カテゴリ:五島のこと( 10 )

卒業アルバムを見に行った

とある目的があって、子供が通う中学校に卒業アルバムを見せてもらいに行きました。

1966年(昭和40年)度から昨年2017年(平成29年)度までの卒業アルバムです。
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予想以上に面白く、また心を動かされるものでした。

あまり時間をかけて見ることもできないので、ごく短時間で一気に見たのですが、この50年くらいの間に日本が激変した様子が、この地域の学校の卒業アルバムからも見てとれます。

昔の校舎の写真。
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ワタクシ自身が通った小学校は、ワタクシが小学1年生の途中に校舎の工事が始まり、小学2年生の時には新しい鉄筋コンクリートの校舎に変わったので、木造校舎で授業を受けた最後の世代でありました。なので、この校舎の感じ、すごく分かります。

しかしながら、その新しかった校舎も、その後10数年しか使われることなく閉校となり、今では薄汚れたまま放置されている、というのは、この春の旅の話に書いた通りです。

そして中学校も、その何年か後に閉校となり、灰色の墓石のごとく佇んでいるのが悲しい風景です。それは、ワタクシの故郷の話。

なので今、この地域に学校がある、ということが、どんなにありがたく貴重なことなのか、ということをワタクシは多くのヒトビトに、どうにかして伝えたい、と思っています。

子供の人数が少なくなってくると、子供がたくさんいる学校のようには出来ないことも多々あり、選択肢が少なくなることもあれば、逆に、親も子もナントカ係とか役とか、やることが増えてもきます。なので、いろいろ負担になって親子ともども愚痴や不満も出てきます。

それも分かるし、仕方のないことです。

それでもなおワタクシは、学校が地域に存在することのありがたさ、には替えられないように思います。

ワタクシ自身は、小学校はずっと複式学級で、中学校では部活は女子は庭球部か卓球部しかなかったし、田舎っていうのは、まぁとにかく駅伝大会とかマラソン大会とかでやたら走らされるし、で、運動が苦手なワタクシは本当に苦痛だったのですが、そうでもしなければワタクシは運動を何もしなかったかもなぁ、と思うと、いろいろやらされる小さな学校ってのは実にありがたかった、と今になって思うのです。

そして、小学校の時も中学校の時も、その小さな世界の中で、好き勝手なことを言いつつも素朴に楽しかった、と思えるのは、それはやっぱり学校を取り巻く「地域社会」が生きていたからだと思うのです。

小さな学校と地域社会、それは日本全国、もうどこも風前の灯なのかもしれません。

それでもワタクシは諦めずに出来ることをしていきたいと思います。

1972年の卒業文集にあった、学級の子供たちが掲げた目標。その時代の子供たちの顔がすごく良くて、それと併せて見ると、今だったら少々クサイと思われるようなこういう文章がすんなり入ってきました。
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この地域に縁もゆかりもなかったワタクシですら、ここで育ったヒトビトの卒業アルバムに感動して、なんだか泣けました。

自分の子供たちが、その方々の後輩になることを嬉しく思います。











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by sanahefuji | 2018-06-05 16:28 | 五島のこと | Comments(0)

「お大師さん」に行ってきました

予告通り一昨日は、お大師さんのお参りに行ってきました。

初めて行ったので、まずはその祭壇の華やかなことに驚きました。
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これは民家ではなくお堂。

これらの華やかな祭壇には、それぞれの家に伝わる、お大師さんの像が鎮座ましましております。
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お隣になんとかいう(名前忘れました)神様(?)とセットで飾られているカラフルなものや、
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いかにも年代物、といったような小さくて古めかしいもの、

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お金持ちっぽい金ぴかのもの、

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こちらは二人。もう一人は誰なんだろう?聞くのを忘れてました。

お大師さんにお供えするお膳、ままごとみたいな塗りのお椀に入れてチマチマと並べて、カワイイですな。
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お接待のご馳走も、その家ごとの味、という感じで、北海道のような甘いお赤飯があったのには驚きました。
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あちらこちらでご馳走を頂くのを見越して、お持ち帰りする前提で、すでに折詰して出して下さるおうちもあったりして、どこまでも親切です。
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ヒトビトにここまで信仰されている「お大師さん」とは、どんなヒトなんだろう?

