人気ブログランキング |

土曜日開店「かたし」の人生劇場 2

<   2018年 12月 ( 34 )   > この月の画像一覧

素敵な一年でした

こんばんは。

2018年も本当にもう終わりですね。

どんな一年であったとしても、一日一日、生きてきた日々の積み重ね、というのは、たいしたものです。

今年も一年、お疲れ様でした。

お仕事をしている方もいらっしゃるでしょうが、お休みのヒトは、どうぞゆっくりして下さいませ。
b0317003_21260342.jpg
こんなふうに、わが家のミーコのように。

本日、大晦日の仕舞いは、ワタクシは7時を回ってしまいましたが、例の「蕎麦の出し」が大鍋一杯、実に美味しくできたので満足です。昨日も書きましたけど、君のいない世界など、夏休みのない8月のよう、笑うことないサンタのよう、なのですから、君のいる正月はきちんと夏休みもある8月で、ふぉっふぉっふぉっと笑うサンタさんなのですダ。ヨカッタヨカッタ。これで、正月三が日、蕎麦ばーっかり食うちょるよ、という正しいお正月を過ごすことができます。

今日、ビックリしたことは、大晦日は年越しをするために起きていないといけないから、ということで、それに備えて昼寝するのはコータローだけになっている、ということです。

あれ、今まで3人くらいは寝ていたような気がしたのに、そうか、アサもサトももう中学生、夜更かしもそれほど珍しいことでも無くなっていたのダナ、いつの間にか。

ホントに時間がたつのは早いことです。こうして子供はどんどん大きくなるのだなぁ。

ワタクシが「木ノ口かたし」の台所で「君の名は。」のサウンドトラックをエンドレスで聞きながら煮しめなどを作っている間に、子供たちが掃除や片付けも分担して、きっちり進めてくれていて、風呂も台所もすごく美しくなっていて、これまたビックリした!

良い働き手に育っております。

いろいろあった一年でしたが、終わりよければ全てヨシ、ということで。

もうすぐ、年越し蕎麦だ!

ではでは、皆さまも良いお年を!






























遅ればせながら

昨夜、餅米を浸けるのを忘れてはいましたが、予定通り、今日のうちに餅は出来ました。
b0317003_22550759.jpg
わが家では、商品用の玄米餅などを毎週、搗いているので、餅搗きというのは実は日常業務のようなもので、しかも正月用の餅は白餅だから蒸す時間も短いし、丸め要員は4人もいるし、で、楽勝なのですよ。ははは。

と、餅米を浸け忘れたことなど、たいしたことではないことを強調するのであった。

ところで今日の餅搗きの際に、フェイクな杵が出現していました。
b0317003_22555264.jpg
手前、コータロー作、竹と薪を釘でくっつけたらしいフェイク杵。とーちゃんが騙されると思ったのでしょうか。なかなかよく出来ています。しかし、これで搗いたら餅がゴミだらけになってしまうわ。


いろいろ遅れてばかり、で、種蒔きも相当に遅くなった大根、それでもなんとか正月には間に合った、かな?
b0317003_23034284.jpg
しかしやはり、ちっちゃい。もう少し早く蒔くべきでした。なんだかんだで畑になかなかハマれないのですが、来年も細々とガンバロウ。


本日は、
・黒豆
・田作り
・栗きんとん
・紅白なます
・カズノコ

が出来ました。

明日、お煮しめと昆布巻きを作ったら、お節料理はそれだけ。後は、イノシシハムとか蒲鉾などを切って入れれば完成。前は伊達巻きなども作っていたけど、これって、わが家の美味しい卵を使っても、ワタクシは美味しい、と思えなくて、また、実際、全然減らないので、もう作らないことにしました。

でもせっかく卵があるから、と、いつかは「エッグサレ」とかいうのも作ってみたけど、これも、いまいち。お節料理の中の卵料理というのが、未だ決まりません。何かいいものはないかしら?

