カテゴリ:本( 11 )

本日、長崎泊です

8月にあるはずだった女性農業委員の総会&研修会&懇親会などが、台風の接近により延期されて、今日になったので、本日ワタクシは長崎に行ってきます。

もう随分前から、今回の船の中&宿で読むものは決めていました。

それは、石牟礼道子姉さんの(この夏からワタクシにとって彼女は尊敬すべき姉さんと決めた)「西南役伝説」です。ハードカバーの重い本の中にある話なので、どうしようかと迷いましたが、なあに重いって言ったって赤子をお腹や背中に抱えて子供の荷物を持って移動するわけでなし、一人身で行くんだからよかろう、と持って行くことにしました。
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この中の左側の本の中に入っております「西南役伝説」とは、西南戦争の舞台となった薩摩や天草の地を訪ねて古老に話を聞いて書いたもの、ということのみ、ざっと知っております。とある作家さんの解説を読んで、これはすぐに読まねば!と思ったら、ワタクシが持っているこの本の中にあったのにまだ読んでなかった、ということが分かったので、この機会に船で読むべし!となったというわけ。

その他は図書館で借りました。真ん中のもけっこう重い(重量が)ので持って行くかどうか、ギリギリまで検討中。右のはちょっと疲れたら読もう、と思って、軽めの本。何人かの女性作家さんの短編集ですが、ワタクシはこの中では森絵都さんが好きなので借りました。

こうして船で読む本の選択はすぐに決まるのに、着ていく服が決まらないのはいつものこと。そもそも服をあまり持っていない、ということはありますが。

まぁしかし、今回は人前で発表するとか、そういうことがあるわけでなし、なんだっていいのですが、暑いか寒いか、とかその辺でも迷うでしょ。

この年になってもヒトさまのお下がりばかり着ているワタクシは、そろそろ新しいお下がり(?)が欲しいな、などと思っている今日この頃、いやたまには買ってもいいんじゃないか、などとも思っていて、家族のお土産ばかりではなく、よーし今回は長崎で自分の服の一つでも買おうかな、と思ったり。

たまには、そうやって街をウロウロするのも楽しみです。

いやもちろん、女性農業委員としてのお役目もしっかり果たしますよ。ホントホント。

ではでは、行ってきます。

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by sanahefuji | 2018-09-19 06:24 | | Comments(0)

心の支柱

図書館の本の返却期限が8月1日だったので、どうしても返さねば、と思って昨日図書館に行きました。

本当にお恥ずかしい話ですが、ワタクシは返却日を守らない常習犯で、いつも遅れてしまうので、そういうところがイカンのだ、と思い、絶対に返却日を守ろうと心に決めていたところだったのです。一事が万事と言いますからな。

それで昨日、図書館に行ったらばですね、この本がまるでワタクシを待っていてくれたかのように、そこにありました。
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迷いの多いワタクシに一筋の光明をもたらして下さるに違いないこの本、さっそく借りてきました。

いつの間にかワタクシも四十路の半ばを過ぎ、もし長生きできたとしても、既に人生の半ばを過ぎたわけなので、残された自分の人生の時間や労力を何にかけるのか、ということを考えた時、自分の中でそのことはもう明白です。

以前にも書いたことがありますが、自分にとって幸せな出会いや経験をたくさん与えてくれた「農業」「合唱」「田舎の暮らし」これらのために自分が出来る限りのことをする、ということです。

そして、前々からその3つの他に「言葉」ということを入れたいという思いもありました。

人間が育つためには食べるものや環境なども大切ですが、この「言葉」の重要性というのを、最近特に感じるからです。

もう随分と前のことですが、いつものように土曜日の早朝に「木ノ口かたし」の開店準備をしながらラジオ深夜便を聞いていると、その時「明日への言葉」というコーナーで「心をほぐす詩の授業 奈良少年刑務所での取り組み」というのをやっていました。

この題名通り、奈良少年刑務所で、作家で詩人の寮美千子さんという方が、少年受刑者に詩の授業をした9年間の取り組みについて語って下さっていたのですが、少年たちの閉ざされた心が詩の授業によって徐々に開かれていく様子、少年たちの作った詩にワタクシは大変感銘を受けました。

