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オモイデは地面にしみこみシトシトにじむ

ようやくブルーベリーの剪定に着手しようと、昨日「うとん山農場」に行ったところ、最近あまりブログに登場してなかった「ゴン太」、すっかりオトナの男になっております。
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でも臆病な性格は相変わらず、ワタクシがあまりにも久しぶりに行ったものだから、知らないヒトと間違えて吠えてしまった後で、「うしろめたい目」をして、嬉しいんだけど怒られるのがコワイ、というように飛び跳ねながらブルーベリー畑までついてきました。犬の「うしろめたい目」というの、カワイイんだなぁ。ヒトでも、これとそっくりな目をすることってありますが、実にカワイイ、全て許す!という気持ちになりますよ、ワタクシは。

ブルーベリー畑の端に植えた梅の木は花盛り。
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子供の頃から桜より梅が好きでした。芳香がまた、何とも言えず上品で。

伸び過ぎになって久しいので、少し枝を切り、もったいないので家に飾ってみました。
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見目も麗しいですが、玄関を出ると上品な香りが、「ふっ」と漂う、というのが、なかなか良いのですよ。

ブルーベリーは剪定どころではなくて、何本もの木がイノシシに根元をほじくり返されて、タイヘンな惨状でした。引っこ抜かれているものさえあって、それを埋め戻してから、です。田んぼのガードが固くて侵入出来なくなったので、どうもこちらに来たようなのでした。

しかし、どうしてわざわざブルーベリーの木の根元をほじくるのか、ミミズ?根っこ?何を食べるためなのかは、よく分からないのですが。

怠け者のワタクシを働かせようと、いろいろやってくれますな。

しかし今日は雨。またまた遅くなるのでありました。

このブルーベリーを植えたのは、ワタクシが「農林公社」というところで農業研修をしている時でした。農業研修は2年間で、2年目にはそれぞれが自分の農業経営を開始するための準備をする期間に入っていくので、「農林公社」の仕事は休んで、人によっては他の農家で研修したり、準備をしてもよい、ということになっていました表向きは。

ワタクシがこのブルーベリーを植えたのは、そんな研修2年目の11月のことでした。100本以上の苗木を、それまで荒れ果てていた耕作放棄地の田んぼに植えるわけなので、けっこうな時間もかかるし、研修の2年間が終わってしまえば、月々に入ってくるお金もなくなってしまうわけだから、なんとかその2年目に出来る限りの準備をしておかねばならなかったのです。

それで、その11月は「農林公社」の仕事の大部分を休んでブルーベリーを全部植えてしまいました。そのことは「農業研修制度」の目的を考えれば、何ら咎められるようなことでもなかった、と思います。実際、最初に2年目には自分の準備をしても良い、ということを言われていましたから。

ところが、です。ところがですよ。

ブルーベリーを植えてしまって、公社の仕事に復帰してきたワタクシに対して、その時に公社にいたヒトビト、主に地元の農家の後継者とか、別の仕事をしていたけれどこれから農家を始めようという、やはり地元の男のヒト、というようなヒトビトは、「しれーっと」して、まともに対応してくれないような感じになっていました。

唯一、今まで通り普通に接してくれたのは、外国人の研修生。

そこで昨日の話に戻るわけですが「なんちゅう度量の狭さ!!」と思ったワタクシでした。

不思議なことですが、日本語がよく話せるはずの日本人よりも、その外国人の研修生との方が、ワタクシはいろいろな話をしました。彼は日本語をちゃんと習ったわけではなかったらしく、長い日本の生活の中で身につけたもので、文法などはめちゃくちゃで間違っていることも多かったのですが、本当にいろいろなことをよく考えていて、そして何よりもそれを伝えよう、という気持ちが溢れていました。

だから、すごくいろいろ話が出来たのだと思います。言葉ってなんだろう、とワタクシは考えずにはいられませんでした。

そしてこの保守的な日本の社会の中で、彼のようなヒトとか、おそらくワタクシもそのような傾向があるに違いない「異端者」というか「少数派」が暮らしていくことの困難さ、というものを思い知らされる出来事ではあった、と思います。

それにしても今、働き手が足りないからと、外国からヒトに来てもらおう、というふうな流れになっていますが、ヒトビトの度量が狭いままでは、そんなに都合よくはいくまい、と思いますが、どうなんでしょう?

昨日のおさらい「女性の野生 男の度量」。

これからの世の中には、これが必須!

と心得ましょう。

しかしながら、まずは、せっかくそんなタイヘンな思いまでして植えたブルーベリーが枯れないように、埋めてやらなくては!

でも今日は雨。

雨が空から降れば 
オモイデは地面にしみこむ
雨がシトシト降れば 
オモイデはシトシトにじむ~♪

と歌でも歌いますか。

ではでは皆さま、今日も良い一日を!











by sanahefuji | 2019-01-31 07:25 | 「うとん山農場」のこと | Comments(0)

立ち読み覚え書き

昨日、農協にお金をおろしに行きました。隅っこのコーナーに「家の光協会」が発行している本が何冊か置いてあるんですけどね、通帳を窓口に出している、ほんの束の間、手にとって眺めたりします。

しかし、順番待ちをしているヒトがいるわけでなし、ホントにすぐに窓口のお姉さんに呼ばれてお金を受け取らねばならないので、殆ど読むヒマなどはないのです。

がしかし、昨日は、そのコーナーに何故か引き寄せられるようにして立ち、手に取ったその本を、どうしてももう少し読みたいと思ったので、お金を受け取った後に、お行儀の悪いことですが、立ち読みしてきました。

それは山形県の羽黒の山伏である星野文紘さんという方が書いた「答えは自分の感じた中にある 清々しく生きるための山伏のヒント」という本です。

まず「羽黒山伏」というのに反応したワタクシ、何故ならワタクシは五島に来る前は山形県の山形市内に住んでいて、「羽黒そば」なんかをよく食べていたからです。確か包装に山伏の絵があったんじゃないかな。「羽黒」という言葉、「山伏」という言葉、なんかなつかしいなぁ、と思って。

そして、この星野さんという方は、出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)の宿坊に生まれた方だそうですが、この出羽三山の中でも「月山」というのは、ワタクシの中でも特に印象に残る美しい山で、遠くに雪に覆われた柔らかな月山の姿を見た時には、何かこういいことがあるような、そんな気持ちになっていたものです。だから、その羽黒山伏の方が書いた本、ということで、非常に興味を引かれた、というのがあります。

さらに、この題名「答えは自分の感じた中にある」というのが、昨年ワタクシが「自分の感覚を取り戻さねば」ということを強く意識し始めたことと、すごく関連があるような気がしたからです。

立ち読みなどで、ざっと読んでは、誠に申し訳ないことなんですけど、しかし、どうしてもその場で出来る限り読まずにはいられなかったのであります。そんなら買えばいいようなものですが、いやぁ、だってね、昨日はようやくハナの大学の入学料を払ったんですよ。28万2000円+手数料864円、という大金を。なので、そうそう衝動買いも出来ない心境になるのももっともなことじゃございませんか?

