こんばんは。
昨日だったか一昨日だったか、ネットで頼んでいたアルバムが届いたので、この機会に溜まりに溜まった写真の整理をしよう、と決めていたとおり、今日から始めました。
五島に来てからずっと溜め込んでいる、と書きましたが、見てみると最初の頃はまだ少しは整理していたようで、2002年頃から写真屋さんでもらう、薄い紙のアルバムに突っ込んでいるだけになってました。
あとその場所には、写真以外ににもカードとか賞状とか通知表とか、年賀状とか、ありとあらゆるものが雑多に溜め込まれていたのですが、そこに挑もうという気になったのも、いろんな用事がなくなった上に、どこにもいかずに家にいた方が良い、という、これまでの世界だったら到底あり得ないような共通目標が掲げられているのですから、これは今やるしかない、ということになったわけです。
で、写真の整理を始めてみたら、これが思った以上にタイヘンで、時間がかかりそうなのですが、少しずつやっていこうと思っております。
いろいろなことが、いつもと違う、ゴールデンウィークですが、この膨大な整理整頓がはかどれば、また一つワタクシの中の懸念事項が解決して、スッキリするかな、と思います。
そう言えば以前、ワタクシは、この年になって初めて指輪が欲しくなった、ということを書きまして、結局、母の形見の指輪をリフォームすることで落ち着いた、ということも書いたと思います。
それで、リフォームしてくれるところをいろいろ調べて、お願いするつもりで、メールのやりとりをしていたのですが、そのやりとりの途中で、ワタクシは少し違和感を感じるところがあって、そうなるともう全く乗り気でなくなってしまい、やりとりもそこでストップしてお断りし、また別の会社を探す気にもならず、リフォームすること自体を諦めてしまいました。
そして、よくよく考えたら自分は、そういうのが欲しかったわけじゃない、ということに気付いたのです。
それは、男のヒトから指輪を贈られてみたい、という、本来ならば若い頃に抱いておくべき憧れが今になってワタクシの中に湧いてきた、ということだったのです。なので自分で買ってもつまらないし、母の形見の指輪のリフォームも今じゃなくていいや、ということになりました。
そして、今年の誕生日に3月の誕生石がアクアマリンだということを知って、アクアマリンのアクセサリーが欲しいということも、こんなオバサンになってから初めて思ったので夫に言ったら「自分で買え」と言われた、ということも書きました。
これも、自分で買ってもいいなと思ったけど、やっぱりそんなのつまんない、と思って、バカバカしくなり、それもヤメたのです。
そのような前段階(指輪とかアクアマリンとか)があって、さらにワタクシは別件でまた夫と喧嘩をしたのです。そしてその時にワタクシの発言に腹を立てた夫がワタクシを怒鳴ったのです。
それが重なったことでワタクシがフト思ったことは、少し前にワタクシには「この仕事(ある職業です)をやってくれないか」と打診された仕事があって、それは「無理です」と断っていたのですが、もしかして、その仕事を受ければ、大変ではあるけれど、一人で生きていけるのではないか、ということなのです。
今までノホホンとして、夫に頼ってばかりで生きてきたのだから、いくらその仕事を打診されたからと言っても、平坦な道ではないだろう、けれど、本気になって取り組めば女でも自活できるのではないか、と、そう思いました。
この、なかなか居心地の良い「農家の居候」生活を捨てて、そのような茨の道を選んで自立する、という人生もありかな、と。
子供が巣立ってから、としたら、ワタクシはもう殆ど婆さんですから、可能性はかなり低いかもしれないけれど、そうやって一人で生きていたら、ひょっとして指輪をプレゼントしたりするのもイヤじゃなくて、ケンカの時に怒鳴らない誰かと出会うかもしれないと思ったのです。ホントにアンタはバカか、という話ですけど、そう思ってしまったのだから仕方がありません。
バカなワタクシは、なかなか本気でそう思いまして、その「仕事」の話を持ってきた方に連絡しよう、と思っていたら、その方のほうから「もう一回、話を聞いて考えてくれませんか。」と来たわけです。それで、おっこれは、いよいよその流れか、と思ったのです。
しかし、その仕事をするとしても、ブルーベリーの畑だけは自分が管理したいな、とも思い、その仕事と畑とどうやってバランスを取りながら一人で生きて行こうか、というようなことばかり考えていたのです。
ワタクシが言うのもナンですが、ワタクシの夫は良く出来た夫で、夫としては何もモンダイがないのです。仕事、お金、女などなど、だらしないところはなく、子供の面倒も家のことも、当たり前にしてくれて、普段は怒鳴るということもありません。そのことに対しては本当にありがたいことだと思い、感謝もしているのですが、しかし、そういうことは考慮されずにワタクシの思考は前述のようになってしまったのですね。
いくら頭で、そんなこと考えるなんてバカなこと、間違ってる、と思っても、ワタクシはたったの一つでいいから指輪をプレゼントして欲しいと思ったのに、それを自分で買え、なんて言われるのはイヤだ、それにケンカの時に怒鳴られるのはどうしてもイヤだ、だからその願いを叶えるためには一人にならねば、と短絡的に思い込んだのです。いや、例えば指輪だったら愛人からもらうという手もあるかも、などとも思いましたが、生憎そういうヒトはいませんで、しかもどうやって作るのかが分からないので、一人になる方がまだ分かりやすい、と思ったのでした。
