出会ったものは別れるもの

北海道で大きな地震があって、大変なことになっていますね。停電が続くと本当に大変です。

ワタクシは遠くにいて何も出来ませんが、早く復旧してくれることを願うばかりです。

北海道の帯広に住んでいる5年の間にワタクシは震度5を2回経験したことがあります。北海道は大きな地震がけっこうあるのです。でも、今回が一番大きいのかもしれません。

避難所情報などで、なつかしい北海道の地名がたくさん出てきましたが、こういうことで聞くのは、複雑な気持ちです。どうかどうか皆さまご無事で。

北海道については、ワタクシにとっては「なつかしい」、というよりは、「恋しい」というのがふさわしい、憧れて憧れて、夢に見た場所、北海道。住んでみたら、それは本当に憧れたそのままの素敵な場所で、ますます好きになった北海道。その空気も光も季節も景色も食べ物もヒトも、全部大好きだった北海道、今でもやっぱり大好きです。

そんな北海道が今、大変なことになっているけれど、何も出来ないワタクシは、そんな北海道で出会ったオキノのことを考えています。

なぜなら今日はオキノの命日だからです。

もう何度も書いているけれど、オキノは、わが「うとん山農場」にいる牛のモモカのもともとの飼い主です。

オキノがいなくなって、もう何年たつのか、ということは、天皇家、秋篠宮家のご長男が何歳になったかを考えれば分かるようになっておりまして、ワタクシたちはひそかに(でもないけど)、オキノは天皇家に生まれ変わったんじゃんねーと言っております。

その天皇家のご長男は、今年12歳、ということは12年。

随分と時間がたったものです。

オキノヒロシはもともと夫の親友で、学生の頃は学年も研究室も違ったし、ワタクシとはそこまで接点はありませんでしたが、たった一つだけ相通じるところがありました。

それは、ワタクシが心酔していた倫理と哲学の先生の授業をオキノもかなり力を入れて受けていた、ということです。酔っぱらうと、いつもそのようなムズカシイ哲学の話なんかをしてたっけね。

ムズカシイ哲学の話をする割にはオキノヒロシはちゃらんぽらん過ぎて、何を言っているのか訳がワカラン、ということも多かった。ホント、今考えても笑えるくらいに訳が分からなかったけれど、そんな話をするのは楽しかったなぁ。

そんなオキノが時々寄こしてくる手紙は、そのような、やっぱりよく分からない何か哲学的なのか、詩的なのか、まぁホントに意味が分からないようなことが、短く書いてあったりして、それは汚い字と共に、いかにもオキノらしかった。

ところが、そんなオキノが、いよいよ死が間近に迫った頃に書いてくる手紙は、本当に本当に素直で分かりやすい、心情が綴られているものに変わっていきました。

死を前にすると、人間はこんなに素直になるんだ、ということをオキノが教えてくれました。

人並み外れてシャイだったり、ひねくれていたり、虚勢を張っていたり、見栄を張っていたり、本心を隠していたり、その他いろいろ、人間というのは素直になれないまま生きがちなものでありますが、出来ることなら、早いうちに素直になれたら、その方がいいのではないかしら。

素直な心情を、いつもいつも大切なヒトに伝えながら生きていけたら、いいのにな。

出会いがあれば、別れは必ず訪れるものだから。

オキノよ、今日はうちに来なかったのか?









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by sanahefuji | 2018-09-06 23:13 | 雑記 | Comments(0)