今朝、太古丸で五島に戻って来ました。
最初の長崎行きのフェリーから、大分から四国に渡る宇和島運輸フェリー、そして博多からの太古丸に至るまで、全ては油を流したような凪の海を船は進み、少しも揺れるということがありませんで、ワタクシの全ての運は凪運に使い果たしているのかもしれないと思ったりするのでした。
もっといえば旅運かもしれません。この機会を逃したら、子供たちを連れて故郷に帰る、ということもなかなか出来ないだろうし、家を離れるハナとの良い思い出にもなると思ったので、思い切って行って来て本当にヨカッタなぁと感じられる、実に充実した旅になりました。
四国に渡る前日に、ワタクシは故郷の両親のお墓参りに行ったのですが、その時はワタクシが育った海辺の集落の小さな湾の中ですら、荒々しい三角の波が立っていたのですが、親戚の漁師のオジサンが「今日は波があるけんど明日は凪になるじゃろう」と言うのを聞いて、「やっぱり!」と思っていたワタクシでありました。
果たして翌日は凪でした。そして宇和島運輸フェリーはなんだかゴージャスな雰囲気でした。五島―長崎間のフェリー(九州商船)と比べて運賃とか船の性能とか、そういうことは、どっちが上とかよく分からないのですが、乗った雰囲気で言えば、わが五島航路は負けている、と思いましたよ。宇和島運輸フェリーの方が空間使いが上手いというかなんというか。まぁしかし、大きさが違うからそれは仕方がないかもしれませんが。
閉校して久しい、わが母校の裏にあるアコウの木、子供の時にはいつも登って遊んでいて、ワタクシにとっては親しい友人のようなこの木にも、何年ぶりかで会いに来ました。今度はいつ来れるのか、本当に分からないことです。
というのも、ワタクシには帰る家がないからです。自分が住んでいた家はあるのですが、そこに泊まる、ということはもう出来ません。そこには戸籍上は母である叔母が住んでいますが、年もとってきて人を泊まらせるのが大変になったから、ということで今回からはホテル泊まりとなりました。とは言え、そのお金は出してもらっているので、毎回お金を出してもらってホテルに泊まる、ということも出来にくいし、自分でちゃんとお金を出したにしても、実家の目の前にあるホテルに泊まる、というのも、それは寂しい話のような気もするし。
というわけで、親がいなくなると故郷から足が遠のくのも仕方のないことなんだなぁ、と思ったことでした。
人間社会は、そのように短期間で変貌していきますが、このアコウの木は昔と同じように変わらずにそこで生きているのでした。
かつて子供たちの賑わいのあった校舎は薄汚れて寂れても、桜は春になると同じように咲くのだなぁ、と、大昔のヒトの作った和歌のようなことを思ったり。
しかしながら、今のワタクシはそれを嘆くわけでもなく感傷に浸るわけでもなくて、ごくごく冷静にその変わっていく様をどこか離れた地点から見ているような、ものすごく「冷めた目」も持っているように思います。
そして時々、とても面白いモノも発見します。
何かがおかしい、と思いましたが、このように堂々とされると別に何もおかしくないような気がしてきます。コレでいいのだ!と思えばコレでいいのですな。
ワタクシはこの「消火器」を見習って生きていこうと思います(ホントか)。
今回は、どこもかしこも、ずーっと満開の桜、これでもかこれでもか、と咲きこぼれる桜が連なる道中でした。
四国の駅の沿線には枝垂れ桜も多かったです。
そしてこちらは、これからハナが学ぶことになる学部の玄関付近の桜。これまた見事に満開で。
大学の近くに真言宗の吉祥寺というお寺があって、そこの桜も満開。
夕暮れ時に歩いていると、その土地で暮らしている、という感じがします。ワタクシは、ほんの束の間、そこに居ただけですが、夕暮れ時に歩くことで、その街の持つ雰囲気を感じることができたので、なんだかとっても安心しました。
ここは実に良い大学で、実に良い街だ、とワタクシはすっかり気に入りました。近くには垂涎ものの立派な図書館もあるし、本当に良い環境です。
この光る建物がそうなのですが、このように外観もカッコよく、中身も充実しており、本当に夢のような図書館でした。
まだ他にも、この街のいい所はいろいろありましたが、それはまた今度。
オマケ:ハナちゃんにもらった手紙を電車の中で読んで、泣いてしまったコータロー。
ホームでは「瀬戸の花嫁」が鳴っていて、まさにその歌詞のような感じかな?!嫁に行ったわけではないのですが。