と基礎知識が何もなかったワタクシは、ネットでいろいろ調べてみました。

そうして1つ分かったのは、とにかく抜群に頭のいいヒトである、ということ。そして、その自分の能力を惜しみなくヒトビトのために捧げた、ということです。これは長崎県の外海地区にフランスからやってきた宣教師ド・ロ神父さまとも通じるところがあると思いました。

ド・ロ神父さまは頭の良さに加えて貴族の出、ということで財力もあったのですな。そのような自分の能力と財力を貧しいヒトビトのために全部使った、ということで、今もヒトビトの心で生き続けている神父さまであるのです。

この「お大師さん」も、きっとそういうことなのだ、と思いました。

そのような能力に恵まれたヒトが皆、庶民のためにその力を惜しみなく使うか、というと、そうでもなく、大半は自分の事にかまけているのかもしれず、それ故に「お大師さん」は稀有の存在となったのかもしれない、と思います。

どうして、このように祭壇に花を飾るのか、と聞くと、「お大師さんはお花が好きだったから」という答え。皆さま、この日に間に合うようにお庭でお花を育てておられるのです。
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そんなシンプルな理由で、ここまでの労力をかけられるというところがお大師さんも、信者の方もスゴイ、と思います。

四国のお遍路さんの笠には「同行二人」という言葉が書かれておりますが、これはお遍路さんは「お大師さん」と常に一緒にいる、ということだそうです。だからこそ、四国ではお遍路さんに「お接待」をするのですね。

この「お大師さん」の「お接待」にも共通するところがあるのかもしれません。

ということは、ワタクシたちお参りに行った者は「お大師さんと共にある」という気持ちで、日々精進しなければならないのですな、きっと。

ご馳走やお菓子を頂けてラッキーだったなぁ、で終わるのではなく、自分たちもまた、いつかどこかの誰かに何かを返していく、ということが大事なのだと思われます。

というわけで初の「お大師さん」体験、あいにくの荒天で回るのは少しタイヘンでしたけれど、実に面白かったです。







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by sanahefuji | 2018-05-08 06:51 | 五島のこと | Comments(0)

石器を見に行く

NHKスペシャルの「人類誕生」という番組を見たせいなのか、コータローが石器を作りたい、と言い出して、石と石をぶつけて石を割ろうとしていました。

ゴールデンウイークだというのに、どこかに出かけるわけでもなし、とーちゃんもかーちゃんも普段どおりの日々の仕事をしているし、姉たちは部活だし、1人で庭で石を割っているヒマ人コータローが少々不憫に思えてきたので、夕方の生ゴミ回収に出発する時間を早めて「資料館に本物の石器を見に行くか」ということになりました。

資料館には確か石器時代(あるいは縄文時代か?)のコーナーがあって、石器や土器なども並んでいた、と思ったからです。

ちなみに資料館の正式名称は「五島観光歴史資料館」と言います。
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「石器を見に行こう」とすぐに思ったのは、実はワタクシ自身も子供の頃に、石器を作りたい、という思いに駆られて石を割っていたことがあったからです。ワタクシが子供の時に暮らしていた集落にあっては、だからといって、すぐにそういう資料館などに行くことは出来ませんでしたから、こうしてみると五島は便利だな、と思います。

がしかし、展示してある石器は、ほんの少ししかありませんでした。石斧がいくつかと石皿が1つ、そして矢じりがいくつか。ウロウロとして見渡しても、石器コーナーはそれだけでした。

まぁでもそれも無理もないことです。その後の時代の方が圧倒的に展示物が多いわけですし、特に数年前の展示と変わったことは、潜伏キリシタン関連のスペースをグンと増やしていたことです。これは、潜伏キリシタン関連遺産の世界遺産推薦が決まったからに他なりません。

そんなわけで、石器は少しでしたが、「本物の石器を見る」という目的は果たせました。

ワタクシが「おっ」と思ったのは、展示用のガラスケースの中に、石器を作りたい者ならば誰もが憧れるに違いない(ホントか?)「黒曜石」の矢じりがあったことです。

黒曜石というのはガラス質の火山岩の一種だそうで、文字通り黒い石です。これはガラス質というだけあって、割ると切り口が実に鋭利になります。そして、光沢もあって見た目も美しく、いかにも良い石器が作れそうな石であります。いや実際に良い石器が作れたから大昔のヒトビトがこぞって使用していたのでしょうが。

