昨日のお店が終わってから、ナンテコッタな失敗をしていたことに気がつきました。
寝坊もしなかったし、ボンヤリもしていなかったし、調子よく準備も出来ていたのに。
そんなふうに調子が良い時にでも、失敗ってやっぱりするものです。久々に、ウダウダと引きずりそうになりましたが、もうそれは仕方がない、次から気をつけよう、と線を引き、さっさと寝ることに。
最近、というか、昨年からワタクシはある実験をしています。
それはこの間、立ち読みをした本の題名、「答えは自分の感じた中にある」という、コレをことあるごとに、そして可能な限りやってみよう、という実験。
この本を立ち読み(立ち読み立ち読みって失礼ですね、ホント申し訳ない!)する前、昨年からそのようなことは感じていたのですが、それがそのまま題名になった本が目の前に現れたので、少なからずビックリしたワタクシです。
ワタクシは、ふっと自分の中に浮かんできたことを、何も考えずにそのままやってしまう、ということが以前はよくありました。そしてそれはいつも、良い結果をもたらしていました。
そして、そういう時代の自分は今思うに、すごく元気だった、のです。
でも、それが出来なくなったのは、多分それは自分で頭だけで、しかし真面目に考え続けた結果ではあると思うのです。
それが結婚して生活してきた期間と重なっていました。おそらく真面目に、妻とか母とか、そういう女のヒトは、こうしないといけない、こうでなければならない、と、必死でその通りにしようとしていたのです。それは、現実の母や妻、というものが家庭でどういうふうに生きているのか、ということを子供の頃に見ていない、そういう存在が空白だった、ということとも関係あるかもしれません。だから頭で考えるしかなかった、ということもあるのでしょう。
随分とそれは険しい道のりで、回り道をしてきました。
表面上は何も問題ないように、上手くいっているように見えていたかもしれないけれど、もう破たん寸前、というところまで、昨年追い詰められました。これは自分の中だけで起こっていたこと、ですけれど。
そこまで追い詰められないと、変えようとしないのが人間というものかもしれません。
このままでは体が死ぬ前に、精神が弱っていって先に死ぬ、と思いました。
それで、以前は得意だった(?)、自分が感じたままに動く、思ったことを即やってみる、ということで、弱っていた精神は生き返るのではないか、と思ったのです。
それは、予想以上に良かったです。
あ、前はこんな感じだった、というのを、どんどん思い出してきました。
元気だった頃の自分は、こうだった、というの。
そしたら、ちょっとしたことが面倒でもなくなって、土曜日に朝早く起きるのも、冬の寒い日でも、そんなに辛いと思わなくて、なんだかワクワクする気持ちの方が勝っているような、そんな感じ。
昨日、あ、窓が汚れてるから拭こう、と思って、外に出て、窓拭きしたら、すごくキレイになって、この透明の窓ガラスを入れた時の、いつまでも外を見ていたいような、ニンマリと「ほくそ笑む」のが止まらない、という気持ちを思い出したりしました。
「木ノ口かたし」の窓は、全部が全部、どこかの現場から持って来てもらったもので、枠もガラスもマチマチのバラバラ、ここの窓は磨りガラスでした。それで、景色は見えなかったのです。
でも、新しい透明なガラスを入れてもらった日、それはそれは嬉しくて。
そんな初々しい気持ちを思い出しました。
そんな気持ちを忘れて暮らすようでは、果たして生きていると言えるだろうか。
それは絶対に自分で守らないといけなかった気持ちだったノダ、と、死の淵で(大袈裟だけど、それくらい)思いましたる昨年は、本当にワタクシにとって転機となりました。
いつもいつも、窓を磨こう。
外の世界の光が、内に入ってくるように。
さてさて、そんな昨日の「かたしのお昼ごはん」は、
・ブリと大根の煮物&水菜のお浸し
・サツマイモとアオサの天ぷら
・大根の皮と糸コンニャクとチクワとニンジンのキンピラ
・白菜とニンジンの浅漬け
・卵焼き
・白菜とタマネギと薄揚げの味噌汁
・カマド炊きごはん
・長野のリンゴと胡桃のアーモンド風味ケーキ
でした。
しみじみ、美味しい「かたしのお昼ごはん」を皆さまも、ぜひ食べに来て下さいね!
窓を磨いて、お待ちしております!?