結局、ただの卵焼きなどが美味しいんですよね。卵ってシンプルに食べるのが一番。

しかし、お節の中に入れるとなると、それでは正月らしい華やかさに欠けるしなぁ。ま、何かいいのがあったら入れる、という程度に考えておきましょう。

明日作るもので、もっとも重要なのは「蕎麦の出し」。

これは「バァの味噌」を習った時に、同時に習ったもので、わが家の正月には欠かせないものとなりました。もっとも、わが家では、本家本元のそのままではなくて、少々アレンジして、鯖節と鶏の合わせ出しとし、それにニンジン、ゴボウ、出しを取った鶏の肉をミンチにした肉だんごが入る、というふうになっております。


はっきり言って、お節料理は脇役で、この蕎麦のダシが主役、と言ってもいいくらい。朝昼晩、それで蕎麦ばっかり食べます。雑煮もその出しで食べるし、これがない正月など、夏休みのない8月のよう、笑うことないサンタのよう、君のいない世界など。

と、2年遅れて「君の名は。」の歌にハマっているワタクシは、そう思います。

いよいよ今年も最後、明日は仕舞いが早く出来ますように!

いつも風呂入る目標、5時!とか言ってますけど、出来たためしがないのよね。

遅れないように、ガンバリマス。






遅れたヒトの気付き

今日は、わが家の餅搗きです。

子供たちにも「明日は餅搗きだからね。」と言っていたのに、今朝、目が覚めてワタクシがフト気付いたことは、

「餅米を浸けてなかった!!」

ということなのです。

この慌ただしい年末になっても、間抜けな母、なのですが、まぁいいのいいの、朝に浸ければ午後から餅は搗けるでしょう、ということで。

しかし、なんで忘れるかなぁ。不思議。


最近、車の中で聞く音楽を、やっと変えました。というのも、ハナが帰ってきて、USBとかCDとかに新しい曲を入れてくれたからです。それで、今聞き始めたのは映画「君の名は。」の音楽。実にいいですなー。この間、「前前前世」の映像をたまたま見て、その中に出てくる髪の長いお侍と忍者がカッコよすぎて、それ以来、ハマってしまったのです。

「なんで今?おかーさん遅れてる。」とハナには言われますが、いいのいいの、もともと何もかも遅れてるんだから。

世間では2年前に流行ったようですが、2年くらいなら全然早い。

おそらくワタクシの感覚は15年~20年くらいは遅れているので、2年ならまだマシな方です。

というのもワタクシの今年の一大事は、「ついに携帯電話(ガラケー)を持った!」ということなのですから。

そして、いやーホントに携帯電話って便利だな、などと思っているレベルです。スマホにはまだ到達していませんが、いつの日かそれに移行する日もあるかもしれません。それは、スマホ以上の何かが世間にまた現れた時、ということかもしれないのですが。



ハナが帰ってきてから、観察していると、実に巧みに化粧をします。ほほう、化粧ってそうやってやるんだな、と、初めて知った!
ちょっと教えてもらおう、などと思っているところ。これは、25年以上は遅れている事象ではありますけれど、いいのいいの、思い立ったが吉日、という言葉もありますから。


このように、いろいろなことが遅れているワタクシではありますが、実に重要なことに気がつきました。

それは、「遅れていても何も困らない」ということです。


そう、だから今日だって餅搗きが遅れても何も困らないのです。

今日は順番を変更して、お節料理のいくつかから、始めましょうか。

ではでは、皆さまもお正月さまを迎える準備、お客さまを迎える準備など、心穏やかにお進め下さいませ。















明日の「木ノ口かたし」はお休み、来週1月5日は通常通り営業します

もう随分前から、年内は22日の土曜日までで、29日はお休みします、と書いていたので、大丈夫だとは思いますが、来週の1月5日は営業します、って言ってなかったなぁ、と思って。

