日曜日はJAのフレッシュミズの総会&イチゴ狩りがありました。
この「フレッシュミズ」などという、こっぱずかしいネーミングではありますが、昔は「若妻会」などという名称だったらしいです。「フレッシュミズ」と「若妻会」、どちらにも所属していないワタクシのような者でも入れます。
要はどこの農協も女性部、というのが、かなり年齢が高くなって、しかも農家女性に限定すると部員がなかなか増えないので、農家以外の女性も対象にして活動しよう、ということで、「JAごとう」のフレッシュミズでも、このような親子でも、そうでなくても楽しめる活動をやっております。
繰り返しになりますが、農家のヒトでなくても入れます。そして年齢制限も、「概ね45歳くらいまで」とか「20代から40代」などといううふうに、曖昧でありまして、それ以上でも全然モンダイない感じです。
どこの地方もそうでしょうが、本当に「フレッシュ」な年代は人口比率で見ても圧倒的に少ないのですから、それは仕方のないことです。
ワタクシが五島に来たばかりの頃、農業研修生として働いていた頃に、事務所の近くにJAの女性部の加工施設ができたので、そこを手伝ったりすることもあって、その時に女性部の方々のお世話で自動的に入会、ということになっていて、おまけに例の「家の光」という雑誌も年間購読、ということになっていました。
女性部の方々のテキパキさ加減たるや、ワタクシがぼけーっとしている間に、仕事やあるいは休憩の準備、他人のお世話などもどんどん進めていって、とにかくパワフルでした。
思えばその頃のワタクシは、まだかろうじて20代、本物の「若妻」だったので、ぼけーっとしていても仕方がないか、と思いますが、あれから16年もたっているのだから、もっとテキパキしていても良さそうなのに、相変わらずぼけーっとしているのはどういうわけか。
おそらく人間の「テキパキ能力」などというものは、もともとの要素も強いのだと思われます。あの女性部の方々のようなヒトビトは20代の頃から既にテキパキしていたに違いない、という気がしますから。
ワタクシがぼけーっとしている間に、チューリップは咲いたものの、蕗とかハコベなんかも伸びちゃって、花が隠れているではありませんか。
まぁしかし、蕗もハコベも瑞々しくて美味しそうだから生やしておこう、と、一事が万事で常にこの調子。
とにかくワタクシの場合、なんでも「保留」ということが多いのです。
しかしながら、この「保留」という癖というか習性というか、これがなければ、この「フレッシュミズ」にも、こんなに長いこと留まっていなかった、と思います。
というのもワタクシは、実に「偏狭=自分だけの狭い考えにとらわれること。度量が狭いこと。また、そのさま。狭量。」という言葉がピッタリな人間だったので、JAの組織というものになじめなくて、フレッシュミズも「いつやめようか」「何と言ってやめようか」と、そういうことばかり考えていた時期もありました。
それはワタクシが実に幼稚だったから、ということが今でははっきり分かるのですが、自分に合わないことは、なんでもすぐにやめたくなっていた、と思います。
ところが、その「保留」癖があるせいで、ズルズルとそのまま留まっていただけだったのが、段々と何かが変わってきました。
自分に合わなくて「苦痛」と感じていたいろいろなものが、そうでもなくなっていて、なんだか「馴染んで」きたような、そんな気がしてきました。
自分が偏狭なせいで「馴染めない」ことが多かっただけだったのかもしれない、とも思えてきました。
時間はかかるけれど、こうやってヒトは段々と自分を拡げていったり、柔軟になっていくことが出来るのかもしれない、と思います。
そう考えると年をとるのも悪くない、ですね。