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大雨の一日

こんばんは。

よく降りました。五島列島。

近年よくテレビに出たり、世界遺産などで有名になって、移住者も観光客も増えている五島ですが、今日はまた大雨関連のニュースでますます有名になりましたね。最近何かとテレビ運のある五島です。

しかし、よく降りました。

「土曜日開店 木ノ口かたし」通常通り開けます、とは書いたものの、あまりのドシャメシャ降りに、こりゃあ誰も来ないだろう、と思い、ついつい気を抜いてしまい、「ふくれもち」を作るのは今日は休み、ということにして、ノロノロとごはんと味噌汁だけ準備していよう、と思っていたら、わが家はとにかく雨漏りがスゴイので、年末に「おでん」を作る大鍋じゃないと間に合わないくらいで、またドリフの貧乏所帯コントみたいになっていたり、「木ノ口かたし」の方まで売り場が水浸しになったりして、その水をスポンジに吸わせて、バケツに絞って捨てる、ということを繰り返したり、のんびりしているようで、なかなか忙しかった午前中。
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最初はこの「ひしゃく」ですくって、少なくなったらスポンジ、というように。どんどん水が湧いてくるのでバケツ5~6杯は捨てましたよ。

その水をただ捨てるのはもったいない、と思って、それで風呂の床掃除に使おうと、流しながらデッキブラシでゴシゴシやっていたら、なかなか爽快な気分になりました。

「ぼっとん便所運」と共に「雨漏り運」もあるワタクシ、これも誰もうらやましくない運でしょうが、ワタクシにとっては、なかなかにありがたい。なぜなら出来ればじっとしていて、動きたくないグータラなワタクシを否応なくよく働かせてくれますから。やはり人間、身体を使わないとダメなのだ、とは思うのですが、隙あらば本を読んだり、ブログを書いたり、を優先的にしてしまいそうになって、じっとしてしまうので、このような切羽詰まった強制労働というのはワタクシには必要かもしれない、と思うのです。

しかし、いつかは雨漏りのしない屋根にしてやりたい、築97年の、わが借家。だって、この家にはもっと長生きして欲しいから。多分そう願っていれば、きっとそう出来るはず、と思っておりますオメデタイ思考回路のワタクシ。

それまでどうか台風で壊れませんように。

さて、今日の「かたしのお昼ごはん」、予告通り一応やりました。そして、あのドシャメシャの雨の中、来て下さったお客さまもいて、ありがたいことでしたが、災害がおこりそうなレベルの時に店を開ける、というのもどうなのか、と考えてしまうくらい、雨のイキオイがすごかったのです。
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今日からお披露目、黒い皿。

盛り付け例がいまいちなので、写真うつりもイマイチですが、このようになります、ということです。

今日は誰も来ないと思っていて「開店休業 木ノ口かたし」になるかも、と思っていたところが、思いがけずお客さまがいらっしゃって、本当にありがたかったです。

そして、雨もやんでくれて、本当にヨカッタ!














# by sanahefuji | 2019-07-20 23:28 | 「かたし」のお昼ごはん | Comments(0)

オズの魔法使い

おはようございます。

台風が近付いております、五島ですが、一応、明日の「木ノ口かたし」は通常通り、開けることにします。どうも午前中に最接近しそうで、お昼ごはん時も、どうかな、という感じではありますが、一応、準備はしておきますので、遅い時間からでも、もし来れるようでしたら、お気をつけておいで下さいませ。

前に言っていた、お昼ごはん用のハルさん作の黒いお皿が出来ましたので、今週からこれに盛り付けて食べていただけます。
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この上に乗せると「かたしのお昼ごはん」がますます美味しくなること間違いナシ!

しかし台風・・・土曜日に来るとは、なんとも恨めしや。ウラメシヤ(幽霊のセリフ)、裏飯屋(たとえばお店の通称)、浦メシヤ(たとえば名前)、などなど、うらめしやと言う言葉一つでもいろいろありますな。浦メシヤさん、などという名前、この地域っぽくて面白いな、と思ったり、すでに連絡事項から逸脱しておりますが、明日は台風ですが、開いております「木ノ口かたし」をどうぞヨロシク。


さて、連絡事項は早々に切り上げて、今日も本の話。

この間、船で読んだ小説の中に「オズの魔法使い」の話が出てきました。それでワタクシの記憶は一気に高校生の頃に引き戻されました。

というのもワタクシは、高校生の頃にこの「オズの魔法使い」のミュージカル映画に「どハマり」まして、もうホントに何度も何度も繰り返しビデオを見て、そして、どうにか文化祭で有志でこれを演じられないか、と思って、演劇の知識も経験も何もないのに脚本を書こうとしていたくらいなのです。

ところが一応ワタクシは進学クラスに所属していたため、クラスの出し物以外にも何かやるなんて、ましてや有志で演劇なんてとんでもない、認められない、と先生に却下されてしまい、そして、それはやはり大層ムズカシイことで簡単に出来るようなことではない、と自分でも気がついて断念した、ということがあったのでした。

でもこれは本当に面白く楽しく、心に残る映画です。主人公の女の子、ドロシーが次々に出会って旅の仲間になっていく「かかし」とか「ブリキ男」とか「臆病なライオン」などなどと、軽快な音楽に合わせて踊りながら進んでいく場面が特に好きで、その踊りを覚えて、自分でもやってみたりしてました。

その旅のお供の中でもワタクシは特に「かかし」が好きで、あの「かかし」のように軽やかに踊るにはどうすればいいか、などと真剣に何度も何度も巻き戻して見ていたものです。

そして、この映画で有名なのは、ドロシーが歌う「虹の彼方へ」という歌ですね。

アメリカのカンザス、というのは、アメリカでは「ど田舎」の象徴のような場所であるらしいのですが、その「ど田舎」の農場で暮らしているドロシーが、虹の彼方には、もっと違った夢のような場所がある、と歌うのです。

その後、竜巻が起こって、ドロシーは愛犬トトと共に家ごと飛ばされてしまって、「オズ」の国へと迷い込む、というお話。

なんとかしてカンザスの家に戻りたいドロシーが、オズの国の大王にお願いに行こう、と愛犬トトと旅立って、その途中で畑の中で棒に下げられている「かかし」と出会い、話をしてみると、その「かかし」は頭に藁が詰められているので、自分は考えることが出来ず、カラスにもバカにされているから、「脳みそ」が欲しい、と言うのです。

それなら、その願いも「オズ」の大王に聞いてもらおう、というわけで、ドロシーと一緒に行くことになります。

次に森で錆びついて立っている「ブリキ男」に会います。

これはワタクシは本の方を読んで初めて知ったのですが(もしかしたら映画でも言っていたのかもしれないけど、忘れていた)、この「ブリキ男」はもともと人間の木こりで、ある時、好きな娘が出来て、その子が新しい家を建ててくれるなら結婚する、と言ったので、せっせと木を切って、働いていたのです。ところが、その娘と一緒に暮らしていたお婆さんが、娘を取られたくないために、魔女に頼んで木こりが持っている斧に魔法をかけてしまうのです。

その斧で木を切ろうとして、木こりは自分の足を切り落としてしまいます。それでも娘と結婚したいがために、なくなった足をブリキで作ってもらってガンバって再び木を切ろうとするのです。

ところが、今度はもう片方の足、そして腕、というように次々と、その魔法がかかった斧で切り落としてしまい、その度にブリキで作ってもらうのですが、とうとう頭や胴体まで切ってしまい、それもまたブリキで作ってもらうのです。

その時に、胴体の中にある心臓もなくなってしまい、するとあれほど好きで、早く結婚したかった娘に対する愛情もなくなってしまい、どうでもよくなってしまって、それっきりになってしまうのです。そして、雨に濡れてブリキの関節が錆びついて動けなくなり、そのままそこに突っ立っていたところにドロシーたちが現れた、というわけなのでした。

ドロシーや「かかし」が自分の願いを叶えてもらうために「オズ」の大王に会いに行くことを聞いて、この「ブリキ男」も自分が一年間、同じ所に立っていて考えたことは、自分が失ったものの中で一番大事なのは「心臓」だった、と気がついた、だから、自分も「心臓」が欲しい、と一行に加わります。

本の中では「心臓」と書いていますが、その意味から考えると「心」とした方がしっくりきそうですね。

この「ブリキ男」は、このように言っています。「わたしは、だれかを愛しているときが、この世でいちばん幸せでした。でも、心臓がなければ、だれをも愛することができませんからね。だからオズにたのんで心臓をもらおうときめたのです。」と。

ワタクシはこれを読んで、心というのは嬉しいこととか喜びとか、いいことばかりではなく、苦しいことや悲しいことも感じるが故に、ヒトは悩み苦しむのだけれど、それが一切なくなってしまったら、それは何も感じない、ということで、苦しみや悲しみがなくなるというのは、もしかすると楽なのかもしれないけど、それってホントつまらないな、と思ったのです。

だから、悩んだり苦しんだりするのはイヤだけど、その悩み苦しみというのもあった方が絶対にいい、いや、なくては困る、と、「ブリキ男」の身の上話を聞いて(読んで)、そのように思ったのです。楽しいだけのことなんて、やっぱりつまらないのかも、と。

映画を見いていた時には「かかし」一筋だったワタクシも、後に(今のことだけど)本の方で「ブリキ男」にも共感するようになったのだなぁ、と感慨深いものもありました。

あ、そうそう、本というのは、この本ですよ。
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実はワタクシ、あれほど映画に入れ込んでいたのに原作の方は読んだことがなかったので、今回いそいで図書館に走り、借りてきたのです。100年以上前のイラストとは思えないくらいオシャレな感じ、しますよね。
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さて、「かかし」「ブリキ男」に続いて出てくるのが「臆病なライオン」、彼の欲しいものはズバリ「勇気」でした。

こうして「かかし」は脳みそ、つまり「頭脳」、「ブリキ男」は心臓、つまり「心」、ライオンは「勇気」、そしてドロシーは故郷のカンザスに戻ること、これらを求めて旅に出るわけなのです。

こうして書いてみると、ホント、よく出来たお話ですよね。

「頭脳」と「心」と「勇気」と「故郷」、人間にとって大切な、これらの4つを求めて旅に出る、とは。

さてさて、それらを求めて旅立ったドロシー&トトや「かかし」や「ブリキ男」や「ライオン」には、どのような冒険と運命が待ち受けているのでしょうか?!

気になる方は、ぜひとも映画を見て、または、本で読んでみて、実際にお楽しみくださいませ。

ワタクシは本の方を読んだのは今回が初めてだったので、映画では端折られていることもいろいろあります。あらすじとは全く関係ないところに出てくる、美しくて善良な魔女の話がワタクシにはおかしくて、相当に笑ったりしました。

その魔女は、見た目も美しいし、行いも正しくて、魔法もヒトビトにとって良くなることにしか使わなくて、とにかくいい魔女なのですが、たった一つ残念なことがあって、それは、その魔女が愛するに足る男がいない、ということなのです。

周りを見渡しても、いる男というのは、「まぬけでぶおとこ」ばかりでした、みたいなことを書いているのが、婚活中の容姿端麗、デキる女の独白みたいで面白くて、おかしくて、しかもこの話というのは今ここに書く必要があることか、というくらい本筋にはカンケーないことなのが、なんか面白かったなぁ。作者はどういう意図でこの挿話を書いたのだろう、と思ったり。

というように本では細かい点がいろいろ面白かったり、映画にない話でも楽しめました。

そしてまた、映画の方も見てみようかな、と思っています。

大好きな「かかし」さんに、また会いたくなったのです。ふふふ。



外はどんより、嵐の前の静けさですが、どうか被害がありませんように。

明日はひどくなりませんように。

「木ノ口かたし」は、明日も営業いたします。












# by sanahefuji | 2019-07-19 09:36 | | Comments(0)

いつの間にか子供について何も悩んでない

おはようございます。

今日は雨、まだまだ梅雨、またまた草はどんどん伸びて、昨日の話ではありませんが、勤勉な農家の方が見たら卒倒しそうな有様の畑などなど、気にかかる今日この頃ですが、今日は午前中は農業委員会の地区協議会というのがあって、午後は高校の三者面談。

昨日の午後は五島市全体の学校のPTAの副会長を集めて「母親委員会」というのがあって、ワタクシは今年、2回目のPTA副会長の役割が回ってきておりましたので、それに行ってきました。

いくら小さな学校とはいえ、そういう役が2回も回ってくる、というのは今まであまりない、というかワタクシが初めてではないか、と思うのですが、そういう間の悪さ、というか貧乏クジというか、そのような運もワタクシはどうも持っているらしい、のです。

