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カメラをどうしよう

こんにちは。

もうずっと字ばかりの日記になってしまって味気ないので、カメラを直してもらおうと思って、買った店に持って行ったところ、予想通り、と言うべきか、修理代が1万円以上はかかるから買い替えた方がいいですよ、ということでした。

あーあ、もうそんなんばっかりで、心地よくないですね。なんでも修理して使う、というのが当たり前でないと、一部が壊れただけで、全体を捨てないといけなくなって、そのもったいなさを感じながら生きていくってことは、本当に気持ちが悪いなぁ、と思います。

どうにかならないものか。

というわけで、まだ写真がありません。今どきはカメラでなくて、もうスマホがあれば事は足りるのでしょうけれど。スマホは持ってないし。



昨日の夕方、今日の朝、と夫と一緒に農場へ行き、留守の間の仕事の注意事項などなどを聞きながら作業してきました。この間、写真に撮った時よりも、さらに大きくなったピヨピヨたち、目と目の間にギザギザとした肌色の小さなトサカが生えてきて、羽毛もオトナのしっかりとした固い羽根の割合が多くなり、ピヨピヨから若鶏へと移行している最中です。

みんなが留守の間、こうしてピヨピヨたちや鶏たちにエサをやったりしながら毎日を過ごすのは実に楽しみだなぁ、と思います。普段はこれらは夫の担当なので、ワタクシはしていないのですが、本当はこのような仕事が一番好きなのです。

今日、エサをやりながら、これはまさしく「農家の居候」という感じがして、なかなかいいなぁと思ったことでした。遅れている外の作業を留守番の間になんとか進めたい、と、このグータラな居候は居候なりに考えているのですが、早速、女子会の計画なんか立てちゃって、遊ぶことも忘れていないのでした。

しかし、やることはいっぱいあって、春は本当に忙しく、そして、すぐに去っていく3月なのでありました。

カメラ、どうしようかなぁ、と思いつつボヤボヤしているうちに、もうすぐチューリップも咲きそうで、その写真を載せられないのは残念なのですけれど。

ホント、どうしようかなぁ。

迷い中。









by sanahefuji | 2019-03-20 12:47 | 雑記 | Comments(0)
今日は、高校の合格者登校行事というのがあって、アサと五島高校に行ってきました。

昨年、ハナが卒業してから一年ぶりのことで、なんだか懐かしいなぁ、と思いました。

しかし、こういう行事というのはワタクシ、とにかく「よだきい(大分弁)」と思います。制服の採寸とかなんとかもあって、おさがりの制服などを持って行くと、先生方からチェックされて、スカート丈をあと2センチくらい長くなるように補正して下さい、などと言われたりして。

たかがスカートの丈が2センチ短いとか長いとか、ホントにどうしてこんなどうでもいいようなことにお金も労力もかけねばならないのか、と、ホントに高校生の頃からワタクシは思いますのですが、かと言って、何か反抗的になってわざと丈をいじる、とか、上着の裾を加工するとか、そういうことを何かするわけでなし、羊のように従順にそれに従っていたのではありますが。

あれから何十年も経っているのに、高校のそういうところって何も進歩してないんだなぁ、とガッカリします。他にも靴下の色がどうとか、髪の毛がどうとか、ホントにどうでもいい、と思うんですけど、やっぱり、これもただただ黙って従っていたんだなぁ。

あ、でも、大人になってからは美容院に行くことすらあまりなかったのに、高校では禁止されていたパーマをかけたことがあります。そしたら、それを見た「アーンタたちはなぁ、メシャあ(飯は)、いーっぱい食う、文句は言う、勉強はせん、タバコは吸う、ドラ息子、ドラ娘っ!」というのが口癖の理科のピヨ先生というあだ名(その当時、片岡鶴太郎率いるピヨコ隊というのがあって、それにそっくりだったから)の先生に「アンタの頭は、そりゃ何な?ネズミがほうた(這った)んじゃろう」などと言われたものです。でもそれ以上、何も咎められることもなかったのです。

ピヨ先生は、昔堅気のけっこうキビシイ先生だったのに、何故かワタクシには優しくして下さっていて、ホントに今でも感謝しております。誰にでも同じように接するのではなくて、家庭の事情、というのを考えて接して下さるような先生方が、昔の方が多かったような気がしますが、これはホントにありがたいことだったのです。

洒落っ気も何もなかったのに、パーマなどかけてみたのは、そのあまりにもバカバカしい校則に反抗していたのかもなあ、などと思い出しました。

そんなどうでもいいようなことを事細かに決めて管理しようとするのって、本当に子供扱いというかなんというか、子供たちのことを何も信用していないのだなぁ、とワタクシなどは思います。中学生くらいになれば、子供であっても、もうオトナと同じくらいの働きも出来るし、自分自身のことを考えても、もうその辺りから将来につながるものが、しっかり芽生えている時期だと思います。