実は明日が土曜日というのも忘れそうになっていて、来週1月5日は通常通りというのも、忘れそうで、アブナイところです。

いつも思うことで、そして多分いつも書いていると思いますが、このお正月を挟んだ1週間、というのは不思議です。雰囲気がガラリと変わりますよね。

今日は金曜日ですが、明日の「木ノ口かたし」の準備がないので、「木ノ口かたし」の台所の掃除を丁寧にしたり、いろいろやたらと書いた中で(ちゃんとした文章にしてないものも含め)、今年一番大切にしたいと思えるものを自分なりに装丁したりしていました。

それを見ながら、この1年を振り返っていると、1年というのはたいした時間だ、と思います。

今年の1月31日に、「長崎県女性農業者の集い」というのがあったのですが、ワタクシはそこでの事例発表を頼まれて、今までの「かたし」のことを発表することになったのでした。それでレジュメを作ったりしなくてはならず、もう終わったことを、ほじくり返す羽目になり、その時にワタクシは、前の「かたし」がなくなって3年もたつのに、まだまだ手負いの動物のようにグッサリとついた傷が癒えていない、などというようなことを、この場に書いたと思います。

3年たってもまだ、そんなだったんだなぁ。いやはや、一旦タダナラヌ関係になってしまうと、それが建物であっても別離の際には、ものすごい痛みを伴うものです。何かに惚れるってことは、そういうことなのです。

で、それから1年たって、どうなったか?

それが、今ではもう全然そんなことはなくなった、と思います。あ、でも全然ない、というのはウソかな。ホントに極々たまーにだけど、前の「かたし」の前を通る時、その中で過ごしていた思い出がフト甦ってきて、「ウッ」と胸に矢が刺さったようになる時、あります。これも唐突なのでビックリします。なんでしょうね、それって。未練がましい性格なのかしら?

でもまぁ、別れの傷は完全に癒えた、と思います。それでも4年もかかるのか!なんという遅さ!

動きが鈍いと回復も遅い、ということなんでしょうか。

それでも今日、「木ノ口かたし」の台所の掃除をしていて、あーなんか、落ち着くなぁ、いい台所になったなぁ、と思い、今年一年もよくヒトビトにご利用頂いてヨカッタなぁ、って、またまたホントに感謝の気持ちでいっぱいになりました。どちらかと言えば「引きずる人種」ではありますが、目はちゃんと前を向いておりますので、ご安心ください!?

明日の土曜日のお店はお休みですが、卵やお米を買いに来て下さる分には、全然かまいませんので、必要な方はぜひどうぞ。

そして、新年1月5日の土曜日は、また、いつも通り、よろしくお願いいたします。

ようやく寒くなり、急に年末の気分になってきて、既に手遅れ、ということがいくつかありますが、その中でも年賀状などは年が明けてから、一人一人の顔を思い浮かべながら、心をこめて書きたいな、と思っております年の暮れ。また出た。

手紙というのはワタクシにとっては、殆ど命綱のように大切なものでした。何故ならワタクシは父親に対してでさえ、喉に言葉が詰まったようになって、思ったことなどとても喋れないし、感謝の気持ちも言えなければ挨拶すらまともに出来ないようなコドモだったから。でも手紙だったら自分の気持ちを書けました。それで随分救われたのです。

だから、大切な手紙の一種である年賀状も、もう早く出さなきゃ!って慌てて書くのはヤメて、ゆっくり書こうかなぁって思ってます。

のろまなワタクシ、いつも年賀状は遅れますが、気持ちを伝えたい、という思いは持っているのです。









「マンマ・ミーア!ヒア・ウイ・ゴー」のススメ

ミュージカル映画「マンマ・ミーア!」の続編が出来て、それを映画館で2回見た、というハナからの勧めで、わが家でも昨夜「マンマ・ミーア!ヒア・ウイ・ゴー」をDVDで見ました。

まず歌がいい!

風景、衣装、空間の色彩がいい!

人間が魅力的!

とにかくメッチャ楽しいミュージカル映画です。

なんだか、グダグダクヨクヨするの、バカみたい、って思いました。

そうだそうだ、人生を楽しもう!

