昨日は小中学校と地域の合同運動会でした。
今週の土曜日は保育園の運動会、ということで運動会続きのわが家です。それで、お知らせなのですが、今週の土曜日は「木ノ口かたし」午後2時より営業いたします。

来週、となってますが、もう今週ですね。午後2時からの営業ということで「かたしのお昼ごはん」はお休みさせてもらいますが、いつもは午前中で売り切れになりがちな卵が午後にたくさんありますので、卵が必要な方はぜひどうぞ。早期米(ミルキークイーン)も販売中です。
「木ノ口かたし」では、「店に入ったからには何か買わなくては!」などというふうに、お金をそんなに使わなくても別にいいんですよ。常連のヒトビトが来て下さるのは、もうホントにありがたくて嬉しいのはもちろんのこと、「何やってるんだろう」とふらりと初めて訪れてくれる方があったり、フト思い出してひょっこり会いに来て下さる方がいたりするのも、とっても嬉しいワタクシです。眺めるだけでも別にかまわないし、美味しい「ほうじ茶(タダですよ)」でも一緒に飲んでお話できたら、その時間が本当にありがたい、とつくづく感じる今日この頃です。
さて運動会、もう運動会については、このブログでもいつも熱く語ってしまうので、聞き飽きたかもしれませんが、語らずにはいられないのが運動会です。
運動会というのは、小さな集落にとっては本当に重要なものです。なぜならば小さな集落の中にある学校の運動会、というのは、ただの体育祭とか競技会ではなく、住民にとっての「ハレの日」だったからです。「ハレの日」が非日常を表すのに対して「ケの日」というのが日常のことですが、この運動会というのが「ハレの日」である、という証拠が、そのお昼の豪華弁当であります。
今でこそ、もう日常の食卓にもご馳走が並びますが、昔は特別の日しかご馳走は食べられなかったのです。
そして、普段は忙しく激しく労働をしているヒトビトが、地域ごとに座ってさまざまな競技を観戦して、ああでもないこうでもない、と話したり、アレはどこの子か、と聞き合ったり、あるいは自分も競技に参加したりしながら、昼には美味しいものを食べ、ゆっくりくつろいで過ごし、準備や後片付けでは皆で協力し合い、そして打ち上げでおとっつぁん達はヨッパライ、子供たちは子供同士で遊びつつも、そんなオトナたちの人間観察の機会も与えられる、そういう非日常の一日、というのが田舎の運動会、だったのです。
だった、と過去形にするのは残念ですが、もうそろそろ、そういう気配は薄くなりつつある、というのがワタクシの偽らざる実感であります。
時代、と言えばそれまでですが、時代は流れているのだ、と思います。
しかし、ワタクシが住んでいる地域に限って言えば、まだ、そのような感じの運動会の一日があるのが、心から嬉しいワタクシです。
地域から学校がなくなる、ということは、そういう一日が消失する、ということですから、住民にとっては一大事です。効率とかなんとかで、統廃合をあまり簡単に考えないで欲しいものです。
運動会で一番重要なのは入場行進、というのも、いつも語ることですが、この何かが始まるワクワクする感じを肌で感じる、というのがすごくいいのです。ぜひ間に合うように行って下さい、とワタクシ、運動会の運営委員でもないのに、皆様に声を大にしてお願いしたいと思います。入場行進を見物するヒトが少ない、というのが甚だ残念でたまりません。

いつもヘラヘラしている印象のサトも、こんな旗なんか持っちゃって、6年生らしくキリッとした印象になります。高学年や中学生などはキビキビと行進し、新一年生なんかはもう嬉しくってたまらない、といったような、はりきり過ぎてバラバラに活気に満ちてしまう様子もかわいいし、たかが入場行進と思ってはイケマセン。魅力が満載なのですから。
やはり運動会のことになると、コーフンしてしまって、時間を忘れて書いてしまうので、もうこんな時間になっている!
昨年なくなってしまっていた「輪回しリレー」が今年は復活した、という嬉しいニュースについて、これも、また語るべきことがたくさんあるのですが、また今度。うーむ、でも書けるかな・・・。

何かが続いていくこと、ということに焦点を当てると、人間の暮らしのいろいろな問題、はたまたこの世界に起こっているいろいろな問題を解決する糸口になるのではないか、とワタクシは思います。
これは決して大袈裟なことではありません。
いろいろなことは全部、つながっているからです。