最後に、一人の少年がお母さんを思って作った「空が青いから白をえらんだのです」という詩にシンガーソングライターの方が曲をつけて歌っている歌が流れたのですが、それを聞いたワタクシはもう本当に涙涙で、朝っぱらから随分と泣きました。

この少年たちが、刑務所に来る前に、そういう授業を受ける機会があったら、自分の気持ちを表す「言葉」を持っていてそれを聞いてくれる人がいたら、罪を犯すことはなかったのではないか、というようなことは寮美千子さんも仰っていたと思いますが、ワタクシも本当にそうだと思いました。


やはり以前に、元NHKアナウンサーの山根基世さんが五島に講演にいらした、ということを書きましたけれども、その時に聞いた印象的な話が最近読んだ御著書の中にありました。

作家の立松和平氏との対談の中で、

「私は今、子どもの言葉を育てる、ということを目標に掲げて活動しているけれど、とにかく子どもの言葉は地域の人との繋がりをもう1回繋ぎ直すところからはじめないと育たないと思って。
 だから地域づくりと絡めて、一つの共同体ができて、子どもの言葉を育ててゆく、こういう形を全国に作っていきたいと思っているんだけど、ああ、そっか、これは立松さんが言ってたことと同じだって。」

というような箇所がありましたので、それをここに記しておきたいと思います。

世の大きな流れは明らかに別の方向に流れ続けている、と思いますが、たとえ小さな力しかなかったとしても、ワタクシも何か出来ることをしたい、と思っています。

昨日借りた石牟礼道子さんの、この御本をパラリとめくって1ページ読んだところで、じーん、として、そんなふうに思ったのです。

フト、顔を上げるとそこには、ちゃんとこんな標示が掲げてある!
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そうだそうだ、そうなんだ。その大志は何も世間の誰もが「おぉ」と思うようなことでなくてもいいのだ、とも思いました。どっちにしても少数派の人生です。でもその中で、自分が美しいと思うもの、大切だと思うもの、を、きちんと守っていけるような力が欲しい、と思います。

と、まぁこのようなことを、ここに書き連ねているのも、ワタクシの心はじつにフラフラとしていて、言ってることとやっていることが一致してなかったり、決めたことを守れなかったり、タイヘンに弱いからなんです。

もともとがデラシネ(根なし草)気質、旅人気質で、いつ糸の切れた凧のようになってしまうか分からない、という恐怖も自分の中にあるのです。

あ、そうそう、ギリギリ体質もやっぱり変わらない。

子供の合唱の衣装、難しいところは他のお母さんがやって下さっていて、自分は簡単なことだけすればいいというのに、それが明日までなだというのに、終わってないんです、トホホ。

情けなし。

では、今からガンバリマス。

こんなの書かずに、そっちを先にやればヨカッタのですね。

しかし、ワタクシは心の支柱ともいうべき、石牟礼道子さんの新しい本が手元にあって、それが嬉しくて仕方なくて、書かずにはいられなかったのです。









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by sanahefuji | 2018-08-02 22:27 | | Comments(0)

苦しくて苦しくて楽しい

昨日は大雨でした。

雨が降ったら農家のヒトって何をしてるんだろう、と思われたりしていると思いますが、というか、ワタクシなどは、このヒト一体何をしているんだろうか、と思われているような人種に違いないのですが、自営業というのは、やることは本当に限りなくあるもんです。その上、農業委員など、地域の頼まれ仕事なんかも複数あったりして、貧乏暇なしの見本のようなもんですな。

今は農繁期ですが、外の仕事が出来なければ事務仕事なんかも、たまりにたまっているし、家事と一緒でやりだしたらキリがないのです。

で、昨日のような大雨の時にでも、やればいいものを、昨日は2度目の「なんちゃってルポルタージュ」の原稿を書いていました。例によって、また地域の「公民館だより」に先月行われた、アサ&サトたちの中総体の記事を載せるのです。

これを書くために、ワタクシは中学校に歴代の卒業文集まで見に行ったり、インタビューをしたり、まぁとにかく相当な取材(?)活動をしたのでした。

ところが記事の文字数は前と同じく800字程度なのです。つまりたったの原稿用紙2枚ほど。いろんなことを書きたいもんだから、全然収まらないし、まとまらないし、簡単に考えていたところが、ちっとも進まず、相当に苦しむことになりました。