というわけで、立ち読み、です。

読んでいて興味深かったことは、修行する山はもともと女人禁制なのですが(今は女性も受け入れているそうです)、それは差別で禁止しているわけではなくて、女性は修行をする必要がなかった、というのが星野さんの見解で、というのも、女性というのは修業をしなくても、「月のもの」の度に浄化することができる、だから修行をする必要がなかった、ということなのです。

つまり、女性というのは自然と繋がる感覚を自分の中に常に備えていて、昔のヒトはそれがいともたやすく体得できていた、ということなんですね。ところが男にはそれがない、だから、そういう感覚は厳しく激しい修業の末に得られるものだった、というわけです。

このことにワタクシは、ものすごく納得しました。

そして、女性というのは野性が強いものだから、とにかく自由にさせておくのが良い、いうようなことも書かれていたと思います。

そしてそして、ここが最も重要、その野性が強く、感覚のままに行動する女性を受け入れ、支えるのが男の度量というもの、というような箇所、ホント、そうだよそうだよ、とまたまた激しく納得。

ワタクシが思うに、今のこの日本の歪んだ社会というのは、度量の狭い男どもが権力を持って行使した成れの果て、ではないか、と感じることが多いからです。

あ、でも別に男が悪い、と言っているんじゃないですよ。その「度量の狭さ」がモンダイなのです。

このブログを読んで下さっているような男のヒト、というのは度量の広いお方ですから、安心して下さい。ワタクシが保証いたします(アンタ何様?と思われるかもしれませんが)。ホントホント。

ワタクシが思ったのは、女が自分の野生の感覚を取り戻し、男の度量が広く、大きくなれば、今起こっているいろいろなモンダイは少しはマシになるかもしれない、ということです。

まぁまぁしかし、そのようなことは考えても仕方がない。「考えすぎはネガティブ 感じることはポジティブ」とも書いてあったのですが、これもホント、そうだなぁって。

まずは自分の感覚を取り戻す、このように感じたことが、多分、正解。

いつも考えすぎて、そして自分を縛りつけて苦しんできたから、昨年、少々荒治療とも言えるようなことをしてしまったけれど、「感じたままに動く」という感覚を取り戻したことは、本当に本当にヨカッタ。それを導いてくれた、いろいろなことに感謝してもしても、しきれないほどです。本当にありがたいことでした。

そういうこともあってか、ワタクシは身近なヒトビトに対して、「なんかイヤ」とか「苦手」とか、感じなくなったのかもしれません。

そして、面白いことですけど、身の回りにあるモノ、例えば洋服なんかも、いつの間にか「好きなもの」ばかりになっていたり、ものすごくきれいに片付いてはいないけれど、家も適度に片付いていて(まぁ適度にちらかっている、とも言えるけど)、とても居心地が良いし、「木ノ口かたし」や畑など、仕事していて楽しい空間になっている。

感じたままに動くと、こういうふうに、なっていくのかな、というのが、少しずつ実感できているのでした。
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月と星をかたどったノンホールピアス、これも昨年すごく気に入ってつけていたのですが、「月」とか「星」の力を感じる気がして、これをつけた時には、いいことがあったなぁ、とか思い、女性がアクセサリーをつける意味が分かってきたワタクシ。例えば石とか光に力を借りたり、自然と繋がっていることを思い出したり、そのためでもあるのかな、と。

女のヒトなら誰でも持っている、この感覚が(それがきっと野生)、これからの時代を作っていくのかも、などと、ちょっと大げさですが、そんなふうに思いました。

立ち読みで、スミマセンのですが、

アナタに出会えて、ヨカッタ。
































by sanahefuji | 2019-01-30 07:39 | | Comments(0)

欲望の取り扱い方

昨日、劇団四季の「魔法をすてたマジョリン」というファミリーミュージカルが福江文化会館にて上演されましたので、子供たちと一緒に観てきました。

楽しかった~。

歌(音楽)と踊りに触れていれば、現実社会がどうであれ、どんな出来事が自らに起こっていたとしても、もう一瞬で心に羽根が生えたように軽くなって、ホントにシアワセになれますね。

そのような心軽やかなシアワセ気分になってワタクシが思ったことは、どういう時でも心を軽い状態にする、ということを目指すのが良い、ということです。

これは対人関係、仕事、趣味その他いろいろ、何かをする時に全て当てはまる、と思います。そのような状態であれば、力も発揮しやすくなるし、自分が何かヒトさまにイヤな感じを与えることもなく、他人の感情に巻き込まれることもない、というように。

「目指すところはただ一つ『心を軽く』」、これが昨日ワタクシがミュージカルから得た教訓です。

さて、教訓はそういうことでしたが、この「魔法をすてたマジョリン」のお話から考えたこと、というのをもう少し書きましょう。

どんなお話かと言いますと、まず主人公は魔女の小学生マジョリン。

このマジョリンが、年に一度、魔の山で開かれる子供禁制のオトナの魔女の夜祭りにどうしても行ってみたくて紛れ込み、見つかってしまいます。そして危うく魔女たちにカクテルの材料にされてしまう、というところで、母のいないマジョリンの「ばあや」であるカラスのブツクサスの必死の命ごいのおかげで、1週間後に試験をして、それに受かれば許してもらえる、ということになりました。

このお話の中では、人間の悪意を引き出し、増幅させ、世を混乱に陥れる事が出来るのが優秀な魔女とされているので、その実習として、マジョリンは村に降りていって村人たちを困らせることに。

その時にマジョリンは、村の好青年、ダビットに一目惚れ。

魔法で村人の衣服をボロボロにして、男たちはツルッパゲあるいは部分ハゲ、などというヒドイ様相にしておきながら、その惚れてしまったダビットは衣服はキレイなまま、ハゲはなし、という、恋する乙女心が魔法においての差別化を生んでしまう(だって好きなヒトをハゲ頭などにはしたくあるまい)、というように妙に人間っぽい心を持ったマジョリン。

それもそのはず、マジョリンのおばあさんは人間の王子様に恋をしてしまって処刑され、お母さんは、魔の山を人間に返してほしい、と魔女たちに訴え、署名活動までしてカクテルの材料にされてしまった、という、いわば「血筋」というか「遺伝」というか、まさに「血は争えない」というわけです。

そのように、もともと人間の「心」に親和性のあるマジョリン、恋の魔法も手伝って、魔女の掟を破り、人間を助ける、という行動に出るのです。

さて、その結果、どんな恐ろしいことが待っているか・・・。

掟破りは許されず、魔女たちに切り刻まれる運命のマジョリンを、助けてもらった人間たちが「心」を結集して救出に向かい、魔女の悪意と人間の善なる心、それが歌で対決するわけです。

そこで、村人たちが会場に呼びかけ、会場のワタクシたちも魔女たちに対抗するために一緒に歌を歌う、というような演出になっていて、これぞファミリーミュージカル。

たのしい!

