昨日、子供たちがこんなお菓子を食べていて、その包み紙に「ハッ」としたワタクシ。
えっ、なんでなんで柳月?誰にもらったの??どうしてここにあるの??
などと、一人でコーフンしてしまいました。
というのも柳月というのは北海道は帯広にあるお菓子屋さんだからです。
北海道!
帯広!
この単語を目にしたり聞いたりしただけでもワタクシの胸はドキドキするくらい、今も大好きで、大切な場所。
よくよく聞いてみると、何ヶ月か前に、「うとん山農場」付近に県外から猟に来ていた方の知り合いで、今は北海道に住んでいる五島出身の方が、わが家にお立ち寄り下さって、この柳月のお菓子を子供に下さった、ということらしいです。
その方はお盆で帰省していたのですね、きっと。
昨日、太古丸の予約をするために港に行ったら、もうものすごいヒトでごった返していました。
みんなみんな、お盆に五島に帰って来たいのです。
単なる「夏期休暇」ではなく、「お盆の時期に帰る」というのが日本人にとっては特別なものなので、いくらこの時期に移動が集中してしまうから帰省の時期をずらすように、とか休暇の時期をずらすようにとか言っても、外国のようにはいかないのではないか、とワタクシは思います。
いろいろな日本の伝統は薄れてきてはいますが、祖先の霊を大切にする、とか、あの世とこの世を行き来する霊魂の存在というものを信じている、というところは、今になってもヒトビトの中に根強く残っている、と田舎者のワタクシは思います。
しかし、ワタクシたちにはこの地にお墓がないし、先祖の霊を祀る場所を持っていないので、お盆をどう過ごせばいいのか分からない、ということはあります。
ワタクシには、それがどうにも落ち着かなくてたまりません。一応、家の祭壇には両親やオキノやヤギや犬の梅、などなどあの世に逝ってしまったものの写真を飾っているので、まずはそこを掃除して、線香をあげる、ということくらいはします。
子供のころのお盆というのは、ワタクシにとって、とにかく楽しいものでした。その年初盆を迎えるヒトビトのための供養の盆踊りというのが14日の夕方から深夜にあって(隣の地区では朝まで!)、そのためにハレの洋服やらサンダルやらを買ってもらえるのが、まず嬉しい。そして、いつもは父と兄とワタクシの3人しかいないわが家は寂しかったのですが、親戚の家に浴衣を着せてもらいに行ったり、そのまま泊まったりして、お盆の3日間は本当に楽しかったのです。
その思い出があるので、わが家でもお盆は楽しく過ごしたい、と思いまして、いつもとは違うことをしよう、ということになりました。
それで昨日は皆でお昼にファミリーレストランに行きました。めったに外食に連れて行ってもらえない子供たちは、大はしゃぎ。
夜は「木ノ口かたし 夜の部」又の名を「居酒屋えいじ」に帰省中の方や、ご近所の方が来て下さって、正統派お盆な感じ。楽しい夜でした。
そして、今日は買い物などに行った後はワタクシ、明るいうちからビール!
を飲みながら、このブログを読んだり書いたりする、というもの。飲みながら、などいつもやってないですよ!ホントホント。
この間の夜に、seesaaブログの時の記事を読んでいた、と書きましたけれども、本当に一体誰がそういう過去の記事を読んで下さっているんだろう、と不思議です。
そこで上がっている記事を読んだりすると、ワタクシはもう本当に恥ずかしい。もともとこのブログを始めたきっかけというのは、はっきりとした理由があるのですが、それが公言できるようなことでもないので、もうグダグダしながら、肝心なことは全部隠して書いていて、まぁホントにこんなものをよく垂れ流してきたな、と呆れる記事多し。
最近、ある方に何故facebookをやらないのか、と問われました。その方は、ブログだと読むヒトが少ない、facebookの方が大勢のヒトに読んでもらえるから、そっちにしなさい、というようなことを力説するのです。
しかし、ワタクシとしましては、そんな自分の処理できない感情を吐き出すために書き続けているような、自分では「ぼっとん便所ブログ」というふうに位置付けているものを、そんな大勢のヒトビトに読んでもらうなんてとんでもないことなのでした。
しかも、あのfacebookとやらは、ただ繋がっているというだけで、読みたくもないヒトビトにまで、このダラダラとした長文を流してしまうのですから、そんな迷惑な話ってないでしょう。