それで次から次へと役が回ってくるわけです。

まぁしかし、ワタクシは五島に移住して来た時に思ったことは、地元のヒトの場合は、この地にご先祖様がいて、そのご先祖様が積んでくれている徳というものもあるわけなのですが、移住者というのは、この地にご先祖様がいないわけで、それが全くない状態から地域に入っていかなければならないのだな、ということです。なので、信用を得るために手っとり早いのは、とりあえず頼まれごとは断らない、できるだけ引き受ける、ということなのです。

それじゃあ移住者はタイヘンじゃないか、と思われるかもしれませんが、ご先祖様がいない土地にわざわざ自分たちが好きで来たわけですから、それくらいのことはしなくてはなりません。

そしてもし、子供がいれば、ワタクシたち自身が、この地でその「ご先祖様」になっていくのですから、それは無駄にはなりません。

というわけで、ワタクシも夫も実にいろいろな役を次々に引き受けて、自分の仕事がおろそかになっているように見えることもありますが、状況は刻一刻と変化していくもので、そのようにやっていることが自分の仕事につながることもあったりして、貧乏クジと思えたことが実は当たりクジだった、ということもありますから、目先の損得で物事を考えない方が良いのです。

で、その昨日の「母親委員会」というものでは、母親の実態というものを知らないワタクシにとっては、またいろいろと勉強になるわけです。

そこでまた思ったのは、どうも世のお母さんたちというのは、真面目で親切なのはいいことかもしれないけど、心配し過ぎて、悩まなくていいようなことを悩んでいるのではないか、ということです。

このブログを長く読んで下さっている方はご存じだと思いますが、ワタクシも子供について、随分といろいろと悩んでいたことはありました。子供が小学生くらいになった時に自分の心に起こる軋轢のことを「7歳の壁」などと名称をつけていたくらい、悩み苦しんでいたのです。

ところが今、一番下のコータローが7歳を過ぎた今、ワタクシの人生の中から母がいなくなった歳に、最後の子供がなった今、ワタクシはもう本当に本当に楽になりました。

何故ならば、そこから先はワタクシがたとえ及第点以下の母親であったとしても、家事が下手だったとしても後はプラスしかないからです。

どういうことか、と言いますと、自分の母親がその先はいなかったのですから、それを基準、つまりゼロとしますよね、そしたら、後はどんなにグータラだったとしてもいるだけマシ、ということになります。たとえ料理が手抜きであったとしても、掃除をたまにしかしなかったとしても、それはプラスなのです。

弁当が間に合わなかったって、作って届けるんだから、何もないよりははるかにマシ、気の利いたアドバイスなどは何もしなくても、子供の話を「へー」と言って聞くことは出来る、1品しかオカズを作らないとしても、あるいは何もなかったとしても納豆くらいは買っておく、ごはんと味噌汁は炊いておく、というように一応晩御飯は準備する、などなど低レベル極まりなくても、それらが何もないゼロに比べたら、なんていろいろやっているんだろう!

と思うのですね。

でもこれって、誰でもそんなふうに考えてみたら、いいのではないかなぁ。

今の真面目で勤勉で、そして贅沢な状態に慣れているヒトビトは、きちんと出来ていることを基準としてしまうので、そうなると減点ばかり、マイナスばかり、ということになってしまって、一所懸命やればやるほど、ますます苦しくなってしまうのではなかろうか。これ、前はワタクシもそうだったから、そういうふうに減点方式で考えるのをやめると随分楽になりますよ、ということを言いたいのです。

そして自分の気持ちが楽になった方が、確実に自分ためだけでなく周りのためになります。

家にいる女の機嫌、というものは家全体の機嫌を左右するくらい大きなもので、それさえ良くしていれば家族には何もモンダイがない、ということを、ワタクシはこの一年くらいの間に実感しています。

何もモンダイがない、と言うよりは、何かモンダイがあった時に、冷静に対応できるから、モンダイをヘタにこじらせたり、いたずらに大きくすることがない、と言った方がいいかもしれません。つまり、だいたいのモンダイはすぐに解決できる、あるいはやり過ごしてもいいことであって、たいしたことではない、ということに気付くのです。

これが、イライラとかカッカとかしていたり、はたまたグッタリ疲れ切っていたりすると、そうはいきません。ちょっとしたことが大問題になって長引いたりします。ケンカの始まり、も、そういうことでしたよね。

だから忙しいお母さんたちには、どうかあまり無理をしないで、自分が楽になる方法をそれぞれ考えて、家族のことよりも先に実践したほうがいい場合もあるんじゃないか、とワタクシは、母親委員会の会議中にそんなことを思っていました。

というのも、今は昔の社会よりもいろいろ複雑で、一筋縄ではいかないことが多いし、それらに対応するための力を発揮するには、自分の状態を良くしておく必要があるからです。

というのも、研修会の資料の中に、子供(おそらくイジメられている)のことで悩んでいるお母さんの悲痛なお手紙があって、その中に「子供のことを100%知りたい」というようなことを書かれていて、これはタイヘンなことだ、と思ったからです。

このように、お母さんが思い詰めていると、きっと優しいお子さんなのに違いないその子は、その心配が分かるだけに、ますます追い詰められて苦しくなるだろうな、ということが分かるからです。

その真面目なお母さんを責めるつもりは全くありませんが、親子とはいえ別人格の子供のことを100%知りたい、などというのは、言ってみればストーカーと同じ思考回路になっているわけで、それはとても危険なことです。

わが家でも、一人目二人目までは、イジメとか不仲とか、友人関係でかなりいろいろあったので、そのどうにもしてやれないもどかしさ、とか、とにかく心配な気持ちというのは分かるのですが、子供に起こるモンダイ、というのは、それがたいていワタクシ自身の課題とも密接につながっていた、ということがありますから、そういうことが起こった場合は、子供を守るのはもちろんですが、それと同時に自分の課題に取り組む、ということが必要になってきます。

このお手紙のような場合、お母さんが子供のモンダイに執着し過ぎないで、お母さん自身が自分の人生、あるいは人生の課題に真剣に向き合う、ということで、子供が変わっていくのかもしれないなーと、フト思ったりしました。

最近、気分屋の次女のアサが、時々ものすごく自暴自棄なことを言うことがあって、自分は頭が悪いからダメだ、とか、何も出来ない、とか、聞いているこちらがゲンナリするような愚痴をまき散らすのです。こういう傾向は昔からあったので、「また始まった」と思って、このような場合、励ましてもダメ、こういうふうに考えたら、とか前向きなことを言ってもダメ、まぁ結局何を言ってもダメなので、聞き流して機嫌がよくなるのを待つしかないのです。

でもこの自己肯定感の低さをなんとかしたい、とワタクシは考えます。

それは決して本心ではない、と思うから。

そして、そういうところがワタクシに酷似しています。もうソックリ過ぎて笑うしかない、というくらい。

だから、これは結局、本人が自分自身で気付いて、乗り越えていくしかないモンダイである、ということも分かる。

もし親である自分に何か責任があるとしら、それはやっぱり、ワタクシ自身が未だ人生にきちんと向き合っていない、ということで、それをアサが示してくれているような、そんな気がするのです。

だから、そのことに対して、自分が出来ることがあるとすれば、自分が今、やりたいことに(それがたとえ無理そうなことであっても)挑戦している姿を見せる、ということかな、と思います。

自分はダメだダメだ、と思っていたこの自分自身が、きちんと人生に挑む、ということなのだな、と。

何かとモンダイを起こす子供、というのも、優しい子供と同じく、いつだって、親思いです。

そのモンダイのおかげで、親は自分のモンダイに気付いて、それに取り組むきっかけになるからです。

子供がいないヒトでも、親はいるわけで、ワタクシたちは、それこそ、ご先祖様からいろいろな課題もまた引き継いでいて、解決するためのきっかけとなるモンダイを天から(家族から?他人から?)与えられながら、生きているのだなぁ、と思います。

やっぱりそれは、ありがたいことですね。

さて、これから三者面談。

アサちゃんは今日は車で送ってもらった時に、とーちゃんに「かーちゃん、今日は忘れずに来るかなぁ」と言ったそうな。

それを聞いて、そのように認識されている母、というのは、なかなかいい、とワタクシは満足でした。
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そして、これは、昨日のメモ。

「ババァ」などと言われる日も来るかもしれませんが、こんな日があったことを、忘れないようにしよう、と思います。








































# by sanahefuji | 2019-07-18 13:10 | 家族のこと | Comments(0)

昨日もいい凪じゃった

おはようございます。

昨日は日帰りで長崎に行ってきました。

何の用事で行ったかと言うと、あまり堂々とは言えないのですが農業委員会女性ネットワークの役員会です。

なぜ堂々と言えないかと言えば、ワタクシなどのようなものが農業委員とか、女性ネットワークの役員などをやっている、というのは、なにか違和感があるからです。このブログを読んでいる皆さまならよくご存じですが、ワタクシは農家の嫁というほどには働いていないので、自ら農家の居候という身分に降格した、とか言っているくらいで、他の役員の皆さまに、どうも会わせる顔がないような気がしていたのですね。

農家でアルバイトをしたり、家に住み込みで研修をさせてもらったりする期間が長かったワタクシは知っておりますけれど、農家の女のヒトというのは、どこの国でも本当によく働くヒトビトです。そして、この超保守的業界が今もなんとか体裁を保っていられるとすれば、この地道に勤勉に、そして明るく力強く働く女のヒトの力があるから、ということは間違いない、とワタクシは考えております。

そのようなヒトビトの中に、ワタクシなどがいてもいいのだろうか、といつも片腹痛い思いがいたしますのです。

昨日の役員会に行くのにも、芋畑の草取りはたったの一列しかしてないのに船の中で本を読むのが楽しみ過ぎる、などと書いていて、忙しい農家のヒトビトがこんなブログなどを読んでいないのをいいことに、不謹慎極まりないのですが、しかし、持って行った3冊の本は行き帰りの船の中で全部読んでしまって実に有意義でした。

いやホントにヨカッタです。昨日の3冊も。

そんなふうに農家の女としては異端のワタクシが、この勤勉な農家のヒトビトの中にいてもいいのだろうか、と今までは思っていたのですがね、昨日の会議中のこと、いや、もしかすると、こういう人間もこの中にいた方がいいのかもしれない、とフト思ったのです。

どういう組織であっても、異端・異質なもの、というのが少し混じっていて、その少数の方も存在出来ている、という方が、その組織というのは健全なのではないか、と。

まぁそれは単なる自己弁護であるかもしれないのですが、いつでもどこでも少数派であったワタクシに対して、優しくしてくれるヒトがいたり、気を配って、心を寄せてくれるヒトがいたりする世界は、それは多数派にとっても住みやすい世界であるはずだ、と思ったのです。

そして、この超保守的業界でのワタクシの役割、というのもきっと、あるのではないのかな、と思ったのでした。

そのよく働く農家の女のヒトビトとお話をするのがワタクシはホントに好きで、いつも尊敬の念を持ちつつ、しかしグータラな自分をうしろめたくも思いつつ、それでもなお、何か自分ができることをしよう、と昨日ワタクシはまた改めて思いました。

なんせいつも旅費も出してもらって、いろいろと行かせてもらっておりますから、異端は異端なりに、この業界のために働きたいと思います。

しかし、地元の血縁関係などなども未だ分からず、故に農地のことも殆ど分からなくて、農業者年金の勧誘とかなんとか、そういうのは全く出来ませんけれど。

それにしても昨日もいい凪じゃった。

特に行きの海は、なめらかで、窓から海を見ていると、突如現れたトビウオの羽根が青く透けて、それはそれは美しかったです。

トビウオはカワセミに似ている、と思いました。

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今時は皆さま忙しいのでしょうが、用事で長崎に行くにも、フェリーはなかなかいいですよ。弁当を持って、オヤツも持って、ホントに遠足みたいでワクワクします。

しかも、ゴロゴロしたり、カップラーメン食べたり、普通だったら公共の場所では出来ないような、やや背徳感を感じることもフェリーではフツーに出来ますし、ぼーっと海を見たり、外で風に吹かれたり、そのようなことをしている時に、フトいい考えがひらめいたりすることもあるし、疲れたらウトウト眠ったり、もちろんなんと言っても集中して本が読める、ホントいいことばかりです。