昨日は朝の3時半くらいに起きて、それまで少し書いていた続きを書き始めましたが、午前中には仕上げるはずが、全く出来ず。

そうなると、ジリジリと焦り始め、ますます混乱するばかり。

もう七転八倒というくらいに、出来ない出来ない出来ない、どうしようとなりまして、晩ごはんの準備もできないから、もうラーメン、とかになってしまって(子供は大喜び)、一体何をやっているんだワタクシは、文章なんか全然書けやしないんだ、と落ち込み、疲れ果て、ボロボロになり、夜になり、もう一旦寝よう、と思って布団に入っても、今度は眠れず。

仕方なく起き出してまた、清書のためのパソコンに向かうと、不思議なことに、やっとスーッとまとまっていって、なんとか仕上げることが出来ました。

それが今日の午前2時ごろのこと。

たったの800字に、なんという膨大な時間を費やしてしまったのだろう、と思うのですが、これが快感で。

あんなに苦しんだのに、それが出来上がってしまうと、気持ちが良くて、もう最高の気分になってしまう、という、この「ヤバイ感じ」を味わってしまったのです。

コレってまるで、何か薬の作用みたいだなぁ、と。

もしかして走っているヒトなんかもこうなるの?

と思ったり。

というわけで、今日は最高の気分。

出来栄えなんかは、どうだっていい、というか、一応出来たんだからそれでいい、という感じで。内容などは、どっちみちたいしたものではないんです。出来あがった達成感というか充実感というか、苦しみから解放された開放感というか、それがすごくあって。

ご褒美に読みたかった本を借りてきてしまいました。
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農家や主婦にとって読み書きは大敵です。というのも、読み書きを始めると、動かなくなって何もはかどらなくなるからです。前に書いたことがありますが、父親が「昔のヒトは本を読むもんは怠け者っち、いいよった」と言っていたくらいです。

本当にそれはその通りで、本を読みだすと誰も動かないので、わが家では読書はけっこう煙たがられてます。

でも面白いですもんねぇ。書く方も、この苦しくて楽しい快感を味わってしまったので、まだまだやりたいです。

ナマケモノ人生はやめられません。





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by sanahefuji | 2018-06-20 13:04 | | Comments(0)

キーワードは多様性

なんとなく図書館で手に取ったこの本、
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こういう類の本は字が小さくて分厚い上に、外国映画の吹き替え版のような雰囲気が合わなくて読み進められずに挫折、ということもあるのですが、思った以上に面白くて興味深い内容でした。

ワタクシはダイエットに興味があったのではなくて、食べ物や食べ方の情報が氾濫している中で、何かそれについて考える指標のようなものが得られないかと思ったのです。

今の世の中、とにかく食べ物についての情報は膨大で、何を食べた方がいい、とか、あるいは食べない方がいい、とか、体にいいとか悪いとか、こうして食べた方がいい、とかなんとかかんとか、もはやワタクシには何が何だかさっぱり分からない感じです。

かく言うワタクシは、食についてこだわっている、と思われがちですが、実は「特別なことは何もしていない」と言えます。

何かを食べない、とか避けている、というものもないし、健康のためにやっている食習慣、というのも特にないのです。少し無頓着すぎるかもしれない、と思っているところです。

なので、世に氾濫する「これを食べれば~」とか「これは食べない方が~」とかいう話は一体どこまで本当なのだろうか、という思いがあり、またそれらをどう考えればいいのだろうか、という思いもありました。

そして、この本に書かれてある一つの真実に納得しました。

それは、誰一人として同じ腸内細菌を持ったヒトはいないから、食べたものに対する体の反応は一人一人みんな違う、ということです。

著者は長年、双子を対象にした研究なども行っているそうですが、同じ遺伝子を持ち、同じ環境で同じ食べ物を食べて育っても、一方は太り、もう一方は太らない、ということもあり、それを説明するのに、腸内細菌のコミュニティの違い、ということがありそうです。

そして、確実に言えることは、例えばアフリカなどの民族で伝統的な暮らしを守っている人は現代文明の中で暮らしている人よりも腸内細菌の種類が多く、多様性に富んでいる、ということだそうです。

