本日は、福江少年少女合唱団の定期演奏会のゲネプロでした。
毎年言っとりますが、ゲネプロとはGeneralprobe(ゲネラルプローベ)というドイツ語の略で、総リハーサルのことです。ひと昔前の医者がカルテにたいしたことでなくてもドイツ語で書いたりしたように、昔の演劇人もインテリ気取りでわざわざドイツ語を使ったのではないか、などとワタクシは考えますがどうでしょう。
そういうワタクシも、結局まだ学習を再開できてなくて、ほぼ忘れているクセにドイツ語を知ってるんだぞ、というふうにわざわざ毎年「ゲネプロとは云々」と書いているのですから同じことですな。中身がたいしたことがないヒトに限ってインテリを気取るものです。
ワタクシが何かで読んで感動したことには、とある英語の達人とも言うべきお方がいて、その方は話す時も書く時も決して英単語を使うことなく、きちんとした日本語を話していた、ということです。
やたらとカタカナ語ばかりをちりばめて喋る知識人ふうのヒトがこれだけ氾濫していると、もうそのようなことは望むべくもないことですが、そういう骨のあるヒトがもっといたらいいのに、と思います。
さて、ゲネプロでした。
文化会館の外のお堀は、この時期、蓮の花が満開になります。
ドブに落ちても根のあるヤツはいつかは蓮(はちす)の花と咲く~、とこれまたこのブログではお馴染みの歌が思い浮かびますな。
ワタクシはこの歌のこの歌詞は本当に深く納得いたします。
この世間、すなわちヒトビトの欲望や思惑が渦巻くこの世の中で生きるということは、ドブの中で生きていくようなものです。しかしながら、その中で根を伸ばして生き伸びていれば、いつか本当に蓮の花は咲くのかもしれない、という希望も生まれるではないですか。
本日は世間の喧騒から離れて、文化会館で子供たちの合唱の練習に1日つき合っていたら、ワタクシはそれ以外のことから完全に離れることができました。
オトナになってからは、こんなふうに目の前のことだけに集中すること、というのが難しくなり、その場には関係のないちょっとした悩みだとか、その先の予定だとか、そういうことが頭に浮かんできたりしてしまいがちですが、今日は全くそういうことがなく、目前に迫った定期演奏会に向けてガンバル子供たちや、お母さんたちと連携して、それ以外の余計なことを本当に全く考えなかったのです。
それは帰り道に、あ、明日は「木ノ口かたし」のお店だったんだ、と思い出してハッとしたくらいでしたので、明日が店だということすら意識の外だったのです。
とは言え、早朝にはブルーベリーを採ってきて、その後ゲネプロに行ったのです。
今日も本当は学校だったハナも、担任の先生にイヤミを言われながらも休んでゲネプロに参加して、帰ってからは明日のお菓子で、ブルーベリーマフィンを作ってくれておりますよ。
ではでは、明日の「木ノ口かたし」も、どうぞよろしくお願いいたします。