2月の初めに太古丸に乗ってやって来た、ピヨピヨたち、1か月たってこれくらいの大きさになりました。
ぬくぬくと電球の下にいるのは10日から2週間くらいのもので、後は、こちらに移動。
一つの箱に15羽くらい入っています。エサはオトナの鶏と同じ生ゴミの発酵飼料+米糠・玄米・草などなどを与えます。
もう少し大きくなったら、オトナの鶏のいる鶏小屋を仕切って、若鶏コーナーを作り、そこに放し、その後ようやくオトナたちと一緒にします。その頃にはもうだんだんと卵を産み始めるようになっている、という寸法です。
前にも書いた通り、それが卵の少ない11月頃になる、ということなのです。今年もまた思惑通りいって、冬の間も卵があんまり少なくならなければ良いのですが。
まぁしかし、しばらくは爆発的に卵の溢れる季節が続きます。もう本物の春、なんだなぁ。
今日は夫がタバコの植え付けのバイトを頼まれて、朝早くから行ってしまったので、ワタクシが鶏小屋の朝のお仕事をしてましたけど、ピヨピヨピヨピヨと騒がしいヒヨコたちにエサをやったり、生ゴミを混ぜたり、卵を集めたり、というような汚れ仕事というか、このような作業というのが、ワタクシはとっても好きなんだなーと思ったことでした。
犬・猫・鶏などなどに接する時って何も気にしなくてもいいし、言葉はなくてもなんとなく通じる、というような世界は、ワタクシにとっては昔馴染みの心地いい世界です。
その点、「木ノ口かたし 夜の部」の「夜の女」などは、実にムズカシイ。人間というのは、ある特別な関係でもない限り、言葉がなければ意思疎通ができないし、言葉があったにしたって、本当の心、というのが、どこにあるかがよく分からないことも多いからです。
それは、一人一人が、ものすごく違うからなのだと思います。ほんとにまぁ、どうしてこんなに違うのか、というくらい。
でもだから面白い、ということもありますよね。
昨日の「夜の部」では割と生ビールが上手く注げたので、ワタクシはそれだけでもヨカッタヨカッタよく出来た、と安心しました。
このように、人間界だとどこまでも低レベルなのですが、今に人間界にいても動物たちと一緒にいるくらい落ち着いていられるようになるんじゃないかな、と最近ワタクシはそのように感じるようになりました。
「桎梏の綱」から解放されると同時に、長年の緊張性からも解放されて、どこにいても本来のボンヤリとしたワタクシでいてもいいのだ、と思ったりしているからです。
先週ワタクシは「自分の一番の願いを諦めてはいけなかった」ということを書きましたけれど、その一番の願いに対してだけ真剣に向き合えば、後はもうどうでもいい、と言う言葉だとチト乱暴ですが、後は何も、ホントに何も気にすることはない、ということがよく分かったのです。
そして実はその方が(何も気にしないでいる方が)、いろいろなことがすんなりと上手くいくし、そこからやっと本当に物事に取り組めるようになる、ということも。
このことは順を追って、いつか詳しく説明できる日も来るかもしれませんので、その時は分かりやすく、しっかりと書きたいと思います。ワタクシの身に起こった出来事を。
明日の「木ノ口かたし」も楽しみです。
どうぞよろしくお願いいたします。