そこでワタクシがギモンに思ったのは、五島に黒曜石があったのかどうか、ということです。

帰りがけに、せっかく来たんだから、と、職員の方に石器について聞いてみましたところ親切にも、展示していない石器を持って来て、ワタクシたちに見せて、そして触らせて下さいました。

さらに、興味深いお話をいろいろと聞かせて下さったのです。そこで黒曜石の謎も解けました。黒曜石は五島にはなかったとのこと、そして、そのことが、その時代に既に本土との行き来があったことを物語っている、ということなのでした。

そのようなことを想像していると、人間はいろんな道具を発明して進化したように思っているけれど、人間自身の力、という点においては退化している、と思えてなりません。自然の中に裸で放り出された時に、今の人間は本当に無力だな、と思うからです。

いや、でも、そういう状況になれば、今の人間でも生命力が湧いてくるものなのだろうか、と思ったり。まぁしかし、ワタクシは出来れば文明の恩恵にあずかってヌクヌクとしていたい、というのが本音ではありますが。

資料館の展示の中に伊能忠敬の弟子(?)か誰かの手紙があって、福江島の隣の久賀島に測量に行って、その泊まった家がボロで大雨の時に部屋中に雨漏りがしてどこで寝ればいいのか分からない、とか、部屋の中を数百万の(だったかな?とにかくすごい数ということらしい)蟻が這いまわっていてかなわん、とかいう意味の(スミマセン、うろ覚えですが)、愚痴を延々と述べた手紙が展示されていて、それを読んで、ホントに気の毒なこと、と思ったりしました。

わが家ももうすぐ築100年になろうかという古い家で、時々ところどころで雨漏りしたり、虫やら何やら自由に往来する家ですが(それこそ、いつだったか、台所の勝手口に蟻の巣が出来ていた!ということもありましたな)、それでもこの手紙に書かれている家よりもマシだなぁ、随分と快適だなぁ、と思って、ありがたやありがたや、と心から思ったことでした。

資料館はいろいろ面白いです。また何かの機会に行ってみたら、見落としていた新たな発見があるかもしれない、と思いました。
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これが発端となった、コータロー作の石器。

たまたま切り口が鋭利になったので、意外と切れますよ。

「かーちゃん、肉とか切ってみて。」と言って台所に持って来るので、肉はちょっとなぁ、と思い「外で草を切ってみたら」などと言って外に追いやるのでした。

そんな地味なゴールデンウイークですが、当の本人は意外と楽しそうですよ。










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by sanahefuji | 2018-05-04 06:22 | 五島のこと | Comments(0)

「よか男」の坊さんが造った庭を眺めて茶を頂く

この間の日曜日に、椿まつりのお茶会が、初の試みとして石田城五島庭園隠殿屋敷(五島邸)で行われる、ということで、誘われて行ってきました。

だいたいワタクシは、五島に来て17年もたつというのに、あまりいろいろなところに行ったことがなく、金閣寺の丸池を模して作られたという庭園の「心字が池」も見たことがなく、五島邸というのは何処にあるのかも知らなかったのです。

実は、毎日わが子が通っている五島高校の敷地内にあったのです。というか、高校が石田城の本丸跡に建っている、というのが正しいのですが。

そんなふうで、五島邸について何の基礎知識もなく、お茶会に行ったのですが、これが実に興味深かったのです。

石田城というのは、日本で一番最後に建てられた城で、15年の歳月をかけて1863年に完成したものの、その後すぐに明治維新となり、解体令が出て1872年(明治5年)には解体されたとのこと。

こうして文章で書くと、サラッと一文ですんでしまいますが、15年もかけて築いた城をわずか9年使った(?)だけで、また解体するとは、「ナンテコッタ!」と思ったヒトビトも多かったのではなかろうか。

重機なども何もない時代、城を築いたり、解体したりするのに、一体どれほどの労力がかかったのか。

今でこそ人手不足の五島ですが、その頃は元気な働き手が、わんさかいたんだろうなぁ、などと思ったり。

お城は解体されてしまって残っていませんが、この五島邸は、城を建設途中に家督を譲った五島氏10代藩主盛成(もりあきら)が隠居するために建てたものでありまして、こちらは残っていてヨカッタですね。

ワタクシたち現代人が当時の藩主の暮らしぶりを垣間見ることが出来ます。

五島邸には藩主が居間として使っていた「梅の間」と、客人をもてなすために使っていた「亀の間」というお部屋があり、それらの建具を開け放すと庭園と心字が池を眺めることが出来る、というわけです。この心字が池には、中秋の名月が、ど真ん中に映るように作られているとのこと。

