一昨日の夜に竹の師匠宅に持ち込んだ、布は、今朝には立派な衣装となって戻ってきまして、もうホント、神様仏様、師匠の奥様であります。
しかしながら、その最も難しいもの以外にもいろいろと縫物がありまして、しかも土曜日まで、となると、既に尻に火がついた状態です。
オトナになってまで被服の宿題が出るとは思いませんでした。
もう既に遠い昔となった、あれは中学1年だったか2年だったかの夏休み、1学期の家庭科の被服の授業中に終わらず、家でも出来ないワタクシのために先生が夏休みに学校で教えてくれた、ということは前に書きましたが、その時のことをワタクシは別の理由でタイヘンはっきりと覚えているのです。
その日の朝にワタクシの住んでいる海辺の集落の中で不幸がありました。家の外に、葬儀会社が家の場所を示す矢印のついた看板を出すから分かるのです。黒で縁取られた看板に○○家と墨字で書かれたその下には、なんだか不気味な人差し指で「こっち」と示すような絵が描いてあるのです。今頃、こちらで見る同じ目的の看板には、単純に黒い矢印が書いてあるので、あの不気味な人間の手の矢印が描かれた看板は、そこの葬儀会社オリジナルだったのだろうか、と思ったりします。子供にとってはとにかく気味の悪い看板に思えました。
その時に○○家と書かれた家にはお年寄りはいることはいるけれど、まだそんなに年でもなかったようだが一体誰が亡くなったのか、というようなことを、子供だったワタクシも考えました。
しかし、それほど気にも留めずに学校に行きました。
そして、前に書いたように、暑い暑い夏の日差しの中、海沿いの道を、時々自転車から降りて押しながら帰りました。
もしかすると、ワタクシはその前に朝見た看板のことを学校で部活の時か何かに友達に聞いたかもしれません。その辺の記憶は曖昧なのですが、それは確かにその日だった、と思います。
亡くなったのは、その家の高校生でした。
バイクの事故でした。
スピードの出し過ぎで、カーブを曲がりきれずに何かに衝突して、バイクは滅茶苦茶に壊れていた、ということでした。
警察が出している広報のようなもので、ワタクシはその壊れたバイクの写真を見ました。
その亡くなった、水産高校に通う男子生徒は、いわゆる不良などではなく、気のいい兄ちゃん、という感じのヒトでした。
ワタクシが小学生の頃、家に遊びに来ていたことがあって、一緒にトランプをしている時に、ひょうきんなことをして笑わせてくれたりするようなヒトだったのです。
それからしばらくたってから、そのヒトのお母さんがAコープの店のレジのヒトに話している時に、たまたま居合わせました。朝起きて、弁当を作らないと、とまだ思うんよねぇ、というようなことを話していた、と思います。
なぜかそのことをワタクシはずっと覚えているのです。
毎日弁当作るのってタイヘンなので、たまに弁当を作らなくていい日はゴクラクゴクラク、と今ワタクシは思ったりします。
こんなふうに今、子供の用事で四苦八苦している時、なんだか愚痴の一つでも言いたくなるような時、フッとそのお母さんの様子や声を思い出したりするのです。
あの兄ちゃんは、どこに行ってしまったんだろうなぁ、と思ったりするのです。