それなのに、この子供扱い、これでは伸びるものも伸びなくなる、というか、子供のままでいなさい、と言っているに等しく、自立する時期が遅れてしまうのではないか、と思ったりします。なんだかそれは、もったいないことだなぁ、と感じます。

ま、それはともかく、高校に久しぶりに行って思ったのは、この五島高校は校歌が実に良かったのだった、ということです。「しおり」みたいな冊子の裏表紙に校歌の楽譜が載っていて、ヒマなので、その音符を追っていたら、なんだか血が騒ぐような、元気が出るような、そんな気持ちになりました。あーこれは実によい校歌だ、歌いやすいし、と改めて思ったことでした。入学式が楽しみです。

それにしても高校のものを揃えるにはお金がかかります。体操服とか靴とか何もかもがたくさんの種類が必要な上に高いのです。

これも、あーそうだったそうだった、と思い出しました。

それとは別に、大学生のハナの授業料、今年も免除にならないと困るから、と思って、手続きについて、ちょっとハナに聞いてみたらばですね、これが全く忘れているのです。説明会も既に終わっていて、授業料免除申請の受付期限まで、あと3日しかない!などという状態でした。

もうこれには慌てに慌てて、今出来ることは何か!?と普段はノロノロしているワタクシが、「木ノ口かたし」の昼の部夜の部のお仕事も抱えながら、そちらのことを並行して考え、そして必要な書類を揃えて速攻送るために奔走したのでありました。

なんだ、素早い動きも、何かを同時進行でやることも、やれば出来るじゃあないか、と少し驚いたくらいなのですがね、なんのことはない、これが間に合わなければ26万いくらかの金をすぐに払わねばならない、と思ったら、これはもう誰だって必死になれるわけです。

昨年のように、また何か文章でも書いて一発当ててやろうなんて言っても、それはちょっとムリな話でしょうし、どうしてもここで申請しなければならない、となるとヒトは火事場の馬鹿力が出せるものなのかもしれません。だから現金なものだ、って言うんですね、きっと。

そうやって必死になって書類を送ったのでしたが、今日ハナが学生課に行って聞いたところ、給付型の奨学金をもらっている学生は、書類の提出はいらない、と言われた、というではありませんか。

なーんだ、と思いましたが、心からホッとしましたワタクシです。

26万円、とてもじゃないけど準備できませんもの。

しかしまぁ、そういう抜けたところがホント、ワタクシたちって親子なんだな、と思うところでございます。

何かとボケッとしているんです。

ホントに危ないところでした。でもヨカッタヨカッタ。

高校の行事も、大学の授業料免除の申請(結局してないけど)も無事に終わって。

ホントにいつも綱渡り、スリルとサスペンスの連続であります。

でも不思議なことに、なんとか、なるんだよなぁ、と。

それはみんな、言ってます。

そういうものなのですね、きっと。















by sanahefuji | 2019-03-18 23:12 | 雑記 | Comments(0)

匂いの攻防

こんばんは。

最近のこのブログには写真がないのですけど、それはカメラのピントが合わなくなってしまって写真が撮れないからなのです。

スミマセン、色気も何もない字ばかりの日記になってしまって。世の中は明るい光に満ちて、色彩の溢れる春になったというのに。

そうそう道端の山桜がもう咲いていましたよ。素直に桜が好き、と言えるようになったワタクシですから、今年はとりわけ桜の花を見かけるのが嬉しい春です。

しかしながら、3月になった途端に、なんだかんだとやることが一気に押し寄せてきて、ワタクシは全く畑に行けなくなってしまい、従って土にもまるで触れず、これでは「農家の居候」ですらないのではないか、と、なんだかモヤモヤしちゃうんです。「腐っても農家」でいたい、と思っているんです、きっと。

これはきっと、40も半ばを過ぎた今頃になって「女になりたい」と思ったりするのと、どこか共通のものがあるような気がするんですけど、違いますかね。

そうそう、この「女」モンダイについては、身近な男に聞いてみるのが一番よかろう、と思い、ワタクシは夫に「どうやったら女になるのかな」と相談してみました。

そしたら、「え、別に普通に女だと思うけど。」などと言いつつも、真面目に考えてくれまして、「何か『匂い袋』みたいなものを持ったらいいんじゃないか」というアドバイスをもらいました。

というのも夫曰くワタクシは「女の匂いがしない」ということなんです。それもそのはず、ワタクシは衣服や自分に何か香料のようなものがつくのを恐れて、シャンプーは使わず、ごくごく微香の石鹸で髪も洗うし、わが家の洗濯物もそのような洗濯石鹸を使っているし、子供たちがいくら望んでも強い香りのする柔軟剤などは禁止なのです。