殿様というのは贅沢で風流なもんですな。まぁしかし、現代のワタクシたち庶民は、殿様よりも、ある意味もっと贅沢、というか快適で便利で豊かな暮らしをしておりますが、風流、という点ではまるで敵わない、というより、そうとう貧しくなっている、と言えるのではないでしょうか。

それは便利で快適な生活をしていると、何かを感じる能力、というか、感覚というか、感受性というか、そういうものがおそろしく鈍感になってしまう、ということがあるからです。

そういうことも、都市化が進んでいくことや、ヒトビトが街暮らしを好むようになっていくことと関連がある、とワタクシは睨んでおります。そしてさらに言えば、少子化になり人手不足になっていく、というのも全部繋がっている、とも思うのです。

大袈裟ですが、でも、そのように思えてなりません。

ま、それは置いといて。

お茶を頂く前に、淡い色の着物をお召しの美しい方が、梅の間の建具を開け放って下さったので、ワタクシたちも梅の間に座って庭園を拝見することができたのですが、それはそれは情緒ある眺めでありました。

この庭を造る際に、指揮をしたのが、善章(お墓には全正と表記されているそうです)という京都の坊さん。このヒトがどうして西の果ての五島に来ることになったのか、と言いますと、京都で祇園の舞妓のもとへと通っていることが発覚して、破戒の罪で島流しになったからなのだそうですよ。

ナント!

善章さん、なかなかやるじゃないですか。

彼はそのようにして五島の福江島に流されてきたわけですが、文化人でもあったので、お殿様の和歌や茶の湯の相伴を務めたり、また、この五島邸の庭園造りを任されたりもしながら何不自由なく暮らし、五島に骨を埋めることとなり、お墓は五島市吉田町の墓地にあるそうです。

お茶を頂いた後に、仲間たちと心字が池をぐるりと散策していたら、池を挟んで建物が見渡せる場所に、その善章さんがそこに座って指揮をしていた、という石が据えてありました。

そこから眺めながら、京都に思いを馳せながら、彼は庭を造り上げていったのでしょうか。

島流しとなった原因である、彼の地の舞妓さんのことを思い出すこともあったのだろうか。

などなど、空想が膨らみます。

あるヒト曰く、善章さんは見た目も中身もとてもいいヒトだった、とのこと。

それはますますドラマになりますな。

「よか男」「よか女」は、いつでもお得です。









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by sanahefuji | 2018-02-28 13:29 | 五島のこと | Comments(0)

ようやく農地調査が終了しました

ギリギリどころか期限を過ぎてしまったのですが、ようやく今日、それもさっき市役所に農地調査の地図を提出してきました。

提出する前に、自分が回った地域の地図を番号順につなげてみると、
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こうなりました。

何度も書いているように、ワタクシは方向音痴で地図が読めない女ですから、未だに地域の位置関係が頭に入っておりませんで、毎年の農地調査の度に苦労しております。しかしながら、苦手なことでも何度も何度もやるうちに分かってくることもあります。

そんな全くもって不向きなワタクシに、このような仕事が与えられたということに、何かしらの意義を感じることもなくはない、と思いますので、人並み以上に時間はかかったとしても、地図を何度も見ては忘れを繰り返しつつも、地域を歩き回り、何かを感じていくことが、将来的に何かを生み出す原動力になるような気もしているのです。

ワタクシの限られた能力と時間の中では完成されない何かだったとしても、それは次につながる何かであるかもしれないのです。

なので、農地調査の度に無能感に打ちひしがれつつも、ワタクシは地域をウロウロし続けようと心に誓った次第であります。

農地調査でウロウロしていると、相当な僻地と言えるような場所に、清らかな佇まいの家があって、そしてその佇まいそのものの清らかなヒトに出会ったりすることもあります。

この間、荒川でお昼をご馳走になった家の方と話していて、たまたまその方が、ものすごく辺鄙な場所にめっちゃ素敵なヒトがいてビックリした、というようなことを言っていて、よくよく聞いてみると、それはワタクシも知っているヒトで、ワタクシもやはりそのヒトのことは本当に素敵、と思っていたので、話がはずみました。

