今日の朝に福江港に到着する太古丸にて、讃岐の姉を訪ねて珍道中のアサ&コータロー、無事に戻ってまいりました。
しかし、カメラとパソコンをつなぐケーブルは、荷物の中に入れて送った、とのことで、その荷物が届いてないので、やっぱりまだ写真はありません。
それから、公民館講座の「バァの味噌作り」も無事に終わりました。
朝晩は涼しくなってきたとはいえ蒸し暑い日なので、麹がつきやすく、午前中には麹の花が立派について、みんなで塩を混ぜて、分けまして、それぞれお持ち帰り頂いて、味噌が出来上がるまでの約10日ほど、毎日混ぜてもらう、というのが一連の味噌作りであります。
今回は全体の出来上がりの量が70キロくらいと書きましたけれども、そのうちの53キロは皆さまの元へと旅立ちました。かわいい子には旅をさせろ、というように、わが家の子供たちも味噌も旅立っていくのですな。
今年は公民館講座の「バァの味噌作り」は9月にももう一度やるのですが、その時もゆうに50キロ以上は皆さまの元に行きます。みんなで共同で作業をして、それぞれの家で味噌として出来上がる、というのはなかなか良いシステムだな、と自画自賛ながら思います。
ワタクシはたまたま「かたし」で「バァの味噌」に出会って、作り方を教えて頂いて、それまでの暮らしの中で木製の「せいろ」だとか「モチブタ」、大きなプラスティックの漬物樽などなど、あちらこちらから頂いていて、そういう道具類が揃っていた、ということも重なって、こうして毎年みんなと一緒に味噌作りができるというのは、なんとこれもシアワセな出会いだったのだろう、と思います。
最初の頃は「おっかなびっくり」でしていた「バァの味噌作り」も、10年もたてば、もはや息をするように自然にできることになってきて、麹の香りに心から落ち着き、ワタクシはこれからもずっと体が動かなくなるまで毎年味噌を作りたい、と思ったことでした。
そして、きっと誰かに引き継いでもらいます。
味噌作りの何がいいかといいますと、これはかなり「いい加減」でも、(ワタクシはそれが「良い加減」だと思っていますが)何のモンダイもなく美味しい味噌ができることです。
イマドキは何もかもが過剰、行きすぎた清潔志向なんかはもう病的だとすら思います。そっちが普通になってきているから、ワタクシなどは不潔人間に分類されても仕方がありません。
そんな清潔志向が行きすぎた世の中になっては、ワタクシの天の邪鬼が顔を出して、子供たちには落ちたものは拾って食べなさい、と言ってしまうくらいです。
いろんなものが行きすぎ、と言えば、以前ワタクシ「毛のモンダイ」という題名で日記を書きましたけれども、最近それに関連して、じつに衝撃を受けたことがあったので、それも書いてしまうノダ。
この以前書いた「毛のモンダイ」では、長女のハナが小学生だった時に、同級生が確か足だったかな、脱毛しているとかなんとか、いう話をしていて、すごくビックリして、ワタクシが小学生の時には足に毛が生えていることすら気がついていなかった気がする、とか書いた記憶があります。そしてそれに関連して何か毛について書いたんでした。
さらに言いますとワタクシは腕なんかは今までの人生の中で一度も脱毛などというものをしたこともないのです。まぁワタクシなどは、世のヒトビトがどうも眉毛をいじっているらしいと気がついたのは既に30歳を過ぎてから(ちなみにその時、親切にも眉毛の整え方をワタクシに教えて下さった方がいたので、それからはワタクシも努力?しとりますが)ということから考えると世間のヒトビトの感覚とは次元が違うという話になるかとも思いますが、そう毛のモンダイですよ。
この間、お盆にはいつもと違うことをしよう、ということで、家族で外食をした、と書きましたが、その時に料理を運んで来て下さった男のヒトの腕がツルツルで、ワタクシはまずギョッとしました。
え、なんで?
と思ったのです。
もしかして、このような職業のヒトは男のヒトでも腕に毛があってはいけない、というのが常識なのか?
と思ったり、一般企業はそうなのか、とか、規約で決まっているのか、それとも個人的なものなのか、などなど、すごくギモンが浮かんできてしまったのですが、まさかそんなこと聞くわけにもいきません。
それなら、同じく週に一度とはいえ飲食店の従業員であるワタクシはどうなる、しかも女なのに!
とかまた思う。
そして、気をつけて見てみると、男のヒトの腕に毛がない、というのは、何もその店だけではなく、他のところでもしばしば見かけるのです。イヤ、そんなにジロジロ見ているわけではありませんで、ワタクシにとってはかなりの衝撃だったものだから自然と目に入るのです。
なんで毛があったらダメなの?
とワタクシは実に不思議で仕方がない。
特に毛が濃い男のヒトなんてツルツルを保つのはタイヘンではないだろうか、と心配になったり。
いや、個人的に望んでしているのなら別に全然かまわないと思いますけど、それが決まりなのだったら謎が多い世の中です。
世の中はどんどん分からなくなるなぁ、と思います。
こうしてワタクシは世の中の常識から外れて、醜いオババになってゆくのかも、などと思うと、これはマズイ、とも思う。でも脱毛などという高度なことはとても出来そうもないからしないけど。
しかし、せめて周りのヒトビトに不愉快な思いをさせない程度にはコギレイにしなければならないのではないだろうか、と思ったりするけれど、これもどうしていいか分からない。
若い時に何も訓練していないのに、年をとってから急にできるようになるわけがない。
コマッタ!