なぜならばワタクシは、食品にそのような匂いがつくのを絶対に避けたいからなのです。そういう匂いが移った食べ物、というのがワタクシは本当に苦手で、いくら高級食材で作ったものであろうが、手作りであろうが、それでは台無しなんです。そればっかり気になってしまう。そして、もしも自分が作るものが、そんなふうになったら、と恐ろしくてたまらなくなるのです。

小麦粉などの粉や、米などの乾物は、特に匂いを吸収しやすいので、家に柔軟剤のような強い匂いを発するモノを置いておきたくないし、そしていろいろと加工食品を作る自分にも移ると困るから、匂いのないものないもの、を常に選んでいたのです。

でもそうか、それで「女の匂い」がしないんだな、と思った次第です。

というわけで、せっかくの夫のアドバイスではありますが、やはりそのようなことを考え合せると、「女の匂い」よりは「無臭」を選んでしまうワタクシです。

女になるのって、やっぱりムズカシイなぁ。

ちなみに、うちの思春期のヒトは友達に「マメみたいな匂いがする」と言われたそうで、それがイヤだったのか一時期、柔軟剤を隠し持っていて自分の洗濯物をそれで洗ったりしていたこともありました。

マメみたいな匂い、っていい匂いっぽいけどな、とワタクシは思うんですけどね。

ちなみにその柔軟剤は、当然のごとく没収されました。

匂いのモンダイも、いろいろムズカシイのです。








by sanahefuji | 2019-03-18 00:01 | 雑記 | Comments(0)
昨日の卒業式で、またまたワタクシが再確認してしまったことがありました。

それは、「良い校歌」というものは、どういうものか、ということです。

校歌というのは、学校の式典では必ず歌われるものですから、これは絶対に歌いやすくなければならないのです。

であるからして、一番重要なのはその音程である、ということです。

歌詞というのは、どこの校歌でも似たり寄ったりなものです。というのも、この日本の気候風土とか自然というのが、細かい差はあっても、山があるとか海があるとか川がある、とか、そういうことは同じだし、ヒトビトの子供に対する願いなども、そうそう違うものではないからなぁ。

だから音程、というのを最も重視しなくてはならないのですね。具体的に言えば、音程を男も女も地声で歌うことが出来る範囲に収める、ということです。

これがですね、わが子供たちの学校の校歌ではなってない。途中でメチャクチャに音が高くなって、裏声に切り替えなければならなかったりする。これはいただけません。

子供たちも「歌いにくい」と不平不満を口にします。当たり前なのです。

歌いにくい校歌は愛されません。何故なら大きな声で歌えないからです。

ワタクシの通った小中高の校歌を考える時、小学校と高校の校歌は歌いやすかった、それ故、今でもよく覚えていて、歌うこともできるし、そして何より「いい校歌だったなぁ」と思うのです。

中学校のは、歌いにくくて、殆ど歌えなかったから、覚えてないのです。

校歌というのは単純なのがいい、ということです。

それでもワタクシはオトナになったのでコドモのように不平不満は言わず(言ってるか)、しかも合唱団ですから、歌いにくい校歌でもなんとか歌おうと努力します。しかしその度に、ああ、これがもう少し歌いやすい音程であったなら、もっともっと先々までも子供に覚えていてもらえるのに、ということをいつも思うのであります。

これから校歌を作る、というヒトは参考にしていただければ幸いです。多分、あまりいないと思いますが。


それから、卒業式の色紙などに何か書く時のこと、というのを昨日書きましたけれど、先生方とか下級生とか友達などなどから自分が書かれたことで、覚えていることってありますか?

ワタクシは強烈に覚えていることがあって、これ、前にも書いたんですけど、あんまり強烈だったんで、また書いてしまいますよ。

それは小学校卒業の時のこと。先生一人一人に何か書いてもらったりしますよね。みんないろいろといいことを書いて下さっていたと思います。でもそういうことは今、何も覚えてないんです。

たった一つ、覚えているのが事務員のヒトのもの。事務のオジサンという感じではなくて、割と若い男のヒトでした。でも、その当時、そういうのが流行っていたのか、色のついた眼鏡をかけていて、髪もやや長くてワタクシなどはどうもそれが胡散臭いというか、若い男ということもあってか、女子であるワタクシには、どうにもちょっと気色悪いような感じがして、敬遠していた、というか、他の先生に接するようには気さくに接してなかった、と思います。

