こんにちは。
五島地方、今日まで晴天が続いておりますが、明日は雨になるようです。
それで、今日の午前中に麦の束をもう一度ひっくり返して干し、いよいよ午後から脱穀です。
他の地域では梅雨入りしていたりして、ここ1週間で天気の悪い日もあったでしょうに、ここ五島では、まるでワタクシの麦のために天が梅雨入りも待って下さっていて、晴天を何日も与えて下ったのではないか、と思ってしまう程のタイミングの良さ、というわけで相変わらずのオメデタイ思考に陥ってしまうワタクシでした。
この晴天の間に、春先までお世話になっていたコタツ布団や敷物などをコインランドリーに洗濯しに行ってきました。というのも、この冬、「木ノ口かたし」ではコタツをもう一つ拾って、それに豆炭コタツのセットを取り付けて使っていたので、家の分も含めると、コタツ布団が3組もあって、しかも、それらは前にやはり壊す家から貰ってきたものだったりして、あんまりきれいじゃなかったので、洗濯してやろうと思ったのでした。
この機を逃すと、また梅雨時期のジメジメした毎日の中で、このコタツ布団たちが積み上げられたままジメジメなっていくばかり、しかもそこにミーコが寝たりして毛だらけになったり、汚れの部分にカビが生えたり、とロクなことがない、ということから「今しかない!」と思ってワタクシはコインランドリーの一番大きな洗濯機で全部洗ったのでした。
昨日と今日で、完全に乾くはず。これも実に気持ちがいいことでした。
しかしですね、このコインランドリー、前は無人だったのに、いつからいるのかは分かりませんが、なんかコインランドリーの管理人みたいな番人みたいなヒトがいて、何かと世話を焼いてくれるわけです。
これがワタクシなどには、無用というか不要というか、とにかくワタクシは人見知りで緊張性ですから、こういうところにヒトがいるとギョッとしてしまうので、無人の方がいいのです。
そして、その番人のようなヒトの前だと途端に挙動不審になってしまう。というのも洗濯物を運ぶデッカイかごみたいのを、使いたいけど、外の車まで持って行ってもいいのかな、とか、なんか言われたらどうしよう、とか、いろいろ注意されたらどうしよう、とか思ってしまう小心者だからなのです。
そして、洗濯が終わって、それを取り出して運ぼうか、という時になって、やっぱりその番人のヒトがやって来て、その洗濯物、つまりコタツ布団やら敷物なんかをきれいに畳んで、そのカゴに入れるように促すのです。もちろん手伝って下さるわけだから、ありがたいと思わねばならないのでしょうが、これがまたワタクシにはトンと不要なことでして。
というのも、ワタクシはそういう時に几帳面に畳んだりしないで、ちょっとくらい手間がかかったとしても、もうそのまんまグジャっとしたまま車に積んでしまって全然かまわない、というか、そういうふうに「エイヤッ」とやってしまって何の支障もないのです。というか、むしろそうしたい、という感じ。
それなのに、この番人のお方のやり方で、キチンと畳まねばならない、というのがタイヘン苦痛なわけです。
このようなワタクシの大雑把なところ、いい加減なところ、というのは、子供の頃から、もう既にオトナの年齢になった頃であっても、常にキチンとした女のヒトからことごとく糾弾されることであって、だいたいの場合それは、こちらが決して口応えだとか逆らったり出来ない立場であることが殆どですから、それはそれはものすごく窮屈なことであったのです。
そういう長年の鬱積もあるんでしょうか、もうね、こういうのがホント、苦手なのです。
まぁしかし、そのようなキチンとしたヒトビトのおかげで会社とか家庭などは回っているに違いないのだし、ワタクシなどもそのようなキチンとしたヒトビトのおかげで道を誤らずに育ってこられたのだと思えば、感謝の気持ちもあり、そして多大なる恩恵を受けていることは分かっておりますのですけれど、しかししかし、やはりそのようなものからは、ことごとく逃げ出したかったワタクシです。
「お願いだから自由にさせてくれ!」
と、思うのですわね。
だからまぁ、キチンとしたお母さん、などというのは、ありがたい反面、ものすごく「うざい」んじゃなかろうか、と母親のいなかったワタクシなどは思うのですが、どうなんでしょう。
しかし、何もかもキチンとしてくれるヒトが、ずっとし続けていると、それをされている方も慣れてきて、「うざい」よりもラクになってきちゃうのかしらね。まぁ、その辺のところはよく分かりませんけれど。
でも、ワタクシの場合は、そうやってあれこれと自分の枠にはめようとする存在が母親ではなかったから、反発をしたり物を言うことも出来ずに、すぐに逃げる方向に向かってしまったのかもしれません。話せば分かることも、多かっただろうに。ワタクシはそういう時にはいつも無言であったのです。それでは向こうもワタクシが何を思っているのか何も分からないし、それはちょっと申し訳なかったな、と、今となっては思います。
まぁしかし、そのようなキチンとしたヒトビトに、ワタクシが寝言のように何か言ったとしても理解不可能に違いない、とワタクシ自身も頑なに囚われていたからかもしれません。
コインランドリーのヒトこまから、そんなことまで思い出されてしまうとは、確かに人生というのは連続した旅であるのだなぁ。
などと訳の分からないことを書いて、終わります。
だって、もう今日はこれから脱穀だから忙しいのですよ。
そして、次からは無人のコインランドリーに行こうと思っているワタクシなのでありました。いやこれは、あくまでも、ワタクシの過去がモンダイなのであって、そういうのがありがたい、というヒトもいるんでしょうから、決してこれはそのコインランドリーを悪く言っているわけではありませんので、あしからず。
感じ方はヒトそれぞれ、人生いろいろなのですね。
ではでは皆さま、ごきげんよう。
残りの日も美しくありますように。