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高校生はオトナだった

昨日は市民駅伝大会がありました。

今年は、わが家のとーちゃんはBチームの監督兼補欠ということで走らなかったのですが、午前も午後も夜もその関係でいろいろ忙しかったようです。選手の皆さまもタイヘンお疲れ様でした。

この駅伝大会なるもの、どこの地域でもこの時期に開催されるものなのでしょうか。

ワタクシが子供のころには、成人の日がまだ1月15日で、その日に市の子供会対抗の駅伝大会がありまして、わが弱小子供会も、それに出場するために確か10月か11月頃から放課後に毎日練習させられていました。

1月15日の本番まで、毎日毎日2キロか3キロ走らされるのです。ワタクシは走るのも遅いし、だいたいいつも走っている時に横腹が痛くなってタイヘンにキツイので、もうこれが本当にイヤでイヤで。

毎日毎日ともだちと雨乞いをしていた、と思います。

ところが、です。ワタクシの故郷の大分は太平洋側の気候ですから、冬場はカラッと乾燥していて、雨などほとんど降らないのです。駅伝の練習期間中、雨で休み、というのは本当に少なかったように記憶しておりますが、これは偏った記憶だろうか。

そして、この駅伝大会のための練習に毎日来て指導してくれるのは先生や保護者やあるいは誰かオトナのヒトではなく、地域の高校生でした。

今考えるとですね、高校生もタイヘンだったよなーと思います。ブーブー文句ばっかり言う小学生たちを指導するために、学校から帰って来た後に自分の時間を削って毎日来てくれていたのですから。

それなのに、コドモというのは自分中心で、そのような想像力など全く働きませんから、その高校生が風邪でもひいて休まないかな、とか、そんなことばっかり思っていたり、高学年女子たちの悪口などに同調したりしていました。

その時、指導に来てくれていた高校生は実はワタクシの従姉であったのですが、普段の優しい様子を知っているだけに、悪口に全て同調するのも憚られ、「いつもは優しいんじゃけど、駅伝の時はこええ(怖い)なぁ」などと多少遠慮がちに言っていた、と言い訳しておきましょう。ホントですよ。

本当に練習の時は厳しかった、と思います。

なので、背中に何かアルファベットが書かれたような青い上着を着た彼女が、上着の袖で手をすっぽり覆うようにして記録用のノートを持って小走りで現れると、いつもドキッと緊張していたワタクシです。

そして憂鬱な練習の日々が延々と続いていたのです。

地域の高校生たちは、その延々と何ヶ月も続く練習に毎日、来てくれていたんだなぁ。

その当時の高校生は、なんてオトナだったんだろう、と思わずにはいられません。

駅伝以外でも、あれは何に出るためだったんだろう、忘れたけど、リコーダーの指導なんかも公民館で高校生が指導してくれていたし、地域の「お楽しみ会」の劇なども高校生が演出して道具なども作っていたっけ。

子供のワタクシにとっては、高校生は本当にオトナでした。

自分が高校生になってみると、全くコドモのままのようで、そして今、ワタクシにとって高校生は本物のコドモです。ま、ワタクシが高校生の親になったから自動的にそういうことになるのですが。

それにしても、やっぱり昔の高校生は随分としっかりしていてオトナだったと感じます。

大雑把に言うなら、自分のことだけ考えているのがコドモで、他者のために動けるのがオトナかな、と。今の時代はコドモでいる期間が延びているように思います。

ちなみに、青い上着を着て毎日指導に来てくれていた、かつての女子高校生は、昨日、競泳の200メートル平泳ぎで、世界新記録を出した渡辺一平選手のお母さんです。

昨日、ニュースで聞いて、本人はもちろん、お母さんや周りのヒトビトはどんなに嬉しかろう、とワタクシも本当に嬉しくなりました。

昨日は駅伝大会もあったので、そんな昔のことを、しみじみ思い出していたのです。





















by sanahefuji | 2017-01-30 23:45 | 子供時代の思い出 | Comments(0)

ここは五島列島福江島。「かたし」とは椿の古い呼び名です。2001年にIターンして就農した私たちが週に一度、土曜日だけやっている直売所&飲食店、ときどき居酒屋(居酒屋は予約制)「かたし」(2016年に「木ノ口かたし」に改名)での出来事、五島の暮らしの日常などなど。日本の端っこで繰り広げられる、ささやかな人生劇場を綴っていきます。


by 山﨑早苗