小学校の頃のワタクシは犬・猫・小鳥などなどにトチ狂っていた、というような感じで、とにかく動物が好きで、学校で飼っていたセキセイインコなどの世話も熱心にやっていました。そのようなところを見てか、その事務のヒトがワタクシの色紙(だったかな?)に書いていた言葉は「動物を愛するように愛してほしかった」などという、小学生の女子としてはゾッとしても仕方がない、というものだったのです。

その時は、なんじゃこれは、と本当にゾゾゾッとして恐怖すら覚えたものです。その色眼鏡の風貌とも相まって気色悪さ倍増、というかなんというか、そんな感じを受けました。

でも、今考えると、確かにワタクシのそのヒトに対する敬遠具合は失礼なものだった、と思います。あからさまに避けていた、と思います。そのヒトが言いたかったことは、自分が好きな動物に対しては、そんなふうに出来るのに、好きじゃない人間に対しては、そういう態度で接するのですか、という抗議であったのかもしれません。

たかが卒業式の色紙に、そのような本音を書くヒトも珍しいのかもしれませんが、このことは、ワタクシの傾向というのを実によく見抜いていてそれを指摘しているのです。だからこそ、今でも強烈に覚えているのに違いありません。

だからやっぱりワタクシは思うのです。何かちょっと書く場合であっても、いつも本当に自分が思っていること、本心を書く、ということが重要なんだな、と。

しかし言葉は選んで欲しいな、とオトナになったワタクシは思うのでした。せめて小学女子に恐怖を感じさせない言葉だったらヨカッタのに、と。

そしたら気色悪い、とは思わなかったかもしれないのにな、と。

言葉を選ぶのは、とっても大事、でも実に難しい、とつくづく思う今日この頃。

今日は引き続き、小学校の卒業式。今年はわが家には小学校の卒業生はいませんから、行かなくても良いですが、今夜の「木ノ口かたし 夜の部」には、お祝いの宴のご予約が入っております。

巣立っていく子供たちの心に、今日もたくさんの言葉が、届きますように。









by sanahefuji | 2019-03-15 07:47 | 雑記 | Comments(0)

思いを言葉に

昨日の「昼の部」の団体様、けっこう嵐のような感じでした。「夜の部」と違って「昼の部」は時間が短い分、通り過ぎるのが早いので、そう感じるのかもしれません。

その片付けも後回しにして、確定申告に行きました。そうして、やっと終了しました。

膨大なレシートを仕分けて出した数字、とか、売上を計算して出した数字、というのが、ほんとにいつもとあんまり変わらない、とワタクシは感じるのですが、でももちろん同じではないわけで、よく見れば違っているのです。その違いから、いろいろな傾向とか対策を読み取ることが出来てないだけ、ということなのかもしれません。

数字に対して、おそろしく「ざっと」してるんですね。方向音痴と言いますけど、それもワタクシは当てはまるのですけど、数字音痴、という言葉があれば、そういうことなのでしょう。

本当に数字から何か意味を見出すというのはムズカシイ、と思います。例えば偏差値、などというものの、ワタクシはもう何回説明されても、どうしても理解することが出来なかったので、偏差値がどうとかいう意味が全く分からないのです。

子供の成績なども点数がどうなった、とか、特に気にすることでもないように思えてしまって、いつも成績表の保護者の感想欄に何を書けばいいのか迷います。

でも、わが家の子供たちは割と真面目で、ワタクシなどから見れば細かい差などは、やはり確定申告の数字と同じくらい分からないためか、いつもタイヘン良いように思うのです。そして授業を受けたり真面目にテストを受けたり出来るだけでもエライなーと思います。単なる親バカなんでしょうが。

そして今日は、中学校の卒業式がありました。

後ろで座って見ていると、中学生は可愛いなぁ、と思ったことでした。なので、涙よりは笑みがこぼれました。ホントにみんなカワイイ。

教室で、一人ずつ一分間スピーチというのがあって、いろいろ発表しているのを聞いて、普段ワタクシが子供たちから聞いている話と何か食い違うというか、ちぐはぐな感じも受けたりして、この違和感の正体はなんだろうと考えていて、ワタクシはタイヘン重要なことを発見した、というか、こうした方がいいんじゃないか、ということが浮かびましたので、それを書いておきたいと思います。

学校では、よく何につけても感想を言ったり、意見を言ったりさせますよね。

でも、それって簡単なことではありません。すごく難しいことなのです。だからまぁ訓練のために言わせたり、書かせたりするんだと思います。

しかし、そこで重要なことを先生は教えないのではないか、とワタクシは思いました。

それは、本当に思ったことを言ったり、書いたりする、ということです。

それが難しければ、「心にもないことは言わない、書かない」ということを徹底させる、とか。

その訓練ができれば、大人になった時、例えば今日のような卒業式で話す時、あるいは誰かに言葉を贈る時、本当にヒトに通じるものが言えたり、書けたりするのではないか、と。