と思いました、心から。我ながら単純ですが。

そして、そうだ、今年はワタクシの中に歌が戻って来たんだった、それはまるで自分の傍らに愛と光に満ちた天使が舞い降りてきたように、と、そんなことを思い出しました。

本当に今年は、そういう年だったのです。

そう、自分の中に歌が戻って来た!それは本当に素敵な体験でした。いろんなことが重なって、そんなふうになったのでしたが、それは本当に天使の導きではなかったか、と思えるようなことでした。

考えてみればいつだって、ワタクシが困った時、もうダメかも、と思った時には必ず、どこかから救いの手が差し伸べられるのです。それはお金だったり、人との出会いだったり、出来事だったり、とても不思議にちょうどいいタイミングで。

おそらくそういうことは、多くのヒトが感じて、体験していることなのでしょう。

この映画にも、そういう気配を感じます。

何はともあれ歌が好きな方は、絶対に楽しめますから、「マンマ・ミーア!ヒア・ウイ・ゴー」ぜひ見て下さい。ホントにホントにおススメです。今年一年が、どんな年であったとしても、明るい気持ちになることが出来て、元気が出て、「生きているっていいな。」「人間っていいな。」と感じることができると思います。

そして、来年を明るい光に満ちた一年にしよう、と思えるんじゃないかなぁ。

舞台はギリシア・エーゲ海にある架空の島。前回は、そこで小さなリゾートホテルを経営しているメリル・ストリープ演じるドナ・シェリダンの娘ソフィの結婚式を廻るドタバタ劇でした。というのも、ソフィの父親というのが誰かははっきりと分からないながらも、その昔の母の日記から3人の候補が浮かびあがり、ソフィは母に内緒でその3人に結婚式の招待状を送っていたからです。

今回は、そのソフィが今は亡き母の意志を受け継いで、ホテルをリニューアルオープンすることになって、そのオープニングパーティーの日の出来事と、若かりし日の母がどのようにして、島にやって来て、父親候補の男たちと出会って、どんな物語が生まれたのか、ということを織り交ぜながら、のお話になっています。

若かりし日の母、ドナを演じるリリー・ジェイムズのはじける笑顔と明るさ、輝き、そして歌が素晴らしく、「女って女神なんだな」とワタクシは思いました。

そんな若い日のドナが、恋人が自分の元を去り、心配して駆けつけていた親友の二人も島を離れる時に「あなたも島を出るでしょう?」というようなことを聞かれ、いや、自分はここに残る、と言います。

そして、「私の世界はここにあるの!」とキッパリと言いきった場面、それが、ワタクシにはものすごく印象に残りました。映像がそうなっていたかどうかは定かではないのですが、その時、ドナに後光が差しているようにワタクシには見えたのです。

そして、すごくすごく憧れました。

女のヒトが、そんなふうに「自分の世界がここにある」と決断して、生きていく時、そこは女神が世界を創造していくように、愛と光に満ちた、豊かな世界がこれから拡がっていく可能性があるのかもしれない、と思うのです。

それは、どこであっても同じこと。

ワタクシたちオナゴは新しい命を生み出す性であるのだから、誰でも女神になりうるのです、きっと。

そんなことを思いました。

「マンマ・ミーア!ヒア・ウイ・ゴー」おススメです。







ギャップ萌えなど如何でしょう

長女のハナが女子大生になって、「キレイなお姉さん」になって帰ってきた、と書きました。

しかし、わが家ではちゃんと薪割りなどしてくれます。
b0317003_07482101.jpg
そして、ワタクシが出かけている間に、こうしてちゃんと薪を積み、コータローに昼ごはんを作って食べさせたり、茶碗を洗ったり、仕送りもしてもらってないのに、ちゃんと家のために働いてくれます。
b0317003_07493409.jpg
そして夜は友達と会うと言って出かけて行きました。