子供たちも、すごく楽しんでました。

「人間の心」について、というのは、ワタクシがずーっと考えている一大テーマであります。魔女に取り入られるような悪い心を人間は誰しも持っている、ということは、先日「悪い本」の時に書いた通り、しかし、温かな、優しい心もまた、持っていて、いつか「真実の愛」というものに目覚める可能性を秘めているのも確かです。

ワタクシが昨日、このミュージカルを見ていて思ったのは、憎しみとか嫉妬とか嫌悪、などなどいわゆる「悪い心」というものは、単独でそのまま存在するものではなくて、必ずそこには人間の「欲望」が絡んでいて、それと結びついた時に引き出されているのではないか、ということです。

というのも、今、ワタクシの心の中には「憎しみ」はありません。「嫉妬」もない、「嫌悪」もない、実に平穏な状態です。そりゃあそうです。朝からそんな感情に支配されているなんてことは、よほどの異常事態です。

まだ一日が始まったばかりで、そのようなものを引き起こす要因が生まれていないからです。

長いこと、ワタクシには、いつどんな時にも、どんな場所でも、「ちょっと嫌だな」と思うヒトや「ちょっと苦手」というヒトが生活圏内に必ずいる、というモンダイがありました。そういうヒトがいなくなった、と思ってホッとしても、また別のそういうヒトが現れる、というように、必ず存在するもの、でした。それは場所が変わっても、です。

ところが、昨年ワタクシの身に起こった、とある出来事をきっかけ、というか、それを機に、そのようなヒトが生活圏内に全くいなくなりました。いなくなったというよりは、そのように感じなくなったのです。

今ワタクシには、生活している範囲に嫌いなヒトがいません。イヤだな、とか苦手だな、というヒトもいません。

こんなことは多分、生まれて初めてかもしれません。子供の時だって、「このヒト、ちょっとイヤだ」というヒトは生活圏内にいたと思います。

もしかすると感覚が鈍っただけ、ということもあるのかもしれませんが。

だからと言って、ワタクシが実に善良な人間になったのか、というと、それは全く違います。

先に書いたように、「悪い心」というのは、欲望のスイッチが入った時に発動されるからです。

何かが「どうしても欲しい」という気持ちが自分の中に湧き起こった時、それは、自分を動かす原動力になります。向上心に結び付き、力も湧いてくるし、それは決して、悪いことではない。欲望のおかげで生み出される良いもの、美しいものもたくさんある。

ところが、この欲望というのは、ものすごい破壊力も持っている、のですね。人間の欲望が暴走して、ヒトを裏切ったり、傷つけたり、ということなどは日常的に起こることだし、その力が大きくなれば殺戮や自然破壊、ということにもなります。

このように欲望というのは「諸刃の剣」なのです。

欲望がある限り、ということは生きている限り、いつ何時、誰の心にも存在している「悪い心」が目覚めるかは分からない、ということです。その時に、その欲望をいかに制御できるか、ということが実際に「悪い心」を何かの行動に移してしまうか、あるいは心の中に留めておくか、の差になるのではないか、と思います。

ということは、今思ったのですけど、昨日のミュージカルの中の魔女というのは「欲望」の権化なのかもしれませんね。

欲望の取扱説明書、というのは、どこにも売っていません。

それは、自分で作り上げていくしか、ないのだなぁ。それこそ、傷ついたり傷つけたりしながら、時にはボロボロになりながら。

善良そうな面をして(してませんか?)、実は欲深いワタクシ、そのように思った、昨日のミュージカル、でありました。

楽しくて、深くて、なかなかヨカッタですね。

定期的にいろんなミュージカル、見たいなぁ、という「欲望」も、またまた生まれてしまいました。

それでは皆さま、本日もより良い一日をお過ごし下さいませ。






















by sanahefuji | 2019-01-28 09:35 | 催し物等 | Comments(0)

教養とは何であるか

昔から何かを燃やすのが好きなので、今、日常的にカマドでごはんを炊くのが楽しいです。
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「木ノ口かたし」が始まってしばらくは、土曜日の「かたしのお昼ごはん」の時だけカマドで炊いていましたが、昨年のいつ頃からだったか、普段もカマドでごはんを炊くようになりました。その方が美味しいし、そう、楽しいからです。カマドの中の、このような熾き火を見つめていると、なんだかシアワセな気分になります。

先週だったか、小学3年生の子供たちが「木ノ口かたし」に置いてある「昔の道具」例えば牛に引かせる鋤とか千歯こき、とか唐箕(この道具、現役ですが)とか、まぁそのようなものを先生と一緒に見に来たんですがね、その時にこのカマドとか、ごはんを炊く羽釜とか、その傍に置いてある七輪とかも「昔の道具」(やはり現役、ですが)かな、と思って説明しました。

しかし、その時に、うっかり口を滑らせて、このカマドでごはんを炊く時にはね、コータローの宿題のプリントとかテストなんかも燃やせちゃうんだよ、などと言ったものだから、カマドの説明よりも、そちらの話題に食いついてきた子供たち、「じゃあ宿題をやる前に燃やしたら!?」とかなんとか、わーわー言って、なんだか盛り上がっちゃったのですよ。

それで、あ、マズイ、先生もいらっしゃるのだった、と思い、テストを燃やすとか宿題のプリントを燃やすとか、それは本当のことなんですけど、先生の前で言ってはいけなかった、と思い、そんなので盛り上がってしまった子供たちの話題の軌道修正をしなければ、と、やや焦りましたよ。

ワタクシは「活字中毒」のケがありますから、字があると吸い寄せられるようにして読んでしまうので、プリントの類を読まない、ということはありません。どんなプリントでも隅々まで読むんです。そしてこれは面白い、と思ったモノは、とってます。でもいらない、と思ったらすぐに焚きつけにしてしまうんですね。

子供のテストの紙とか宿題なんかは、殆どよく見もしないで焚きつけ、にしてしまう。何故ならそのようなものは燃やしやすい紙質の場合が多いですから。ツルツルとした紙なんかは、よくありません。学校で使っている「わら半紙」のようなものが燃やすには最適なんです。

そのようにテストとか宿題に対する「冒とく」とも言えるような行為を軽々しくしてしまう不真面目な母親なのは間違いないのですが、そのような様子を、真面目に「昔の道具」の学習に来た子供たちに晒してしまうのは、ちとマズかったですな。

しかし、わが家の子供であったならば、大切なものをうっかり母親に燃やされないように自分で管理しなければ、という危機管理能力(?)は育つかもしれません?!

