から、ずっとずっとここの道具たちをもっと活き活きとした展示に出来ないのかなぁ、ということを思っていました。がしかし、どうすることも出来ず、手も足も出せないまま20年以上がたってしまったのでした。
この道具たちが現役だった頃の活気、というのを想像すると、今のこの状態、というのが不憫でならないのですが、でもせめて来た時だけでもワタクシは並々ならぬ興味と関心を持って、この道具たちを眺めようと思うのです。
モノでもヒトでも動物でも植物でも人間が関わっているものは、関心を持ってもらえない、とか、気にかけてもらえない、という状態が長く続くと、なんだか荒んだようになったり、弱々しくなったり、生気のない状態になるような、そんな感じがするので。
人間と一緒に生きているものは、そんなふうになるような気がするなぁ。
「愛の反対は憎しみじゃなくて無関心」というのは、そういうことか!と今フト思ったのですが、どうでしょう。
しかしながらワタクシは、実際の生活ではいろいろなモノを放置するクセがあったり、園芸植物の存在を忘れて枯らす名人だったり、飾ったモノを埃まみれにしてしまいがちだったり、なので実はエラそうなことは何も言えません。
何日か前に中学校の先生から電話がかかってきて、18日の月曜日の15時20分から50分の間に子供たちが記念の品を持ってご挨拶に伺います、というようなことを仰られたのですが、ワタクシは今日、途中まではこのことを覚えていたのですが、じつはその時間帯にはすっかり忘れていました。
本当に恐ろしいほどスッポリと抜け落ちていて、予告通りその時間にやって来た中学生が玄関の扉を叩くのを聞いてもまだ思い出しませんでした。
危うく、それを忘れて出かけるところだったので、まだ家にいて本当に本当にヨカッタ、と胸をなで下ろしたのでした。
そのようにワタクシは用事も忘れがちなので、やっぱりエラそうなことは全然言えないのですが、でもその時その時に出来得る限りの関心を持ってモノゴトに当たりたい、とは思っているのです。
中学生が持って来てくれた記念の品、というのは「奥浦中学校生徒会」という文字が入った鉛筆でした。
ワタクシは現代のオトナにしては、割と鉛筆を使う方だと思います。それは何かの文章を書く時の下書きの時には鉛筆書きをするからです。なのですぐにカッターナイフで削ってスタンバイOKにしておきました。
3月中に下書きが必要な文章をいくつか書く予定もありますから、その時に使わせてもらいましょう。
そんなこんなで、少しずつ前に進めそうな気がしてきました。
ありがとう、中学生。
ではでは皆さま、ごきげんよう。
また明日。