もうお孫さんもいるような年齢の方ですが、若いころは女優さんのようだったんではないかな、と思えるような端正なお顔でありながら、力仕事でも野良仕事でもなんでもバリバリやるし(それはそのはず、幼少のころはおそらく自給自足の暮らしであり、険しい山道を通って学校に行っていたのですから)、それでいて、物腰は柔らかくてどこまでも優しく親切で、気品を感じさせる笑顔に、ワタクシはよくハッとしたものでした。

「こんなところにいるけど本当は皇族の血が流れてるんちゃうかな~って思った」という言葉に激しく同意したワタクシです。

そういう気品のある方をワタクシは他にも知っています。

この狭い地域の中でワタクシが知っているだけでも何人かいるのですから、昔の人口を考えるともっともっといたと思われます。

そう考えると、女性というか人間というか、その魅力というのは、育った場所とか学校教育とか親の収入とか情報とか、その他いろいろなことはあまり関係ないのではないか、と思ったりするのです。

うまく表現できませんが、そのような方々に共通することは、ご先祖様から引き継いだ、何か状態の良いもの、(それは身体的なものだったり精神的なものだったり、教えだったり)というのを素朴に守り続けながら、自分のやるべきことにきちんと向き合い、困難や苦労を抱えながらも人のためにも働いて、それでいて、明るく可愛らしい感じさえする、ということです。

この地域で、そういうヒトビトに出会えることが、ワタクシにとっては大きな励みにもなります。

さてさて、今日はこれからまた修学旅行生が農場体験にやって来るのでワタクシの方は一緒に農場に行き、夫の方は今夜から始まる地域のペタンク大会の時にソフトボールチームで屋台を出すのでその準備、ということで、秋は特に次から次に地域のお仕事があります。

そういうことを通して地域を学ぶことが、今のワタクシたちにとっては何よりも重要な仕事であるに違いない、と思うので、まずはそれをしっかりやっていく所存でございます。

しかし、畑が草ぼうぼうなのにはマイッタな・・・。







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by sanahefuji | 2017-10-03 13:00 | 五島のこと | Comments(0)

ネドコロノラで考えた

荒川温泉の近くのゲストハウス、「ネドコロノラ」に泊まってきました。
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このゲストハウスの建設のためのクラウドファンディングに、ほんの少しばかりのお金を出したら、1泊無料宿泊券をもらったのですが、その有効期限が9月30日だったのです。まったくいろいろなことが常にギリギリになるのですが、たまたま今週の日曜日は何も行事がなかったので、エイヤッとばかりに泊まりに行ってきました。

昨日は保育園の運動会で、それが終わって急いで店を開けて、終わったら泊まる準備をしてアタフタと出かけました。

8時10分前くらいにネドコロノラに到着したのですが、荒川温泉は8時半までしかやっていなかったので、こちらもギリギリ。常にギリギリの人生を送っております。
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ハンモックに大喜びの子供たち。

ネドコロノラは、シンプルでセンス&使い勝手が良い、清潔な台所や、トイレや洗面所という現代的な魅力は備えつつ、広々とした座敷や年月を重ねた材質という古い建物の魅力が上手く調和した、素敵なゲストハウスになっていました。

運動会で疲れたコータローと共にワタクシもまた一瞬で寝てしまい、気がついたら朝に。寝ころんでいて、実に落ち着く空間です。
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今日、10月1日は旧「かたし」が開店した記念の日なのですが、それから干支が一回り、つまり12年の年月が流れました。

壊れかけた「かたし」の建物を改築して多目的な施設を作ろうと決めた時、ワタクシは大袈裟にも「古民家再生プロジェクト」などと銘打って、沢山のヒトビトから一口500円でカンパを集めました。

クラウドファンディングというものは、まだ一般的でなかったのです。

そして、古い建物を再利用してヒトビトが集える場所を作る、という取り組みも、五島では多分まだなかった、と思います。

それから12年の間に、古い建物を利用して何かを作る、という取り組みが次々と生まれ、そして、その殆どに「かたし」の改築を手掛けて下さった大工さんが関わっている、という事実から、古い建物を改築する、しかも依頼主が一緒に手伝う、などという面倒な仕事を引き受けてくれる大工さん、というのは実はあまりいない、という事も分かりました。

