昨日の「昼の部」の団体様、けっこう嵐のような感じでした。「夜の部」と違って「昼の部」は時間が短い分、通り過ぎるのが早いので、そう感じるのかもしれません。
その片付けも後回しにして、確定申告に行きました。そうして、やっと終了しました。
膨大なレシートを仕分けて出した数字、とか、売上を計算して出した数字、というのが、ほんとにいつもとあんまり変わらない、とワタクシは感じるのですが、でももちろん同じではないわけで、よく見れば違っているのです。その違いから、いろいろな傾向とか対策を読み取ることが出来てないだけ、ということなのかもしれません。
数字に対して、おそろしく「ざっと」してるんですね。方向音痴と言いますけど、それもワタクシは当てはまるのですけど、数字音痴、という言葉があれば、そういうことなのでしょう。
本当に数字から何か意味を見出すというのはムズカシイ、と思います。例えば偏差値、などというものの、ワタクシはもう何回説明されても、どうしても理解することが出来なかったので、偏差値がどうとかいう意味が全く分からないのです。
子供の成績なども点数がどうなった、とか、特に気にすることでもないように思えてしまって、いつも成績表の保護者の感想欄に何を書けばいいのか迷います。
でも、わが家の子供たちは割と真面目で、ワタクシなどから見れば細かい差などは、やはり確定申告の数字と同じくらい分からないためか、いつもタイヘン良いように思うのです。そして授業を受けたり真面目にテストを受けたり出来るだけでもエライなーと思います。単なる親バカなんでしょうが。
そして今日は、中学校の卒業式がありました。
後ろで座って見ていると、中学生は可愛いなぁ、と思ったことでした。なので、涙よりは笑みがこぼれました。ホントにみんなカワイイ。
教室で、一人ずつ一分間スピーチというのがあって、いろいろ発表しているのを聞いて、普段ワタクシが子供たちから聞いている話と何か食い違うというか、ちぐはぐな感じも受けたりして、この違和感の正体はなんだろうと考えていて、ワタクシはタイヘン重要なことを発見した、というか、こうした方がいいんじゃないか、ということが浮かびましたので、それを書いておきたいと思います。
学校では、よく何につけても感想を言ったり、意見を言ったりさせますよね。
でも、それって簡単なことではありません。すごく難しいことなのです。だからまぁ訓練のために言わせたり、書かせたりするんだと思います。
しかし、そこで重要なことを先生は教えないのではないか、とワタクシは思いました。
それは、本当に思ったことを言ったり、書いたりする、ということです。
それが難しければ、「心にもないことは言わない、書かない」ということを徹底させる、とか。
その訓練ができれば、大人になった時、例えば今日のような卒業式で話す時、あるいは誰かに言葉を贈る時、本当にヒトに通じるものが言えたり、書けたりするのではないか、と。
もちろん、ワタクシもそういう訓練は受けていないので、そういうことが上手く出来ません。それは損失だなぁ、と感じるからです。
例えばワタクシたちが学校で田んぼの授業とか、いろいろやった時に、先生方が子供に感想を言わせたり、何かお手紙のようなものを書かせて下さったりするのですけれど、それが、だいたいは子供が「こう書いた方がいいだろう」と思って書いているもので、本当に思ったこと、というのが実に少ないのです。
だから、その気を使ってくれる気持ちは嬉しいし、わざわざそのようなことをして下さっている、ということに対しては恐縮でもあるのですが、別にそれは無理に書かなくてもいいんじゃないか、と思ったりします。表現できなくても、心に残っていること、というのが絶対にあるはずなのだから。
本当に思ったことを書く、自分の気持ちを書く、というのは、何度も言うように簡単なことではありません。だから簡単に書かせてはいけないのかもしれません。
でも、そのような感想の中で、時々すごく面白い部分があったりします。それは、その子が本当に思っていることを正直に書いた部分だからです。どうせならワタクシはそういうのを読みたいな、と思います。子供から、そういうことをどんどん引き出すことができたら、それはホントに素晴らしい指導ではないだろうか。
テストの点数などの細かいことは分からないワタクシ、勉強についてなどは何も言ったことはありませんが、子供たちが例えば色紙などに何かを書こうとしている時には「心にもないことは書くな。」ということだけは言います。
それは、短時間でいろいろなヒトに何かを書かなければいけない時には、難しいことかもしれません。
でも、それだけはどうしても言いたいのです。
春、別れの季節に。