その点、ジェットフォイル、というのはつまらないですな。身動きがとれないし、ゴロゴロできないし、何かを食べるのもはばかられるし、移動時間の充実、ということで考えれば完全にフェリーの勝ち、です。

まぁしかし、そのように思うヒトはやはり少数派らしく、そして皆ヒマ人でもないらしく、平日のフェリーはすいています。

すいているからますますありがたい(と思っては九州商船には申し訳ないのですが)ということもあり、少数派人生というのも、なかなかお得で楽しいことも、ありますよ。

昨日はあまり時間もなくて、家族へのお土産は食べ物と1冊の本だけでしたが、自分用にエコバックを一つ買いました。
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最近話題の(?)好きな色。柄もカワイイ。

昨日も良い一日でした。

今日もまた、皆さまにとっても良い一日になりますように。


























# by sanahefuji | 2019-07-17 07:46 | 雑記 | Comments(0)

船に乗るのが楽しみ過ぎる件

こんばんは。

そう言えば、連休だったのですね。

しかしワタクシは、明日はまた長崎に出張ということで、一日つぶれてしまいますので、「なんとしても今日は芋畑の草取りをガンバル」と心に決めていたのです。

ところが、昨日の「木ノ口かたし 夜の部」などの片付けとか、明日出かけるためには、また新しく本も借りなければ、とか、家の片付けとか、なんとかかんとかやっているうちに、時間が過ぎていき、結局、芋畑の草取りは6列のうちの1列と半分くらいしか出来ませんでした。

農家の居候としましては、今日のうちに3列はやっておきたかったのですが、叶いませんでした。

そのくせ、ちゃっかり本は借りてきて、しかも明日はアサの弁当と同時に自分の弁当も作って持って行き、フェリーの中で食べるとなると早い昼食になる、ということで会議中に腹が減るかもしれないからカップ麺も持って行って食べようなどと思い、買ってきたのでした。

畑仕事ははかどってないのに、船に乗る準備だけは万端整えておりまして、まるで遠足に行く子供のようなのです。
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家では結局「たそかれ」を読めなかったので、船の中でゆっくり読みたいと思います。

明日は日帰りなので、会議よりも船に乗っている時間の方が長いのです。なんというシアワセ。五島人になってヨカッタ、と心から思います。

芋畑の草は伸びるでしょうが、また船で英気を養ってガンバリマス。

明日も凪だと、いいけどな。

こんな能天気でのほほんとしていていいな、と思われるかもしれませんが、こんなに船に乗るのが楽しみ過ぎるということはですね、現実がけっこうキビシイということなのです。実は今ワタクシは明確な二つの未解決事項を抱えておりまして、それはもはや答えが出る、ということがあるかどうか分からないこと、ということで、ごく普通にのほほんと暮らしながらも、ワタクシはけっこう痛んでいるのです。

それはどちらもワタクシの夢に直結していることですが、そのどちらも今は藪の中、なのです。

なので、そのことは一旦もう忘れて、新しく仕切り直すのが一番だ、ということは分かる、がしかし、まだ一縷の望みを持っていたい、という思いが捨てきれずにいるのですね。

なんのこっちゃさっぱり分からん、ということで、読んでいる皆さまにも、ワタクシの心のモヤモヤを伝染してしまっているかもしれませんで、申し訳ないことですが、もしかして、ひょっとして、万が一、いい答えが出た暁には、皆さまに「いの一番」に報告することはお約束いたしますので、どうかお許し下さいませ。

そんなこと、あるかな。あるといいのだけれど。

「ぼっとん便所運」だとか凪運ばかりに運を使わずに、他の方面にも使う方法でも考えましょうかしら。

なんてね。

ではでは皆さま、また明日。

でもやっぱり凪だと、嬉しいな。











# by sanahefuji | 2019-07-15 23:31 | 雑記 | Comments(0)

第3の目 アジュナチャクラと「木ノ口かたし」

先週の土曜日は8時のフェリーに乗るために、7時40分には家を出たかったので、それまでに、カマドでご飯を炊いて、玄米は圧力鍋で炊いて、味噌汁を作って、ふくれもちを作って、麦茶を準備したり、食器を準備したり、などなどの開店準備をまぁとにかく大急ぎでやったのですが、それが7時半までかかってしまい、超バタバタで家を出たのでした。

なので昨日は、普通に9時の開店時間までにそれらの準備をすればいい、ということで、けっこう「ゆとり」があったような気がしました、1週間ぶりの「木ノ口かたし」は、旧交を温めたり、新しい出会いがあったり、で、出かけるのも気楽で楽しいけれど、あーなんかやっぱり「かたし」って楽しいな、と思ったことでした。

先週の朝があまりにバタバタ過ぎたので、今週は一通りの開店準備が終わった後に「ふくれもち」の味見なんかしちゃいました。
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わが小麦たちの晴れ姿に惚れ惚れとし、今日もよく出来たなぁ、美味しいなぁ、と思いつつ頂きました。

ますは昨日の「かたしのお昼ごはん」、
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・鯖の味噌煮
・カボチャとナスとピーマンの揚げ浸し
・ジャガイモとベーコンとチーズの春巻き
・キャベツとタコのサラダ
・焼きアスパラのマリネ
・チクワとゴボウの煮物
・卵焼き
・キュウリのワサビ漬け
・カマド炊き白米&古代米入り玄米
・ブルーベリージャムと胡桃のケーキ

でした。

先週、コータローに店番を頼んだ時に「昼ごはんの写真を撮っておいてね。」と言ったら「うん、分かった!」と言っていたのでしたが、帰ってきてから「昼ごはんの写真は?」と聞くと「あ!」と、すっかり忘れていた様子。

店番に集中していて、他のことが入る余地がなかったのでしょう。

というわけで先週の「かたしのお昼ごはん」の記述はありません。


先週のアンミカさんの講演の最後の方で「チャクラ」についての話があった、と書きましたけど、それについてワタクシは殆ど何も知らなかったので、その後、いろいろ調べてみました。

今はヨガなんかをやっている方も多いですから、きっとこのことについてはよく知っている方が多いと思いますので、ワタクシなどの門外漢がいろいろと言うのもナンですが、でも、この「チャクラ」について調べていると「ハッ」とすることがタイヘン多く、何かいろいろなことが、ここでも繋がっていっているのだ、ということをすごく感じました。

前の「かたし」が使えなくなって、わが家の隣にある、ボロボロの倉庫を改築して「木ノ口かたし」とする時に、その倉庫の中にあった、古い木枠の窓を飾りの窓として使おう、ということになり、それが、今、「木ノ口かたし」の台所、外から見ると正面の飾り窓になっています。

その窓の木枠はどういうわけか紺色の塗料で塗られていて、でもその塗料はところどころがはげ落ちていました。この色がもともと好きでもあったワタクシは、これが今から作り上げていく「木ノ口かたし」のテーマカラーだな、とその時思ったのです。

なので、それを同じように紺色に塗ってはめると、それはこの建物の板の壁によく映えて、そしてその窓はこの「木ノ口かたし」に開く目のように思えたものです。

その窓枠を始めとして、「かたし」から引き継いだスチール製の棚とか、台などなどを紺色で塗っていき、看板もその色にして「木ノ口かたし」を紺色で統一していきました。

そこで働く不肖の従業員であるワタクシの格好も、紺色の久留米絣の現代風もんぺと紺色のエプロン、というふうに、やはり大好きなこの色を制服のように採用いたしまして、いつも「木ノ口かたし」の日には、それを身につけることで「木ノ口かたし」のスイッチが入るような気がしているのです。

で、その紺色、紺というのは藍染の中で最も濃い色のことなのですが、この色というのが第6チャクラ、眉間にあるチャクラの色なのだそうですね。

眉間にあることから、このチャクラは「アジュナチャクラ」とか「第3の目」などとも言われていて、なんでも直感力と知恵の象徴なのだとか。

真実を見抜く目、でもあるとのこと。

まぁしかし、どの場所のチャクラであってもそう簡単に、誰でもそれらをちょうど良く開く、ということは出来ないからこそ、大勢のヒトビトがヨガをやったり瞑想をしたり、いろいろな方法でそれを目指しているのだと思います。

この第6チャクラを開く方法、というのがいろいろ書いてあったのですが、その中の一つに「藍色を見る」というものがありました。

そうか、「木ノ口かたし」の窓枠がもともと藍色で、それに心惹かれたワタクシが藍色で「木ノ口かたし」を統一し始めて、常に「藍色」を目にする状況を自分で作っていった、というのは、この「真実を見抜く目」というものを求めていたからなのだな、とオメデタイ思考回路のワタクシは、そのようにすんなりと思ったのですよ。

もちろん、ワタクシにその「第3の目」が開眼した、などと大それたことを言うつもりはありません。

でも確かにワタクシは、それを求めているのだ、ということを、また改めて確信いたしましたのです。

単なる成り行きのようで、でも実はいろいろなことがちゃんと繋がっていく、というのが、ホントに面白いなぁ、と思う今日この頃。

旧も新も面白い「かたし」です。

実際の店でも、このブログでも、「『かたし』の人生劇場」を訪れて下さる皆さま、本当にありがとうございます。

いつも感謝しております。








# by sanahefuji | 2019-07-14 22:01 | 「かたし」のお昼ごはん | Comments(0)

夢の週末から1週間

こんにちは。

1週間たつのは早いですね。あの夢のような週末から、もう1週間。

あー楽しかったなぁ。船の中で本も読み放題、アンミカさんの講演を聞いてパワーを頂き、そして実はその後、映画「アラジン」を見たのです。まぁホントにてんこ盛りと言うか、なんと言うか、過剰な程のエンターテインメント。あそこまでいくと、もうその盛りの良さを目いっぱい楽しんでしまおう、という気になりますな。

なんといっても歌がいいですもの。楽しいに決まっているのです。

そして、ウィル・スミス演じるジーニーが面白すぎて、一人で笑いが止まらなかったのですが、日本人の観客って静かなのね。あれ、ワタクシなんか笑い過ぎてる??と思ってしまいました。

演劇などでも、見ているとワタクシはとにかく笑い出すと止まらなくなったりするので、他の静かなヒトビトには、もしかすると迷惑なのかもしれませんが、これって演じる側にはすごくありがたがられて、学生の頃の劇団の公演には団員直々に「ぜひぜひ観に来て~」と、いつも誘われておりましたのですよ。

それはそうなんです。何かを喋ったりする時だって、聞いている方の反応があると助かりますもの。無反応に見えて、何か響いている、ということもあるでしょうけれど、やっぱりそれが目に見えると嬉しいですね。応える、反応する、って大事なことではないだろうか。

ま、日本の静かな映画館でうるさい、と思われてはいけませんけれど、あれはきっと海外だったら、映画館がドッと沸くと思うけどなぁ。

そんな感じで笑って、泣いて、映画館を出ると、もうすっかり長崎の夜。

ワタクシの定宿は、前にも書いたことがありますけど、温泉の仮眠室なのです。安いし、広いし、快適、そして温泉に夜も朝も入れる、漫画がいっぱいある、と、これまた夢のように嬉しい空間なのです。

そして帰りのフェリーで「かはたれ」を読んで涙し、そこでさらに、じんわりと心が満たされて帰って来ました。

今回は夫にグレープフルーツの香りの車の芳香剤と入浴剤を買ってきて、迎えに来た車に早速つけたら、とてもいい匂い、と喜んでもらえました。前々からグレープフルーツの香りが好きだと言っていたので。
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子供たちにはお土産は1つずつなのに、このように夫には今回2つもお土産を買ったワタクシです。なんせDo-iTの講演会は、あと2回ありますからな。あ、でも、あとの2回は土曜日ではないから、まだヨカッタな。

香りと言えば、例のワタクシのスズランの香りの錬り香水のことは「便所の(芳香剤の)匂い」などと言うのです。昔だったら「本気で言ってるの?!」などとムキになって怒ってしまっていたところなのですが、これが照れ隠しである、ということくらいは分かるようになったワタクシです。遅ればせながら男を学んでいる途上です。いろいろ遅いのです。

さて、そんなふうにいろいろ遅いワタクシ、気がつけば、もうホントにブルーベリーはどんどん色づいてきておりまして、焦りに焦って、慌てて採ってきました。
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草がスゴ過ぎて、草も刈りながら、だと収穫ははかどらず、ほんのちょっぴりですが、今期初のジャムも作りました。
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連日の梅雨空で、実はまだ酸っぱいばかりなのですが、ジャムはスッキリとした味わいになった、と思います。