ヒトの健康を司る一つの鍵は「腸内細菌の多様性」、ということが言えそうです。

だからと言って、今流行りの、腸まで届くなんとか菌、というのが誰にでも有効ということはないし、これを食べれば大丈夫、というような魔法の食べ物もない、というのは、前述したように腸内の環境は一人一人みんな違うからです。

そしてこの本の中で、ワタクシにとっては、実に実に興味深い記述がアレルギーに関する項目にありました。

その部分をそのまま書いてみます。

「新生児のときに多様性に富んだマイクロバイオーム(人間の腸や口腔、あるいは土壌中にある微生物のコミュニティ)をもっていることは、将来のアレルギーのリスクを減らす上で不可欠のようだ。その多様性をもたらすのは母乳だが、それを支えているのは、母親の健康的な食事であり、遅めの離乳であり、家がそれほど清潔でないことだ。」

この最後の「家が清潔でない」というところに「おっ」と思ったワタクシがさらに読み進めていきますと、

「衛生仮説と清潔ヒステリー」という中見出しがあり、このように続いていました。

「アレルギーに関心のある人なら、『衛生仮説』という言葉を聞いたことがあるかもしれない。この仮説の生みの親であるデイヴィット・ストラカンは、子どものぜんそくや湿疹の発生状況を誕生時から追跡した全国規模のデータを見て、強い興味を持った。ストラカンが気づいたのは、イギリスでは湿気の多い住環境とアレルギーの発症の間に相関関係があることだった。ただしその相関関係は、直感的に予想されるようなものではなかった。湿気の多い劣悪な住環境や、家族が多くて狭苦しい家のほうが、実際にはアレルギーが起こりにくかったのだ。」

ここまで読んで、この最後の文章、すなわち「湿気の多い」「家族が多くて狭苦しい家」というのは、まさにわが家のことではないか!と苦笑、しかし、確かに家族全員、誰も何のアレルギーもありません。

そしてさらに読み進めていくと、
 
「この結果は、バイアスの原因となりうる別の要素を調整しても変わらず、ほかの国でも裏付けとなるデータが得られている。このようにして、行きすぎた衛生観念が現代のアレルギー疾患の原因となったという仮説が生まれたのだ。
 あまり衛生的でない環境で、日常的に動物と接したり、寄生虫に感染したりしながら育った人というのは、せんそくやアレルギーにかからないようだった。」

とあり、「そうか、そうだったのか!」と激しく納得したことでした。

さらに長文ですが、この章の最後の文章を、ワタクシはどうしてもここに紹介しておきたいと思います。

「アレルギーをもつ子どもの母親の多くは、罪悪感に苛まれて、死をもたらすほど危険なアレルゲンの攻撃から子どもたちを守ろうとする。アレルゲンを含むほこりや動物の毛を取り除いて、自分の家を、無菌実験室として使えるほど清潔な状態に保とうと大変な労力を費やしているのだ。そればかりでなく、ナッツやグルテン、小麦、卵がほんのひとかけらでも食物に入り込むのを心配するあまり、食事をしていても、ボルジア家の祝宴に出ているような気分になってしまう人もいる。
 ナッツアレルギーが死につながる場合があるのを考えれば、この不安はもちろん理解できる。しかしその一方で、家を農場のような状態にしてペットや、なんならブタを飼ったりすると、アレルギーの発症率が高くなるどころか、むしろ低くなるという研究もある。ペットと暮らすことには、長生き、アレルギーの低減、うつになりにくくなる、など健康上のメリットがいくつかある。そうしたメリットの一部は、ペットの毛の汚れだけでなく、多様性に富んだペットの腸内細菌からもたらされるものだ。
 汚れや多様性を友人として受け入れること、そして食物不耐性が重大な病気だという考えを捨て去ることは、たしかに難しい注文なのだろう。しかし、次の世代のことを考えるなら、それは重要なことだと言えるかもしれない。」

最後の一文にワタクシは殆ど泣きそうになってしまいました。

人間以外の生き物を、何か汚いモノ不潔なモノ、あたかも「バイ菌の塊」のように思って排除しようとする傾向に、ワタクシはものすごく心を痛めていたし、また、その不寛容な世の中に、危機感を持っていたからです。