まぁモノは考えよう、ということです。

モノは考えよう、というか、様々なモノの見方が出来るようになることを教養、というのではないか、というような話を、昨日の朝のラジオ、サタデーエッセイというコーナーで聞きました。

昨日の朝のサタデーエッセイは、哲学者の土屋賢二氏だったのですが、とにかくこの方の話すことはメチャクチャ面白いので、昨日のサタデーエッセイがその方である、とアナウンサーが告げた時に、ワタクシは内心「ヤッタ!」と喜んだほどでした。

このお方の話は、まぁだいたいいつも奥さまのことには必ず触れるのですが、この奥さまから自分がいかに不当に扱われているか、ということを力説して、奥さまの性格を憂いている、とか言っているんですけど、そのように強くてよく怒るらしい奥さまが、この土屋氏はホントに好きなんだな、とワタクシなどは感じて微笑ましくなります。

思うに、強くて理不尽で、すぐ怒るような女のヒト、というのが、意外と男のヒトはキライではない、というか、何かそれ以外に自分の気に入る点(主に外見の好みでしょうが)があれば、むしろそのような強さや理不尽さをけっこう求めていたりする、ということをワタクシはいろいろ観察していて感じますが、どうなんでしょう?従順で言いなりになるようなヒトより面白いのではあるまいか。

それはさておき、昨日の話では、大学時代の寮生活で、土屋氏のそれまでの価値観がひっくり返った話などをしていました。まず、寮の先輩が「土足厳禁」という張り紙を土足で貼っていたのを見て、規則は守るものだと思っていたのが、そうではないことを知った、とか、寮の部屋替えが数か月(半年だったかな?)に一回あるそうなのですが、それまで一回も掃除をしない、とか、風呂に1か月入らないヒトがいる、とか、とにかく、今まで自分が生きてきて、「こうしなければならない」と思い込んでいたことが「そうでもないことだった」と気がついた経験をとつとつとした口調で話しておられるのが、もうおかしくておかしくて、一人で「木ノ口かたし」の台所で笑ってしまいました。

あるいはラテン語の教授が教室に入って来てラテン語の詩を朗読して、解説は一切せずにただただ、その詩に感動しているのを見て「ラテン語の勉強にはならなかったけど、中世の詩に感動する人生もあっていいのだ」ということを学んだ、とか。

昨日の話ではないけど、前には燃えている布団に寝ていた寮の友人の話などもありました。しかも、その友人は燃えた布団をいつまでも捨てなくて、使おうとしていた、とか。

大学というのは先生も含めて変人が大勢いるところ、というのはワタクシの母校の帯広畜産大学でも感じたことです。そのような中に入ってみると、田舎者の自分はホントに凡人である、ということが分かったものです。

前に書いた古めかしく、冬には何もかもが凍てつく一軒家に引っ越しする前のワタクシは、学生専用のアパート(と言っても風呂とトイレは共同)に住んでいて、そこにいた住人も、普通のようで変わったヒトビトでした。

男子学生における不潔自慢、というのはつきものですが、そこにもやはり「敷きっぱなしの蒲団にキノコが生えていた」という強者がいて、今もあるなら、そのキノコを見てみたい、とワタクシはそのヒトの部屋の前を通る度に思っていたものです。

あるいは、どこかの大学を卒業してから獣医学部に入り直した、ということでワタクシたちより年上の新入生で頭の良さそうな(実際よかったから難関の獣医学部に入れたんでしょうけど)N氏。

その優秀なN氏から教わったことで、唯一覚えているのが「胸が小さいヒトの正しいブラジャーのつけ方」なんです。N氏は男なんですけど、どうしてそんな話になったかとか、前後のことは全く覚えてないのだけど、彼が実技でやってみせてくれました。もちろん他のヒトもいて服は着てますよ。まず膝をついて四つん這いのようになり、重力に忠実に胸を垂らした状態で片方ずつ行う、左だったら左手をつき、空いている右手を左の脇腹に突っ込み、その周辺の肉を背後や下方からも寄せ集めるようにしてカップに入れる、という具合。

それって女のヒトなら誰でも知っている常識ですか?ワタクシは女の常識を知らないまま大きくなってしまったようなところがあるので、そのことは、そのN氏が教えてくれるまで知りませんで、しかも、せっかくそのように丁寧に教えてくれたというのに、全く実践しなかったのです。

それは今から20数年も前のことですから、もし仮にN氏が「いいか、こうやってやるんやで」と教えてくれたその時から忠実に毎日実践していれば、今になって「木ノ口かたし 夜の部」の正直なヨッパライに「さなへさんは貧乳である」などと何度も何度も言われずにすんだかもしれないのに、その効果を試せなかったのは実に残念です。もはや手遅れです。

しかし昨日の土屋氏も「私は手遅れになってから頑張るタイプです」などと言っていて、あ、それワタクシもそうかも、と思ってかなり笑いましたから、そうだ、手遅れになってからでも頑張ってみようかしら。

とまぁ、このように大学には変わったヒトが多い、ということが分かりましたね。確かに視野は広がりました。

でも思うのですけど、ワタクシは自分が気がけてさえいれば、ごくごく普通の日常でも、人間を観察したり、いろいろな出来事を観察したりすることで視野を広げたり、モノの見方を訓練する、ということは出来る、と思います。

ワタクシの人間理解、は続行中でございます。

さて、昨日の「かたしの昼ごはん」は、
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・酢鶏
・イノシシ肉だんごと白菜の煮込み
・糸コンニャクとチクワとニンジンのキンピラ
・ニラとエノキと海苔の和えもの
・リンゴとブロッコリーのサラダ
・卵焼き
・チンゲンサイとキャベツと薄揚げの味噌汁
・カマド炊きごはん
・長野のリンゴ&胡桃のアーモンド風味ケーキ

でした。

そう言えば前日に書いた、「春らしい」イヤリングなど、昨日はごっそり売れました。またまた仕入れてきたいと思います。

今まで足りなかったオシャレ心を持つことで、「木ノ口かたし」の売上げも上がる、と実にいいことばっかりですね!

手遅れからでもガンバリマス!?































by sanahefuji | 2019-01-27 07:22 | 「かたし」のお昼ごはん | Comments(0)

もう春なのね

ワタクシは動作も遅く、いろいろなことが遅いくせに、ものすごく気が早い、というところもあります。例えばワタクシは、もう死ぬ時のことなんかを時々考えたりします。それは誰でもそうなのかもしれませんが、何かで迷った時は死ぬ時に後悔しないのはどっちか、という考えで右に行くか左に行くか、ということを決めているようなフシはあります。間違っているかもしれないけど。

あるいは、ワタクシは25歳で結婚したのですが、これは自分ではすごく遅いと思っていて、何故なら自分は5人くらいは子供を産んでみたいと思っていたけれど、何しろ体力には全然自信がないし、体は貧弱だし、とても次々と子供は産めないだろう、と思い、従って25歳では遅い、と思ったんですね。なので20歳くらいから既に早く結婚して子供を産まねば、などと思っていたのです。

そのように思考回路が単純すぎるきらいはありますが、これは相手がいることですから、そうそう簡単にはいかず、結局25歳になってしまったんでしたが。

一方では10代後半から20歳頃には既に目覚めていなければならない「オシャレをしてみたい」とかいう気持ちに、今ごろ目覚めたりするのだから、これは本当に遅すぎる。

とまぁ極端なので、まだ1月の今、ワタクシは光の具合とか夕方の空気などに、もう春を感じてドキドキしています。このドキドキというのは、何か胸がときめくようなドキドキではなくて、ブルーベリーの剪定にまだ着手してない、とか、畑のこととか、そんなことなんですけどね。

あ、でも、この間、「ごはん屋さん」に行った時にMさんの姪っ子さんが作っているアクセサリーをまた仕入れてきたんですけど、ワタクシは春らしい感じのものを選んできましたよ。
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お花シリーズ、カワイイですよね。どれか欲しいなぁ。

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お値段がとにかく安い(数百円からございます)ので、ぜひどうぞ!

