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連休初日は楽しかった

おはようございます、そして、ただいま。

土曜日にも関わらず、長崎に日帰りで行ってきました。昨日はうちの高校生も中学生も学校や部活が休みだったので、「木ノ口かたし」の従業員として働いてもらえるため、安心して行くことができました。ありがたやありがたや。

ラジオのニュースで10連休で子供が休みで、食事作りがタイヘン、とか、給料が減ってタイヘンとかいう声がネット上では多く聞かれる、ということでNHKのお固い感じの男性アナウンサーが「食事作りマジ大変」「10連休いらねー」などという、あのなんですか、ネット言葉というのかな、わざと「ぞんざい」な言い回しにしているのを生真面目にそのまま言わなくてはならないのが、なんだか滑稽というかなんというか、おかしな感じです。

コドモがいるような年のオトナであっても、あのような言葉でつぶやくのが当世風、ということなのかもしれませんが、アナウンサーのヒトが言うのを聞くと、やっぱりそれはなんだかハズカシイ、と思ってしまうワタクシ、どうも古臭い人間になっているのかもしれませんね。

しかし、この間、久しぶりに映画「男はつらいよ」を見たんですけど、そうすると、昔の俳優さんたちの話す日本語が美しいな、って、感動しますね。寅さんの言うお下品なこと、つまり下ネタあるいは糞尿関係ですら、品がある言い回し、と言いますか。寅さんのあの口調というのはヤクザ者の言葉のハズなのに、今のネット言葉のようにだらしなく聞こえないのはどうしてなんでしょう。周りの、おいちゃんおばちゃん、さくらなどなど一般庶民のヒトビトが聞いていて気持ちが良い言葉を話せるというのは、ホントいいなぁってつくづく思いました。

ところで、その連休中にごはんを作るのがタイヘン、だというのは、実によく分かることではあるのですが、ワタクシはもうずっと前から思っていて、ここでもちょくちょく書いておりますように、これだけ世の中が変わっているのに、どうして日本の家庭ではいつまでたってもお母さんが何もかもをやるような体制であり続けるのか、ということが本当にギモンです。

10連休で夫や子供が休み、というのならば、「休みなんだからごはん作って」「ついでに洗濯物も干しておいてね」「なんなら掃除もヨロシク」と言って、他の家族に家事を全部やってもらいお母さんは普段よりも楽になる、というふうに出来たら「10連休いらねー」などと言わなくてすむのにな、と。

ワタクシがそのことにギモンを持ち始めて、いろいろなヒトビトに話を聞いて、どうしてそれがムズカシイのか、ということを考えた時、その原因の一つに、女のヒト側の完璧主義、ということがあるのかもしれない、と気がつきました。

これはどういうことかと言いますと、やはり女のヒトの方が家事能力というのが男子供よりも高い(それはもともとそうであった、というだけではなく、そうならざるを得なかった、ということもある)ものだから、例えば手伝ってもらったとしても、子供や夫のやる「仕事」に我慢ならなくなってしまう、ということがあるようなのですね。

茶碗を洗ってもらっても、どうも汚い、と感じたり、洗濯物の干し方が気に入らない、掃除も「ぞんざい」に見える、などというように自分の基準を下回る手伝いというのはありがたくない、いっそのこと自分でやった方が早い、ということになってしまう。

でも最初から上手に出来るヒトはいないし、向き不向きもあり、やりやすい方法も一人一人違うわけだから、その辺をうまいことやり過ごし時間をかけていくことが、いずれは誰もが自然に出来ることをやる、という流れを作るためには必要かもしれません。

つまり、その出来栄えが自分の基準以下であっても、そのことはその場では指摘せず、まずはとにかく喜ぶ、感謝する、機嫌のいいお母さんでいる、ということが第一歩。間違っても小言を言ったり、細かい点をガミガミ指摘したりしてはいけません。

それを地道に続けていき、ある時フト気がついたように、これがもっとこうだったら、このようにいいことがある、というのを、それとは全然関係のないところで言ってみる、そしてまた様子を見る、という具合に時間をかけて家事が出来る家族を育てていくのです。

これはワタクシが家事能力が著しく低いので、「仕事」が雑でも全然かまわない、ということで、夫や子供にも家事をやってもらっているうちに、出来てきた流れです。おかげで10連休の初日、しかも、わが家では一番忙しい土曜日にワタクシが出かけることもできる、というふうになりました。ありがたいことです。

大事なことは観察することかな、と思います。家族一人一人の観察、そして忘れてならないのが自分の観察。これがホントに忘れがち。自分の本当の願いは何なのか、やりたいことは何なのか、これが分かっていなければ、どんなふうに暮らしたいのかが分からないし、そのためにどうすればいいのか、というところまで考えが及びません。

それが分からなかった頃、ワタクシは常にイライラとしてヒステリックでイヤな女であった、と思います。その頃は家の中もあまりヨクナイ雰囲気であったと思います。女の機嫌は家の中全体を支配するほどに強いのです。そう、家の女(多くの場合はお母さん)は絶大なる権力者である、ということも忘れてはいけないのです。

その力をどう使うか。

どうか、民衆の真の幸せのために、その力を発揮する権力者であって下さい、とワタクシは申し述べたい。自分一人で何もかもやってしまう、ということは自分がいなくなったら民衆は路頭に迷う、ということですから。