もちろん、ワタクシもそういう訓練は受けていないので、そういうことが上手く出来ません。それは損失だなぁ、と感じるからです。

例えばワタクシたちが学校で田んぼの授業とか、いろいろやった時に、先生方が子供に感想を言わせたり、何かお手紙のようなものを書かせて下さったりするのですけれど、それが、だいたいは子供が「こう書いた方がいいだろう」と思って書いているもので、本当に思ったこと、というのが実に少ないのです。

だから、その気を使ってくれる気持ちは嬉しいし、わざわざそのようなことをして下さっている、ということに対しては恐縮でもあるのですが、別にそれは無理に書かなくてもいいんじゃないか、と思ったりします。表現できなくても、心に残っていること、というのが絶対にあるはずなのだから。

本当に思ったことを書く、自分の気持ちを書く、というのは、何度も言うように簡単なことではありません。だから簡単に書かせてはいけないのかもしれません。

でも、そのような感想の中で、時々すごく面白い部分があったりします。それは、その子が本当に思っていることを正直に書いた部分だからです。どうせならワタクシはそういうのを読みたいな、と思います。子供から、そういうことをどんどん引き出すことができたら、それはホントに素晴らしい指導ではないだろうか。

テストの点数などの細かいことは分からないワタクシ、勉強についてなどは何も言ったことはありませんが、子供たちが例えば色紙などに何かを書こうとしている時には「心にもないことは書くな。」ということだけは言います。

それは、短時間でいろいろなヒトに何かを書かなければいけない時には、難しいことかもしれません。

でも、それだけはどうしても言いたいのです。

春、別れの季節に。





















by sanahefuji | 2019-03-14 18:12 | 雑記 | Comments(0)
おはようございます。

今日は3月13日、お隣の「いくんばん」の命日です。

前にも書いたことがありますが、この「いくんばん」のおかげで、ワタクシたちは今の家を借りることができました。そして前の「かたし」の改築工事を、今や五島中の古い建物の改築になくてはならないヒトとなっている素晴らしい大工さんに、先輩の大工である「いくんばん」が頼んでくれたからこそ、引き受けてくれて、それが今につながっている、ということもあります。

本当にワタクシたちの恩人なのです。

それで昨夜は「いくんばん」の息子さんやその後輩の方々、そして奥さまが「木ノ口かたし」に来て下さって、思い出話に花を咲かせたのでした。

五島の男のヒト、特にそのような職人さんや肉体労働のヒトビトというのは、とにかくお酒を大量に飲むものですが、息子さんもそれをしっかり受け継いでおりますから、一人でも生ビールをとにかくたくさん飲むのです。

そのおかげで、昨夜ワタクシは生ビールを注ぐ反復練習をすることができ、ようやく上手に注ぐことができるようになりました。ありがたいことです。やはり何でも数をこなさないと出来るようにならないのだな、と思ったことでした。

確定申告でお金の計算をしたりだとか、そのような「木ノ口かたし 夜の部」でお酒をついだり水割りとかお湯割りなどなどを、ちょうど良いタイミングで作ったり、何かと気を配って場の雰囲気を良くする「夜の女」などというのは、ワタクシにとっては、おそらく最も向いてない仕事ではありますが、何事も練習練習、ということで、奮闘努力の寅次郎でございます。

その確定申告ですが、ようやく全部の数字を出してしまって、下書きをしたので、後は市役所に行くだけです。しかしながら、今日はお昼に「木ノ口かたし」に団体様がいらっしゃるので、行くのは午後からかな、と思っております。

確定申告で数字を出してみると、殆ど変わり映えがしない、というか、何も儲かってない、ということがよく分かりまして、でもこれで、何も困らずによく暮らしているなぁ、と感心してしまう程です。

お金の計算がもともと出来ない、ということに加えて、先を見通す能力というのもないのだな、と思いますけれど、でも不思議なことに、何かが足りないという感じは、年々なくなっているのですよね。これは一体どういうわけか。

この間、夜の部でお客さまと話していた時に「自分は会議とかの時に、何を言っているのか全然分からないんです」というヒトがいて、「自分は何かの障害じゃないか」と心配していらしたんですけど、あー、そんなことならワタクシも農業委員をもう何年もやっているけど、総会なんかで第何条の何とかカントカ、という毎回読み上げられることが、全然分からないんですよ、でも何も困らないから大丈夫、などと言ってしまいましたけど、本当にそうなのです。

でもだから、本当はワタクシが農業委員などやるべきではないのではないか、と真剣に思っていたのですけど、でも頼まれたから引き受けてズルズルとやっていて、でも、やっぱりその条文とか、いくら読んでも何も頭に入ってこない、というのは全く変わらないのです。