このブログにも時々登場していたワタクシたちの良き隣人だった「いくんばん」もやはり大工さんでしたが、「いくんばん」はその時はもはや大工の仕事をしていなかったので、その今では「古民家再生」に引っ張りだこの大工さんに「いくんばん」が、わざわざお願いしてくれて、ワタクシたちの無理難題を引き受けてくれることになった、という経緯があります。

なので五島の多くの「古民家再生」は、お隣の、今は亡き「いくんばん」の力添えがなければ、始まらなかったこと、と言っても過言ではありません。

このことからワタクシが思うのは、自分が知らないところでも、必ず誰かが尽力してくれていて、そのおかげで自分たちはいろいろと好きなことが出来ている、ということを忘れてはいけない、ということです。

それを常に肝に銘じつつ、新たな12年に向かって歩き出そう、と思います。

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気持ちが良い朝の散歩の途中で出会った方と、すっかり話し込んで、ネドコロノラで一緒にお茶を飲み、その方のおうちにお昼ごはんに招待されたりもして、そんな嬉しい出会いもあった旧「かたし」の記念日でした。
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わが家の経営だけ見ると、イノシシに苦しめられ、畑には手が回らず草ぼうぼうだったりするけれど、旧「かたし」から始まった、古い建物を再利用、という点では、自分の思った通り、つまり趣のある古い建物が朽ちていくのがもったいないので、もっともっと活用するといい、という思いはその通りになっているのではないか!?

と思ったりもするのでした。ま、これは時代の流れから当然生まれるべきもので、ワタクシの思い云々とは関係ないかもしれませんが、近視眼的な視点で翻弄されずに、大きな視野を持って、物事に取り組むことが大切なのだ、と思ったことでした。

しかし、農地調査は未だ終わってない!

やはり常にギリギリの人生なのは間違いないのでした。




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by sanahefuji | 2017-10-01 23:40 | 五島のこと | Comments(0)

鬼岳天文台に行ってみた

昨日、鬼岳天文台に行ってみました。

今年の夏休みは「よく学び よく遊び よく働く 夏休み」という目標を掲げておりますので、ほんの少しの時間でも工夫して目標を達成したいと思っております。

高3のヒトは夏休みでも7時まで学校がありますから、高校に迎えに行ってそのまま鬼岳へ。

そしてオムスビとナス炒めというカンタンな弁当をみんなで食べて、8時からの観測に備えます。
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夜は涼しい鬼岳です。

こちら、夕闇迫る鬼岳天文台です。
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初めは雲が多くて、月もあまり見えなかったのですが、シアタールームで夏の星についての映像を見ているうちに、いつの間にか雲が晴れて、月とその斜め下あたりに出ている土星を望遠鏡で見せてもらいました。

光り輝く月にはクレーターがはっきりと見えまして、よくよく見ると、そこは荒涼とした寂しい場所のように思えました。日の当たっている場所は100℃以上、影の部分はマイナス200℃以下、とのことですから、随分と暮らしにくそうです。というか、暮らせませんね。

五島でも35℃とかなって暑い暑い言ってるけど、月に比べるとやっぱり地球は随分と快適ですな。

土星は望遠鏡の丸い枠の左下あたりにコロッと、コータロー曰く「オモチャみたい」に見えました。

本当にお祭りの時のヨーヨー釣りのタライに浮かぶオモチャのように見えたのです。かわいいかわいい土星でした。ちっちゃいクセに(と言っても地球に比べると相当デカい惑星ですが)、いっちょまえに輪っかがありましたよ。

ホントに輪っかがあるんだなぁ、と感動しました。

やっぱり実物を見る、というのはなんでも良いものです。

帰りの車の中で、ブラックホールの話になって、ワタクシは去年の「子供科学電話相談」でブラックホールについての説明を聞いて、ものすごくよく分かった!と思ったのに、そんなことはキレイさっぱり忘れている、ということに激しくガッカリしました。いくら学んでも、こんなに何も残ってないとしたら虚しいですな。

しかしながら昨日、月や土星を望遠鏡で見た時の感動は忘れないような気がします。

そうそう、鬼岳天文台は当日の5時までに予約すれば誰でも行くことができますよ。℡74-5469です。

あ、また今週も「ジュラシック」の罠にはまってしまいました。

わがイノシシパークのブルーベリーは、台風が通過することを考えると今週がピークかも、というくらいの粒よりのキレイなのがとれましたよ。
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8月に入って、味もすごく良くなったというのに。