その点、ブログというのは読みたいヒトだけが訪れるというので、まぁいいのかな、と思います。何も知らずにうっかり入ってきてしまって「ゲッなんじゃこりゃ」と思ったら、もう2度と来なければいいだけの話ですから。
そんな駄文を排出し続ける、もう本当に超個人的な日記であり、情報提供はごくわずか、というか殆どその機能を果たしていない、というこの妙なブログに来て下さる方がいる、ということだけでもありがたいこってす。
本当にありがたい、と思っているんです。いつもいつもワタクシの話を聞いて下さってありがとうございます。
とりわけ本日はヨッパライの戯言ですわな。まぁしかし、お盆の最終日ですからカンベンして下され。
最近、とっても魅力的な言葉を覚えたので、それを忘れないようにここに書いておきましょう。
まず一つ、石牟礼道子さんの「綾蝶の記 あやはびらのき」で「炎むらを発する」という言葉。「炎」という言葉を人間の感情を表す時にこんなふうに使うってスゴイな、と思いました。
メラメラと、しかし静かに燃えている命そのもののような感じがいたします。
そうだ、その「綾蝶の記」の本、この間借りたかと思ったら、もう今日が返却日だったのですけどね、まだ読んでしまっていなかったので、ちゃんと昨日、延長しておきました。ヤッタ!今回も遅れなった。
と低レベルなことでヨロコンデおりますワタクシです。
来週の水曜日、ワタクシは女性農業委員の総会で長崎に泊まりで出張ですので、この書を持ってフェリーにて長崎に行こう、とワクワクホクホクとした心持ちでございます。
もう1冊は幸田文の「台所のおと」という本を予約してきました。金曜日か土曜日頃には手元に来る予定なので長崎行きに間に合います。
最近は心が乱れがちなので、由緒正しい日本語の文章を読まねばなるまい、と思っているのです。
それから、「乾坤一擲(けんこんいってき)」という言葉。学がないのを露呈してしまうのですが、これ、初めて知りました。
「乾」は「天」、「坤」は「地」、「乾坤」で「天地」の意味。天地をかけて一回さいころを投げるという意味から、自分の運命をかけてのるかそるかの勝負に出ることをいう、とのことです。
威勢が良くてカッコいい言葉ですね。どこでどういうふうに使うのか、なかなか実生活では使う機会がなさそうですが、使ってみたいなぁ、と思ったことでした。
そして「懊悩(おうのう)」という言葉。これも初めて知った言葉です。自分はホントに言葉を知らないな、と痛感しましたが、「煩悩」とは違って、なんか色っぽい感じがする、と思うのはワタクシだけだろうか。
意味はごく簡潔に「なやみもだえること」と書いてある。
そうかこの「もだえる」が入っているから色っぽいんだ、とナットク。
いや別に「もだえる」という言葉はヤラシイ言葉ではないはずなのだが、何か怪しげなビデオとか映画とかのタイトルでよく聞くフレーズだったからですね。そこに「人妻」という言葉が入れば定番ですな。
安易だ!
そのような世界でももう少し、言葉を磨くべきでしょう。そしたらもっともっとヒトの心をかき乱し、理性の箍(たが)を外すような良いもの(?)が出来るはずです。
イヤ、実際には見たことはあまりなく詳しくはないのだが、そのようなメディアに対して男と女では求めるところが違うので、正確に言えば、女のヒトの方に訴えるものが出来るでしょう、ということですが。
ところで、今とつぜんにコータローから「かーちゃん、もう少し太れば」と言われました。「なんで?」と聞くと、「その方がいいから」とのこと。
そうか、6歳児とは言え、それはまっとうな男の意見なんだろうなぁ、と、今こんなことを書いているとは知らないはずのコータローの意見を、何故か今の続きでそう思ったり。
もう少し太るにはどうしたらいいんですか?
それが貴方の希望ならばワタクシはヨロコンデ応えたい、と思うのですが、どうすればいいのか、さっぱり分からないので、いろいろとムズカシイところです。
お盆が終わる日は、いつも名残り惜しくて寂しかったワタクシですが、やっぱり今もそうなんだなぁ。なんか寂しい!
それは、お盆の期間はあの世にいるヒトビトの気配をしばし感じ、ワタクシは今世での関わりが短すぎた母との交流をしているからかもしれない、と思ったりもするのです。
来世では、もっと関われますように。
本日は特に長文、それも支離滅裂で失礼いたしました。
これもお盆の最終日、お許し下さいませ。