でも、そういうのとは別にワタクシは、農業という生業の大切さが自分なりに分かっていて、考えも持っているから、それでいいのかな、と思っているんですけどね。でも、本当にそのお役所の文章というのが何回読んでも頭に入らないので、それこそ、やっぱりワタクシの頭は何かどうかあるのかな、とは思うんです。

そのようなことからも、きちんと計算をして、その数字から先を見越して、きちんとした経営にする、ということとか、気を利かせて「夜の女」を滞りなくやる、などという芸当は、やはりワタクシには無理なのかもしれない、と思ったりもいたしますが、まぁまぁ、そんな無理そうなことに気をとられるよりも、得意なことの方に焦点を当てて、そちらに力を注ぐ、ということで、これからはやっていけばいいのだ、ということは分かっているのですけれど。

春は「木ノ口かたし」も忙しく、確定申告で数字と格闘することから、ついつい、そのようなことに気をとられてしまうのでした。

さてさて、これからカマドでごはんを炊きますか。

これは、しみじみ良い仕事、モヤモヤしていてもいつもスッキリなります。

ではでは皆さま、ごきげんよう。

今日も良い一日を!















by sanahefuji | 2019-03-13 10:11 | 雑記 | Comments(0)
五島に住んでいれば、いろいろな海を見ることができます。自分がそうしたいと思えば、一日中、海を眺めていることもできるでしょう。

しかしながら、ワタクシが一番好きなのは「チラリズムの海」である、と以前書きました。

これは、下り坂になっている道を車で走っている時に、遠くに見える海がすぐに見えなくなってしまう、という、そういう状態で見る海のことで、この一瞬だけ遠くに見える海、というのに、いつもワタクシはときめいてしまうのです。そう「チラリズム」の如くに。

この「チラリズムの海」も、その日の天候とか空気の状態によって、色が変わります。

昨日、3月11日の「チラリズムの海」の青、というのが、あまりにも美しく、その色の残像が瞼の裏に今もはっきり残るほど、印象的な青い色をしていました。一番、好きな青かも、と思いました。

本当に、ほんの一瞬見ただけなのに。

いちいち大袈裟なのですが、あんな青い色を見られただけでもワタクシはここに住んでいてヨカッタ、などと思います。でも、もしかすると、そういうもの、例えば昨日の海の青、とか、自然の中にある何かの色、とか、音の旋律とか誰かの笑顔とか言葉とか、そんなささやかなものが、タイヘンな状況に置かれた時に、自分を救ってくれることも、あるのではないか、と思うのです。

昨日、3月11日、「チラリズムの海」の青い色を胸にたたえて、東北の海に思いを馳せました。

ワタクシは、あの時も、今も何も出来ないのだけれど、この、どこまでもつながっている海の青い色を見て、今にきっとワタクシも、何か自分の仕事、と言えるものを、きちんとしよう、と心に誓うのでした。

今は何も出来ていないけれど。








by sanahefuji | 2019-03-12 08:59 | 雑記 | Comments(0)

フェルマータのロマン

こんばんは。

本日も長い一日です。

今朝は土曜日の朝の準備、例えば肉まんを包んだり、「おこわ」のパック詰めをしたり、などということをいつも手伝ってくれているアサが、五島選手権とかいうバレーの大会に朝早くから行ってしまう、ということで、ワタクシは一人で何もかもしなくてはならない、と緊張してアラームをいつもより30分も早い時間、ナント2時50分にかけましたが、ちょうど30分寝坊。

そんなもんだから、ものすごく急いで準備したためか「木ノ口かたし」開店の時間には既にグッタリ疲れていたような感じで始まった「土曜日開店『かたし』の人生劇場」でありました。

しかしワタクシは、今朝ラジオで聞いた話をどうしても今日中に書いておきたい、と思いまして、「木ノ口かたし 夜の部」を途中で抜けてきました。

土曜日の朝のNHKラジオには「サタデーエッセイ」というコーナーがあるのですが、本日担当されていたのは、指揮者の西本智美さんでした。

ワタクシは可愛いヒトも好きですし、キレイなヒトももちろん好きなのですが、とりわけカッコいい女のヒト、というのが大好きです。この指揮者の西本智美さんというのは、その筆頭。

もうとにかくカッコいい、素敵すぎます。

今日は彼女がサタデーエッセイに登場するということで、ドキドキワクワクしていたのです。

西本さんの今日の話題は、東日本大震災のことについてでした。大震災が起こった時のこと、そして、その後に福島で行った音楽会のことについて。

その福島の音楽会では、みんなに楽器を持って来て下さい、とお願いしたそうです。それはカスタネットでもリコーダーでも、あるいは手拍子でも足ふみでもなんでもよくて、とにかく自分で音が出せるものを持ち寄って皆で作る音楽会にしよう、ということで。

