小心者の日常

少し前のことになりますが、ニュースで、確かニュージーランドだったかな、海洋のゴミとなって生物に悪影響を及ぼすことからレジ袋の使用を禁止するか、今後その方向に持っていく、ということだったか(うろ覚えでスミマセン)とにかくそのようなことを聞きました。

このレジ袋については、ワタクシは一人暮らしを始めた学生の頃は、当然のようにあまり貰わないでいました。その時、買い物するのは大学の生協が多くて、前にも書いたように、この生協のレジのお姉さま方はことごとく全員が感じの良いヒトばかりで、「袋はいいです」とワタクシが言うと、「ありがとうございまーす」と実に気持ちよく対応して下さるのです。

それで、特に何も感じないで、それが当たり前と思っていたのです。

ところが、これが大学の生協ではなく一般のお店だと、時々ストレスを感じる、ということが分かりました。

何故かと言うと、生協のヒトビトみたいに気持ちの良い対応をしてもらえるとは限らない、というより、なんかムッとされているように思える対応のこともあったりして、そうすると何かこちらが手を煩わせているような気持ちになってしまったりして、そういうちょっとしたことでメゲることになる。

あ、でもめったにないんですよ、特に何も気にしてない対応が殆どですが、そういう不機嫌そうな方にたまに当たったりすると、たったのそれくらいのことでもワタクシには少しずつ、じわじわと、何か気持ちが萎えていくような心持ちがしてきたりして、レジ袋を断るのが面倒になってしまって、まぁいいや、ということになっていってました。

しかし、そのニュースを聞いてからは、やっぱりなるべくもらわないでおこう、と単細胞のワタクシはまた思うわけです。

でも、いつもそこまで徹底しているわけではなくて、もらったりもらわなかったり、です。というのも「木ノ口かたし」では、マイバッグを持って来て下さる方も多いのですが、誰かがため込んでいたレジ袋をわざわざ持って来て下さったものを再利用したりもしているので、気力がなくて断れなかった時は、ま、いいか店でもう一回使うし、と思って自分をナットクさせるのでした。

このレジ袋にも品質の良し悪しが店によって違うので、こことここのお店のレジ袋はすぐに破れるから、そこのはもらわないようにしよう、などとも考えるわけです。

ところがそれもメゲてしまうこともあります。

なのでワタクシはなるべく優しそうなヒトのレジに並びたい、と考えるのですが、それも順番ですからどうなるか分からない。しかも本来は優しいヒトでも忙しすぎたり、体調が悪かったりすれば、ぶっきらぼうになることもあるだろうし、そのように考えればいいだけの話なのですが、このヒトは大丈夫、と思っていたのが、ぶっきらぼうだったりすると、ドッキリしてしまって、なんか挙動不審になってしまう。

ホントにたったのそれくらいの事で、どうしてそんなにドエラく緊張してしまうのか、と思いますけど、その言い出すタイミングというのがまるで長縄跳びに入る時みたいな気持ちになってしまうのだから仕方がない。おおばんげな(注 五島弁で大袈裟な、という意味)!

そのように挙動不審になるくらいなら、もう次からはレジ袋をそのまま貰えばいいじゃないか、と思うのですが、そうもいかない自分、なんてメンドクサイんでしょう。つまらないことにこだわっているような気持ちにもなるし。

しかし、都会の方ではこのレジ袋が有料化しているみたいですから、その流れが来ると随分と気分的にラクになるなぁ、と思ってますが。


ワタクシは自分も一応、店員であるからして、いろいろなところで、ついつい店員さんを観察してしまうのですが、よく行く地元のスーパーには、大学の生協の店員さん並みの明るさと気立ての良さで、実に気持ちの良い対応をして下さる方がいて、ワタクシなどはいつも見習わなくては、と思って見ています。

その方はワタクシが袋をいつも持っているから「袋はありますか?」と自分の方から聞いて下さる、スーパー(スーパーマーケットの、という意味でなく)店員さんです。

気持ちが良い対応をしてもらえると、本当にそれくらいのことでワタクシは心から安心して嬉しくなります。なので、袋を忘れた時は「あ、今日はないです。」と緊張せずに言える(コドモか!?)のです。

なので、その地元スーパーには特別にこれを買わなければ、というモノがなくてもついつい寄ってしまったりする。そう考えると、このような店員さんはお店の宝ですな。実を申しますと、それ以外にもそこのお店は2割引き、3割引きとかケチなことは言わず、潔く半額になる、という良いところもあるので行く、というのもあるのですが。そっちも重要でした。たはは。

このように、小心者の日常はたかが買い物一つでも、実に様々な感情が胸に去来してその日の気分に影響したりするわけです。いいのか悪いのか、わが家は小さいながらも商売をやっているわけなので、普通の家よりは圧倒的に買い物が多いので、そのような機会も自然と多くなる、というわけ。

だがしかし、このワタクシの殆ど神経症的な(?)ところも、悪いことばかりではない、と最近は思えるようになりました。それは、どんなヒトのどういう態度に対しても、その背景、というものを考える訓練になるからです。

例えば不機嫌なヒトに当たったとしても、ワタクシはこのヒトの日常ってどんななのかなあ、と考えたりするわけです。そうすると、もしかしたら、更年期がひどいのかも、とか、家では介護とかでタイヘンなのかも、などなど何か事情があってこうなのかも、と思えます。

まぁいちいち勝手にヒトの事情を考えるというのも妙な客、ということになるには違いないのですが、お店のヒトを人間とも思っていないような横柄な態度のお客よりは、ずっといいんじゃないか、と自己弁護しておきましょう。

そもそも都会では、ヒトが多すぎて、人間と人間との対応、という感じでもないのかもしれませんが。

そうそう、前から書いてますが前の「かたし」から今の「かたし」まで、そんな横柄なお客さんなどは全然いませんで、感じの悪いヒト、というのがそもそも来ないのです。

だから店員(ワタクシのことだけど)のスキルが向上しないノダ、ということは、常々思っておりまする。

本当にコマッタもんだ。

というわけで(どういうわけだ)、他所の店員さんも観察しつつ、より良き店員となれるよう、日々精進いたします!?







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by sanahefuji | 2018-09-05 06:40 | 雑記 | Comments(0)