そしてそして、鶏はもう本当に春!
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卵も増えてまいりました。これプラス、まだ今日産んだ分もありますから、まとめ買いされても大丈夫ですよ~。


そして明日は何か男女共同参画の催しものがあって、それに「木ノ口かたし」の食べ物を少し持って行くことになったんで、宣伝がてらちょっとした説明など書いてみました。
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なんでも遅く、苦手なことが殆どのワタクシですが、こういうのを書くのはすぐ出来るんです。人間一つくらいは何か「とりえ」があるものです。

なんでもどうでも書いていい、と言われたら、いくらでも書くことができます。このブログもそうですが、くだらないことならいくらでも思い出したり思いついたりします。そんなことが浮かぶと、あー、あれ書きたいなぁ、と思うんだけど、やはり実用的なお仕事を先にしなくちゃならないんで、諦めて流れてしまうことが多いのですが。

あ、そうそう、明日も「鶏おこわ」もありますよ。なんとかガンバッテ、4週分の具材を作りましたから。これで明日を含めて、4週は「鶏おこわ」大丈夫です。

なんて、いかにもよくガンバッタこと、のように言ってしまうのですが、メニュー表にも「鶏おこわ」と書いてあるのですから作るのは当たり前のことなんです。どうか皆さま騙されませんように。

しかし具は作っても朝、寝坊してはタイヘンです。寝坊しないように、早く寝なくては!

ではでは皆さま、明日の「木ノ口かたし」もどうぞよろしくお願いいたします。





by sanahefuji | 2019-01-25 21:10 | 「かたし」のこと・商品について | Comments(0)

うらやましい死に方

今日は木曜日、竹の稽古の日です。先週は師匠がいらっしゃらなかったのでお休みでした。

それで、今日は骨組みを組んで編み始めたのですが、その編み始めた竹ヒゴというのはワタクシが11月に作ったもの。竹ヒゴ作りももう何年もやっているというのに、やけに分厚い部分があったりして、そうすると編み始めが実にやりにくいのです。
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というのも、この角の部分で曲げる時に厚いと曲げにくくて隙間が大きくなったり、折れそうになったり、実際に折れたりするんです。

それはもう何年もやっていて、竹カゴだって何個も作っているんだから、百も承知、のはずなんです。

ところが、とんでもなく分厚い竹ヒゴがあったりする。何故これをもう少し削ってないのか、と思うのですね。

あーあ、と思いつつ、この竹ヒゴを作っていた時の自分の精神状態、というのがすぐに分かってしまうわけ。あーあの時ね、ホンっとに集中できなかったんだなぁって。

前に、竹カゴは人生そのもの、というようなことを書いたことがありますが、一つの竹カゴを作るためには一つ一つの行程を積み重ねて、組み合わせていくわけなので、その途中の影響が後々に響いてきますし、折れたり、間違えたりもして、でももうやり直せない時にはその場その場で臨機応変に対処して、そうやって一つの竹カゴは出来ていくのです。

これはあくまでも商品ではなく、自分で使うものですから、そのような不具合なども許されるわけで、むしろ、その不具合が後で思い出した時に、そうそう、この時は辛かったんだよね、とか、なんかウダウダしながらやってたんだよね、だからヒゴがこんなにバラバラでヘタなんだ、とはっきり分かり、それが味わいのようなものになったりすることもあるのです。だから工業製品のように出来てなくても、全然かまわないのです。

割と初期の頃に作った竹カゴに竹の道具を入れて通ってますが、このカゴ、色が飴色になってきて、持ち手の竹の根っこも艶が出てきていい感じになってきました。こうして作ってからも変化していくのです。
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さて、今日はここまで編めました。
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そして今日はコータローの誕生日なので、これからケーキを焼いたりしなくてはなりません。

そんなことを師匠に言っていたら、師匠の弟さんが昨日誕生日だった、という話になり、弟さんは何歳ですか、と尋ねたところ、「私の3つ下ですから85歳かな。」とのこと。

なんと師匠はもう88歳、ということなのですけどね、そんなお年を召しているようには全然見えないのです。肌なんかワタクシより美しいのでは、と思ってしまうほど。そして、暖冬とはいえ、この寒い一月に外でこうして作業している時もその御御足はなんと裸足!

今でも長年勤めていらっしゃったお年寄りの養護施設にお手伝いに行っているそうなのですが、「(利用者の)殆どが年下になっているとよ。」とのこと、さもありなん、という感じ。

今までに大病をしたこともなく、本当に健康そのものの師匠でありますが、やはりお父様がそうだった、とのこと。

師匠のお父様は、98歳で亡くなったそうなのですがね、その亡くなる1週間前までは普通に生活していて、焼酎も飲んでいたとのこと。ごはんが食べられなくなり、かかりつけのお医者さんが家に来てくれて「(ごはんが食べられないなら)点滴をしましょうか?」と聞いたところが「いや、せんでよか(しなくていい)」と答え、その後、数日でゆるやかにお亡くなりになったそうです。もちろん、自分の家で。最後までオムツなどをすることもなくトイレにも自分で行けたんだそうですよ。

ほんとにねぇ、なんて穏やかな死、なのでしょう。

でも今って、こんなふうに死ぬことができるヒトがどれくらいいるのでしょう。

ホントにホントにうらやましいことです。

しかし、98歳まで普通に生きる、ってスゴイことですね。自分がもし仮にそこまで生きるとしたら、あと52年もある!