そして、その話の中で西本さんが教えて下さったのが、音楽記号の一つである「フェルマータ」の意味です。

この「フェルマータ」というのは、日本の音楽教育の中では、せいぜい「(音を)長く伸ばす」という意味しか教えられていないけれど、それは正確ではありません、と。そして、本当の意味は「一度立ち停まり、その後360°どこに向かうこともできる」ということなのだそうです。

これには本当に驚きました。ワタクシも長年、合唱をやっていますけど、この「フェルマータ」の記号にそんな意味があるなんて、全く知らなかったからです。

360°どこに向かうことも出来る可能性を秘めた音、しかもそのためには、一度立ち停まる必要がある、というのです。なんという壮大なロマンのある記号なんでしょう。

それまで流れていた音がいったん立ち停まり、その後はどの方向にも行くことができる、そういう可能性を秘めている、というのですから。

西本さんは、その福島での音楽会が、そのようなものになったのではないか、と仰っていました。

そして、その音楽会の時に質問コーナーというのを設け、その際、西本さんに「生まれ変わったらどんな楽器になりたいですか?」と質問した女の子がいた、という話もして下さいました。

その質問を受けた西本さんは、よくよく考えて「風鈴になりたい」と答えた、ということでした。

暖かい風や、ほんの少しの風が吹いて来た時にも、自分の心がそれを感じ取って、美しい音色を響かせる風鈴、になりたい、と。

あの時、質問した女の子も、随分大きくなったことでしょう、今でも私はそう思っています、ということを伝えたい、と最後に西本さんは仰いました。

ワタクシも、あの震災の時の無力な自分のことを思い出し、そして、被災された方々や地域の8年の歳月を思い、そして西本さんのお話に、なんだか泣けました。

一度立ち停まって、どこに向かうこともできる音、だとか、かすかな風にも心をふるわせ、美しい音色を響かせる風鈴になりたい、だとか、そのような、音楽を深く知っている人でなければ語れないお話を聞くことができて、今朝はヨカッタです。

誰だって、「フェルマータ」の記号を自分でつけることだって、出来るんじゃないかな、そう、一度立ち停まっても、それから360°どこに向かうこともできる、そんな可能性を持っているんだ、と思うと、なんだかとっても勇気が湧いてきますね。


西本智美さん、ますます惚れた!

と思いましたワタクシです。



しかし、しかし、今日はホントに長い一日だったなぁ。
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春のイノシシ親子。
















by sanahefuji | 2019-03-09 23:34 | 雑記 | Comments(0)

春の日の昔話

本日、五島は雨です。

しかも、途切れることなく一日中ずっと雨。

このような天気は昨日の続きの確定申告にふさわしい日和なんですけどね、ワタクシはもうホントにこういう作業が苦手で、それをため込み過ぎているものだから、疲れるばかりで全然はかどりません。

わが家は農業部門と店部門を別々に申告しなくてはならないから、余計にややこしい、というわけです。こんなチマチマとやっていることが、二つの経営になってしまうのですから。

レシートを見て、これは店の方、これは農業、その中のナントカ費、こっちはナントカ費、などなど延々と仕分けしていくわけです。なかなか終わりません。

それで気分転換に、またここに来てしまうのでした。


今日と明日は長崎県の公立高校の入学試験でありまして、わが家の中3、アサが受験しております。ワタクシ自身もそうでしたが、そもそも選択肢があまりない高校受験というのは特にどうということもないもので、普通にやっていれば受かるもの、という感じ。なのでワタクシも朝に弁当を作った、ということ以外は、特に何もしていないのです。

自分の高校時代、というのが既に30年くらい前のこと、というのにビックリしますけど、それはもうホントに昔々のことになったのだな、と思います。

こちらの高校では先週の金曜日、3月1日に卒業式も終わり、そんな季節に思い出す、高校の卒業式の日がありまして。

それはワタクシが通っていた公立の高校ではなくて、電車で一時間くらいは離れた所にある私立高校の卒業式の日の出来事です。

まるで接点もないはずの、その高校に通う年上のヒトに、たまたまの偶然が重なって、あろうことかワタクシは片想いをしていたのです。けれど、やはり何も接点がない、というのは変わらず、そのヒトはそのまま卒業してしまいました。

ところが、ところが、です。

その卒業式の日、どうしてそういうことになったのか、というのをまるで覚えていないのですが、なんとワタクシはそのヒトの家の応接間にいました。ワタクシの友達とそのヒトが、たまたま「ふたいとこ」であったことが、その状況を生み出した、ということだけは分かっているのですが、事の運びの細かい点はスッポリと抜け落ちている。