「汚れや多様性を友人として受け入れること、それが次世代のために重要」ということを、最先端の研究をしている科学者が言って下さっていることは、大きな希望になりました。

あ、だからといって、家やお店、それに農場を汚れ放題にするわけでは、もちろんありません。普通に清潔な環境にしておく努力は、自分にとっては最も必要なこと、ということには変わりありません。苦手な掃除をしなくていい、という理由にはなりませんから。

しかしながら、「うとん山農場」&「木ノ口かたし」の田んぼの活動、動物たちとのふれあい体験、みんなでする味噌作りなどなどは、皆さまの腸内細菌の多様性のためにも実に貢献できる活動ではないか、と思い、ますます自信を持って進めていきたい、と思った次第でありました。

そして、また「田舎での子育て」をおススメできる大きな利点が一つ、追加されたような気がします。

そんな理屈を抜きにしても、田舎での子育ては楽しいのですから、ワタクシはいつでもおススメいたします。























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by sanahefuji | 2017-10-20 07:57 | | Comments(0)

読書の楽しみ

昨日は授業参観で、全校生徒が水泳の授業でした。

その後、学級の話し合いがあり、全国一斉に行われる学力テストの結果についての話がありました。それによると長崎県は全国で比べてみるとと点数がかなり低い方であり、また、長崎県の中でも五島はさらに低い、ということでした。

それで先生方も子供たちの学力をつけるために、ということで、家庭学習の様子などを聞かれてました。

ワタクシがサトを見ていると、常に宿題や自学などの家庭学習は後回しにして、学校から帰ってきたらいつまでものんびり本を読んでいる感じなので先生にも正直にそう申し述べたのですが、他のお母さんたちは違いました。もっときっちり子供にやるべきことをやらせている、という感じなのでワタクシなど不肖の母親は感心するばかりです。

「こうしなさい」「ああしなさい」などということを子供に言う時、自分が出来ていないことだと途端に説得力がなくなるもので、やるべきことを後回しにして本を読んでしまう、というようなことは、まさに今もワタクシがいつもやってしまうことであるからして、サトのそういうところを見ていると、まるで自分のことのようだ、と思ってしまうのです。

なので、ワタクシ「やることを先にやってから、本を読んだり後でゆっくりしなさいよ。そういう癖がついていたら将来ホント助かるんだから。」と実感を込めて言うことはできます。もうこれはホントにその通りなんですから。しかし子供には先のことが見えませんから、どこまで聞いていることやら。

子供は親の言うことよりもやることを見てしっかり真似するのだ、という見本のようなことですね。

しかし、本を読むってホント楽しくて面白いですからね。なかなかやめられないのも分かるのです。

夏休みにサトが買った「赤毛のアン」を、この間パラパラとめくって読んでいたところ、自分が子供の時に読んだのとはまるで違う感覚になるのに驚きました。あれ、赤毛のアンって、こんな静かな感動で泣ける話だっけ?というように。

自分の経験値が上がっているから、人生の機微というか、細かいことがいろいろ分かるようになっているんですね。読書にはこういう楽しみもあるんだなぁ、と思いました。

普段は、なかなかまとまった読書の時間というのはとれませんが、どこかに出かけるとなると、それが可能になります。そう、船の中です。

本日は、また農業委員の研修が諫早であるので、それに行くことになりまして、早速図書館で本を借りてきました。少し涼しくなってくると、推理小説などがいい感じだなぁ、と思って、なかなか有名なコレ。
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ドラマなんかにもなったんじゃなかったかな。でもワタクシは読んだことがないので借りてみました。

読み終えたら困るから、その「赤毛のアン」と昨日、小学校の図書館で手にとって、これは読まねば、と思った本も持って行こうと思います。
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残念ながら、とワタクシは大いに言いたいのですが、今回はジェットフォイルなので行きは船の時間が短いのです。フェリーの方が断然いいのですが。

こんなこと言っていては、まるで遊びに行くようでイケマセンが、ワタクシはもう何十年も農業について大真面目にいつも考えているのであるからして、農業委員の研修もきちんと受けてきますよ。ホントホント。

