昨日は小さな台風が接近していたので、とにかく蒸し暑かったです。
台風の接近に伴って今日は雨だと言うので、昨日はせっせと芋や長ネギの苗を植えてしまって、少しホッとしました。
それにしても尋常じゃない程の蒸し暑さで、夏に涼しいわが家であってもさすがに暑くてたまらず、やたらとヒトビトがイライラしているような気がしましたので、こういう時にこそ、気持ちよく過ごそうではないか、とワタクシが提案いたしました。
するとモノを片付けたり掃除機をかけたりして部屋をスッキリとさせ、なるべく和やかな会話をお互いに心がけるように、ということを家族がよく理解してくれていたようだった、と思います。
不便な状態とか不快な状況を乗り切るためには、一人一人のちょっとした心がけ、というのが大事ではないかと思ったことでした。
そして、便利な今の世の中では、不快な状況も文明の利器に頼ることで一瞬で解消することが多いので(それはありがたいことではありますが)、人間の力は弱る一方なのではないか、という気がしてなりません。それはストレスに弱くなるということであるかもしれません。
先週の土曜日も、昨日ほどでないにしても蒸し暑い日でありましたが、そんな中、クーラーもない「木ノ口かたし」にお昼ごはんを食べに来て下さるヒトビトがいる、夜に飲みに来て下さるお客さまがいる、ということは本当にありがたいことで、「木ノ口かたし」のお客さまは「人間力」の高いヒトビトばかりなのであるな、とワタクシは確信しておる次第です。
お客さまの「人間力」に甘えてはいけませんが、何かと不備の多い「木ノ口かたし」に来て下さるヒトビトと接していると、お店をやっていてヨカッタなぁ、と心から思えます。昼の部も夜の部も、ワタクシはいつもヒトビトの温かさを感じ、店員冥利に尽きます。本当にありがとうございます。
さて、そんな先週の土曜日の「かたしのお昼ごはん」は、
・魚の切り身の南蛮漬け
・インゲンとニンジンとタマネギのニンニク風味の炒め物
・レタスに乗せたカボチャサラダ
・キュウリの塩麹浅漬け
・卵焼き
・豆腐とワカメの味噌汁
・カマド炊きごはん
・ブルーベリーケーキ
でした。
前にも書いたように魚や野菜など、近所の方々から本当にいつも大量に頂くのですが、その度に、まぁなんて豊かな島なんだろうと思わずにはいられません。
昨日も、ほんとにたまたまバッタリ会った方にオクラを頂きました。
このようになんでも「ドサッ」と頂くのです。
人間は減っているのにヒトビトの生産力は昔のまま、あるいはそれ以上なので、五島はこんなに食料が豊富なのかもしれません。
昔と言えばワタクシには、断絶した日本人の衣食住を知りたい、という思いがずっとあります。
食に関しては、現代であっても昔の食というのがなんとなく見える、というか、上記のように季節ごとに頂く海山畑の幸から感じ取れたり、田んぼでは米を畑では野菜を作っているし、味噌や醤油なんかは家で作ったりできているし、「木ノ口かたし」ではカマドでご飯を炊いたりしているし、で、現代の暮らしの中で現代に合った形で取り入れることが出来つつある、と思います。
住に関しては、たまたま築90年以上の古い家(古民家というのは何か語感が違う気がするので使いませんが)を借りることが出来ているので、これもなんとなく分かる部分がある。
が、しかし「衣」はどうか、というと、これがもう完全に断絶している感があります。
ワタクシが小学校に入学する時、ワタクシの母親も同級生3人の母親も、全員が着物を着て子供たちの後ろに立って写真に収まっておりました。もちろん子供たちは洋服。
その写真が象徴しているように、ワタクシたちの母親世代はまだ着物が暮らしの中にあったけれども、ワタクシたちの世代にとっては暮らしの中にはもはや洋服しかないのです。
それで今年、公民館講座で着物の着付け講座が開設されたことから、参加してみることにしまして、今日、3回目があったばかりです。
初回の時にワタクシは自分の無知ぶりに打ちのめされてしまい、しょっぱなから挫折しそうになりました。殆どの参加者の方々があるていど着物に親しんでいる方ばかりだったことから、場違いな感じが甚だしく、もうオロオロするばかりでした。
なんせワタクシは絣の着物一枚と半幅の帯、紐がたったの1本、そして誰かにもらった浴衣と、何だかよく分からない帯を持っているだけで、襦袢もなければ着る時に必要な小物類もなーんにも持っていない状態で「着付け講座」に乗り込んでしまったのです。
しかしながら、そのおかげでワタクシは日本人の「衣」の文化というものが自分の世代で断絶していることを文字通り「身を持って」感じることができました。
初回でその衝撃を受けたことから、2回目以降はもう開き直るしかない、という感じになりまして、人様の迷惑も顧みず、いろいろなものを借りたりしながら、なんとか終えることができました。
とはいえ無事に、とはとても言える状態でなく、名古屋帯?なんだそれは、と、ちんぷんかんぷん、枕はない、帯揚げ帯締め、なんにもない、腕は後ろに回せない、と、もうないない尽くしでどうしようもない劣等生のワタクシです。
しかしながら、「衣」の文化の断絶に向かう一歩はこのような困難に満ちたもので当然かもしれません。その断絶はそれほどまでに深いのですが、一歩を踏み出さないことには何事も始まりません。
これがいつしか「食」並みに、現代に合った形で暮らしの中に取り入れられる日が、ひょっとしたら来るかもしれないではないですか。
たすき掛けして絣の着物でお客さまをお出迎え、なんてことも全くないとは言い切れないのですぞ。
ワタクシも「人間力」を磨きつつ、おそらく和洋を問わず苦手分野である「衣」の領域に向かおうと思います。