いやー、自分が今まで生きた年月よりもまだ長い年月、何するの?どうしましょう?!と少々うろたえてしまいますわね。

なので、そんなに長生きはしなくていいかな、と思ったりするワタクシは、やはり生来の怠けものであります。

でも師匠のようにお元気で、こうして不肖の弟子にいろいろと教えて下さる方がいらっしゃる、というのは、本当にありがたいことですね。

ノロマな弟子ですが、細々とでも竹の稽古を続けていきたい、と思います。

さてさて、今からコータローの誕生会の準備をしなくっちゃ。

ではでは皆さま、ごきげんよう。









by sanahefuji | 2019-01-24 14:00 | たねわたしの会 | Comments(0)

乙女心を育てる

一昨日、精米所に小麦を持って行き、昨日は、それが小麦粉になっているのを取りに行きました。

そう、富江の精米所に行った時は必ず「ごはん屋さん」で昼ごはんを食べる、というのがワタクシの楽しみである、とは前にも書いた通りです。この「ごはん屋さん」、営業日は火・水・木・金・土曜日、となっておりますので、一昨日は休みだったんですね。

なので「ごはん屋さん」には昨日、行きました。

前回、精米所&「ごはん屋さん」に行ったのは12月の5日でした。このブログにも、その日のことを書いていますが、その時はまだ年も明けてなくて、今年の目標「美しくもがく」という言葉を掲げてない頃だったから、随分とウダウダとしていた様子が窺えます。新しい年になって「美しくもがく」という魔法の言葉を手にしたワタクシは、もうウダウダしていません。何しろ「美しく」しなければならないのですから。

「昼には『ごはん屋さん』、昼には『ごはん屋さん』」とニンジンを鼻先にぶら下げて、午前中は畑で、またまた恥をしのんで言いますが、途中になっていたタマネギの苗をやっと植えてしまいました。小麦同様、ホントに今さら、なんですけど。そして、どうも場所がヨクナイ、と気になっていた「おいちゃんのバラ」のうちの1本を植え替えたりしてました。

正午を告げるヴェルナーの「野ばら」の音楽が聞こえたと同時に片付けて、いざ出発!

途中、今頃になって紅葉を始めたらしい何かの木の葉の赤い色や黄色い色にハッとしたり、きらめく海に胸をときめかせたり、「ごはん屋さん」までの道のりは、それはそれは美しかったのです。五島ってホントに美しいな、と思い、このような美しいところで暮らしていると、なんだか自分まで美しくなれるような、そんな錯覚さえ抱いてしまいます。何度も言いますが、錯覚も思い込みも、大事なのです。

そして到着、「ごはん屋さん」のごはんも美しい。
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昨日はミックスフライ定食にしました。魚、魚のすり身、海老、肉と海苔を巻いたものらしい、というフライ4種。

最近のわが家はイノシシの肉だらけで、肉のメニューは、しばらくいいや、という感じ、なのでフライがとっても嬉しかったのです。いつもながらホントに何もかもが丁寧です。

そして「ごはん屋さん」のkさん、わが家における重要な「バァの味噌」とか「正月の蕎麦のダシ」なんかを教えて下さった、そのKさんが最近はこんな可愛らしいリースを作っているそうで、
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「ごはん屋さん」の壁に、控え目に飾っていらっしゃる。
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すごく素敵!

このリースの左下にちょいちょいと出ている、この草、これイヌタデという植物なのですけどね、この草がカワイイ、ということでワタクシとは意見が一致しました。

そうなんです。このイヌタデというやつは、まぁ言ってみれば田んぼや畑ではやっかいな雑草なんです。でもワタクシは、この植物が秋になると、もうホントに燃えるように紅葉する姿を知っております。それを見るたびに、このような地味な草がこんなにも赤くなる、ということに感動してしまって、しばし見とれる稲刈りの途中、ということになる。

稲刈りの途中に雑草に見とれていては仕事にならん、ということで、「さなへちゃんってホントに農家に向いてないよね」などとはよく言われたことであります。

しかし美しいものに見とれるのは、ごくごく自然なことではあるまいか。例えば何かお仕事なんかで対応してくれるヒトが、美しいヒトだったり可愛いヒトだったりすると、ワタクシは本当に見とれてしまいます。そして、あーキレイだなぁ、とか、かわいいなぁと思って、怪しまれない程度に鑑賞いたします。しかし、怪しまれている可能性もありますが。でもまぁワタクシは女だから、そこまで怪しまれないとは思います。これが男だったら「何このヒト、気持ち悪い」と思われかねませんから、こういう時に女は便利です。

まぁそれで、農家には全然向いていないワタクシは、それだけでなくあらゆる実用的な女、つまり母とか妻とか嫁とかにも向いてないので、これは真面目に考え始めるとけっこう深刻な悩みになり、苦しい状態に陥ることが多かったのですが、だんだんとそれではもう自分のいいところまでもが完全に死んでしまう、と昨年あたり、大きな危機感を感じて、なるべく深刻に悩まないようにしようと思いました。

それで、今ではもう「農家の嫁」という「朝から晩までよく働く」という語感のあるポジションは捨てて「農家の居候」程度に収まっている感じ。幸いなことにワタクシの夫は良妻賢母もよく働く嫁も求めていない自立したヒトなので(自立せざるを得なかったのでしょうが)、ワタクシは、時々ネズミを取ってきて一応役に立っている猫のミーコと同程度でもこの家に置いてもらえます。ありがたいことです。

で、その農家の居候であるワタクシは、田んぼや荒れた畑の中で真っ赤に紅葉していたイヌタデをとってきては、よく飾っていました。

なので、このリースのアクセントとなっているイヌタデについて、Kさんと大いに語り合ったのでした。

そして入口の扉にあるこのリースは、Kさんに習ってMさんが作ったものだそう。
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そしてKさんは、ススキで作る箒も今習っている、とのことで見せて下さいました。
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右が師匠ので左がKさん作。これもいいですね。自然に生えているものを使って道具を作る、というの。ロマンがあります。

こうして、「ごはん屋さん」でモノづくりのこととか、いろんなお話をしながら、美味しく丁寧なお母さんの料理を食べて、シアワセな午後となりました。

精米所に小麦を持って行ったり、糠を取りに行くのは、仕事とも言えないような仕事ですが、これはとってもお得で楽しい仕事である、と居候は思うのでした。

「かたしのお昼ごはん」を作って下さっていたお二人が、こうして自分の中の乙女心を枯らすことなく、着実に実らせている様子に、本当によき先輩とめぐり会えたシアワセも感じずにはいられないのでした。

乙女心は一生かけて育てるもの。

そのようにワタクシは思います。














by sanahefuji | 2019-01-23 06:47 | 雑記 | Comments(0)

わたしは悪い本

おはようございます。

土曜日は朝早くから働くので、「夜の部」もワタクシの担当だったりする場合、数えてみると19時間労働、とかいうことになります。それが何日も続くとタイヘンですが、まぁ1日だけなんでどうということもないのですが、やはり次の日は体も頭も動きにくい感じはあります。

というわけで昨日は、いつも以上にボケーとしておりまして、夜にエアロビに行ってやっと普通になった、と思ったらもう夜ですから手遅れな感じ。でも、やっとそこで普通になったので、いろいろとしようと思ったらいつの間にかコタツで寝てしまって起きたら4時半!

