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どうでもいいようなことですが

昨日の卒業式で、またまたワタクシが再確認してしまったことがありました。

それは、「良い校歌」というものは、どういうものか、ということです。

校歌というのは、学校の式典では必ず歌われるものですから、これは絶対に歌いやすくなければならないのです。

であるからして、一番重要なのはその音程である、ということです。

歌詞というのは、どこの校歌でも似たり寄ったりなものです。というのも、この日本の気候風土とか自然というのが、細かい差はあっても、山があるとか海があるとか川がある、とか、そういうことは同じだし、ヒトビトの子供に対する願いなども、そうそう違うものではないからなぁ。

だから音程、というのを最も重視しなくてはならないのですね。具体的に言えば、音程を男も女も地声で歌うことが出来る範囲に収める、ということです。

これがですね、わが子供たちの学校の校歌ではなってない。途中でメチャクチャに音が高くなって、裏声に切り替えなければならなかったりする。これはいただけません。

子供たちも「歌いにくい」と不平不満を口にします。当たり前なのです。

歌いにくい校歌は愛されません。何故なら大きな声で歌えないからです。

ワタクシの通った小中高の校歌を考える時、小学校と高校の校歌は歌いやすかった、それ故、今でもよく覚えていて、歌うこともできるし、そして何より「いい校歌だったなぁ」と思うのです。

中学校のは、歌いにくくて、殆ど歌えなかったから、覚えてないのです。

校歌というのは単純なのがいい、ということです。

それでもワタクシはオトナになったのでコドモのように不平不満は言わず(言ってるか)、しかも合唱団ですから、歌いにくい校歌でもなんとか歌おうと努力します。しかしその度に、ああ、これがもう少し歌いやすい音程であったなら、もっともっと先々までも子供に覚えていてもらえるのに、ということをいつも思うのであります。

これから校歌を作る、というヒトは参考にしていただければ幸いです。多分、あまりいないと思いますが。


それから、卒業式の色紙などに何か書く時のこと、というのを昨日書きましたけれど、先生方とか下級生とか友達などなどから自分が書かれたことで、覚えていることってありますか?

ワタクシは強烈に覚えていることがあって、これ、前にも書いたんですけど、あんまり強烈だったんで、また書いてしまいますよ。

それは小学校卒業の時のこと。先生一人一人に何か書いてもらったりしますよね。みんないろいろといいことを書いて下さっていたと思います。でもそういうことは今、何も覚えてないんです。

たった一つ、覚えているのが事務員のヒトのもの。事務のオジサンという感じではなくて、割と若い男のヒトでした。でも、その当時、そういうのが流行っていたのか、色のついた眼鏡をかけていて、髪もやや長くてワタクシなどはどうもそれが胡散臭いというか、若い男ということもあってか、女子であるワタクシには、どうにもちょっと気色悪いような感じがして、敬遠していた、というか、他の先生に接するようには気さくに接してなかった、と思います。

小学校の頃のワタクシは犬・猫・小鳥などなどにトチ狂っていた、というような感じで、とにかく動物が好きで、学校で飼っていたセキセイインコなどの世話も熱心にやっていました。そのようなところを見てか、その事務のヒトがワタクシの色紙(だったかな?)に書いていた言葉は「動物を愛するように愛してほしかった」などという、小学生の女子としてはゾッとしても仕方がない、というものだったのです。

その時は、なんじゃこれは、と本当にゾゾゾッとして恐怖すら覚えたものです。その色眼鏡の風貌とも相まって気色悪さ倍増、というかなんというか、そんな感じを受けました。

でも、今考えると、確かにワタクシのそのヒトに対する敬遠具合は失礼なものだった、と思います。あからさまに避けていた、と思います。そのヒトが言いたかったことは、自分が好きな動物に対しては、そんなふうに出来るのに、好きじゃない人間に対しては、そういう態度で接するのですか、という抗議であったのかもしれません。

たかが卒業式の色紙に、そのような本音を書くヒトも珍しいのかもしれませんが、このことは、ワタクシの傾向というのを実によく見抜いていてそれを指摘しているのです。だからこそ、今でも強烈に覚えているのに違いありません。

だからやっぱりワタクシは思うのです。何かちょっと書く場合であっても、いつも本当に自分が思っていること、本心を書く、ということが重要なんだな、と。

しかし言葉は選んで欲しいな、とオトナになったワタクシは思うのでした。せめて小学女子に恐怖を感じさせない言葉だったらヨカッタのに、と。

そしたら気色悪い、とは思わなかったかもしれないのにな、と。

言葉を選ぶのは、とっても大事、でも実に難しい、とつくづく思う今日この頃。

今日は引き続き、小学校の卒業式。今年はわが家には小学校の卒業生はいませんから、行かなくても良いですが、今夜の「木ノ口かたし 夜の部」には、お祝いの宴のご予約が入っております。

巣立っていく子供たちの心に、今日もたくさんの言葉が、届きますように。









by sanahefuji | 2019-03-15 07:47 | 雑記 | Comments(0)

ここは五島列島福江島。「かたし」とは椿の古い呼び名です。2001年にIターンして就農した私たちが週に一度、土曜日だけやっている直売所&飲食店、ときどき居酒屋(居酒屋は予約制)「かたし」(2016年に「木ノ口かたし」に改名)での出来事、五島の暮らしの日常などなど。日本の端っこで繰り広げられる、ささやかな人生劇場を綴っていきます。


by 山﨑早苗