そんな長女が存在していると、他の子供たちにも良い影響があり、皆の労働意欲を喚起するのか、昨日は「夜の部」のお客さまがあったのですが、アサとサトが二人してテキパキと準備を手伝ってくれました。

娘2、娘3も、娘1のように、外に出たら、きちんとキレイなお姉さんになって、帰ってくるに違いない。その日が楽しみです。

斧で勇ましく薪を割っている娘1も、佇めば乙女。
b0317003_13235035.jpg
これは三井楽の海。

三井楽のベーグル屋さんに、わが家のお餅を頼まれていたので、持って行ったついでにベーグルを買って、万葉公園でちょっと遊んできました。
b0317003_14561962.jpg
思ったよりも、ずっと広々としていて、とにかくエネルギーを持て余して、走り回りたい、というような男の子なんかには、おススメかも、と思いました。

ホントにすごく広い!そして、ところどころに、こうした遊具があります。

乙女の格好でコータローとターザンもする。

そして、しっかりしているようでかなり抜けている、というところもあり。

やはりここは、ギャップ萌えでいくしかない、などと母はいらん世話なことを思っていますが、どうでしょう?!





おバカ男子とキレイなお姉さん

長女のハナが帰省して来ました。

夏には帰って来なかったので、実に10か月ぶりです。

コータローと一緒に港に迎えに行って、階段から降りて来るのを待っている時、そこに現れる誰かを待っている時、というのは、それが誰であっても、何かこう緊張するのは何故だろう。

しばらく会わないうちに、どんなふうになったかな、とか、最初に会った時にどんな顔をするかな、とか、そういう想像が、そうさせるのか。

そこに現れたハナさんは、実にキレイなお姉さんになっていた!

と、親のワタクシが言うのもナンですが、なんだかドキドキしてしまう程。

今、流行っているらしい、ちょっとビックリするくらい鮮やかな紅色の口紅、その昔、ワタクシの叔母(それは競泳の渡辺一平選手のお婆ちゃんなのですが)、彼女がやはり娘のしている口紅を表現する際に「人を食い殺したごとある口をして」などと言っていた類の口紅も、そんなに下品に見えないくらい、顔の他の部分とのバランスがよく考えられた化粧、落ち着いた大人っぽい、それでいて若い娘らしさの残る服装、上品に光るアクセサリーとスッキリとした髪型は、もともと色白の彼女によく似合っていました。

まさに、番茶も出花のお年頃、ですからなぁ。

3人いる姉の中でも特にハナちゃんが大好きなコータロー、そしてワタクシは知っている、既に1歳という,まだ赤ちゃんと言ってもいい頃から、華やかな女性らしい女のヒトに対して明らかに態度が違っていたコータロー、大好きなハナちゃんが、そんなキレイなお姉さんになって現れたものだから、それはそれはもう大コーフン。

生ゴミ回収をしながら帰っていたのだけど、車を止めて、生ゴミバケツを積み込む度に自分も車から降りて、車の周りを走り回り、ハナちゃんの座っている助手席の窓の外で、ピョンピョン飛んでみたり、とにかく嬉しくって嬉しくってジッとしていられない、という感じ。

男子って単純。

そして、近ごろ「おっぱいバレー」という映画をDVDで見る、と言って見たコータロー、この映画の導入部分にハマっているのです。その導入部分というのは、どうしようもなく弱いバレー部の男子たちが、「時速80キロで走った時の空気抵抗の感触が『おっぱい』の感触に似ている」とかいうようなバカな理由で、自転車で猛スピードで坂道を走って崖から落ちる、という場面。

それで、それを真に受けた(?)コータロー、例えば軽トラの助手席に座っている時に、窓を開けて、手を出して「かーちゃん、80キロ出して。」と言ったりする。

そして「アホか。寒いんだから早く窓閉めて!」とワタクシに怒られる、というようなことを繰り返している、おバカ男子街道まっしぐらのコータローであります。

しかも、このおそらく信憑性の怪しい情報を、お友達に教えた、と言ってはゲラゲラ笑っている、ホントにおバカなコータロー。

しかし一方でワタクシは、実に健全に男子として生育しておる、と安心もするのでした。

この間、ラジオを聞いていたら、基本一人でいるのが好き、という男のヒトが話しをしていて、家に帰った時に誰かがいるのがイヤだとか、手作りのチョコとか何が入っているか分からないからいらない、とか言っていて、多分、今ってそういうヒト多いんだろうな、と思い、生物としては末期状態な世の中、ということをまたまた思いました。