それでは、皆様も良い一日をお過ごし下さいませ。




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by sanahefuji | 2017-09-06 07:48 | | Comments(0)

対岸の彼女

長崎港のターミナルの売店に、古本コーナーというのがあって、何年か前にワタクシはそこで松本清張の文庫本を確かほんの百何十円かで2冊買った、ということがあったので、あのコーナーってまだあるんだろうかと思って売店に行ってみたら、ありました。

古本コーナーは新しい本を売っている隣に並んでちゃんと存在しておりました。

前と違うのは、古本とは言っても、割と新しい本が並んでいて、値段も百円とかではなくて定価の半額くらいで売っていた、ということです。

その中にあった本が表題の「対岸の彼女」という角田光代著の本。

なんとなく手にとって、1ページ目を開き、最初の1行を見た時、本当にドッキリして、あ、これ買って読もう、と思いました。

その1行目とは、

「私って、いったいいつまで私のまんまなんだろう。」

という、幼い子供を連れて公園に行きはするものの、ママ仲間になじめず公園を転々としてしまう小夜子という女性の独白です。

すぐに買って読もう、と思ったのは、自分のことがここに書かれてある、と感じたからです。

実際にはワタクシ自身の子育ての場合、子供が小さい時から保育園に預けて農作業などをしていたし、途中からは「かたし」を始めたので子供はそこで遊んでいて、ワタクシはそこで井戸端会議をしていたから公園デビューなんてものとも無縁だし、従ってママ友、と呼ばれるような友達もいなかったのですが、もしも自分がこの小夜子の立場だったら、まったく同じようにママ仲間になじめず公園を転々とし、そして冒頭の独白のようなことを思ったに違いないのです。

というか、今もまさに、そのようなこと、つまり「私って、いったいいつまで私のまんまなんだろう。」というようなことを思うことがよくあるのです。

年齢を重ねると前よりいろいろなことが上手くできるようになったりはするけれど、人間ってそうそう変わるもんじゃない、というより本質的な部分は実は全然変わらないんじゃないか、と思うことが多いのです。

今考えると、ワタクシは女同士の関係性というものに、ずっと疎かった、と思います。こんなに疎くてよく大丈夫だったな、と思うくらいです。なぜ大丈夫だったかと言えば、いつの時代も特別に優しいヒトが周りに一人か二人くらいはいて、この疎いワタクシと仲良くしてくれたからなのです。

それはとても恵まれていたことですが、物事には良い面があれば、それに伴う短所もあるもので、この件に関して言えば、そういう優しいヒトビトにいつも出会えていたことで、ワタクシはキビシイ女社会で生きる術を身につける機会がないままこの年になってしまった、ということが挙げられます。

だからでしょうか、学生時代までよりもむしろ、成人して母親になってからの方が戸惑うことが増えました。

その度に、いろんなことが何も見えてない、馬鹿すぎる、と男である夫に言われるくらいなのでした。

そういう夫はかつて中学女子のひどい仕打ちに遭った経験があるためか、一応女であるワタクシよりもそういうことがよく見えるようで、感心します。

ワタクシが母親として女としてボンヤリしていることを夫がよく理解してくれている、ということはありがたいことですが、自分ではやっぱり「私って、いったいいつまで私のまんまなんだろう。」と思う、というわけです。

対岸の彼女、読んでヨカッタです。

いろいろあるけれど、タイヘンだけど、読んだ後は少し勇気が湧いてくる、もうちょっとガンバッテみよう、という気持ちになる、そんな本でした。

作家ってスゴイなあ、と思います。































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by sanahefuji | 2017-07-28 06:22 | | Comments(0)

この夏の本 Best2

9月になって、朝晩はすっかり秋らしくなり、夏休みも遠い思い出のような気がする今日この頃ですが、ワタクシが夏に読んだ本(たいしてないんだけど)の中で良かったものを記録しておきたいと思います。
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まずは左、小さい本ですが若冲の絵がたくさんあって、本当に面白く楽しい本です。ワタクシの父親は絵描きだった、ということは前にも何度か書きましたが、だからと言ってワタクシは特に絵に興味があるわけでもなく、自分でも殆ど描かないのです。

