例によって、先日の土曜日の朝のラジオでのこと。
「サタデーエッセー」というコーナーでアコーディオン奏者のcobaさんが話していたことによると、春に「木こり」は木を切らない、それは木が目的意識を持ってこれから伸びていこうとしている季節だから、とのこと。
また、「春は目的意識の漂う季節」とも仰っていました。
確かに、新しい生活が始まるヒトビトも多いことでしょう。
五島の港では連日のお見送り風景です。
海辺育ちのワタクシにとっては、船でのお見送りというのは、子供のころから慣れ親しんだ光景ですので、お見送りに行くたびに、子供のころの先生とのお別れとか、地元を離れる高校生が船で泣いていたことなどなど、思い出したりします。そのように何十年も前のことでも思い出すくらいですから、五島にやって来てからの港でのお別れというのは、それこそ昨日のことのように思えます。
船の甲板で手を振っていたあのヒトこのヒト。なつかしく、あたたかく、思い出します。
時間もかかるし、何かと不便かもしれない船、という交通手段ですが、ヒトビトの心に残るお別れ風景、という点では他の乗り物の追随を許さない貫禄があるのではなかろうか。かくいうワタクシは船が本当に大好きです。前も書いたと思いますが、あの重油のような匂いとか喧しいエンジン音、それに震動までが本当に心を落ち着かせてくれます。
いいなぁ、フェリー。
来年はハナと一緒に乗っていきたいな、などと思ったり。
船上のヒトビトとは違って、見送る側は、心寂しくなりながらも普段の日常生活が続くわけでありまして、昨日はいい天気だったので、ワタクシは畑仕事に精を出しまして、草が伸びているのにビックリしました。うーむ、草も「目的意識を持って伸びている」のだなと思ったことでした。
夫は牛小屋建設中。
ワタクシが子供たちに、お茶の時間になったら畑に呼びに来てくれ、と言っておいたら、コータローが呼びに来ました。子供たちが家にいると何かと便利です。
休日の「かたし 昼の部」でお茶。
そして夜には港でのお別れに「しんみり」としたらしい「夜の部の仲間たち」がやって来て、飲んでおったようですよ。