本日は竹の稽古の日。
竹カゴ作りを習い始めた時「たねわたしの会」というものができていたのですが(→
物づくり集団「たねわたしの会」結成 )、実を言いますと、この「たねわたしの会」というのが雲散霧消してしまって久しいのです。
昨シーズン中は、そのことをどんなふうに考えたらいいのか、自分は一体どうしたらいいのか、などなどと随分と一人でグダグダと考え続けていて苦しかったのですが、その期間を経て、リハビリのように歩き出した今シーズンといったところです。なので今シーズンは半日にしています。
「たねわたしの会」が始まった時のワクワクした感じを思い出す度、何故か感傷に浸ったように「あのとき~おなじはなをみて、うつくしいといいったふた~りの、こころ~とこころが~いまは、もうかよわない、あのっすば~らしいあーいをもういちど~」というメロディが浮かぶワタクシです。失恋したわけでもないのですがの。もしかすると、ある種の心を失って、それは失恋状態に似ているのかもしれませんがな。
しかし、あらためて結成当時の文章を読んでみると、この「たねわたし」の木というのは実に良い木だなぁと思います。
粘り強く、堅いだけではなく適度な柔らかさがあるから折れにくく、ヒトの生活道具に最適、という素敵な木であります。
「たねわたしの会」はなくなったけれど、どういう形であれ心には「『たねわたし』の木」が残っているとワタクシは思います。
なのでブログのカテゴリの「たねわたしの会」はそのままにしておこうと思っているのです。一時期は消してしまおうかと思っていたけれど。
そして取材班のつもりだったワタクシは、不器用なので、いつまでもあまり上達はしませんが、毎回毎回、必ず学びがあることにオドロキつつ、竹の深い世界に少しだけ寄せてもらっております。
今シーズンは、まだたったの2個目、本日はここまで出来ました。雪がまだ残る、師匠の作業場にて。
師匠のお宅へ向かう道。
表題はもちろん、山本周五郎「樅の木は残った」を真似してみたのですよ。
「樅の木は残った」面白かったですよ。