台風は困るが渇水なので雨は欲しい、という複雑なところです。

明日も暑そうですが、「木ノ口かたし」どうぞよろしくお願いします。

ではでは、また明日。




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by sanahefuji | 2017-08-04 23:24 | 五島のこと | Comments(0)

五島は人手不足です

今日は町内会の草刈りでした。

長年小さい子供が家にいたのでワタクシは前日の土曜日に家の周辺の道の草を刈って、日曜日は免除してもらって、夫だけが行っていたのですが、末っ子のコータローも5歳、ねーちゃんたちと一緒にお留守番もできますし、それに、夫曰くヒトが少なくなってタイヘンだから、ということで今年からワタクシも日曜日に参加しました。

町内会の草刈りってどこの草を刈るかと言うと、それは主に道路の脇の草を刈るのです。これは本来、市が管理している場所なので、町内会が刈らない場合は市が業者を雇って刈る、ということになるのですが、町内会で刈れば、その分のお金が町内会に入るので、これは貴重な収入源なのですね。

で、今日ワタクシは初めて参加しました。

初めて参加したワタクシにとっては、けっこうな人数がいたように思ったのですが、夫が言うには前よりも本当にヒトが減って、時間がかかるようになった、とのこと。

1時前に始めて、3時半くらいまでかかりましたから、この時期のこの時間帯にこの作業というのはけっこうな重労働かもしれません。

しかしながら、草を刈らなければ、道路はすぐに草に埋もれる、ということをワタクシは数年通らなかった山道で体験しておりますから、定期的な草刈りは本当に重要です。地域の環境を維持していく、というのは骨が折れることなのです。

このような公共の作業の時もそうですが、前々からよく聞くのが、小規模な事業所(お店なども含めて)での働き手が足りない、という話。

前から言っているように、五島には仕事がない、というのは違います。その仕事の条件がどうかは分かりませんが、あちらこちらで働き手を探している声をワタクシは本当によく聞くのですから。

五島には働き手を探しているヒトビトも多ければ、食料を恵んで下さるヒトビトも本当に多いです。なので収入は少なくとも、豊かに暮らせますよ。
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昨日の「かたしのお昼ごはん」の残りものの餃子以外、お刺身や開きの魚、ミナと呼ばれる貝などは地域のヒトビトに頂きました。ありがたいことです。

いつの間にかサトが撮っていた昭和の家族の肖像。
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さて、この中で1か所、昭和の家らしからぬところがあります。どこでしょう?





正解は生ビールのジョッキ、でした~。


















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by sanahefuji | 2017-07-23 21:02 | 五島のこと | Comments(0)

「NHK のど自慢」予選会に行ってきました

3年前に上五島の予選会に行って、とっても楽しかったので、五島市に「のど自慢」が来た時には、また行こうと思っていました。

まだまだ先のことかと思っていたら、それが今年あって、しかもそれは今日だったのです。

土曜日、ということで、当然「木ノ口かたし」の営業日ですから、夫や子供たちに店番を半日任せて行ってきました。今、家に戻っている、ということは、今回も予選落ちだったのですが、本当に面白く楽しかったです。

上五島の時と違って、知ってるヒトもたくさんいたし、慣れた場所だし、今回は余裕で歌えるはず、と思っていたらばですね、やっぱり舞台に上がったら、ものすごくキンチョーして、もう頭が真っ白になってしまいました。「こんなふうに歌おう」とかいうことなんて、全部どこかへ飛んでしまいました。

自分はやはり、まだまだ肝が据わってないのだなぁ、ということを痛感し、ホント、舞台のヒトってスゴイんだなぁ、ということを実感しました。

土曜日にワタクシが半日も出かけるとなると、とにかくいろいろと不備なく準備しておかねばならないので、まぁ今週はずっと忙しかったです。土曜日に出かけるって、こんなにもタイヘン、と思いましたが、またまた良い経験ができたし、参加できてヨカッタです。

今朝もいつもの土曜日と同じく3時半起床で、開店準備をし、炊きたてのカマドごはんと、ほうじ茶で朝ごはん。
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何かもっと食べていかなくては、と思ったのだけど、キンチョーとギリギリまで店番していたために、結局殆ど何も食べないまま今に至っております。