しかし、この江戸時代の画家、若冲というヒトの絵にはとても惹かれます。それはこのヒトが「生き物」の本質を描いているからだと思います。

特に鶏が有名ですが、まいにち鶏を見ているワタクシなどは、若冲の鶏の絵を見ると、感動で打ち震えるような心持がします。

生命力がみなぎった状態の動物というのは本当に美しくて見ていて飽きないほどですが、それをこんなに的確に描けるヒトってちょっといない、と思います。

花鳥風月はもちろんのこと、そういう艶やかでない題材の野菜とか海の生き物などなどの絵も全く同じように活き活きとした美しさで、それらの絵を見ていると、改めてそういう活き活きとした自然に囲まれている幸せを感じずにはいられません。

動物とか鳥とか植物とか、つまり自然というのは見たまま感じたまま「そのまま」で付き合えて、誤魔化すことがない代わりに、こちらの誤魔化しも通用しない、厳しさも優しさも誰にでも平等で潔い世界です。

その点、人間世界はムズカシイですね。例えば言葉と行動が違っていたりして、「そのまま」でないこともあるし、誤魔化されることも誤魔化すことも多々ある。なので混乱してしまうことも多いですが、それが人間世界の面白さを生み出している、と言えるのかもしれません。

人間は完璧な存在ではないからこそ文学や芸術などが生まれるに違いないのですから。

右の短編集は、若冲の世界とはうって変わって、そういう人間世界の機微を描いた作品です。

しかし、書く時間がなくなったので、それについては次の機会に回したいと思います。

それでは今日も一日、みなさまにとっても良い日でありますように。


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by sanahefuji | 2016-09-08 06:51 | | Comments(0)

本日の旅のお供

今回の旅のお供。
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この間の「晴れ女の耳」という本、おどろおどろしかったけど、この作家さんとは合うかも、と思ってエッセイを借りてみました。

そして、「複合汚染」。これは読まねばと思いつつ、ずっと読んでいなかった本。この本を知ったのは確か中学生くらいの時のこと。そのことについては、いま記している時間がないのでまた今度。

今日は大分、津久見の花火大会ですが、これを見るのはじつに高校生の時以来。あ、でも天気が心配です。

本当は、前に書いた「湯布院のおいちゃん」のお見舞いに行く予定でしたが、お参りになってしまいました。

それは残念ですが、子供たちとの旅を楽しんできます!

ではでは、皆様も良い一日を!

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by sanahefuji | 2015-07-19 06:55 | | Comments(0)

百年の家

田んぼのあれこれが遅れに遅れているわが「うとん山農場」ですから、ワタクシは今日も田んぼへ行かねばなるまい、と思っていたのですが、五島は朝から今の今まで台風9号の余波で、暴風雨。

先週の木曜日に車の不具合がみつかって、今は代車を借りているので、その車であの川を渡るのもな、とか、この暴風雨の中でやってもはかどらんだろうな、とか、昨日は午前3時起きで全部の仕事が終了したのは夜の8時半だったしな、とかなんとかかんとか、行かない言い訳を探しつつ、結局行かず。根性なしです。

そして、その代わりでは全然ないのですが図書館へ。

なぜならワタクシは明日、長崎へ行くので、そのために本を借りなければならないのです。島から出る時には必ず本を借ります。なぜなら船の中でゆっくりと読むことが出来るからです。自慢できることなど殆どないワタクシですが、船にあまり酔わないので、たとえ荒天の船旅であっても、たいがい往復で2~3冊の本が読める、ということにおいて、島暮らしに実に向いている、と言えるのではなかろうか。

ワタクシはどちらかというと小説よりはノンフィクションなどの方が好きなのですが、今回は小説にしました。たまたまですが3冊とも「女」の話でした。
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面白いと良いのですが。

その前に明日は船が出るのだろうか。今回はJAの「フレッシュミズのつどい」というものに行きます。昨年の異常な「役年」は一年で終わるものが大半でしたが、このフレッシュミズの役は2年だったのです。役を持ったヒトビトに案内が来た時に、どうしようかな、と思いつつも行くことに決めたのは「つどい」のスケジュールの中に「テーブルマナー講座」というのがあったからです。世間知らずのワタクシは、これまでそのようなものには無縁で、多分これからも無縁なので、これ役得、とばかりに参加することにしたのでした。

