2週続けて火曜日の朝に島を離れる、という事態になっていたので、3週間ぶりに洗面所の屑カゴの続き。
縁の巻き始めは、端っこをこれくらい出しておく。すぐ忘れるのでメモ。
縁を巻いたら、今度は底の部分に「かすがい」を入れます。
まずは左右の外側の骨組みの間を測り、
「かすがい」にする竹の真ん中にその長さを記して両端を削ります。
このように。
最初に2本入れて、再び長さを測ってもう2本作り、
同じように入れて、完成。
上等の屑カゴが出来ました。
竹という素材を割ったり削ったりしてカゴを作る、というような単純な作業は、前にも書きましたが本当に精神が「竹を割ったように」スパッとスッキリすることです。そして単純といってもそれは簡単ではなく、実はものすごく深いのです。
連日の出張に際して、図書館にゆっくり行くことが出来ずに、閉館1分前くらいに滑り込んで借りた2冊の本。
パパッと決めた2冊であったのに、すごく似ていて、どちらも背筋をピシッと伸ばしたくなるような本でした。 村岡花子エッセイの方にこんな文章がありました。
「たのしい新年と言いながら思うことは『たのし』という言葉の持つ意味です。『たのし』は(手伸し)ですが、思い切って手を伸ばした形です。前へ前へと押し進む形です。つまり、たのしいというのは、ただおもしろおかしくふざけ廻ることではなくて、ほんとうは思い切り手を伸ばして力をふるうことであり、そうすればこそ愉快になるのです。」
これを読んだ時、「たのしい」という言葉に微かに感じる違和感が消えてなくなった、と思いました。
竹カゴ作りの「たのしさ」はそういうことだったのか、と納得。
ややこしく面倒なことが多い現代の「お仕事」に、この竹カゴ作りのスッキリ感と「たのしさ」が欲しい、と最近よく思います。