鶏小屋にいる黒いチャボのお母さん鶏が卵を温めて、小さなヒヨコが4羽孵りました。お母さん似の黒いヒヨコもいれば、クリーム色と黒のまだらもいて、そのまだら具合が微妙に違っているところなんか本当にカワイイ!!
しかし、その黒いお母さんが羽の下にしっかり隠していて、触ろうとするとキェーッと怒ってつつくので、今のところはまだなかなかそのカワイイ姿を見ることが出来ません。
生まれたての小さなヒヨコって本当に可愛いのですが、その時期はけっこうすぐに過ぎてしまうのです。それで写真写真、と思ったらカメラが行方不明。先日の中学校の卒業式で、ハナが友達と撮った写真を見て見て、と言ってきて、それを見た後からみあたりません。一体どこにいった??
それで、皆様にそのかわいいヒヨコをお見せできなくて残念なのですが、多分カメラが見つかる頃には本当に小さな生まれたての時期とはもう違っていることでしょうから、なおさら残念です。
17日が中学校の卒業式で昨日は小学校の卒業式でした。卒業式の季節です。
ピヨピヨの時期から知っているハナ達の同級生を見ていると、鶏で言えばもう大人のしっかりした羽が生えてる頃だな、と思います。
鶏も人間もピヨピヨの時期はホント短い、と感じます。
今年はわが家は卒業生はハナだけでしたが、次女のアサのクラスは5.6年という複式学級なので、アサも卒業文集のようなものを持って帰ってきました。
いろんなヒトからアサはワタクシにそっくり、と言われるのですが、見た目のみならず多分性格も一番似ているのではないか、と思っておりました。
それで、その文集に書いてある一人一人のページ、自分の血液型とか好きな食べ物だとかなんとか、書くところがあるでしょう、そこの「性格」の欄に「きらわれやすい」と書いているのを見て、「うん、性格も似ている!」と確信。
中学校の卒業式の日、帰るなりハナが大掃除を始めたことから、それにみんなつられて「大大おかたづけ週間」に突入したわが家で、ワタクシが古い本をみつけて読んでいて(だから片付かないんだ)おぉっ、これは!と思う文があったので、その「きらわれやすい」アサに贈る言葉としたいと思います。
それはワタクシが中学生の時以来、師と仰いでやまないムツゴロウこと畑正憲さんの「自然を食べる」という本にありました。
以下引用。
「栄養というような、何かに対して有効な作用をするものは、必ずと言っていいほど、逆の作用をする一面を持っているものである。こまかく見ていけば、毒となる面もたしかにあろう。
有用なもので、いいことずくめというものはまったくないのだ。これは何でも同じであり、ものの役に立つ人間は、仏様みたいな円満な人格者ではあり得ない。必ず、このヤロウめと思わせる、激しいところを持っているものである。」
この部分、ずーっと前にこの本を読んだ時には引っかからなかったらしく、全く覚えてなかったです。
こんな発見があったりするから、古い本も捨てられなくて困るんだなぁ。