しかし、そのお宅というのが、ワタクシの住んでいた海辺の集落にある家々では決して見られないような、吹き抜けの玄関であった、とか、明らかに地元のケーキ屋さんのケーキではない、小さくて華奢な丸いケーキがテーブルに乗っていた、とか、そのケーキを取り分けて食べるためのお皿やコーヒカップが虹色に光っていた、とか、そういうことは、よく覚えています。

そして、その家には、ワタクシが憧れて憧れて夢にまで見て、大きなぬいぐるみまで買ってもらった「名犬ラッシー」と同じ、コリー犬がいて、どこか遠くでワンワン、と吠えていた、ということも覚えています。

確か名前はジョンではなかったか。今、うちにいる犬の名前がジョン、というのですけどね、名付ける時には、そんなことは思い出さなかったと思います。でももしかして、潜在意識が作用したのかもしれませんで、記憶というのは時々そんなふうに不思議です。

友曰く、なんとかいう有名な女優さんに似た、そのヒトのお母さまが、友達やワタクシに朗らかに優しく話しかけて下さっていたことも。

しかしながら、当の本人は、その日、高熱を出して寝込んでいて、卒業式も欠席したのだとか、で、その場にはいませんでした。

でもこれは今考えても、それでヨカッタ、とワタクシは、こんなオバサンになっていても、脇に汗をかきそうな緊張感と共に思い出すのです。

もしそのヒトがそこにいたら、ケーキを食べるどころでもなかったでしょうから。

帰り際にお母さまは、「息子に、と思って買ったんだけど、貴女にあげるわ。」と仰って、薄桃色のスイートピーの小さな花束を下さいました。

あの頃、卒業式と言えば、スイートピーの花束が定番だったような気がしますが、今はどうなんでしょう。

スイートピーには仄かな香りがあって、ワタクシはその香りが本当に好きになりました。

そしてその可憐な花束が嬉しくて嬉しくて、ワタクシは家に帰ってから、せっせと絵を描いたのです。


今日、雨の中、郵便屋さんが届けてくれた友達からの手紙、その内容があまりにも素敵で嬉しくなったワタクシは、何度も何度も読み返し、思わずこんな思い出話を書きたくなってしまったのでした。

かれこれ30年近くも昔の、卒業式の日のお話です。


確定申告、進まないワケだなぁ。たはは。


















by sanahefuji | 2019-03-06 15:16 | 雑記 | Comments(0)

ちょっと面白かったこと

今日は午前中に公民館の掃除がありました。

合唱の練習で毎週使わせてもらっているし、先日の修学旅行生の「ふくれもち&肉まん作り」体験の受け入れの時などにも使わせてもらったりするので、行ってきました。

そしたら各種団体からヒトビトが来ていたので、みんなで掃除していると、なんだか学校時代の掃除時間に戻ったような感じで面白かったです。

そういう時に好きなのが便所掃除なんですけど、今日はいつも使わせてもらう台所の掃除をしました。

掃除から帰ってきてから、例によってショパンのバラードを聞きながら、昨日の「木ノ口かたし」のお金の計算をしていたら、最近獲れたイノシシの肉を焼いて食べるとか言って、夫がいきなり焼き肉用の網のついたタイプのガスコンロをコタツの上に置いて、肉を焼きだしましたよ。

そして、煙がもうもうと上がるので、お年頃の娘はそこらじゅうにかかっていた、自分たちの制服やら部活のTシャツなどを避難させに走り、そして自分も加わって肉を食べ始めました。

ワタクシは実に優雅な気分でお金の計算をしておったのですが、娘曰く、

「この音楽、この状況に最も合わなくない?」とのこと。

うん、確かに。

脂の乗った「ハラミ」を焼く度に、網の下にしたたり落ちる脂で燃え上がる炎を見ながら、うん、確かにこの状況にショパンのバラードは似つかわしくない、と思いましたワタクシですが、では、この状況にはどんな音楽が合うのかな、などと考えましたが、ちょっと思い浮かびません。

最近獲れたイノシシはメスで、メスってホントに柔らかくて美味しいのです。もちろん獣臭も一切ナシ。

ありがたい恵みです。

しかし、このちぐはぐな状況が面白くてしばらく笑いがとまらなかったワタクシです。

今日は3月3日の雛祭り、ハナの誕生日でもありますが、本人不在のにわか焼肉パーティー(?)で祝いますか。








by sanahefuji | 2019-03-03 12:16 | 雑記 | Comments(0)

ここは五島列島福江島 「かたし」とは椿の古い呼び名です。Iターンで新規就農した私達が週に一度だけやっている直売所「かたし」での出来事、農家暮らしの日常などなど。日本の端っこで繰り広げられる人生劇場を綴っていきます。


by sanahefuji