明日のケーキは、このジャムを使って作ってもらうように、今アサに頼んだところです。

美味しいケーキが出来ますように。

ではでは、明日の「木ノ口かたし」もどうぞよろしくお願いいたします。



















# by sanahefuji | 2019-07-12 19:34 | 「かたし」のこと・商品について | Comments(0)

オトナは何故コドモの「お泊り会願望」を握りつぶすのか

おはようございます。

今年は梅雨入りが遅く、6月がまるで梅雨らしくなかったのですが、7月に入ってからは、すっかり梅雨らしい日々が続いております五島です。

ワタクシは貴重な梅雨の晴れ間の2日間(つまりそれはこの間の土日のことなのですが)、長崎に行っていたので、ブルーベリー畑やわが貧弱家庭菜園の恐ろしいくらいの草を刈るのも既に追いつかず、そしてまた昨日は雨。

そして草のイキオイはまたまた激しくなってしまうかと思うと、いくら農家の嫁は諦めて居候の身分に降格したとはいえ、これでは農家の居候でさえ危ういのではないか、という感じ。

ボヤボヤしているうちに、ブルーベリーも色づき始め、その恐ろしいほどの草の中でしばし佇む午後3時、ということにもなる、ホントにまったく農家に向いていないワタクシなのでした。

でも、その草だらけの中でも実をいっぱいにつけてくれているブルーベリーたちが健気で、親はなくても子は育つ、というかなんというか、生きているものって自分でちゃんと育つんだな、と感心してしまうワタクシです。

いやいや、感心してないで草を刈りなさい、ということなのですが。

そのように草もすごいことになりますが、家は家で、ワタクシがいつも座っている場所の後のちょっとしたスペースに本とかいろんな紙類が山になって雪崩を起こしそうになっていたので、雨の日の昨日、それは片付けました。

子供たちの小中高の学校関連、ワタクシの農業委員会とかPTA関連、夫の公民館長関連のもの、などなどのお知らせとか資料とか、なんとかかんとかが山になっていました。提出期限もあったり、いついつの何時にどこにいかなくてはならない、とか、会議とか、出張とか、いろいろあってホントに現代の生活って難しいなぁ、と思うワタクシは、やはり農家の居候からも降格しそうなのですが、居候の下は一体何だろう、と考えましたが、妙案が浮かびません。困った。

そうこうしているうちに、「土曜日開店 木ノ口かたし」も近づいてくる、というパターン。

そして来週からもう夏休み、ということになっている。

ホントにビックリ。

そして、またまた夏休みの子供の行事を決める時期になっている、のですね。

これについて、ワタクシは以前「お母さんは何故「お泊り会」に難色を示すのか」という記事を書きまして、これというのが5年も前の記事にも関わらず、今でもよく読まれておりまして、一体誰が読んでいるのかなぁ、とワタクシはいつも不思議です。

この時は世のお母さんというのは、子供がやりたがる「お泊り会」を、どうもさせたくないらしい、と知って、それは一体何故なんだろう、と思ったことから、考察したものでした。

それから5年たち、今でもそれは変わっていないのですが(お母さんが「お泊り会」に難色を示す、ということ)、それはお母さんのみならず、一部のお父さんとか学校側とか、そういうところでもこの「お泊り会」を阻止しようという動きがあるのです。

子供たちに意見を聞くと、必ずこの「お泊り会」をしたい、という希望が出されます。しかし、それはいとも簡単にオトナたちによって握りつぶされてしまうのです。

これは何故か。

家事育児や仕事にも忙しく、心配症のお母さん(これは以前の記事で出した結論)のみならず、子供の社会性を引き出す役割のはずのお父さんとか学校までもが反対に回る、ということに危機感を持ちましたワタクシ、ここでまたそれについて考えてみたいと思ったわけです。

その前にわが家では「お泊り会の何がいけないのか」「どうしてしたくないのか」ということを子供たちも含めて考えてみましたが、明確なダメな理由というのがワタクシたち家族には、とうとう分かりませんでした。

というのも、これは自由参加のものだから、子供がイヤ、行きたくないというのなら無理に参加しなくてもいいわけだし、親が手伝う義務、というのも役員などを除けばないわけです。それに例えば夕方にごはんを作ったり花火をしたりしてからお泊りということであれば、夕方の行事だけ参加して夜は家に戻る、という参加の仕方だって出来るだろうし。

なので反対する理由、というのはそこで分からなくなるわけです。子供が参加したい、というのならば、子供だけ参加させればいいのだからむしろ簡単なはず。子供のいない静かな夜を夫婦で、あるいは一人でゆっくり過ごしたっていいわけでしょう。

学校側が反対する理由は割と簡単に想像がつきます。おそらく「何かあったら困るから」というのが大きいのでしょう。

その「何か」というのは、もちろん何らかのトラブルです。夕方の数時間ではなく、泊まりとなると圧倒的に時間が長いし、夜中などの不安定な時間を含みますから、心配なのでしょう。

そしてやはり泊りとなると、夜の時間、オトナが少なく手薄になりますから、難色を示すヒトというのは、それが心配なのかもしれません。

ここには、その夜に一緒に泊まっている、例えばお泊り会に乗り気のお父さんたちなどなどに対する不信感、というのが感じられはしないだろうか。

子供たちだけではなし、たとえヨッパライが多数だとしても素面のオトナも1,2人くらいはそこにいるのだから(過去の例)、任せてしまえばいいものを、その不信感がそれを拒んでいるようにも見えます。

そしてワタクシが危惧するのは、そこには、その例えばヨッパライになってしまうかもしれないお父さんへの不信感以上に、コドモに対する不信感があることです。

コドモコドモと言うけれど、コドモはオトナが思っている以上にいろいろなことが分かっているし、見ているし、そして困った時にはなんとかする力を持っています。

そのことを全く信用してないことが、ワタクシは大きなモンダイである、と考えます。

何もかもをオトナがやってあげなくては、などと思うから面倒に思えるのです。

オトナは手を出さずに、いろいろ子供にやらせてみたらいいのに。そしてもしかして失敗した時には「ホラ言わんこっちゃない」などと言わずに助けてあげたらいいでしょう。コドモがやろうとしたその気持ちが大事なのであって、たとえ失敗したとしてもそれは褒められるべきことです。やろうとしたけど困ったことになった、そういう時こそオトナの出番なのであって、それを支えるのがオトナというものではなかろうか。

タイヘン厳しいようですが、ワタクシはこの「お泊まり会」を嫌がる風潮というのは、オトナの「人間不信」と「責任逃れ」を表しているような気がしてなりませぬ。もしかして、嫌がっているコドモがいるとしたら、それはもっと深刻なモンダイを孕んでいるのかもしれず、何らかの対策が必要なことかもしれません。

だってねー、普通は楽しいでしょう?

家族ではない親しいヒトと夜を過ごすのって。

オトナのヒトビトは忘れてしまいましたかしらね?そんなトキメキ。

前の記事に書きましたけど、ワタクシが子供の頃に毎年やっていた「校内キャンプ」は、いつまでも心に残る、楽しい思い出です。

別にお金をかけて旅行に行かずとも(旅行は旅行で楽しいとは思いますが)、こんなに簡単に子供に楽しい思い出を作ってやれる「お泊り会」を阻止する世界というのは、随分と窮屈な世界ではなかろうか。

という思いをますます強くしたワタクシですが、この窮屈で不寛容な世界に立ち向かう術を、まだ知りません。

5年前よりも、窮屈と不寛容はさらに進んでいるような、そんな気がして、ワタクシは少し怖いのです。

でも、いつだってコドモたちの間から「お泊り会をしたい」という希望が出るということが、きっと未来の希望なのだ、と思うことにいたしましょう。

そして、出来ることなら、いつかきっと、コドモたちのその希望を叶えてあげたい、と思うのです。

しかし子供時代は短く、光陰は矢の如し、そして草のイキオイはすごいのです(カンケーないけど)。

早くしなくっちゃなぁ。
























# by sanahefuji | 2019-07-11 09:04 | 雑記 | Comments(0)

彼は誰 誰そ彼

6月30日に「君の名は。」がテレビであって、それを見た、と書きました。

あの映画での感動的な場面の一つに、隕石が落ちた後の湖のほとりで、気配を感じながらも何度もすれ違って逢うことが出来ないでいた二人に訪れる、黄昏時の逢瀬の場面がありますよね。

日が沈んで、そこにいるのが誰だか分からないくらいの薄暗闇になる時のことを「誰そ彼(たそかれ)時」と昔のヒトが言っていたところから黄昏時(たそがれどき)という言葉になったそうですが、反対に夜明け前の薄暗闇の時間帯のことは「彼は誰(かはたれ)時」と言うのだそうです。

映画では、こちらの「彼は誰(かはたれ)時」をもじって(?)、糸森地方の方言として、そのような薄暗闇になる時間帯のことを「片割れ時」と言う、とお婆ちゃんが言っていたと思います。

「彼は誰(かはたれ)」と「片割れ」では少し違うけど、まぁいいか。「片割れ」という言葉がこの映画では重要ですからね。

それで、その「彼は誰」とか「誰そ彼」という言葉が気になったワタクシは、他にどんなふうに使うのだろう、とか思って、後でネットで調べていたのです。

その時にヒットしたのが、こちらの本。
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妙に気になって、書評を見ているうちに「読みたい」と思ったので、すぐに図書館走りまして、聞いてみたところ2冊ともあったので、メデタク、ワタクシの長崎行きのお供となりました。

河童の子供が出てくるお話で、ジャンルは児童文学です。

ワタクシは帰りのフェリーで「かはたれ」の方から読み始めました。

そして、すぐに気がつきました。

「ああ、これはワタクシのためのお話だった。」と。

主人公はその河童と、小学5年生の麻という女の子。

皆さまは既にお気づきかもしれませんが、わが家の次女の名前がアサ、ここではいつもカタカナ表記でしたが、実はわが家のアサもこのお話の主人公と同じ漢字の麻なのです。

麻という名前、そんなにありふれた名前でもないと思うので、これが同じ、ということに、まずワタクシはご縁を感じました。

4人の子供の中でも、いいところも悪いところもワタクシに似過ぎている麻と、この本に出てくる女の子が同じ名前ということで。

そしてこのお話の中の麻のお母さんは病気で死んでしまい、麻はお父さんと二人暮らしなのです。

お話の中の麻は小学5年生、ワタクシの母が亡くなったのはワタクシが小学2年生の時、ということで少し違いますが、母を亡くした小学生の女の子、という点では同じです。

そして、そういう経験をした子供、というのが、どのような気持ちになるのか、とか、どうやって回復していくのか。そういうことをワタクシはこの本で追体験することとなった、と思います。

これは、優しくて温かで、ちょっと不思議で、どこまでも美しい、お話でした。

「君の名は。」にハマったおかげで、この本にも導かれて、ヨカッタなぁ、と思いました。

しかしワタクシは、この本の中の麻のように、母が死んだ後に、そこまで何も考えなかったなぁ、と思いました。そして自分がどんな気持ちかなんて、まるで考えていなかったように思います。

でも、寂しかったんだね、と子供のころの自分に言ってあげたいような気がしました。

どうしようもない寂しさや不安、そういうことにきちんと向き合わなかったせいで、随分と遠回り、回り道をしてきたような気もしますが、全ては必然で、それでも良かったのだ、と思います。

うん、それで良かったのだ、と思いました。

いろいろなことは、こうしてちゃんとつながってゆくのだから、と。

そして、いつだって早くも遅くもない「ちょうど良い」時に、出逢いがあるに違いないのです。

そう、ほんの一瞬の「彼は誰時」のように。

運命とは、そういうものかも、しれませんよね。

もう一つの「たそかれ」は、まだ読んでいないのですが、こちらもとっても楽しみです。

お話って、こうやって作るんだなぁ、と、勉強にもなりました。

またゆっくり読みたいと思います。

「誰そ彼(たそかれ)」。









# by sanahefuji | 2019-07-09 23:22 | | Comments(0)

男コータロー かーちゃんの代わりに店番をする

こんばんは。

この間の土曜日、いつも動作のノロいワタクシが、船の時間に間に合わせるために、ものすごくスピードアップして「木ノ口かたし」の開店準備をしたのですが、やはり時間ギリギリになりまして、それは10分くらいで出かける仕度をしなくてはならないほどギリギリであったのです。なのでそれはもう焦ってアタフタとしながら家を出たのでした。

まぁしかし、1泊の荷物など特にたいしたことはなく、身仕度もカンタンですから、出かける準備は10分でなんとかなったのですが、一つ心残りだったのがアサ作のケーキを持って行こうと思っていたのに忘れたことです。

