今日のフェリー最終便で戻ってきました。
海上が時化だと聞いていたのですが、全然たいしたことはなく、むしろちょうど良い揺れ具合でした。ワタクシは黒々とした波を飽きずに眺めているうちに、何かこう血が騒ぐというか、血がたぎってくるような感じがするのです。フェリーのエンジン音と波を見るのが好きなので、そういう面では島暮らしに向いているのではなかろうか。
そうそう、明日の午後からの便は欠航が決まったとのことですから、やはりワタクシは旅にも「ちょうど良いちょうど良い」の神様が御同行下さっておったようです。ありがたやありがたや。どの電車でもちょうど良く4人がけの席が確保でき、雨にも当たらず、猛暑にも当たらず、快適に旅ができました。予定通りビールも飲んだし。
本当に密度の濃い時間だったので、断片的に少しずつ書けたら書こうと思っていますが、果たしてどこまで書けるやら。
今回の旅の大きな目的には、2年半前に生まれたコータローをワタクシの親族がまだ見たことがないので会わせるということ、そして一緒に両親のお墓参りに行くということ、そして高齢で命の灯が消えかかっている伯母(ワタクシの母には11人の兄弟姉妹がいて、このヒトは長女だと思います)に生きているうちに一目会っておこうということ、などなどということがあり、そしてハナが部活が終わって時間がとれるから、という要因も重なって、大分行きが実現しました。
いっぱいいろんなことを考えて、たくさん食べて、楽しんで、留守中のわが家では晴天の霹靂のような事もありました(これはいずれお知らせします)が、とにかく充実した旅でした。
故郷の波止場。今は無き市営船にここから乗り込み、津久見の町に出ていた昔は遠くなったけれど海の色は変わらず。
もう何度も書いているように、ワタクシが通った小学校も中学校ももうなくなったけれど、中学校までの6キロの道のり、全部が海の傍の道のその風景は全部自分の中に残っているんだ、ということに気がつきました。自分の核になっている部分に確かにこの青がある、という気がしたのです。
そんな日々の風景が好きで、他のヒトが見ればなんてことでもないようなことにヨロコビや楽しさを感じているのは、今も昔もおんなじ。
それはもう変わらない事実なのだから、もはやイマドキの世間のいろいろに合わせる必要ってないのかもなぁ。意外に思われるかもしれませんが、まだまだワタクシは相当に無理をして「イマドキのもの」に合わせようとしている部分があります(合ってないように見えたとしても)。いやホントに。
「アナと雪の女王」効果もあってか、今回の旅ではひとしきりそのような事を考えました。