昨日、渡辺えりさんの講演会で、彼女が重い荷物を飛行機の中で上の棚に上げようと苦労していても、日本では周りにいる男たちが誰も手助けしようとしない、ということを嘆いておられました。これが外国だったら、絶対にこんなことはない、どうして日本の男はそうなのか、と。

それは、母親がそのように育ててしまうから、というのがえりさんの見解であり、ワタクシもそのように思っています。

しかしですね、全員が全員、そのような時に助けようという気持ちがないのか、と言えば、そうでもなくて、本当は手助けしたいけどどうしていいか分からない、ちょっとした勇気がなくて声をかけられない、という場合も多いのかもしれない、とワタクシは見ています。というのも、心根の優しい男のヒトはけっこういる、とワタクシは感じているからです。

その、えりさんの話で思い出したことがあります。

最近、車に乗ろうとしたらタイヤがパンクしていた、ということがありました。仕方がないので、スペアタイヤに付け替えようと思って、タイヤ交換をしました。

学生時代に北海道で暮らしていたワタクシは、冬が来る前に冬用タイヤ、暖かくなったら夏用タイヤに交換する、というのを農場のおじさんから指導してもらって、自分で出来るようになっていましたから、今もきっと出来るだろう、と思っていました。

でも自分でタイヤを替えていたのは、北海道にいた時だけで、それはもう20年以上も前のことですから、なかなか苦労しました。前はもっとすんなり出来ていたのに。

それで思い出した事、あれはもう何ヶ月か前に、やっぱり車のタイヤがパンクして、ワタクシは自分で交換しようとしていたことがありました。しかしそれは自宅ではなく、とあるお店の駐車場でのことでした。

コマッタな、と思って夫に電話したのですが、何が原因だったかは忘れてしまったけれど、折悪しくワタクシたちは喧嘩していて、電話は途中で不機嫌に切れてしまい、だから夫は来ないだろうな、と思いました。仕方がないから自分で替えてみようと思いました。

なあに昔は出来たんだからやっているうちに思い出すだろうと。しかしなんともそれは危なっかしく見えたのでしょう、一人の男のヒトが「自分がやりましょうか」と声をかけてきて下さいました。「自分でできますから」と言って断ろうかと思ったけれど、20年以上の空白があって心もとないことだし、夫も来ないだろうから、ここは甘えてしまおう、と思い、やってもらっていたのです。

そしたら、思いの他、すぐに夫がやって来てしまったのでワタクシは焦りました。何しろ喧嘩していた状態ですから、もういつも以上に仏頂面をしているわけです。

ワタクシの夫というのが、そのように仏頂面をしていると、見た目はけっこう強面というか、喧嘩なども強そうな感じに見えるかもしれません。その実、喧嘩などはまるで好まない平和主義というか、もっと言えばウサギのように臆病である、と言ってもいいくらいの草食系なんですけれどもね、とにかくムスッとしてると見た目は怖いかも。

そのような感じで近づいて来て、そのままの無愛想さで男のヒトと代わって自分がやり始めました。なのでワタクシはその手助けして下さっている男のヒトに対して、たいへん申し訳ない気が致しました。だって、そんな面倒なこと、見て見ぬふりをする方がごく普通だと思うのに、そうやって手伝って下さっているところに、まるで怒ったような(これは別の原因で怒っているんですけど)夫が現れて、なんとも気まずい思いをさせてしまったのではないか、と。

しかし、このことからも五島にもこんな「よか男」がいる、ということも分かりました。見ず知らずの人間の車のタイヤ交換をしてくれようとする男のヒトだっているということは、飛行機の中で重い荷物を棚に上げることくらい、やってくれようという男のヒトは、本当は大勢いるに違いない、とワタクシは思います。

どうか出し惜しみすることなく、ほんの少しの勇気をもって声をかけて欲しいと思います。ワタクシたちオナゴは、そのことをいつまでも温かい思い出として心の中に留めておりますから。優しくしてもらったことは、忘れませんよ。

そして、きっとそういうオナゴの思いは、男のヒトにも還元され、男女のより良い循環が生まれるのではなかろうか。

ワタクシは、そのように感じております。

男も女も、ほんの少し、もう少し、素直になれたら、いいのにね。

ワタクシは、そんなことを思います。

昨日の渡辺えりさんの講演はとっても面白かったです。ワタクシは彼女のような正義感の強いヒトがホントに好きだな、と思いました。でも、このヒトの本当の力を知るためには、このヒトのお芝居を見なければ、とも思いました。

いつか、そんな機会もあるといいな、とまた、楽しみが出来ました。

次回の長崎新聞レディスアカデミーDo-iTの文化講演会は7月6日の土曜日です。講師はモデルの「アンミカ」さん。

またまた楽しみだなぁ。


























by sanahefuji | 2019-04-28 10:24 | 雑記 | Comments(0)

ここは五島列島福江島。「かたし」とは椿の古い呼び名です。2001年にIターンして就農した私たちが週に一度、土曜日だけやっている直売所&飲食店、ときどき居酒屋(居酒屋は予約制)「かたし」(2016年に「木ノ口かたし」に改名)での出来事、五島の暮らしの日常などなど。日本の端っこで繰り広げられる、ささやかな人生劇場を綴っていきます。


by 山﨑早苗