今、とっても便利な世の中で、殆どなんでも自分の思った通り、人間の計画通りに事が進められるのが普通で、そういう環境にずっといると、予測不可能な事態、というのに耐えるのが難しくなるのではないか、とワタクシは考えます。

だから、自分の身にも予測不可能な感情が湧いてきて、制御できなくなるのを異常なまでに恐れていて、自分のペースを乱されるのに耐えられないのかな、という感じがします。

生物は、繁殖をして、次に命を繋がなければ滅びてしまうわけだから、異性に興味を持ったり、恋をして、もうそのことで頭がいっぱい、というような状態になるのは、強烈な本能として組み込まれているハズなのです。だって、そうじゃないと生物は滅びるのだから。

ところが、人間の世界がこれほどまでに自然とかけ離れた空間を作って、そこで生活しているうちに、もうこの本能を封じ込めるほど「自分中心」で生きていきたいヒトビトが生まれてしまったのかと思うと、暗澹とした気持ちになります。

だから「おっぱい」の感触を疑似体験しよう、と自転車で坂道を走っている男子、とか、そういう場面を考えたヒトとか、そして、それに大ウケしているコータロー、とか、すごく安心します。

そう、それでいいのいいの。男子はそうでなくっちゃ。

いつか出会う、一人の女に翻弄される男になれ、と思います。

ま、それはともかく、久しぶりに帰ってきたハナに、何が食べたいか、と聞くと「家のフツーのごはん」ということだったので、特にご馳走、ということもなく、あるもので、
b0317003_05524313.jpg
イノシシ肉の炒めもの、卵焼き(帰って早々作ってもらっちゃった)、白菜漬け、高菜の古漬け、ごはん(もちろんカマド炊き)、味噌汁、でした。

「フツーのごはん」のありがたみ、感じたかな。










サンタの次はノロい馬

こんにちは。

それぞれ希望通りのプレゼントをもらった子供たち、大喜びのクリスマスの朝。

単細胞な母から生まれた単細胞な子供たち、でヨカッタなぁ。

前にも書いたことがあるけど、わが家のプレゼントは普段必要な物を、クリスマスなどのイベントまで引っ張る、ということが基本です。日常で買うのをちょっと我慢させて、このようなイベントの時に放出、という演出をすることで、「必要なものだから買う」という普段の行為が、一大イベントになる、という貧乏人のマジックを駆使しております。

金がないなら頭を使うのじゃ、それが老いぼれてもサンタたる者の使命じゃゴホゴホ、と、またサンタさんになっておりますが、どうもこのサンタさんは風邪をひいているらしい。

今朝は家族にも、一袋ずつクッキーのプレゼントがありました。
b0317003_10573594.jpg
前はハナがやっていたことを、アサが引き継いでおります。

こんなふうに、姉妹であっても引き継がれるのだから、ワタクシも今やっていることが子供たちに引き継いでもらえるといいな、と思います。

やっぱりクッキーはうちのが一番美味しい。だって、小麦粉と卵、然るべきところで買えば高級食材ですもの。



昨日(あ、今日か)のサンタさんが話してくれた小さなお店の自信のない対応、ワタクシもそれは身につまされることではあります。

どんなに小さな商売でも、他に大きな競争相手があったとしても、常に自信を持って、自分は自分の納得のいく商いをする、という決意さえあれば、いいと思うんだけどな、本当は。そういう決意というか気概があれば、それは伝わるヒトには伝わると思うから。