大変に損をしたような気分です。

週の始まりの月曜日なのにナンテコッタです。

しかしワタクシは規則正しく毎日会社に行って、何時まで仕事場にいて、とかいう正しい働き方よりも、例えばこの週末のように19時間働いて、次の日は最低限の仕事だけして後はグータラしている、というような方がいいんです。うん、それがいい。

毎日何時までにどこそこに行く、という、普通のことがワタクシにとってはタイヘン難しいことに思われます。だから、学校時代はよく行ってたな、と思います。子供たちってエライですね。学校行ったら行ったで、ずっと座って授業を受けないといけないし、これもよくやっていたなぁ、と思います。宿題もある、テストもある、ホント大変だ。中学生は部活もあるし。

子供も労働者もホントにエライ。

そういう普通のことを普通にきちんとできる、ということはホントに尊い、とワタクシは思います。

そんなワタクシは、この間の土曜日の朝にいつものようにラジオを聞きながら「木ノ口かたし」の開店準備をしていて、いつも楽しみにしている「落合恵子の絵本の時間」で紹介された、宮部みゆきさんの「悪い本」というのが気になって気になって仕方がありません。

だいたいいつも、優しい温かい感じの絵本が紹介されるのに、それは珍しく怖い本、でした。

その本を読んだわけではないので、分からないのですが、それは絵本自体が「私は悪い本です」と言って語りかけてくる形式になっているらしい。

その悪い本が、「あなたはわたしがほしくなります」とか「あなたがわたしをわすれても わたしはあなたをわすれない」とか語りかけてくる、らしい。

怖い!

でも読みたい!

とワタクシは思いました。

悪い心、を持っていないヒトは、いないですよね。誰でも持っています。

そんな「悪い心」と、どんなふうにつき合って、バランスをとって、普通のことを普通にしていくか、けっこうそれがワタクシには、永遠のテーマなような気がしているのです。

「悪い本」、気になります。

で、そんな絵本の紹介の後、いつも1曲、音楽もかかるのですが、今月はアバの曲で、それでホッとしたワタクシでした。年末に「マンマ・ミーア」を見たばかりだったので、なかなかタイムリーな選曲、「落合恵子の絵本の時間」とは相性が良いワタクシです。

そのアバの曲、先週は「ダンシング・クイーン」で今週は「I Have A Dream」、良いですなぁ。

なんだか怖い「悪い本」の後の「I Have A Dream」ということで、人間の両面を見せてくれているような、そんな感じもいたしました。ほんの数分のラジオのコーナーですが、土曜日は朝から、なかなかに深い。

そんな、この間の「かたしのお昼ごはん」は、
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・ブダイのフライ
・筑前煮
・サツマイモサラダ
・卵焼き
・大根の皮のキンピラ
・カブの浅漬け
・カブの葉っぱとタマネギの味噌汁
・カマド炊きごはん
・長野のリンゴ&胡桃のアーモンド風味のケーキ

でした。

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土曜日限定の長時間労働を支える、普通のごはん、が、ありがたく、そして、なるべく「悪い本」が必要ないように、と願うワタクシでありました。

ではでは皆さまにとっても、なるべくなら「悪い本」が必要ありませんように。

今日も良い1日を!














by sanahefuji | 2019-01-21 07:37 | 「かたし」のお昼ごはん | Comments(0)

大学受験も面白かった

おはようございます。

昨日、今日とセンター試験ですね。今年はわが家には大学受験生はいませんから、ノンキなものですが、受験生の皆さまが力を発揮できるといいなぁ、と思います。

ワタクシ自身は現役の高校生の時には、のらりくらりと過ごしていて、何も勉強してなかったので全くお話にならず、1年間、北九州の予備校に行かせてもらって勉強して、その時のセンター試験はさすがにタイヘンな思いをしました。

もう後がない、という状態であったし、どうしてもどうしても帯広畜産大学に行きたかったし、そして、その日はとにかく寒かった!

それで、1日目が終わって下宿の部屋に戻って来たワタクシは倒れ込んで動けないほどでした。まぁそれくらい必死だった、ということではありましたが、高校生の時にのらりくらりとしていたのだから、仕方がありません。

そんな感じで受けた2回目のセンター試験が、どうだったか、と言いますと、点数などはまるで覚えていないのです。でも、あれって大学ごとに必要な科目とか配点が違うのですがね、ワタクシがその時行きたかった、たった一つの大学、帯広畜産大学は、数Ⅰと数Ⅱのうち数Ⅱは必要なくて、数Ⅰだけでよく、しかも理科の配点が高く、社会の配点は低かった。

そして、その時のワタクシのセンター試験の結果というのが、この配点にちょうど良い具合で、いつもは壊滅的な数学が、数Ⅰだけはたまたま大きな問題が解けて過去最高というくらいに出来たんです。数Ⅱはいつも通り、ダメだったのに。そして、選択している理科は生物で、これがその年、実に易しい問題だった!なのでこれも高得点。そして社会はイマイチでも、それほど影響はナシ。国語だけは、まぁいつも悪くはない、英語は記憶なし、苦手でしたが、まぁまぁだったのかな。

ということで、この大学のために取ったような配点であったせいか、判定はすごく良かったのです。難関な獣医学部でも受かる、というくらいに。

この時にワタクシは悟りました。たった一つのことに絞って努力すると、実力以上に運をつかむものなのだな、と。

それ以来、自分は運だけはいい、運だけで生きている、と思い込んでおりますワタクシですが、思い込みが大事、ということは前に書いた通りです。

実力は全然たいしたことはない、というか、何も出来ないことは大学に入ってすぐに分かりました。もともと文系のワタクシは一応理系の畜産学部で化学とか数学とかが全く分からず、もうまるでチンプンカンプン、何も理解できないままだったし、英語の論文なんか徹夜しても訳せなくて、間に合わなくて、そしてヤル気もなくて、大学は卒業したものの大学院は3か月でやめてしまったし。勉強、できないんです。

でもその時のセンター試験の結果は、学科でトップの点数だった、と後で教授に聞きました。ホント、運だけはいいんだなぁ。

灰色の浪人時代も無駄ではなかったですね。

その北九州の予備校はとにかく厳しいところで、丸1日の休み、というのが1年間、全然なかったんですよ。昼間は休みでも夜はまた学校に出てきて自学をしなくてはならなかったり。

だから何も楽しみがないような気がしていたけれど、今思えば、下宿の友達といろいろ話したり、短い時間に遊んだりもして、それなりに面白く珍しい経験をしました。何しろ、それまでがド田舎で暮らしていたのだから、北九州の小倉というのはワタクシにとっては大都会でした。

下宿のおばちゃんもいいヒトで、その後も何度か大分に帰る途中に寄ったりしたくらいで、今も年賀状のやりとりが続いています。

前に書いたことがありますが、その予備校の近くに「占い館」というのがあって、それが面白くて時々行っていました。そこで出会った、品のいい占い師の方に進路の相談(と言ってもワタクシは、もう自分で決めていて相談などする必要もなかったのですが)をした時に「大畜」という卦が出た、ということは前に書きました。

