今日は、どうにもこうにも「やさぐれ感」が抜けず、気力が湧かないのですが、ワタクシは昨日の「木ノ口かたし」には昼過ぎまでしかいなかったので片付けなどはできなかったし、さらに「夜の部」も賑わっていたため、今日は流しにも卓上にも本当に山と積まれた洗い物があって、それが今日のワタクシには本当にありがたい、と思いました。
なぜかというと、それらを片付ける仕事というのは単純で、成果がすぐに見えるし、片付くとそれだけでいくらかスッキリとした気分になるからです。
その片付けの途中でしたが、こちらもワタクシが所属している地域の合唱団の仲間が昨年亡くなって、初盆であったことからお参りに行ってきました。
そして、そこではお線香をあげた後、合唱団の仲間たちとモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」という歌を一曲歌って帰ってきました。
その方の遺影が、その方らしい良い表情をしていらして、本当にまだそこにいるような気がしたのでした。
その場でワタクシは、そこに写っているのがもしかして自分の顔で、こうして合唱団の皆様に来てもらったとしたら、一体何の歌を歌ってもらいたいだろうか、などということを考えたりしました。
そうでなくても、例えば葬式の時などに流す音楽とか。
それは、決まっているんです。
ワタクシは断然シューベルトです。
「An die Musik 楽に寄す」と「菩提樹」は絶対、あとはまだこれから考えようと思います。
今日のNHKラジオの「音楽の泉」という番組ではシューマンの曲をやっていましたね。どちらも「シュー」がついて、ロマンティックな曲が多い2人ですが、ワタクシは圧倒的絶対的にシューベルトが好きです。
歌曲というのが、やっぱりいいのです。
そして、ずっと前に「未完成交響楽」という古い映画(1933年)を見たのですが、これがもうすごく良くて、この中のシューベルトが素敵すぎて、肖像画などから想像してみるに、おそらく本物より素敵だと思うのですが、映画の方の姿でシューベルトを考えることにしています。
どういうところがいいかというと、まず姿勢。自分が姿勢がよくないせいか、ないものねだりで、立ち姿が美しいヒトには、それだけで惹かれます。そして少し不器用そうな雰囲気、外せないのは眼鏡。スッと立って眼鏡をかけたヒト、というのにからきし弱い。
そしてもちろん音楽の才能。
本人にとってはヨクナイでしょうが、生きているうちにはそれほど評価もされず恵まれなかったことや短い生涯、というのも何故か魅力的に映るのだから勝手なものです。
とにかく、このシューベルトの歌曲をいつかは合唱団で歌わなければ、ワタクシが死んだ時に歌ってもらえないですから、歌っておきたいものです。
しかし、普通に順番通り、と考えると、ワタクシがぞのように歌ってもらう頃までいるヒトが、今のところ少ないような気がするので、それもどうにかせねばなるまい。
やさぐれている場合ではないノダ。
さて、片付けの続きをしますか。
そして今日は定期演奏会の打ち上げ。
それまでにはなんとか気をとりなおして参加しよう。