家の外に出れば、あのような材料で作ったケーキが150円で買える、などということはあり得ませんから、持って行きたかったのです。

そして出来れば、おにぎりでも作って行きたかったのですが、これも時間切れで無理。

港でおにぎりを買う羽目になりました。

まぁしかし、船に乗り込んでしまえば、ホッと一安心です。

今回は本を5冊も持って行ってしまったので、実に嬉しくホクホクとした気分。しかし、全部が文庫本でもないので重い、ということはありましたが、なあに、幼い子供を連れて行っていた時のことを考えれば、一人身なのですから本の5冊くらい軽いものです。

何より、コレに飽きたらアレ、アレに飽きたらコレ、というように気分に合わせて読めるのが良いですな。

このように、何かで出かけるというのは、その出先での用事のみならず、船の中から既に、いつもとまた違う種類の充実した時間が始まっているので、タイヘンにお得です。だからワタクシにとっては絶対にジェットフォイルよりもフェリーの方がいいのでした。

さて、ワタクシがフェリーの中で本を読んだりしている同じころ、「木ノ口かたし」ではコータローが店番をガンバッテました。
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努力の跡が見えます、その日の「木ノ口かたし」のノート。

ここで再びおさらい山伏の方曰く、世の中をよくするために取り戻すことが必要なのは「女の野生 男の度量」。今回のこのような場合もこれを体現するための訓練、ということになるのです。

女(この度はワタクシのことだけど)が直感(これがすなわち野生ということです)に従って動き、その直感のままに動く女を支えることで男の度量を広げていく、ということ、これの訓練。

それだと、なんか女ばっかり好きなことしてズルイんじゃないか、などと思われるかもしれませんがね、そんなことはありません、自分が思うように動けるということで生命力は弱らないし、心からの感謝の気持ちも芽生えます、なのでいざ逆の立場になれば、何の不満もなく女もちゃんと男を支えることができるのです。

それに男の度量が広がる、ということは器が大きくなる、ということですから、これは男女どちらにとっても、世のためヒトのためにも良いことなのです。

そのような、より良い男と女の関係を目指す、というのが、これからますます必要なのではないだろうか。

というわけで、「コータローお願い!今日はかーちゃんの代わりに店番頼むよ~。ねーちゃんたちはいないから、コータローだけが頼りだよ」と言うわけです。

すると、やはり小さいながらも男コータロー「うん、わかった!」と言って一瞬キリリとした顔をし、快く引き受けてくれた、というわけです。

前に「コータローが迷子になった話」のところでも書きましたけど、男というのは、いつだって「オレってスゴイと思われたい」生き物なのですから。まぁその時はそのことが裏目に出て、迷子になってしまったわけですが。

とりわけ女には「すごーい!かっこいい!!」と言われたいはずなのです。それが男というものではありませぬか、違いますか?

ミュージシャンのヒトビトが音楽を始めたきっかけというのが「女の子にモテたい」ということ以外の理由を、ワタクシは今まで聞いたことがありません。あったとしてもそれはウソです、多分。そして正直な方が魅力的です。

そんなわけで、このように特別なお願い事を自分がやり遂げる、ということで、小さいながらも男コータロー、度量を広げたのでは、なかろうか、と思う母。

男の子には、やり遂げた時に「オレってスゴイ」と思えるようなお願い事をせよ、ということを、ワタクシは息子を育てるお母さま方には提案したいと思います。

たとえば自分の夫には非常に冷淡なのに息子には大甘で、なんでもかんでもやってあげてしまう、ということは、何も特別な家庭のことではなく、日本中でごくありふれた家庭の風景であるかもしれませんが、それは、もしかすると将来、かわいいその息子が全く同じように妻に冷淡にされる夫になってしまう、という行為なのかもしれないのです。

というわけで、息子が「よか男」になって欲しいと願い試行錯誤する母の会、という方がPTAの母親委員会などよりも必要ではないか、と思うワタクシですが、皆さまも一緒に考えてまいりましょう。

しかしワタクシのところには息子が一人しかいませんから、どっちにしてもそのモンダイについては、たいしたことは出来ないのです。

ワタクシの大学の同級生とか、後輩などのところでは息子が5人とか6人とかいるところもあるから、それは実に頼もしいことです。

帯広畜産大学の友人たちはホント、だいたいみんな子沢山です。

どうしてかな、と考えた時、それはやはり、牛の発情とか繁殖というのが身近なことで、そういうことを学ぶ世界で生きていたからかもしれない、と思います。

政治家が言うと問題発言なのですが、ワタクシはやっぱり繁殖というのは、動物である人間にとってもすごく重要なことで、そのことについて、もっと言ってもいいんじゃないか、と思うのですよね。

長崎あたりに時々出て思うのは、どうしてみんなこんなにモノが欲しいのかな、いろんな物、食べたいのかな、ということなのですがね、それはもしかすると、動物である人間の繁殖の欲求というものをあまりにも、ないがしろにしているせいなのかもしれなくて、もっと言えば、親しい関係を築いて、お互いの心と体に触れ合う、とか魂が成長するような経験をする、いうことが圧倒的に足りないからなのかもしれない、と思ったりもするのです。

人と親密になって心や身体に触れたい、触れられたい、とか(男女のことだけでなく、きっと親子でも)、人間として成長したい、とかいう欲求が、そっくりそのまま物欲・食欲にすり替わっているような。

街を歩いていると、あまりの喧騒に、そんな気もしてくるのでした。

とはいえワタクシも、たまの街歩きはそれなりに楽しくて、物欲も大いに刺激され、可能な範囲でお買い物も、楽しみますのですけれど。

ガンバッてくれたコータローにお土産は何がいいか、と聞いたところ、

「歯ブラシ」とのこと。

妖怪ウォッチとドラゴンボールの歯ブラシ、2本買っても数百円。

しかしタイヘン喜んでくれました。

安上がりでヨカッタ!
























# by sanahefuji | 2019-07-08 22:56 | 雑記 | Comments(0)

マジェンダピンクの力

こんばんは。

今日の昼のフェリーで五島に戻って来ました。

長崎新聞レディスアカデミー「Do-iT」の2回目の文化講演会(講師はモデルのアンミカさん)、行ってヨカッタです。ホントに。

鮮やかなオレンジ色のノースリーブワンピースで現れたアンミカさんの足が長いこと、細いことに、まず目が釘付けになったワタクシ、予告通りけっこう前の席を確保できましたから、その優雅な姿、特にその歩き方の美しさに、うっとりとしてしまいましたよ。テレビなんかでも見たことはありますが、その歩き方というのを実際に目の当たりにしたワタクシは、本当にオドロキました。モデルというのは一般人とは全く別の生き物のように歩くのです。

それでいて、大阪育ちの彼女ですから「大阪のおばちゃん」テイストをところどころに盛り込みながら、皆を笑わせつつ、誰でもすぐにでも取り入れられそうな「美の習慣」、それは例えば立ち居振る舞いや「しぐさ」はたまた考え方や心の持ち方、などなどを教えて下さいました。

そうそう演題は「幸せを掴むポジティブ力」というのです。

冒頭にアンミカさんは、「私たちは一日に3000回、何かを選択をしている、と言われています。」というようなことを仰いまして、ということはその3000回の選択をポジティブにする可能性、チャンスがある、というようなことも仰いました。

ほんの小さなことでもワタクシたちは自分でそれを選んでやっている、ということなのです。だから、その一つ一つを自分にとってより良いものにしていくことが、幸せにつながる、ということなのだと思います。

これは激しく納得できることですね。

ワタクシはこの度、この長崎行きに際して、たいして洋服などは持っていないながらも、中でも気に入っているアレを着ていこう、と数日前にフト思いまして、それを着ていったのです。

その服、というのがですね、やはり買ったものではないのです。

去年のこと、何かを探しに入った雑貨屋さんで、お目当てのモノはなかったのだかれど、そこには「かたし」でもやっている「ご自由にお持ち帰り下さいコーナー」みたいに、ご自由にどうぞ、みたいなことが書かれた洋服がいくつかハンガーに掛けられていたのです。

その中にワタクシが前から好きだった色のものがあったので、それはパッと目に入りました。サイズも丁度よさそう、と思いました。

すぐに「欲しい」と思いました。タダなのですから、もらえばいいのでしたが、その勇気がなかなか出ませんで、何度も眺めて触ってはみるものの、やはりやめてそのまま帰ろうかと思い、帰りかけました。探していたものがなかったから何も買っていないし、タダのものだけ貰うわけにもいかないし。

でも、後ろ髪を引かれるのですよね、なんか。

なので、出ようとしたところで引き返して、今すぐ必要ではないけれど、確実に時々使うであろう「一筆箋」を買うことにして、そのワタクシが気になって仕方がない服をもらうことにしました。

おずおずと「これ、頂いていいんですか?」と訊ねました。そう書いてあるんだから、いいに決まっているのですが、小心者ですからやっぱりドキドキしてしまうのです。

レジの方は快く「どうぞ」と明るく仰って下さいまして、心底ホッとして嬉しさがじわじわと込み上げてきました。

パッと見て「いいな」「欲しいな」、と思うものなど、例えば長崎あたりのお店を歩き回って膨大な洋服を見ても、そうそうあることではないからです。

今回はそんなふうにしてワタクシのもとにやって来た、その服を着ていこう、それを着ていきたい、と思ったのですよ。数日前に。

そして、話は講演に戻ります。アンミカさんは講演の最後の方で、「チャクラ」の話を少しして下さいました。体のそれぞれの場所にある「チャクラ」というものと、その色について。

ワタクシはあまり詳しくないので、というかほぼ知らないので「チャクラ」というものについては、ちょっと説明は出来ませんがとにかく、その場所でそれぞれ決まった色がある、ということだけは分かりました。

例えば下半身は「赤」、心臓の近くは「緑色」、消化器の当たりは「黄色」というふうに。7つのチャクラと色があるそうなのですが、8番目のチャクラ、これはアンミカさん曰く、日本人特有のチャクラなのだそうですが、それの色が「マジェンダピンク」とのこと。

そしてその時に「この会場の中でも、このマジェンダピンクを着ている方っていますかね。」と言ったアンミカさんがスバヤク会場を見回し、「あ、何人かいらっしゃいますね。」と言った後にパッとこちらを向いて、真っ直ぐにワタクシの方を見たのです。そして「あ、あそこにもいらっしゃいますね、メガネの女性。」と仰ったではありませんか。

あまりに突然のことで、ビックリしてしまいましたが、ワタクシはアンミカさんと真っすぐに視線を交わすことができました。確かに目は合ったのです。そして目というのは最も力を感じる部分でもあるので、そのパワーを一瞬ですが一人占めしたような、そんなお得な気持ちになりました。

その時の会場、長崎ブリックホールの大ホールは殆ど満員だったようで、そうだとしたら、2000人くらいはいた、ということになるのですが、ワタクシの見たところ、その「マジェンダピンク」の色を身につけているヒトはほんの2~3人だったと思います。
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こんな色。でも、これはやや紫が強いのですが、もっとショッキングピンクに近いような色が正しいマジェンダピンクなのかもしれません。ネットで調べてみたら、このような紫に近いものから、明るいショッキングピンクまで、どれもマジェンダピンク、ということで色見本がありました。しかし、この色って意外と誰も着ていない色、ということが講演後、女の人ばかりの群衆を観察した結果分かりました。

派手すぎる、目立ちすぎると感じてしまうのかもしれませんが、ワタクシはこの色が昔から、とっても好きな色なのです。

だから、アンミカさんがそのチャクラの話をして下さって、ますます好きになりました。

そして、やはりここでも「直感に従うといいことがある」ということが分かりました。

朝起きて、寝るまでの間に3000回、その一つ一つを直感に従って選んでいくと、きっといいことがありますね。

皆さまもどうぞお試し下さいませ。

この度の長崎行き、書いておきたいことがまだあるのですが、夜も更けました。

今日はひとまず終わります。

ではでは皆さま、また明日。
















# by sanahefuji | 2019-07-07 23:59 | 催し物等 | Comments(0)

運気を上げる方法

おはようございます。

昨夜は「木ノ口かたし 夜の部」に団体様のお食事会のご予約が入っておりましたので、ワタクシの担当は「鶏おこわ」のおにぎりを作ることと、デザートのお菓子を作ること、でした。

最近では、毎週土曜日の「かたし」のお菓子もアサに作ってもらってるし、オヤツとしても全く作らなくなって久しいので、本当に久しぶりで、はて、何を作ろうかなぁ、と考えていました。

毎年、長野から送ってもらっている胡桃もまだあるし、たまたま買っていたバナナもそこにあったので、バナナと胡桃のケーキにしよう、と思いました。

小麦粉、卵はわが家のものがあるし、それなら材料を買いに行かなくてもすぐに出来る、と思って。

それで材料の分量を決めて、小麦粉~g、卵~個、バター~g、とメモして、それぞれの材料を揃えていた時のこと、冷蔵庫に使いかけのバターがあったので、それを秤に乗せたところ、なんとその分量ピッタリ!