その時にその占いの方が、とにかく一緒に喜んでくれるような感じで「こんないい卦はめったに出ないんですよ。貴女がこの方面に進むことは本当にいいことです。将来が楽しみね~」などと何度も仰って下さって。

今思えば、この方はすごくいい占い師だったのだなぁ。こんなふうにヒトに言ってあげられる、ということは。それだけで何か暗示にかかりそうではありませんか。単純なワタクシは実際に暗示にかかったんでしょう。だからセンター試験の結果も良かったのでしょうか。

人間というは複雑なようで単純で、分かるようで分からなくて、摩訶不思議なものですね。

何回もその「占い館」には行きましたが、その品のあるお方に出会ったのはその時きりで、後はまぁなんちゅうか、ワタクシが言うのもナンですけど、あまり品格は感じられないようなヒトが殆どであったのですが。

でも、いろんな占い師の方に共通して言われたことは「貴女は衣食住には絶対に困らない。」ということです。これ、当たってます。

勤労意欲が低く、あまりお金を稼がないので金運はあまりないようですが、ホントに食べるものには全然困らない。もうゾクゾクと集まってくる、という感じ。そして衣服もそうですね。これも買わなくても次から次へとゾクゾクと、です。ワタクシはそのように集まってきた衣服の中から自分に合いそうなもの、好きなものだけを選んで着る、ということで何も困ってないなぁ、確かに。あ、時々なにかの式典などに出かける時なんかには焦るけど、それも貰ったもので、だいたいなんとかなっているし。

占い、というのは、いいことだけを信じる、というのでいいのですね。そしたら本当にその通りになるのだな、と。何かヨクナイことも言われたのかもしれないけど、そんなことは全然覚えていません。それでいいのです。

そんな灰色の(?)浪人時代のこととか大学受験、というのも、もう遠い昔になりましたけれど、今でもよく覚えていることもあります。

現役の受験の時は、帯広畜産大学だけを受けて落ちたワタクシでしたが(でも、その受験も実に楽しかった!)、浪人の時は1校だけ受ける、というのは予備校が認めてくれなかったため、その時は仕方なく、日程が合う島根大学の農学部も受けたんでしたが、その山陰の旅、というのが風情があってなかなかよかったのです。

松江の宿泊施設は全然あいてなくて、玉造温泉というところの、薄暗い温泉旅館に泊まったのですがね、これが今思えばワタクシの趣味に実によく合っていた宿と温泉でした。その時は若かったから、その薄暗さが少し不気味にも感じましたが、もともと妖怪好きのワタクシですから、何かこうワクワクして裏の竹やぶに探検に行ったりしました。受験だというのに。

そして手動式の一両の電車にかかるボタン雪に感動したり、有線放送が寂しく流れていた、あれは帰りに出雲大社に行った時のどこかの商店街で激しく旅情を感じたり。良い旅でした。

帰りの山陰本線の特急電車の中では、二人掛けの隣の席に、やはり受験してきたらしい男子が座っていました。

ワタクシは電車に乗ったら、本を読むのが何より好きであるし、疲れたら窓の外の流れる景色を飽かず眺めて乗り物を一人で楽しむタイプなので、その男子が話しかけてきた時には、申し訳ないけど、ちょっと面倒だな、と思いました。

でも、そのヒトは、そのようなことに慣れている男子、というわけではなく、ものすごく真面目そうなヒトで、何かすごく気を張って話しかけねば!と思っているような気配があり、そんな感じなのでむげに扱っては悪いような気がして、ワタクシもポツリポツリと話をしたような記憶があります。

眼鏡をかけたヒトでした。

島根から福岡までは、けっこうな長距離で長時間でした。その間、何を話していたんだか、もうちっとも覚えてはいないのです。

でも電車が到着して、駅の雑踏で別れる時の、何か言いたそうな眼差し、というのを今でも覚えています。顔はよく覚えていないのに、おかしなものですが、その眼差し、だけをハッキリ覚えています。

ワタクシは思うのですけれど、目は口ほどに物を言う、ってコトワザがあるでしょう、あれは口で言えないから目で言うものではないか、と。

言語のコミュニケーションが、なんら支障なくとれる場合であれば、口に頼った方がはるかに楽だし分かりやすいし、それですむ話です。

でも、そう出来ない時もある。そんな時は目で物を言う、しかないからなぁ。

その男子が雑踏の中で何を言いたかったのか、それは知る由もないことですが、もう二度と会うことはない、ということは確かでしたから、一抹の寂しさのようなもの、は感じていたのかもしれません。

その、どちらも不器用で初々しい感じ、良いですね。

そんなこともあるかもしれない大学受験、若い皆さまの実力や、それ以上の力を発揮できますように!
































by sanahefuji | 2019-01-20 10:40 | 雑記 | Comments(0)

ブルーベリージャム&鶏おこわ

今年最初の「木ノ口かたし」の日に、いくつか残っていたブルーベリージャムが全部売れました。

ありがたいことに、そこにある分、全部ちょうだい、というような感じで売れたのです。忘れもしない昨年の11月14日に作った分が全部。ジャムというのは不思議なもので、それを作った日の出来事が瓶に詰められているような感じがするもので、そういうところが他の商品とは違い、売れてしまう時には何か別れを惜しむような気がするものです。

まぁしかし、そのようなことをいちいち感じたりしているから、どんな仕事もはかどらない、ということはあります。たはは。

本当なら、もう残りわずかであった時点で、また作っておけば、そういう場合に、もっとたくさん売ることができるはずで、そして、なくなった時点で、「このジャムの置き場を空白にしてはいけない」と思って「よし!」と気合を入れてすぐ作るヒトは、きっとお金が貯まるヒトです。

しかしながらワタクシは、あーあれからもう2か月もたってしまったんだなぁ、などとボンヤリ思うばかりでなかなか着手せず、先週来て下さったお客さまがブルーベリージャムが欲しいと仰ってくれたことで、ようやく「よし!」と思ったのは週の初めであったのに、今日になってやっとやっと、作りました。
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ホントにノロマなカメでございます。金が貯まらないわけです。

昨年、ブルーベリーは、なかなか豊作で、冷凍庫にはまだまだ沢山あるので、なんとか切らさずに作りたいと思います。と、ここに書いておきましょう。そしてヤル気を出さねば!

それから、もう一つ、実はさぼっていたことがあって、それは、餅米がとれたというのに、「鶏おこわ」の販売をまだ始めていなかったのです。しかし明日はなんとか作りたいと思います。

というのも、明日の「木ノ口かたし」夜の部にいらっしゃるお客さまには是非とも「鶏おこわ」をお出ししたいな、と思っていて、それならば、今までさぼっていた「鶏おこわ」を明日は売ろうかな、と。

朝の時間で肉まん、ふくれもち、カマドごはん、味噌汁などなどの準備、というのはかなりタイヘンなので、「鶏おこわ」までたどり着けるかどうか心配ですが、明日はガンバリマス。

ではでは、明日の「木ノ口かたし」も、どうