調和の美女とチラリズムの海

昨日、一昨日と提供した「イノシシカレー」、ワタクシは「木ノ口かたし」の飯炊き女としてカマドで米を一回につき三升炊いただけですが、両日とも完売したそうです。ヨカッタヨカッタ。

しかし、一度に三升の米が炊けるカマドや羽釜ってスゴイですね。薪さえあればいいんだから。

週に一度、土曜日の飯炊き修行のおかげで、もうドギマギせずに「米、三升?、あーいいよいいよ。何時までに炊いておけばいいの?6時ね、ハイハイ。」という具合に、まるで炊飯器のタイマーでもセットするくらいの気楽さで引き受けることができるようになりましたよ。飯炊き女の道を確実に歩いておるワタクシです。

あ、しかし、明後日の「木ノ口かたし」は台風のため、休業せざるを得ないようなので、カマドの飯炊きもお休みですね。台風25号、かなりヨクナイ感じです。あの甚大な被害をもたらした台風7号と同じような場所に五島が入ってしまうので。

今回の25号は危ない感じなので、過ぎた後に、屋根の大規模な改修工事をしなければならないかも、と話しています。改修不能なくらいに壊れないことを祈るばかりです。もちろん出来る範囲の対策はやらねばなりませんが、もう来てしまったら手も足も出ないので、みんなが無事なら御の字、と思うしかありません。

さて、昨日は中学生の駅伝大会もありました。しかし昨日は台風前の最後の晴れの日で、ワタクシはどうしても遅れに遅れている畑の作業をしなければ!と思っていたので、応援をどうしようか悩みましたが、最初にある女子の部だけは応援に行くことにしました。サトも選手として選ばれていたし。

コースが分かりにくくて、あちらこちらに移動しながら走ってくる女子たちを応援しておりましたら、その時に、かつてこのブログにもチラッと書いたことがある、五島における熟女部門第一位(ワタクシの中ではね)の美しいヒトがそこにいて、やはり応援をしていたのです。

その美しいヒトに出会ったのは、ワタクシが五島に来てまだ間もない頃ですから、17年くらいは前なのですがね、その美しいヒトは当時も今もまるで変わっていなくて、その驚異的な変わらなさ、というのがスゴイのです。

おそらくもう還暦もとっくに過ぎているに違いなく、お孫さんもいる、がしかし、その美しさはその辺の若い女のヒトビトよりも圧倒的な光を持っているようにワタクシには見えるのです。

それで、応援をしつつも、子供たちが走って来ない時には、ついつい目でそのヒトを追ってしまう、という、まるでその方に気がある男のようになってしまうワタクシなのですが、美しい、と思うものに抗うのはムズカシイですからな、仕方のないことです。

そして思ったのが、そのヒトは何故、あのように圧倒的な美しさを保っているのか、ということを是非とも検証しなければならない、ということです。

応援の合間、という短い時間に観察したワタクシの一考察をここに記しておきましょう。

ヒトの美を作るものは何か、と言った場合、顔立ちが美しい、というのは、まぁもちろんなのですが、ここ五島は顔立ちが美しいヒトは非常に多い、それもいろんなタイプの美しさがある、ということはワタクシのみならず、多くのヒトが言っていることでありますが、美人というのは顔立ちの美しさだけではない、というのがワタクシの見解です。

ちらちらとその方を見ていて、気がついたことは、やはり立ち姿の美しさです。姿勢がすごくいいのですね。それも、ズバ抜けている。そして、美魔女などというヒトとか、何か化粧品などのコマーシャルとかで「エッ、○○歳には見えませんね!」などと言われているヒトと違って、作っている感じ、年に抗っている感じ、必死な感じが一切ない、ごくごく自然に若さを保っているように見える、ということです。

実際、その方は今も仕事や家族・親族のために本当にいつも忙しく立ち働いていて、自分のために、そこまで労力やお金を注ぎ込むことなど考えてもないだろうし、またその余裕もないであろう、働く婦人なのです。

そのような精神のバランスの良さ、というのも重要なのですな。

そしてワタクシの結論としましては、美は調和である、ということです。全体的に均衡が取れている、ということがヒトに何か良い感じを与えるのかもしれない、と思います。

と、そのように結論付けて、さて、応援応援、きちんとアンカーのサトまで見届けて、ワタクシは坂の上にある競技場を後にしたのでした。

その帰り道、坂の上から車を走らせると、街並みの向こうに海が見えるのです。坂を下っていくと、それはすぐに見えなくなります。その間、ほんの何秒かのこと。

昨日は気持ちの良い秋晴れで、その街並みの向こうに一瞬だけ見える海の色が、それはそれは美しくて「ハッ」としました。あ、写真に撮りたいと思いましたが、車ですから急に止まるわけにもいかず、すぐに通り過ぎてしまいました。

五島で暮らしていると、自分の生活圏にこういう場所がいくつかあります。少し高くなっている所で、街並みの向こうに海が見えるのだけど、その道を下がっていくと見えなくなる、というような。移動は車ですから、それはほんの一瞬だけ見ることが出来る海、なのです。

五島にいれば海はどんな海でも、例えば360度海、とか、景色全体が海とか、迫ってくる海を見ようと思えばいくらでも見ることができますが、しかしながらワタクシが最も好きなのは、この日常の合間に一瞬だけ見える海、なのです。

「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。(花は真っ盛りに咲いているものだけを、月は少しの曇りもないものだけを見るものだろうか、いや、そうではない。」などと兼好法師も言っておりますが、ワタクシもそのクチなのですな。

それは、まともに正面から顔を見ることが出来ないヒトを、チラリ見た横顔の顎の線、無口なヒトがたった一言だけ言った殺し文句、例えて言うなら、そのようなものと同じものなのか、心にいつまでも残るものです。

美しいヒト、昨日の海の青。

五島の暮らし、なかなか良いです。

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今年は、今時期に例年以上に何もない畑。昨日せっせと鍬で耕して、やっとこれだけ、種をまいたり、苗を植えたりしました。貧弱すぎてお恥ずかしい限りの家庭菜園。なんだかんだ忙しくて畑にハマることが出来ないワタクシ。でも、出来る時に出来るだけ、やっていこう、と思います。これからも。





















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by sanahefuji | 2018-10-04 23:11 | 雑記 | Comments(0)