1gの増減もなく、その分量通り、だったのです。

こういうのって嬉しくありませんか?

そして、さらにワタクシはオメデタイ解釈をいたします。

おっ、これは自分の直感力が上がってきてるんだな、などというように。


余談ですが、ワタクシは常々自分がタイヘンに運が良い人間だ、もしかすると運だけで生きている、と思うことが多い、というようなことは、時々書いているかと思いますが、この運がよくなる実にカンタンな方法があるので、お教えいたしましょう。

それは「自分は運がよい」「~運がある」と思い込むこと、なのです。

なーんだ、そんなこと、と思われますか?

しかしですね、これがあながちバカに出来ないのですよ。

そう思っているとその通りになるからです。だから、そんなふうなオメデタイ思考回路は持てない、という方は、せめて「自分って運が悪いな」などとは決して思わない方が良いかと思います。

そして、この~運、というのは、どんな小さな、そしてくだらないものでも良いのです。

例えばワタクシの場合だったら、これも前に書きましたけど「ぼっとん便所運」がある、ということ。これは同じ世代の女のヒトと比べると、格段に「ぼっとん便所」の家に住んでいる期間が長い(子供時代、学生時代、そして継続中)、ということで、誰にも負けない自信があるので、そのように言い切れます。

そんなものは、まったく羨ましがられないでしょうけれど、むしろ、「ぼっとん便所」がイヤで田舎に住みたくない、というヒトもいるくらいで(ホントにそういうヒトいましたよ)、全然自慢にも何もならない、運が悪い、とさえ思うヒトもいるかもしれないことです。

しかし、ワタクシはこれを「いやー、自分は『ぼっとん便所運』だけはあるんだよなー。」と前向きに解釈していると、不思議なことに、他の運も上がる、ような気がする。

そして、「自分は男運も実にいい」と思う。何故なら、自分がかつて「いいな」と思ったヒトは全員、いいヒトだったから、何もイヤな思い出がない、そして何も悪いこともない、それは自分に女の魅力というのがあまりなかったからかもしれないけれど、そういうことは置いといて、ホントに全くイヤな目に逢わなかった、ということで、運がいい、と思い込むのです。

これも前に書きましたけど、なんせ、学生時代、深夜に捨て鉢な気分で飛び出して道を歩いていた時に、横に停まったヤンキ―車のお兄さんでさえ親切で、ワタクシを目的地まで送り届けて下さり、別れ際に「オレを信用してくれてありがとう」などとお礼まで言われた、というくらいなのです。ワタクシはその「適齢期」の頃ですら、男のヒトに妙な気を起こさせるような、女としての何も発していなかったのかもしれませんが、そういうこともまぁ置いといて、実に運がいいノダなー、と思い込む、のです。

そうすると、ホントに運がよくなる、気がするのですが、それって他のヒトから見たら、特に運がいい、と言えることでもない、ということになるかもしれません。

まぁでもいいのいいの、本人がそう思っているのだから。

運がいい、とかいうのは、そういうものです。

なーんだ、と、またガッカリされてしまったかもしれませんがね、そう思えた方がよくないですか?


そうそう、お菓子のことを書いていたのでした。

それでその分量通りピッタリ残っていたバターも使って、無事にデザートのお菓子は出来ました。
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メデタシメデタシ。


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そう言えば、このコーヒーカップと紅茶のカップ、ハルさんの新作なのですよ。なかなか良いでしょう?

茶色の方はどちらも「かたし柄」です。



そのように直感力が上がってきているワタクシ(これも思い込み)、明日は「木ノ口かたし」を夫とコータローに任せて、またまた長崎新聞主催の第2回「Do-iT」文化講演会に行ってきます。

今回の講師はモデルの「アン ミカ」さんです。なので、これはなるべく前の席を確保して、美しいオーラを感じなければ!と思っておりますワタクシです。女子力アップ、諦めていません。ワタクシが毎週楽しみにしているラジオのサタデーエッセイに登場する哲学者、土屋賢二先生と同じくワタクシも「手遅れからでもガンバるタイプ」です。

というわけで、ワタクシは明朝、カマドでごはんを炊いて、玄米を炊いて、味噌汁を作って、「ふくれもち」を作って、開店準備などなど滞りなくすませて、長崎に行ってきます!

「木ノ口かたし」は通常通り営業しております。「かたしのお昼ごはん」もやってますので、どうぞよろしくお願いいたします。

そうそうワタクシは、いつもいつも書いている通り、凪運もあるのです。

だからきっと、明日も凪、かなぁ。

本をたくさん持って、船に乗りたい、と思います。

それでは皆さま、今日も良い一日を!





























# by sanahefuji | 2019-07-05 09:20 | 雑記 | Comments(0)

「ふくれもち」の話ふたたび

おはようございます。

昨日は急きょ修学旅行生の体験受け入れを頼まれまして、「ふくれもち作り」の体験活動をしてきました。
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昨日は大阪からやって来た女子高生8名。お決まりの(?)アンパンマン「ふくれもち」など自由に楽しく作りましたよ。既に大阪のお姉ちゃん、といった雰囲気を醸し出している華やかな子も多く、賑やかで楽しかったです。

この間、「ふくれもち」について書いたばかりですが、その1個80円でたいした儲けもないのに毎週の「木ノ口かたし」で作って売っているおかげで、このように突然の頼まれごとにも対応できるので、やはり自分が大事だと思うことを続けることって重要だな、と思います。

しかし現代の社会では、それがいくら重要だと言ったところで、お金にならないとヒトビトには見向きもされず認証もされない世界となって久しいですから、お金についても言いますと、これって小麦粉1キロ分作っても、そのまま売った場合は80円×24個で1,920円、ということは前に書きました。

ところが、その同じ分量を8名の「ふくれもち体験」の受け入れで作ると、受け入れの際の体験料金というのが決まっているので、それが1人当たり1,620円なのですよ。

ということは、1,620円×8名=12,960円、これから1人当たり100円の控除があるのでマイナス800円、とすると12,160円になります。

同じ小麦粉1キロ分の「ふくれもち」を作っても、体験活動だとこのように何倍もの収入になる、というわけです。貧乏人にはありがたい臨時収入です。

というわけで、大事だと思うことをチマチマとでも続けていると、お金にもなる(こともある)というのは、やはり何かを続ける上で励みにもなり、ラッキーなことですね。

とまぁ、現代社会の価値観に従って金のことをまず説明してしまいましたが、この体験活動の受け入れ、というのは、自分にとっても視野を広げるためにはタイヘン良いことでもあるし、都会で暮らす子供たちに、ほんの少しでも「街の暮らしとは別の暮らしがあるのだ」ということの片鱗でも伝えられたら、それだけでも何もやらないよりはマシ、なことではないか、と思っているのです。

もしかすると今の世の中は、都市と田舎の暮らし、というのは別の国の暮らし、くらいの違いがあるのかもしれない、と思ったりしますけど、それは古い家に住んで、こういう暮らしをしているワタクシだけが感じていることなのでしょうか。



せっかく五島に修学旅行に来てもらったのに、雨雨雨で、降り止まず、それで本当ならばシュノーケリングの体験を希望していた子たちが「ふくれもち作り」体験になってしまった、ということで気の毒なことだったので、ふくれもち作りが終わってから、一番近くの六方海水浴場に連れて行ってあげました。
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この時も雨は降り止まず、海の色も鈍色で、五島の美しい海の色を見てもらえないのは残念でしたが、女子高生たちは雨の中でも元気で海に向かって走って行きました。

そのような様子を見ていると、若いヒトの気配、というのを間近で感じることも、良いことだなぁ、と思います。

何よりも、ワタクシは自分の小麦で「ふくれもち作り」体験が、滞りなくちゃんと出来た、ということが嬉しく、そしてホッとしました。やっぱりね、上手くいかなかったらどうしよう、とか、いちいち緊張はするのです。
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種の時から知っている小麦ですもの、赤ちゃんの時から知っている子が成人式の振り袖姿で現れた、というくらい、ワタクシは嬉しいのですよ。

そして、もちろん、美味しかったです。

この「ふくれもち」、「木ノ口かたし」では80円で売っております、と現代社会でなんとか生きているワタクシ、宣伝もしておきましょう。

これでもかこれでもか、というくらい降り続いた雨も、ようやく上がったようです。

ではでは皆さま、本日も良い一日をお過ごし下さいませ。






# by sanahefuji | 2019-07-04 08:30 | 「かたし」のこと・商品について | Comments(0)

北海道にもう行けるかもしれない

こんにちは。

早いもので、もう7月。

NHKの朝ドラ「なつぞら」も半分終わりましたね。今回は北海道の十勝が舞台だったので、その風景を見ると、十勝の空気を思い出すのが嬉しくて、熱心に見ていたのですが、主人公の「なつ」が東京に行ってしまってからは、北海道の風景が見られなくなってしまったので、やはりそれほど熱心には見なくなってしまっていたのです。

でも今朝の「なつぞら」に、一瞬だけ出てきた十勝の「なつ」の家の外の風景の光の加減に、「あっ、この季節、分かる、この空気、覚えてる!」と思いました。

そして、胸がぞわぞわとして、思わずその場にうずくまってしまいたくなるくらいの、懐かしさを覚えました。

でも、もう大丈夫だ、とも思いました。

繰り返しになりますが、ワタクシにとって北海道というのは特別な土地でありまして、中学生の頃から思い続けて恋い焦がれて憧れて、いつか絶対に行くんだと心に誓い、そして帯広畜産大学に進学することによって実際に住むことが出来たのですが、住んでみたらばそれは思っていた以上に魅力にあふれる土地であり、ヒトも食べ物も気候も風景も何もかもが大好きで、嫌いなところなんか一つもなかった土地なのです。

それなのに、それなのに。

ワタクシは「ここじゃない」と感じてしまったのです。

自分が住むところはここじゃない、自分がやりたいことはここではできない、と。

どうしてなんだろう。あんなに好きだったのに。

後から理由はつけられても、その時の感覚というのは、何も説明できません。

それから、住む場所を探し求めていた時に、いろいろな偶然が重なって、五島の福江市での農業研修制度を知って、その問い合わせをしていた時のこと、それもここにももう書きまして、繰り返しですけれどもう一度書きましょう。

ワタクシは一度も行ったこともない、そして何事にも疎いワタクシですから、情報収集も事前の下調べも何もしていないし、ホントにホントに何も見たこともなければ、何も知りもしなかった五島の福江島、その海の風景、というのが頭の中に浮かんだのです。

そして「あ、わたしはここに行くんだな。」と感じたのでした。

昨日の話ではないけれど、縁というのは本当に不思議。

因縁、という言葉もあって、前世の何がどうなったからとか、いろいろ言われますけれど、それは本当に理屈では説明がつかないことだから、そんなふうに解釈するしか、ないのでしょうね。

まぁそれで、五島にやって来たわけなのですが、実を言えば、ワタクシはついつい最近までずっと、北海道に対する未練がありました。

親しい友人たちの殆どが北海道に残っているし、何しろあれほど大好きだった土地なのですから。それぞれ、別々のところにいるとは言え、道内にいる友たちが時々、無性に羨ましかったのです。

でもその羨ましさ、というのが、ここ1年くらいの間に完全に消えました。

自分の感覚、というのが本当に正しかったのだ、ということが分かったし、すとんと腑に落ちたのです。

北海道よりも、五島が好き。

ここが一番大好きな場所。

そんなふうに思うようになったのです。

だから、もう北海道に行っても、大丈夫だなぁって、今朝、「なつぞら」を見て思いました。

今年あたり、行こうかな。

北海道。

そんなふうに思えるようになるまで、20年もかかってしまったわ。

ホントにいろいろ、遅いのです。







# by sanahefuji | 2019-07-02 14:42 | 雑記 | Comments(0)

やっぱりヨカッタ「君の名は。」

こんばんは。

昨日はやっぱり「君の名は。」を見てしまいました。

前に書いた通り、世間より約2年半遅れで「君の名は。」にハマったワタクシは、昨年末にRADWIMPSの歌にもハマって、今年の目標を「美しくもがく」としたくらいですから、テレビであるとなれば、やはり見るに決まっているのです。