ワタクシがそういう突飛というか、バカというかアホというか、そのような考えをしがちで、しかもそういう普通はやらないようなことをパッとやってしまうかもしれない人間である、ということが、おそらく夫は長年の付き合いで分かっているようでもあり、ワタクシのそのバカかもしれないけど本気の決意というのが、どうも気配で伝わっていたようなのです。
というのも、その「仕事」の件を本気で考えているということは、「まだ」夫には言ってなくて、ましてや、将来一人で暮らしていこうと思っている、などということは「まだ」話していなかったのに、明らかに夫の態度というのが変わってきたからです。なんだかとっても柔らかくなり、「ぶっきらぼう」にならないように気をつけている、というのが分かりました。
そして結婚記念日の前日に、とっても楽しい時間をプレゼントしてくれまして、なんだか本当に久しぶりに、鎧を外したように、二人でたくさん話が出来ました。
思えばコロナの影響でいろいろなことが停止になる前の生活は、夫もワタクシも、役をいろいろ持ち過ぎていることもあって、各方面に注意を払うことや、やることが多過ぎたり、心身ともに疲れ過ぎたりしていて、まともに話す時間も心の余裕もなかったのかも、と思いました。
そのことに気付いてあげられなかったんだな、と、ここでようやく反省したワタクシですが、しかし、こういう雰囲気になったら、やはりここでもう一度言ってみようと思いまして、指輪のリフォームはやめたし、アクアマリンのアクセサリーを自分で買うのもやめたから、その二つをまとめてアクアマリンの指輪が欲しいな、と希望を述べてみたのです。それに「どういう理由があっても怒鳴られるのはイヤだ」ということも。
そしたら「イノシシのお金がもうすぐ入るからオレが買ってやる」と夫が言いましたよ。そして結婚記念のその日に「気が変わらないうちに早く(ネットで)頼めば」と。
怒鳴ったことについても釈明がありまして、ワタクシはそれを聞いて心から納得した上で、怒鳴られることが怖いことや、どうしてもそういうもの(怒鳴ったり乱暴な物言い)には慣れることができないこと、などなど補足説明を致しました。
やはり希望は諦めるものではなく、何でも言ってみるもんです。ずっと一緒にいても、話さなければ分からないことは多い、との思いをますます強くしました。
そういうわけでワタクシは、ネットでいろいろと見て回り、散々迷った挙句に気に入ったものをその日のうちに注文しまして、それが今日届いたのです。
優しい水色の石、3月の誕生石は本当にキレイだし、そして、今頃になって抱いた遅い「憧れ」を叶えてもらえたことも嬉しいし、メデタシメデタシということですが、これはそれで終わる話ではありません。
ワタクシがなぜ、このように自分のバカさを曝してでも、このことを書いたか、と言いますと、自分の希望は伝え続けた方が良い、ということを言いたいからなのです。
その結果、「もうこんなワガママなヒトとは付き合えない」となるかもしれないし「ここまでは出来るけど、ここは出来ないからこれで何とかしてほしい」と条件が出されるかもしれないし、今回のように、こちらの望み通りに願いが叶うかもしれません。それはその時々で分かりませんが、相手が決めることなので、自分が希望を伝えたら、後は任せておけば良いことです。逆もまたそうです。相手が希望を言ってきた時には全く同じように、自分が決めれば良いと思います。
今、「コロナ離婚」などという言葉が出てきてますけど、今まで見て見ぬふりをしていた問題と向き合ったり、自分や相手の気持ちに気付いたりする、ということで、それはむしろチャンスなのではないのかな、とワタクシは思います。お互いの本音を出し合って、それでこれからも一緒に生きていくのかどうか、無理ならどうすればいいのか、ということを考える良い機会になるのかもしれません。
特に女のヒトは、自分さえ我慢すれば、なんてことを思いがちですから、そうではなくて、自分の気持ちとか希望を伝えて欲しいと思います。聞く耳を持たないヒトや、それを分かってくれないヒトと、これからも一緒にいたいものですか?ワタクシなどは、たかがこれくらいのことで茨の道に進もうと本気で考えていたくらいですから、そんなのはイヤです。愚痴をずっと言いながら、生きていくのもイヤです。
でも意外と、伝えないから気付いてない、分かってないだけ、とかいうことも、多いかもしれません。言ってみたら「なーんだ」ということも、あるのではないかなぁ。長いこと一緒に居ても「そうだったんだ」「そんなふうに思っていたんだ」という新しい発見というのは、あるものです。なので、この機会にぜひ、ということで、こんなことを書いてみた次第です。
そのワタクシに打診された「仕事」の話はどうなったかというと、もう一回の話合いをする、という機会が、このコロナ騒ぎと船の欠航で延期になってしまったので、何も進まずそのままなのです。
そのことはまた書くことがあるかもしれません。自活の道に進むのは幸いヤメになりましたけど、どっちにしても話はもう一回聞こうかな、と思っております。
おっと、今日は思いのほか時間がかかってしまいまして、もうこんな時間。
自分の愚かさを書くのは実に恥ずかしく、そして難しいものですが、本日もこんな長文にお付き合い頂き、誠にありがとうございました。
ではでは皆さま、ごきげんよう。
また明日。