誰にでも気が進まない仕事の一つや二つは抱えているでしょうが、ワタクシも目下そのような仕事を抱えていて、とりかかるのに大変な労力を要しております。
それは、一昨年から就任しております農業委員として、農地の調査をすることで、ワタクシのような地元のことをよく知らない人間にとっては、農地の所有者の名前が一世代違っていると、もはやお手上げ状態、誰の事やらさっぱり分からない、ということになります。そして何回聞いても覚えられない、という体たらく。
また、知っていたとしても、その方のお宅を訪れて、自らの身分を説明し、調査の内容を説明し、解答を得る、というのは本当に冷や汗タラタラものでありまして、毎回のごとく寿命が縮む思いです。
しかしまぁ、そのような苦手分野のことが廻ってくるということは、ちっとばかりその分野を鍛えなされ、という天からのありがたい配慮でありましょうから、甘んじて受け入れねばなりませぬ。
第一次産業に従事するヒトビトを訪ねるには、荒天の日か、あるいは昼ごはん時、または夕餉の時間などなどが向いておりますから、今日のような荒れた日にこそ少しでもやらねば、と、テクテクと回りました。「木ノ口かたし」も「うとん山農場」も海のそばではありませんから、こんな景色を見るのも久しぶりのことです。
農地の調査に回っていて、いつも目の当たりにするのは、年老いたヒトビトの、安楽ではなさそうな暮らしの様子です。
荒れた農地を見てもそうですが、なんとも複雑な心持ちになることです。
自分たちのことも、よくよく考えていかねば、と思ったりもします。
それはともかく、家に戻って来ると、「木ノ口かたし」のトイレが少し進んでいました。
それこそ、年老いたご夫婦が長年住んでいた家を引き払うことになり、その家を解体した時の床板が使われております。
引き受けて、引き渡す、その流れがずっと廻っていくように、いろいろ考えようと思いました。