というわけで、これからやっと「まともなメシ」にありつけます。

キンチョーの一仕事が終わって、今日は美味しいビールが飲めるなぁ。

今度はいつ五島市に「のど自慢」が来るかしら、なんて既に思っていたりするワタクシです。

そうそう、観覧の方の抽選が当たったので、明日は本日の予選会で選ばれた20組の皆様と氷川きよし&川野夏美さんを見に行きますよ~。







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by sanahefuji | 2017-04-29 19:02 | 五島のこと | Comments(0)

郷土誌が面白すぎる件

一昨日「木ノ口かたし」を訪れて下さったお客様で、郷土史に興味がある方がいらっしゃいましたので、そう言えば先日広報と一緒に配られた郷土誌があったなぁ、と持って来てみたところ、大変よろこんで下さいました。
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立派な郷土誌でしかも読みやすく現代語表記にして下さっているのです。ワタクシはまだパラパラとしか見てなかったので、読んでみたら、こんな部分がありました。

「第四節 青年の風儀」

「各集落の青年は従来、若者組として十五ないし三十五歳までの男子で組織され、旧正月、七月の休閑の時期を利用して総集会を開き、酒宴をも催して、ただ女子の素行に対する制裁を議論して、無理に従わせるような手段を用い、とても荒い行為が多い。

そうして夜は、大勢で道の上であたりかまわず大声で歌い、歌が上手なことを自慢する。時には道路に障害物を置いて老若男女の通行を妨げ、各宿所に群集してひとつの賭け事によって飲食し、酒宴を開いて深夜まで他人の安眠を妨げる等、非常に公徳心が欠如している。

同集落民と道で会っても、一礼さえもせず、知らないふりをしたまま通行し、したがって年長者を敬わないことを男気だと思って、同志に傲慢であることを誇っている。

たまたま暇があって読書をしても、ただ無駄に小説、戯曲類を読みふけって、何ら修養を計ろうとする者はなかった。」

等々、ひどい言われようです。ところがこの先に続くのは、明治41年に戊申詔書なるものが発布されると、それまでの風紀が改善された、というようなことが書いてあるのです。

よくよく読んでみるうちに、ここには非常に重要なことが書かれていない、抜けている、ということに気がつきました。

その「戊申詔書」が発布される前の時代、日露戦争のための増税などで地方財政は破綻に追い込まれ、地方の疲弊・荒廃が深刻な状況になっていた、ということがあるらしいのです。

それで出てきたのが「戊申詔書」であり、「地方改良運動」であった、ということ。

それを知らないで読むと、昔の若いモンはホントにヒドイならず者ばっかりやったんやね、などと笑って終わるところでした。

本当に戦争はヨクナイ、ということが、この郷土誌からも分かりますね。ハイ。

それから、もう一つ、これは記述したヒトの性格を疑うようなところ。

「第七節 気質上の短所及び弊習」

「短所や良くない習慣は長所や素晴らしい習慣よりも一層多い。しかしこれをいちいち列挙するのは、この土地の住民の悪を暴いて公表することになるため、私は人のために堪えられない。したがって項目のみにとどめ、詳しくは書かない。」

などと書いているのに、なんとその項目が10個もある!

殆ど詳しく書いているのと一緒じゃないか、とワタクシは思ったのですが、どうでしょう。

しかも、この「私は人のために堪えられない。」とか書くあたりに偽善のニオイを感じますな。

その10項目はどんなことか、と言うとですね。

一、時間を守ろうという考えに乏しい。
一、集落的根性が強い。
一、利己心が強い。
一、納税の義務を履行しようという考えが薄い。
一、公徳心に欠けるところが大きい。
一、祖先を崇拝する気持ちが乏しい。
一、日常的に礼儀を守ることが少ない。
一、婦人の貞操観念が乱れている様子がある。
一、迷信に強い。
一、あだなをつけることが多い。

だそうです。

やっぱりワタクシはこの土地のヒトビトのことよりも、これを書いたヒトの方により多くのモンダイを感じますな。

このように、地域の郷土誌というのは読んでタイヘン面白いものです。これも現代語に編集しなおして下さった方々のおかげです。

ありがたいことです。

まだまだザッとしか読んでいないので、時々ゆっくり読みたいと思います。

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そんな「ならず者」の子孫だとは思えない、心やさしいヒトビトが多いですよ。今日は釣ったばかりの鰺をたくさん頂きました。美味しかった~。





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by sanahefuji | 2016-07-18 14:37 | 五島のこと | Comments(0)