それにしても不思議なのは、世間で「君の名は。」が大ヒットしていた時にワタクシは、全くその存在を知らなかったことです。どうしてそういうことになるのかが、自分でもよく分からないのですが、ホントに疎いというか、なんというか、よほど視野が狭いものと思われます。

どれくらい疎いかというと、例えばホラ、この間、お笑い芸人のヒトと女優さんが結婚しましたよね、その二人をワタクシはその結婚会見がある時まで、見た記憶もなければ、名前すら全く知らなかったのです。だから、どうしてこんなに騒がれているのかが分からないわけです。

わが家にはテレビもあって、夫子供はテレビが大好きなので、お笑いの番組とかドラマとか、いろんなものを見ていて、ワタクシも自分の部屋とか書斎とかがあるわけでもないから、その同じ部屋にいて、多分、それらのいろいろな番組などをなんとなく見ていることもあるだろうし、目に入っているはずなのです。しかし頭には全く入ってないようで、何も知らないままなので、芸能関係の会話には全くついていけないのでした。

近ごろ、五島はよくテレビに出るのですけどね、そういう時に芸能人がレポーター(?)で来たりするらしいのですけど、みんなが誰誰が来ていた、などと話していても、それが誰だか分からない、ということが殆どで、その価値が分からないのは、もしかすると損かもしれません。

オシャレ関係と同様、芸能関係にもずっと疎いまま、世間にも疎いままだと、ヒトビトと世間話もできないし、やっぱりヨクナイのかもしれない、と思っているところですが、記憶力は衰えるばかりなので、なんとも心もとないことであります。

こうして何も分からない、話が通じないバァさまになっていくのかもしれない、と思うと、やはり視野が狭いのはヨクナイ、いろいろなことに普通程度の興味は持っていないとなぁ、などと思うのですが如何せん、世間の移ろいは速すぎてついていけそうもありません。

まぁしかし、2年半遅れても「君の名は。」の存在に気付いてヨカッタなぁ、と思います。

こんなに世界中のヒトがハマる、というのは、やはり縁と出逢いの妙、というのを全世界のヒトビトが感じながら生きている、ということなのでしょうね。

ホントにね、縁とか出逢いというのは不思議ですよね。

自分が今、こうして五島で暮らしているのもホントにホントに不思議。

ここで暮らせて、ヨカッタなぁ、と思います。

ご縁に感謝です。















# by sanahefuji | 2019-07-01 21:43 | 雑記 | Comments(0)

昨日も良い「木ノ口かたし」

おはようございます。

いつもながら、昨日の「土曜日開店 木ノ口かたし」の朝は早く、昨日は夜の部もあって、しかもものすごく蒸し暑い夜であったことから、いろいろな食べ物を、なんとかとにかく冷蔵庫に入れてしまってからでなくては眠れない、ということで、たいへんに長い長い一日になりました。

でもいつも思うことは、「木ノ口かたし」のお店にヒトが来てくれるってありがたいことだな、ということです。

というのも、こうしてヒトが来てくれなければ、会社などに勤めているわけでもないワタクシは、ほぼ誰とも会わず、家族以外の誰とも話さずに過ごしてしまうからです。

最近では、巷の店などに行くのも億劫で、買わねばならないものがあっても、なるべく先に延ばし延ばして全然行かない、というふうにしてしまうくらいです。前にも書いたような気がしますが、ちょっとしたことでワタクシはすぐに「引きこもり」気味になったり、ある方面に足を向けることさえ出来なくなったりしますから、「木ノ口かたし」という店を開けることはお金を稼ぐ目的のためだけではないのだな、と改めて感じます。

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昨日の朝、「ふくれもち」の生地を丸めながら、あの畑の小麦たちが、こんなに立派に「ふくれもち」になることがワタクシは本当にうれしくて、すべすべとして柔らかい生地を丸めたり伸ばしたりしながら何だかすごくシアワセな気持ちになり、いつか友が手紙にしたためていた文章の中の「好きなヒトに触れるってなんて幸せなんだろう」という言葉がフト浮かんだりしてました。

そして、ヒトの世にはさまざまな欲求はあるけれど、自分が好きだと思っているヒトとか、好きだと思っている物事に触れること、というのが、人間の基本的な欲求なのかも、と思ったりしました。それが満たされるとヒトは幸せなんだな、と。

まぁしかし、人間相手だと心と体に触れるところまでこぎつけるのが難しかったりしますから、物事の方が簡単で手っとり早いですね。そしてそれは金で買えることも多いのかもしれないし。だから金が万能、のようにもなるわけで、金さえあれば、となるんだなぁ。

しかし、この「ふくれもち」1個80円で売ってますけど、1キロの小麦粉で出来るのは24個。全部売れても1920円。商売として考えると、あんこ代も必要だから、その労力と得られる金額を秤にかけると「わざわざ早く起きて作って売るほどのことでもない」ということにもなってしまうのです。

金額としてはそうでも、作っている時のそのシアワセ感、というのは金に換算できないし、これは前の「かたし」で作って下さっていた地元の方から作り方を引き継いだもの、ということなどなども考え合わせると、「土曜日開店 木ノ口かたし」には、この「ふくれもち」がやっぱり必要だ、ということになるのです。金や数字で測れないもの、というのが、あるのですね。

まぁしかし、そのような、わが経営にはよくありがちな「重要だけれども直接お金にはならない」仕事も続けていくには「木ノ口かたし」昼の部夜の部で、ちゃんと稼ぐところでは稼ぐということも大事なわけで。

そのように、いつもいつも、それはそれは迷いながら、そして、「いつまで続けられるのかな」と時々フト思いながら、やっております「木ノ口かたし」、そんなお店にヒトビトが来て下さるのは、本当に本当にありがたい、ことなのです。

昨日も良い「木ノ口かたし」の一日でした。

昨日の「かたしのお昼ごはん」は、
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・チキン南蛮&ゴボウ
・キャベツとルッコラのスパサラダ
・焼きナス
・アスパラとインゲンとタコのバター炒め
・ジャコ天(すり身てんぷら
・キュウリの昆布和え
・卵焼き
・菜っ葉とタマネギと薄揚げの味噌汁
・カマド炊き白米&古代米入り玄米
・バナナ&胡桃のチョコチップ入りアーモンド風味ケーキ

でした。

昨日はタイヘン蒸し暑かったのですが、今朝は少しは涼しくなりました。

今日は行事も何もない日曜日、昨日の続きの洗い物をしたいと思います。時々フッとワタクシは「かたし」で一生分の洗い物はしたかもしれない、と思います。

だから、洗い物に関しては悔いはありません、多分。

でも、まだやり残していること、やりたいこと、やってみたいことがあるのです。

時々それもフッと心をよぎります。

叶って欲しいな、願わくば今世。

洗い物ガンバリますから、神様、どうか叶えて下さい。

ではでは、皆さまごきげんよう。

平和な日曜日でありますように。













# by sanahefuji | 2019-06-30 09:20 | 「かたし」のお昼ごはん | Comments(0)

お話作りのカタルシス

こんにちは。

本日、中学生の職場体験3日目は恒例のお昼ごはん作り。

わが家にある材料を使って、お昼ごはんを作ってもらいます。

ワタクシの担当は、羽釜で一緒にごはんを炊くこと、だったのですが、今回はおとなしい子ばかりで、なかなか難儀しました。

ナントカ体験をやっていて、一番コマッタな、と思うのは、前に書いた関西地方の工業高校の男子生徒みたいにヤンチャな場合よりも、むしろ「反応が薄い」ということかなぁ、と思います。反応が薄い、とホントこちらもどうにもしようがない、という部分はありますわね。

しかし表面的な反応は薄くても、内部では何かが反応していたりする場合も無きにしも非ず、と思ってやるしか、ないんでしょうけれど。

ワタクシなどは、中高生というのは、もうオトナと同じくらいに働けると信じて疑ってないので、わが家の中高生にはオトナの働きを求めるのですが、中学生の誰も彼もに求めるわけにもいかないのだな、ということが今回わかりました。

わが子自慢、みたいになって恐縮ですが、その実これは家庭内での母親無能化に伴う夫及び子供の家事能力向上推進委員会の途中経過報告という面もあるので書きますけれどね、この間ワタクシが日曜日の朝からグダグダとしたブログを書いていて、それがあまりに熱中しておったので気付かなかったのですが、その間に土曜日に干す機会を失っていた洗濯物も含めた大量の洗濯物をアサが全部干し終わっていたのですよ。

で、その干し方というのが実に見事で、その大量の洗濯物が早く乾くように、よく日が当たるようにピシッと、そしてズラッと干してあるわけです。

ワタクシは、自分だったらもっとダラけた感じに干してるなぁ、と思って思わず「アサ、お前の家事能力はスゴイなぁ。家政婦協会に登録してもいいくらいだよ。」と言って褒めたのです。そしたら特に喜ぶ様子もなく「は?誰だってできるでしょ。」などと言うわけです。

なので「いや、かーちゃんだったら、こんなにピシッと干さないよ。誰だってできるわけじゃないんだよ」と力説するも、「フーン」などと言って、さして感動もせずに行ってしまいましたが、いやホントにそうなのですよ。

もう何度も何度も言いますけれど、家事というのは誰でもほっといても出来るようになる、ということはないのです。だけど、暮らしていくには誰もが必要なことなのだから、出来るようになって損はないので、子供にやらせた方がいいと思うけどなぁ。そして、そういう能力は、どんな仕事をするにも役に立つと思います。

この度の職場体験では、ますますその思いを強くしました。

で、まぁ夫が殆どやっていたようなところもあるのだけれど、なんとか出来た昼ごはん。
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初日の魚もすり身てんぷらになり、恒例の鶏さばきでの唐揚げとチキンライスのオムレツ、そしてスープ、などなど。疲れたけど、美味しかったです。

今日はそんな感じで職場体験にも関わりましたが、昨日はワタクシ、午前10時くらいから午後3時くらいまで、誰にも邪魔されない場所に行って、本日(の消印有効)が締め切りの文章を書いていました。昨日書き始めて、今日が締め切り、というんじゃ、やっぱりどうしようもないのですが、それでもなんとか書き終えて、出してきました。

それは何かというと、JAの女性雑誌が募集している「家の光童話賞」というやつなのです。

これは原稿用紙5枚以内、という短いお話なのですが、ワタクシは今回書いてみて、お話を書くって楽しいんだなぁ、ということが分かりました。

こんなにギリギリに急いで書いて、経験も何もなくて、何しろ推敲だってまともにしてないから、きっと荒削りすぎると思うし、これって他のヒトが読んでも面白くないよなぁ、って自分でも思うので、賞なんてまだまだ先の話(でも先には取るつもりでいるところが、これまた自惚れが強いのですがの、ははは)だろうけど、もうホントにホントに書くのが楽しくて、面白かったのです。

創作の楽しさ、というのを初めて知りました。何が楽しいって、この短い文章の中に、自分の願望とか経験とか、思いとか、そういうものを全部、自由に入れることができるんだなーと思って。

事実だったら書けないことも、ホントに自由に書いてもいいんだな、と。だから、ある意味、おそろしくもあって、自分の心の中を全て見られてしまうような、そんな感じもしますね。

でも今回は、それがものすごく自分にとってのカタルシス、つまり浄化作用となったようで、今日はホントに気分が良いことこの上なし。

先週の金曜日には殆ど言いがかりのようにしてケンカをふっかけて勝手に最悪な気分になっていたりしたのに、まぁ単純バカというかなんというか、女心と秋の空、いやいや時節柄、梅雨の空とでも申しましょうか、自分でも呆れるくらいに心はコロコロと変わり、今はこんなに上機嫌なのだから単純なものです。

こうやって、心の中のモヤモヤとか、どうにも出来ない思い、現実には叶わない願い、本当に大切に思っていること、などなどを、お話の中に吐き出していくって、なんと良い療法だろうか、とワタクシは、遅ればせながら発見したのでございます。

まぁそれが、他人が読んで面白いかどうかは別問題、そして、それは今後の課題とすればよいだけであって、とにかく自分が救われた、というのが大きい、この度の「家の光童話賞」への挑戦でありました。

