昨日も「かたし」は、いろんなものが気持ちよく売れました。ありがたいことです。この調子で最後までよろしくお願いします。「かたし」の「だんご(この地域では「ふくれもち」とも言う、標準語では饅頭)」が食べられなくなる、というのを知って、嘆いて下さるヒトビトが大勢いて、これは早い段階で製菓の製造許可が取れる施設を作らねばなぁ、と思ったことでした。
それに、地域のヒトビトも本当にこちらがびっくりするくらい、みんなが心配してくれて、あれこれ提案してくれたり、夫を飲みに誘って話し合ったりしてくれて、なんともありがたいことで、ワタクシ達は幸せ者だなぁ、と思います。
今の「かたし」の建物は使うことが出来なくなっても、ワタクシ達は確実に、ここで新しいことがまた出来ると思います。全く新しいこと、というよりは、この10年を土台にして、しっかりと地域に根差した新しいことを始められるのですから、なんだかとってもワクワクします。
あまりにもボロボロで、再生不可能だと思われていた「かたし」の建物が甦り、たくさんのヒトビトが訪れる場所になったのは、おそらくなるべくしてそうなった、という感じだったと思います。なので、できるものは難しいことを考えなくても必ずできるものです。また、やらなければならないことは、人間きっとやるものです。そういう流れを体得した今、本当に不安なことはあまりないのです。
それに何よりも、他所から来たワタクシ達をここの住人として迎え入れてくれ、また本気で心配してくれる地域のヒトビトとの繋がりが持てたことが最大の財産なのですから。
さて、話は変わりますが、お盆も過ぎて、日常が慌ただしく過ぎてゆき、このままだと7月末の大分紀行を書かないうちに夏が終わってしまいそうなので、ここらでちょっと忘れないように書いておきたいことがあります。
大分では「アナと雪の女王」を観に行きたい、という子供達の願いが叶い、めでたくTジョイパークプレイス大分という、これまた巨大なショッピング街が映画館と併設された場所にワタクシ自身も初めて行きました。
こういう場所は金を使ってナンボの世界ですから、映画までの待ち時間が長すぎて、ヒマで水で遊んだりしています。
消費が娯楽、という世界にはなかなか参入できないわが家のヒトビト。でも、映画を見て、お昼ごはんをこういう場所で食べる、というだけでもかなりのワクワク体験です。
「アナと雪の女王」は、何の先入観も持たずに見ましたが、これが予想以上によかったです。まず音楽がよかった。コーラスが美しかったし、歌もよかった、楽しい!そして、絵がきれい。色がきれい。氷や雪の美しさをここまで表現できるってスゴイ、と思いました。
人間の欲望は悪い面ばかりじゃなくて、こういう美しいものを作ることを貪欲に追及することにもつながるんだなぁ、と感心しました。アメリカは戦争ばっかりやりたがる国、欲の塊というイメージが強くて好きになれないんだけど、こういうものも作るのはやっぱりスゴイ、とも思いました。
そして、先にこの映画を見たハルさんが、女王エルサが例の「Let It Go」を歌いながら、自分の力を爆発させて氷のお城を作っていく場面で、解放されたエルサがどんどんセクシーになっていくのが「アメリカの女のヒトの自由」、ってこういうこと、みたいな感じで面白かった、と言っていたので、その場面、エルサのスカートにものすごいスリットが入っていくな、とかドレスの襟がエラく広く開いていくな、髪がばさっと無雑作になっていくな、フムフムと思いながら見ました。
でも、あの雪の模様のマントは美しかったなぁ。
そして、自分は逆に、ああいうセクシーさが女になければならないのだろうか、という思いこみから解放されたかったり、「女」「妻」「母」は「こうあって欲しい」と望まれるような姿から解放されたい、と思っているのだ、ということに改めて気がついてしまうのです。
だからこそ、あの「Let It Go」の歌や「アナと雪の女王」は、窮屈な世間体を全く気にせずには生きていけないワタクシも含めた女たちに解放感を与えてくれるのではなかろうか。
世間一般の女のヒトビトと興味の対象が違い過ぎる、という点では、ワタクシは今までも今もけっこう生きづらい面を抱えています。
お盆の季節に帰省してくる若い子たちが、一様に垢ぬけてキレイになっているのを見るのは微笑ましいものですが、そういう道から完全に外れたところを歩いてきた自分に自信を持つのはけっこう難しく、これでいいんだろうか、という迷いはいつも生まれては消えていきます。
でも、迷いながらも結局は、やっぱり本当に自分が大切だと思うことを大事にしていけば良いのだ、というところに行きつくのですが。
「アナと雪の女王」の映画は、ワタクシにそのような思いをまた新たにしてくれました。子供達のおかげで劇場の大画面でそれを見ることが出来てよかったです。
今回は時間がなくて、故郷の集落にもほんの一瞬お墓参りに行っただけだったのですが、その時に道路の脇の小さな畑を指して叔母さんが、ここは
ともちゃんがきれいにしちょるようじゃわ、と言ったので、ワタクシにとっては、それが本当に嬉しいことでした。
ともちゃんは、ともちゃんらしく、生まれ育った小さな海辺の集落で、自分の好きなことをちゃんとしているんだ、と思ったからです。
静かに、けれど確実に土に向かい合って、海を見ながら暮らしているんだ、と分かったからです。
氷の城の形は人それぞれ。
自由の形も人それぞれ。
美しいと思うものも、幸せを感じる事柄も人それぞれ。
それでいいのだ。