一晩たって、少し頭を冷やしたら、少し空しい気分が湧いてきました。
自分がいくら熱くなっていても、自分とは別のヒトの心とか気持ちというのは、どうすることも出来ない、ということが分かるからです。
自分の望むところとは違っても、自分にとっては納得がいかないことでも、大切なそのヒトの意志を尊重し、受け入れること、そして支えること。
誰の人生においてもそうだと思いますが、なぜ自分の身辺や周辺にこういうことが起こるのか?なんでこうなる?どうして今、こんなことがある?この展開は一体何??などなど、そういう思いもよらないことの繰り返しで、その度にワタクシのような未熟者は混乱したり、落ち込んだり、たまにはヨロコビ時には酔狂、そんな暴れ馬のような心に振り回されてしまうのです。
そんなロデオな日々を経て思うことは、自分に起こる出来事、自分と縁があるヒトビトは、いつもある一つのことを教えてくれているのだ、ということ。
エゴイズムを越えていけ、ということ。
それは長く険しく苦しい道のりかもしれないけれど、途上で多くの喜びや、実りも確かに与えてくれる、ということが、うすうすと、分かってきているのです。
だから、空しいなどと、思う必要は、ないのだけれど。
さて、今日は日曜日、コータローが「ゲゲゲの鬼太郎」を見ているから、ワタクシも鬼太郎さま、でも拝みますか。
鬼太郎さまはワタクシの初恋のヒト(妖怪か)。相変わらずカッコいいなぁ、と、そのお姿を見るたびに、そう思います。
現代風になったけど、「ゲゲゲの鬼太郎」は、なかなか奥が深いのですぞ。