朝起きて5分以内に長崎に行け、と言われれば行くことができますし、なんなら東京だって大丈夫よ、というくらい出かけるのに準備がいらない野暮天のワタクシですが、今回は「お下がり」あるいは「頂き物」の洋服の中でもなるべく「よそ行き」のようなのを数日前に選んで用意したので、船が出ることを願います。

子供たちも一緒に図書館に行きまして、コータローもいろいろ絵本を借りていましたが、つい何日か前に返したばかりのこの本をまた借りる、と言って持って来ました。
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廃屋だった石造りの家に人が住みつき、周りを開墾して小麦や葡萄を作り、葡萄でワインを作り、家族が増え、そして戦争があり、子供たちは出ていき、人は老い、死んでいく、という人間の営みが、この家を中心に語られていく、絵本だけれどなかなかに深い本であります。

そんな深いことは分からなくても、時間の経過と共に変わっていく様子を絵で見るだけでも楽しいらしく、大人も子供も楽しめる絵本です。

百年の家、と言えば、ワタクシたちが暮らしている家も、あと7年で「百年の家」になります。

かなり心配ではありますが、雨にも負けず、風にも負けず、百年を迎えられるといいなぁ。



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by sanahefuji | 2015-07-12 16:49 | | Comments(0)

南極日和


島に住んでいると、島の外に出る時の移動の楽しみ、というものがあります。

ワタクシにとっては、飛行機やジェットフォイルというものは、値段が高い上に楽しみが少ない乗り物なので、なんといってもフェリーが一番!ということになります。

フェリーの何がいいのか、というと、それはズバリ「寝転べる」ことです。通常の暮らしにおいて、知らないヒトの前で寝転んだりすることというのはまずないものですが、フェリーの中だと、まるで家の中のように、それが可能になる、という不思議な空間です。

したがって、どこかへ行く、となると、ワタクシの場合、お供の本を選ぶところから始まります。

先日の上五島行きの時に持っていったのはコレ。
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ただでさえ梅雨の時期でジメジメしていて、いろんなものにカビが生えてしまうような空気の中で、辛気臭い本など読んだら陰湿な気分になってしまいかねないのでね。こういうのがうってつけです。

ワタクシは小学生の頃、南極・北極などの極地に憧れていた時期がありまして、それはもう本当に頭の中はそのことでいっぱい、考えると胸が熱く切なくなる様子などは、まるで恋する乙女そのもの。

その対象が例えば「ゲゲゲの鬼太郎と妖怪たち」だったり「南極・北極」だったり、はたまた「縄文時代」だったりした子供時代。やっぱりヘンかしら?

ま、それはともかく、この「南極日和」には、その憧れを憧れのままで終わらせずに、自分の「仕事」にしたヒトビトが登場してくるわけだから、ワタクシも再び胸を熱くして読みました。

あーいいなぁ、やっぱり。

厳しい環境、限られた条件の中、みんなで力を合わせて困難を克服していく、という観測隊員のヒトビトの話に、なんだかこちらまでムクムクと力が湧いてくるような気がしました。

一人一人が、最後に「自分にとっての南極」を一言で表していたのですが、その中のお一人の方が、南極とは「見果てぬ夢」と書いていたのが、特に印象に残りました。この方は何度も観測隊員として南極に行って、50年以上も南極に関わってきた、というヒトなのです。

それにもかかわらず南極は「見果てぬ夢」だという、そのことに感動し、そうなんだな、何をやるにしてももうこれでよし、分かった、なんてことはないんだなぁ、と思ったのでした。

自分にとっての「見果てぬ夢」というものが、ワタクシにもいくつかあるけれど、そういうものがあるのはけっこうシアワセなのかもしれない、とも思いました。

というわけで「南極日和」、力をもらいました。

しかし、実際のワタクシは寝ころんで本を読むのが至福の時で、上五島までは1時間しかかからないから短かったな、福江~長崎間の時間くらいないとな、などと思ってしまうグータラなのでありました。

そして、今日はこれから台風。

図書館で本を借りて来なくっちゃ!




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by sanahefuji | 2014-07-09 07:54 | | Comments(0)