さっき、豆炭を買いに、商店街のお店に行きました。段々と小さくなっていくように見えるそのお店の店主らしき方が、豆炭5キロ袋二つ、というのを運ぶのは無理そうだから、ワタクシがヒョイと運んだら、すごく恐縮して、二袋で2660円のところを、2600円にまけて下さいました。

そして「お客さんは強かね。」と褒めて下さって。まぁまぁ、10キロくらいのもので、褒めてもらえるなんて、なんてお得なんでしょう、普通の女のヒトって、と思ったことでした。農家だったら、コンバイン袋に入った米は30キロだもんなぁ。まぁわが家は、それは、だいたい夫に運んでもらうけど、普通の農家はきっと女のヒトでもどんどん運ぶはずです。そんな農家の女のヒトに憧れる、ヘナチョコのワタクシ。あ、でもそれに近いオカラの袋なんかは日々の生ゴミ回収で運んでいるから、少しは筋力ついたんだけど。

そうやって、ヒトとヒトとが対面して、言葉をかけてもらったり出来る、商店街のお店がなくならないように、安いもの安いもので、ネットとか大型店ばかりに頼らないようにしようとは思うのですが、なかなかキビシそうなのは確かです。

そんなこと言いながら、ワタクシも実はつい何日か前に発作的にネットで本を2冊も注文してしまったのです。ネットってホントに簡単に買えてしまうので、危険危険、と思うのですが、ついつい。自分のクリスマスプレゼント、ということで、などと都合よく考えて、衝動買い。

本といえば、正月に読む本、というのも昨日、図書館で借りてきました。年内は正月準備をガンバッテ、正月にゆっくり本を読む、というのが目下、一番の楽しみ。最近まったく本が読めなかったので。
b0317003_11334240.jpg
ヤモリ女としては、この題名、この装丁と共に惹かれるものがあり。なんて美しい装丁!

宮部みゆきさんのミステリー、温かくて好きです。そんなにたくさん読んでいるわけではないけれど。

正月は炬燵で読書、というニンジンを鼻先にぶら下げて、お正月さんを迎える準備をいたしましょう。

炬燵でダラダラ本を読む!

ああ、なんという甘美な響き。

ガンバリマス!



















素朴なギモン

サンタです。

サンタとは言え、品物までは製造できないから、お店で買うのじゃよ。

めずらしく(?)、財布にお金もけっこう入っている。

買う物も決まっている。

目当てのものがないか、と、とある専門のお店に入ってウロウロしている。

確実に買う気持ち満々。冷やかしではない、そういう態度を見せている(と思う)。狭い店内で。

ところがところが、いくらウロウロしていても、店員さんが声をかけてくれないのです。これが、2つ行ったうちの、どっちもそうで。

ワタクシ、あっ違った、サンタだった。まあいいや、自分が不肖の店員という自覚がありますから、店員さんを見る目は優しい、と思います。

思ってても出来ないことってあるよね、うんうん、忙しいし、することいっぱいあるし、とか、理解ある方だと思うのですけど。

でもでもでもでも、なんで?

何か声をかけてみて、邪魔そうにされたり、逃げられたりするのもイヤだし、ゆっくり見たいかもしれない、と思ったり、するのかな。


どうもこれは、こちらから声をかけるしかないらしい、と観念して、自分から声をかけるんですけど。聞かないと分からないからなぁ。


でも長年、店員をやっていれば、見るだけのヒトと「これが欲しい」という気配のヒトの違いって、分かるような気もするんだけどな。とりあえず声をかけてみて、必要なさそうだったら、そっとしておく、という技術というのもあると思うのだけど。

「あ、別に、いいんですよ、どっちでも、買っても買わなくても。アナタの自由です。」という感じ。分かる分かる、自分にもそういうところ、あったもんなぁ。ヒトに何かを勧めるのってムズカシイもの。考えすぎると勧めきれなくなるし。

コレってやっぱり、自分が売っているものに自信がないせいなのかもしれない。自信を持って勧めるのは、押し付けとは違う、ということに気がついてからは、割と勧められるようになったのだけど。