まぁヨカッタヨカッタ、間に合って。

そしてこの楽しみは、これから半永久的に自分の救いとなるような、そんな予感すらするのです。お話の材料だったら、冷蔵庫の食材と違って、置いておいても腐らないし、そしてその量たるや、ものすごく膨大にあるのだから。

とりあえず自己満足でもいいから、また書きたいと思います。そしてたまには、何かの賞の端っこにでも引っかかって、小遣い稼ぎにでもなればなぁ、などと甘いことを思っておりますが、そういう不純な動機も大事です。

そんなわけで、今週は平和でしかも行事もない金曜日、明日はきっと具合は悪くないはずです。

ではでは皆さま、ごきげんよう。

明日の「木ノ口かたし」も、どうぞよろしくお願いいたします。


















# by sanahefuji | 2019-06-28 15:06 | 雑記 | Comments(0)

ファイト!闘う君の唄を

おはようございます。

五島地方、ひどい雨でした。とにかくザーザー降り続きました、一日中、一晩中、という感じ。

カラカラの畑に植えたイモの苗が、ちょうどいい塩梅で活着するだろうと思った以上の雨だったので、畑の一部の土がえぐれる程の勢いで水が畑の中を川のように流れてしまい、植えたばかりの苗も随分と押し流されてしまったのでは、ないのかなぁ。

もう、ここ数年ずっと天気の移ろいは極端ですね。急に暑くなったり寒くなったり、カラカラに干からびそうになったかと思えばドシャメシャに雨が降り過ぎたり。なんだか、人間の世界がそのまま天気にも反映されて、いるような。

いろいろと極端な人間であったワタクシなどは、極端なのはあまりヨクナイ、上は熱過ぎて下は水、という風呂を沸かしている途中のような状態のままでは心地よく入れませんから、熱い部分と冷たい部分をよくよく攪拌してちょうど良い温度にした方が良いノダ、ということを、よく思います。

ワタクシは今でもそういう傾向は強いのかもしれませんが、興味のあることに対してはすごく熱くなるのに、そうでないことには全くの無関心、それはまるで全か無かの法則のようで、おそろしくバランスの悪い、無の方には冷淡というか冷酷とさえ言えるような態度になってしまう、というような。

不器用だとこのようになりやすいのですね。何しろ一度にいろいろな方面に注意を払えませんから。まぁしかし、これは人間としては幼稚な段階ではないだろうか。

今の人間の世界って、もうものすごくいろいろな技術は進歩しているようでいて、実は幼稚になっているのかもしれなくて、天はそれを反映しているのかもしれないなぁ、と思ったり。

さて、さんざん降った雨も今はようやく止んで、小康状態ですが、これからどうなることやら。本日の中学生の職場体験も、どうなることやら。

昨日は結局、雨が止まないので、この間収穫した小麦を石臼で挽いて粉にして、ホットケーキを作る、ということになったらしいです。

らしいです、というのは、ワタクシは午後から農業委員会の総会があったので出かけていて、作っているところは見ていないからです。
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しばらく使っていなかった石臼、絶好調ではなかったものの、なんとか挽けたようです。

そして総会から戻ってきたら、味見用に、少し残してくれていたの、かな?
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これだけありました。

見た目は黒っぽいのですが、もちろん、とっても美味しかったですよ。わが小麦が、こんなふうに粉になって、ホットケーキになって、食べられるとは、中学生たちは分からないかもしれないけれど、ワタクシにとっては感慨深いことでした。何かその「ひとかけら」でも、中学生たちにも伝わると、いいんだけどな。

本日ワタクシは、ちょっとどうしても書かなくてはならないことがあるので、家にいると気が散って書けませんから、出かけようと思っています。それで弁当をアサの分と二つ作りまして、その準備。
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たまには自分でも食べてみないとね。

職場体験には協力しないで申し訳ないですが、ワガママなワタクシをどうぞお許し下さいませ。

でもワタクシはやっと分かったのです。自分が何と闘っていて、何を手に携えて闘っていくのか、ということが。

だったら、もうそれを貫き通すしか、ありませんもの。

それでは今日も良い一日でありますように。

中島みゆきバージョンがないから、このヒトのもなかなかいいなぁ、と思いまして。

ファイト!





# by sanahefuji | 2019-06-27 08:26 | 雑記 | Comments(0)

いよいよ梅雨か

おはようございます。

昨日は、小麦の後の畑にサツマイモを植えました。
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まだ梅雨入りもしていなくて、カラカラのお天気が続き、とりわけ昨日は日差しが強かったので、植えた苗は干からびたようになっていますが、今日は雨。元気になることでしょう。ここまでは思惑通りです。

去年までは3列しか植えてなかったのですが、それでも1年食べる分はとれました。しかし今年は6列、と倍に増やしたので今年の秋はイモだらけになるかな?

イノシシの罠に入れるエサ用のイモを確保するのが目的のようですが、そのイノシシ、最近は全く獲れません。この辺りでは、すっかり鳴りをひそめています。この島の中でのイノシシ社会が、今どういう状況になっているのか、これからどうなるのかは、まだ分かりませんが、とりあえず被害がないのが一番です。このままひっそりと山奥で暮らしていてくれれば良いのですが。

さて、今日から雨が続くというのに、間が悪いことには、今日から3日間、わが家に3名の中学生が職場体験にやって来るのです。晴れていたら、いろいろな作業をしてもらえるのですが、如何せん雨降りでは中学生にやってもらうようなことがない、というので、いろいろ考え中。

そしてワタクシは、またまたちょっと書きたいものの締め切りがあったり、農業委員会の総会があったり、あーどうしようどうしよう、と心はまたまた忙しい。こうしてまたカオスのまま6月は過ぎ去ってゆくのだなぁ。

カオスと言えば、この間、読もうと思って取り寄せた「京大的アホがなぜ必要か」という本、「カオスな世界の生存戦略」という副題がついていたっけね。早く読まなくては。

早くも中学生は、やって来て、今日たまたまもらった魚の処理をやってもらっている途中。

農場に職場体験に来て魚の処理とは、こはいかに、と思うでしょうが、わが職場はなんでもあり、なのですよ。

なんだかんだで二つの中学校から毎年、中学生が職場体験に来るのですよね。ナントカ体験、というのがすっかり定着して久しい今日この頃ではありますが、普通に暮らしている中で、普通にいろいろな体験をしながら育つことができらた、本当は一番いいのだけれど、と、やっぱりワタクシは思うのですが、この現代の社会では、ムズカシイのでしょうね。

家で掃除とか洗濯とか、ごはんを作ったりとか、片付けをしたり、とか、家族の一員として、普段から普通にやってくれたら、一番いいんじゃ、ないのかなぁ。男も女も、どういう仕事をするにせよ、家事の能力というのは、おそらく生きている間中、必要なので。

と、家の中高生を当てにしているワタクシなどは、そのように思う今日この頃。

しかし、この雨、いつまで続く。コマッタな。

せめて明日からは、少しくらい外の作業ができると、いいのだけどな。

せっかく「うとん山農場」の職場体験に来た中学生が、農場の職場体験が出来るように。

いやいや、ますます激しく降ってきた。

コマッタ。

ではでは皆さま、今日も一日、ごきげんよう。

良い一日でありますように。









# by sanahefuji | 2019-06-26 09:09 | 雑記 | Comments(0)

トライアスロン大会「バラモンキング」の楽しみ

おはようございます。

昨日はこれを書いている途中にコータローが「絵本よんでー」と言ってきたので、布団に入って一緒に絵本を読んでいるうちに寝てしまいました。

思えば、前はいつもこうだったな、と。こういう場合、ほぼ100%一緒に寝てしまう、というパターン。

先週がいろいろと忙しかったので、いつの間にか家がグチャグチャになっていて、小中高それぞれの学校やらお役所などなどからもたらされる紙がわっさわさと溜まっていて、見てないものもたくさんある、あ、これも前はいつもこうだった、と思い出しました。

わらわらと小さい子供がいる時期って、ホントに片付かないし、疲れているし、で、何もかもが途中のまま一日が終わり、また次の日が始まる、という感じだったなぁ、と。

でも4人目が小学生ともなると、普段は家の中も割と秩序を保てるようになってきていたのだな、と再確認。状況は刻一刻と変化していくものです。

さて昨日は、日曜日に開催されたトライアスロン大会「バラモンキング」のことを書いていたのでした。

ワタクシは今年も、ランの最後の選手が通り過ぎる夜の9時過ぎまで、沿道で応援をしました。

ワタクシは今回、町内のボランティアではエイドステーションではなくて、旗を持って2時間半くらいずつ交差点に立っている係だったのですが、その後は自由なので、もう家に帰ろうかなぁ、と思っていたのです。というのも前述したとおり、家の中がグチャグチャになっておりましたから。

しかし一旦、ランの選手の応援を始めると、もはや抜けることが出来なくなってしまいました。応援しているうちに、このようにガンバッテいるヒトビトを応援するということは、随分と自分のためにもなるんだなぁ、と思って、これはやはり最後までいなくては!という気持ちになってしまったのです。

ワタクシは、どうせやるならより良い応援をしたい、と思いまして、どうするのが一番良いのか、と考えた結果、通るヒトビトは殆ど知らないヒトだけれども、そのお一人お一人が全て自分の親しいヒトであるように応援してみたらどうだろう、ということに思い至りました。

自分が親しくしているヒト、例えば仲の良い友達とか、好きなヒト、とか、まぁそういうヒトが、このトライアスロンの選手であって、ランのコースを走って来た、としますよね、そしたらヒトはまずパッと満面の笑みを浮かべる、でしょう?もうそれは、ごくごく自然に、輝くような笑顔をそのヒトに向けるはずです。

そうして手を振ったりして「ガンバレー!」と心から応援します。

それを、この度ここを通る全ての選手の皆さまにやってみよう、というわけです。

そしたらですね、とっても面白かったのですよ。

なんかそういうのって、通じるヒトにはすごく通じるんだな、と思って。そして、一見反応がないヒトでも、それはもう苦しくて応援に応えることが出来ないからであって、それでも何かうっすらと応えようとする気持ちを感じる、というヒトビトが殆どなのでした。

そのような心の交流、というのを、ほんの一瞬ただ応援するだけでも持てるのだなぁ、と思ってワタクシはすごく嬉しくなりました。

こんな過酷なレースに挑もうなどというヒトビトは、パワーのあるヒトビトばかりなのだから、そういうヒトビトから、その力を分けてもらえるのです。

とりわけカッコいいヒト(男女どちらも)が、この苦しい最中にニコッと一瞬微笑んで下さったりした時にはもう、キャーとか思って、あーいいもの見たなぁ、得したなぁ、とホント思いますから。美男美女って、それだけでも目の保養、笑顔はさらに周りのヒトをシアワセにしますから、出し惜しみすることなく微笑んで頂きたい、とワタクシは願います。

このランのコースは2往復するので、2回目に通るヒト、というのは腕に黄色の蛍光色の腕輪をつけているので分かるのですが、その2回目の、しかも帰り、となると、もうここを通るのは最後ということになります。だから、ああ、もうこのヒトたちと会うのは最後なんだな、って思って、惜別の情すら込めて応援するようになります。

そうすると、それが通じるヒトには、まるでホントに知り合いであるいかのような交流が生まれたりするのです。だから、たかが応援、されど応援、どういうところでもワタクシの課題である人間理解の訓練、というのは出来るのだなぁと思ったことでした。

というわけで「バラモンキング」、楽しかったです。選手の皆さまや、お世話係の皆さま、お疲れさまでした。

トライアスロン、と言えば、ワタクシの好きなフォークシンガーの高石ともや氏を思い浮かべるのですが、今70代の彼はもう随分前から走るヒトで、51歳の時にはアメリカ大陸横断マラソンを完走した、というくらいのヒトなんで、走る歌、というのも何曲かあって、それを久々に聞いてみようかなぁ、と思ったのです。

そしたら、東日本大震災の時にワタクシのブログに、高石ともや氏の「どこにいればいいんだろう」という言葉を検索して入って来た方がいて、その「どこにいればいいんだろう」という歌を久しぶりに聞いて、ものすごくハッとしてので、ここに貼っておこうと思ったら、それが上手くできないので、結局今日は写真も歌も、何もなし。

と思ったけどせっかくだから、ワタクシの学生時代のサークルのテーマソングでも貼っておきますか。


学生時代にこういうのを歌ったり聞いたりしてるのって、アンタ一体年はいくつ?という感じなのですが、ずっと前から常に、現代から遅れながら生きていた、ということなのですね。














# by sanahefuji | 2019-06-25 07:33 | 催し物等 | Comments(0)