新しい年が始まって、最初の「土曜日開店 木ノ口かたし」、新しい年にふさわしい、お年玉をもらったような、いや、宝くじでも当たったような、いや違うな、そんなたまたま得たラッキーなこと、ではなくて、四苦八苦しながら青息吐息になりながらも、計画性も何もなく、しかしながら自分の中から湧いてくる何かに従って始めた前の「かたし」から、今の「かたし」を続けてきたことへの、ご褒美のような出来事がありました。
昨日のお昼頃にお客さまがありました。
時々来て下さる、近所の児童養護施設の先生と見知らぬ一人の青年。
いや、見知らぬ、と言ってもその青年、どこかで見たことがあるような気がするけれど、分からない。こちらを見て笑みを浮かべるその顔、どこかで見たような、でもやっぱり分からない。
「エイジさんにご挨拶に来ました。」と言うので、料理を終えて家に引っ込んで子供たちと「まんぷく」を見ていた夫を、「先生がご挨拶に来てるよ」と呼んできました。
夫がやって来て、ニヤニヤしている先生。ニヤニヤしている青年。
夫もその青年が誰だか分からない様子。
しかし、ワタクシの方が先に気がつきました。
「ダイゴ!?」
成人式を迎えて、同級生たちとの集まりに参加するために長崎からやって来て、施設に泊まっている、ということでした。
何かあると施設を抜け出して、うちや「かたし」に来ていたダイゴ。その度に先生を心配させていたダイゴ。
そんなふうに「かたし」にやって来て、ダイゴはいつまでも遊んでいました。そうやってダイゴが「かたし」に入り浸るのをよく思わないヒトがいて、それに対して、その時ワタクシは本当に苦しみました。そういう子を少しでも「特別扱い」してやるのが「かたし」の役割だと信じて疑わなかったから。
でも、それは「店」としての常識から外れるとか、他のお客さまの迷惑になる、というようなことを言われたり、その子にも一般常識を教えないといけないと主張されると他の「かたし」のメンバーは黙ってしまい、一応、頼りないながらも代表であったワタクシは、本当に本当に苦しい対応を迫られました。
そんなことも思い出したのでしたが、でも、それは全く忘れていました。そして、もう終わった苦しみでした。
何故ならダイゴの表情は、ちゃんと働く男の顔、になっていたからです。
本当にしっかりとした顔になっていて、だから誰だか分からなかったのです。
小5まで近所の施設にいたダイゴは、ある時とつぜん本土の施設に移ってしまい、それ以来全く会っていなくて、どうしているかも、その「かたしのお昼ごはん」に訪ねて来て下さった女のヒトから、ちらっと聞いただけで全く知りませんでした。
聞けば、その会っていない期間は決して平坦なものではなかったようです。精神科に入退院を繰り返していて、勉強も全く分からなくなったために高校にも行けなかったとか。
「で、今は何をしてるの?」
と聞くと、「コンビニで働いてます。」ときっぱり答えました。
もう2年も働いている、とのこと。
そのように答えた時の声や表情からも、彼が責任を持ってきちんと働いている様子が窺え、ワタクシは本当に嬉しくて、安心しました。
「エライエライ、偉いよ、ダイゴ。」と、ワタクシは思わず言いましたけれども、それは本当に心からそう思うからです。
というのも、ワタクシ自身、いろいろとアルバイトとかパートなどで、そのような「普通の」お店の店員とかレジとか裏方とか、そういうのもやったことがあるのですが、ものの見事にどれも続かなかったからです。
もともとの不器用さに加えて、人間関係を築くのが下手だったり、妙に傷つきやすかったり、はたまた、いろいろ考えすぎてしまうが故に、もう無理、ということになる。その度に、あー自分って何をやってもダメなんだなぁ、と思い、自分はこの現代社会の落ちこぼれ、あるいは不適応人間なんだな、と悟ったりしたものです。
だから、その現代社会でちゃんと働ける、ということはスゴイことです。普通に働くヒトビトを本当にワタクシは尊敬しています。
ダイゴが、そんなふうになってくれてヨカッタ、おばちゃんは嬉しい!とホントに身内のように、そう思いました。
世の中の流れは目まぐるしくて、あまりにいろいろなものが高速で変わっていくものだから、ワタクシなどは、ついていくのが難しく、そして、ボケーッとしていても周りが優しかったり、あるいは甘やかされていたりして、その現代社会不適応のまま、まぁなんとか生きていて、いろいろなことが分からないまま、こんなちっぽけで、わがままな店をやっていてもいいものか、少しくらい「現代風に」変わらないといけないのではないか、と思ったりもするのです。時々。
でも、別に、「普通の」「現代風」の店なら他にいくらでもあるし、万人が必要なものは今やネットででもどこででも買えるんだし、このちっぽけな「かたし」を本当に必要としてくれるヒトビトのために、今まで通り、やっていってもいいのかな、と。
今年最初の「かたし」の日、そのようなことを思いました。
先週の土曜日は「かたし」を休んだおかげか、昨日は早朝の準備段階では実にテキパキ動けました。やっぱり休むことは大事ですね。
そして昨年の冬至に向かう、光の量が少なくなる時期に、ワタクシはとある原因もあって、相当にウダウダしましたけれど、一旦もう谷底までいったかな、というくらいまでいって、冬至も過ぎて光も増えてきたことから後は昇るのみ!という気にもなってきました。
世間から2年以上遅れて「君の名は。」の歌にハマったと書きましたけれど、これもそのワタクシのウダウダ解消に非常に良い効果をもたらし、RADWIMPSさまさま、といった感じです。
歌詞がまた、いいですなぁ。このヒトの言葉の選び方がワタクシはすごく好き。詩人ですね。
今年の目標は、その中にあった、じつに素敵な言葉「美しくもがく」ということに決定。
いろいろなことに溺れたり、もがいてばかりのワタクシ、溺れることも、もがくことも、もう仕方がない、でも「美しく」という言葉をそこに付け加えたら、なんだかそれは美しく生きられるような、そんな気がするではありませんか。
今年も「美しくもがくよ」。