そしてやっぱり会話、これが出来ないとドギマギするし。

それにしても、明らかに何かを探している、迷っている、という時に声かけてもらえないって、ちょっと寂しいなぁ、と思うんじゃよ、ワシャもう年じゃからゴホゴホ。

悪口、じゃないんじゃ、今はネットで何でも買える時代じゃから、ワシャ心配しとるのじゃよゴホゴホ。

サンタらしい口調になったところで(?)、さて、仕事仕事。







何故めぐりあうのか

昨夜は、ここにも少し書きました「木ノ口かたし 夜の部 de 恋活」とワタクシが勝手に名付けている飲み会がありました。

男性の参加者が少ない、とここに書いたら、お客さまから紹介があり、そして飛び入り参加もあり、結果、男性5名女性5名の独身のヒトビトが参加して下さいました。

この会、とある方とのほんのちょっとした世間話の中で「出会いの場がない」という言葉がきっかけで「やろうやろう」となったのですが、このような趣旨の会は、実は前の「かたし」の時にもやったことがあります。

その時は、まだ独身だったユウさんが企画&お世話係をして「男女交流会」という名前でやってました。

ところが、これがなかなか存続が難しかったのですね。というのも、男性が圧倒的に消極的である、というモンダイがあるのです。これは考えてみれば当たり前で、積極的なヒトはとっとと結婚しているので、独身の男のヒトは奥手な方が多い、という傾向がありまして。

女のヒトの場合は、そうでもないのですが。

それで、その男女交流会もそういうバランスの悪さ、というのが女性のヒトビトをやや疲弊させてしまい、立ち消えてしまった、という経験があるのです。

だから、本当に「婚活事業」ということになると、これは非常にムズカシイ。なのでまぁ、昨日の会は割と軽い「ノリ」で始まったので、知らないヒトともお話して、いろんなヒトがいるなぁ、という程度のことかもしれませんが、少しでも参加したヒトビトが楽しかったとしたら、よかったのですが。

「出会い」というのを、わざわざ作るってムズカシイ。

考えてみると、ワタクシたちは日々多くのヒトと既に会っているのです。ところが、殆どのヒトビトはただ通り過ぎていくだけ、顔は知っていても、知っている、というだけで何かがそこで生まれる、ということは少ないのですが、ほんのちょっとしたキッカケで何かが生まれることがある。良いことでも悪いことでも、異性でも同性でも、そうなのです。

それは一体どうしてなのか、何故なのか、考えてみても分からない。ただそれは「縁」としか言えないような不思議な「めぐりあわせ」があるのです。

ワタクシが自分自身のことを考えてみるに、自分に足りない何かを持っているヒトに惹かれ、自分が持っている、自分がイヤだと思う部分や弱い部分と似たようなもの、共通なものを持っているヒトを苦手と感じる、という傾向はあるかな、と思います。

そういうのは、そのヒトのことをよく知らなくても、それこそ直感、感覚ですぐに分かってしまうのです。

だから、好きな場合も嫌いな場合も、それはどちらも自分にとって必要なヒト、ということなのだと思います。

だから、「出会い」というのは必然だと思うのです。

それはもう、人知の及ばないところで采配されているような気がするので、「出会い」については人間がどうこうできるようなことでもないのかもしれません。

でもまぁ、それぞれのヒトが何か行動を起こすちょっとした「きっかけ」作り、とか、「視野を広げてみる」とか、そういうレベルでもいいから、また機会があれば「木ノ口かたし 夜の部 de 恋活」の会をやってみてもいいかなぁ、と思いました。

何事もやってみなくちゃ分からんもんね。

参加したヒトビトがどうだったかは分かりませんが、お世話役(というほど何もしてないけど)のワタクシは、いろいろと考えるところもあって、有意義で、楽しかったです。

ご希望の方がありましたら、ぜひどうぞ!

いくらでも企画いたしますよ。