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やっぱり運動会の話をしよう

おはようございます。

台風17号は過ぎ去りました。

怖れていた程には雨風ヒドくはなくて、そして夕方から2~3時間でしょうか、ピタッと雨も風も止んだ時間がありました。本当に無風、静かになって蝉が鳴き始めました。

アレ、まだ通り過ぎるハズはないんだが?と思って、テレビで台風の位置を確認してみても、やっぱり五島列島は、台風の暴風圏を示す赤い円の中にすっぽり入っています。

しかし、無風。雨も降ってない。蝉がノンキに鳴いている。

これは一体どうしたことだろうと考えて、もしかすると、これは「台風の目」の部分にいる、ということなのかな、と。

その証拠に、その無風の時間の後にまた急に暴風が吹き始めましたから。

へー、そうか、台風の目の部分は雲も何もないから、こうなるんだなぁ、と興味深かったです。

そのように言っていられるのも、被害がなくて済んだからなのですが。

これから台風が向かう地方の皆さまにも被害がありませんように。


さて、今日は9月23日、秋分の日。

ワタクシが小学生だった頃、今は無きわが母校の小学校の運動会は、この9月23日秋分の日、と決まっていました。

このブログにも、運動会の話というのを何度も何度も書いているので、もしかすると以前に書いたことがある話題もあるかと思いますが、その辺は寛容なお心でお許し下さいませ。

しかしワタクシはどうしてこんなに運動会が好きなのか、と考えた時、今の学校事情では考えられないことですが、ワタクシの小学校では運動会を実質2回やっていた、ということが挙げられるかもしれません。

どういうことか、と言いますと、この9月23日が大運動会の本番なのですが、1週間前の9月15日、これが昔は敬老の日、ということで固定された祝日でしたから、この日に運動会の総練習、というのをやっていたのです。

全校児童20数名の小さな小学校の運動会は、地域の運動会も兼ねていて、本番では地域のヒトビトの競技もあるのですが、この総練習の時は子供たちがやる分だけ、しかし、それは本番と同じく入場行進から始まって、途中の何も端折ったりしないで、本番通りに閉会式まで全てやるのです。当然、点数もつけるから赤白の勝敗も決まります。

休日にやることから地域の中高生にも来てもらって、本番通りに道具の出し入れの係とか得点の係をやってもらったりするし、地域の大人のヒトビトがいない、というのが違うだけで、あとは本番と全く同じように最初から最後までやるのです。それは舞台で言えば「ゲネプロ」のようなものですね。

だからワタクシたち子供は、その総練習でまず真剣に戦い、そこで勝てば、本番も必ず優勝するぞと誓い、負ければ本番では必ず優勝!というふうに、それぞれ心に誓うのです。

不思議なもので、全く同じことをやっても同じ結果になるとは限らないのが、勝負の面白いところです。同じメンバーでリレーをしているのだから、走る速さは変わらなくても、本番では誰かが転んだり、バトンを落としたり、そういうことが、あるもんなぁ。

そのように、学校も地域も、子供も大人も一丸となって運動会に取り組んでおり、運動会にかける労力と時間、そして情熱、というのが今とは全く比べ物にならなかった、と思います。

ホントにそれは、大切な地域の祭り、であったのですね。

ワタクシはフト考えるのですけれど、あの時代に今回のように、運動会当日に台風が来たとしたら、どういうことになっていたのかなぁ、と。そういうことは一度もありませんでしたが。


さて、そんな運動会の数々の思い出の中でも、ワタクシの心に最も深く刻み込まれている、一つの場面があります。これももしかして、書いたことがあるかもしれない、と思って調べてみたのですが何しろ10年近く書いているブログの記事が膨大過ぎて、その中から、見つけきれないので、重複したとしても書きましょう。

それはワタクシが6年生の時のこと。

6年生は男子2名、女子2名の4名。ですからワタクシは自動的に白組の副団長でした。

全校児童で行う競技の中の一つに「ボーリング」という競技がありました。

これは二人一組になって、ボールを一つもって運動場の真ん中辺りまで走り、そこに並べられている3本のビール瓶(これにはそれぞれ赤と白のビニールテープが巻かれ、3本の間隔はけっこう離れています)を挟んで、3~4メートル離れた場所に二人が向かい合って立ちます。

そして、低学年はボールを転がして、高学年はボールを蹴って、その3本のビール瓶を倒し、全部倒れたら、3本を元のように並べて、二人でボールを持って旗を回って、戻って次の二人組にボールをバトン代わりに渡して競争する、というもの。

リレーや綱引きなどと違って、この競技は実力よりもその時の運、というのが大きく影響する類の競技で、どちらが勝つかは予想がつかないものです。

本番のその時は圧倒的に赤が早くて、水色のアンカーたすきをかけて、チームの最後尾にいたワタクシは焦りました。立ちあがって必死に応援しましたが、その願いムナシク、あろうことかワタクシともう一人低学年の子のもとにボールが渡された同じころに、赤組は既にゴールしてしまっていたのです。

白組の最後の組であったワタクシたちは、もう勝負がついてしまった「ボーリング」競技を二人でやらねばならず、その時のなんとも言えない、みじめで情けない気持ち、なんとなく分かって頂けるでしょうか。

そして悪いことには、ワタクシも低学年の子も、なかなかボールをビール瓶に当てることができません。

じわじわと焦り、投げやりな気持ちになりかけていたワタクシの耳に、周りの声援が聞こえてきました。「落ち着いて」「よう見れ、よう見れ」などなどと言っている地域のオジサン、オバサン、バァさまたちの必死の声、子供たちのワーワー言っている声、みんなが取り残されたワタクシたち二人のために声を張り上げて応援してくれていたのでした。

その時流れていた、競技用にアレンジされた「銀河鉄道999」の曲を刻む何か木製の打楽器のような軽快な音のテンポと、その必死の声援、というのがワタクシの胸に、いつまでもいつまでも、そう、こんな中年のオバサンになっても、それはハッキリと残っているのです。

こんな年になったから分かることですが、人生には、そういうことっていっぱいありますよね。自分の責任というわけではないけれど、たまたまその順番だったり、その立場だったりしたがために、みじめな思いをしたり、情けない思いをしたり、大変な目にあったり。

そんな時に、ふてくされず、投げやりにならず、最後までやり遂げることが肝心である、と、ワタクシは、地域のヒトビトから学んだような気がします。カッコよくもなければ、美しくもなく、小奇麗な格好など誰もしていないし、ビデオカメラも何も持っていなかったけれど、あの時代の大人たちは、確かに大人であったのだな、とワタクシは、しみじみ思うのです。

そして今、ワタクシたちは大人なんだろうか、とフト思う。


子供にとっての運動会と大人にとっての運動会、というのは、そんなふうに全く違うものですが、その運動会が、2回も続けて中止になるとは、なんという損失。

台風のせいとは言え、重ね重ね、もったいないことです。

来年こそは絶対に、子供たちに運動会をさせてやりたいなぁ。
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「木ノ口かたし」と築97年のわが家、無事でした。































by sanahefuji | 2019-09-23 10:31 | 子供時代の思い出 | Comments(0)

ここは五島列島福江島。「かたし」とは椿の古い呼び名です。2001年にIターンして就農した私たちが週に一度、土曜日だけやっている直売所&飲食店、ときどき居酒屋(居酒屋は予約制)「かたし」(2016年に「木ノ口かたし」に改名)での出来事、五島の暮らしの日常などなど。日本の端っこで繰り広げられる、ささやかな人生劇場を綴っていきます。


by 山﨑早苗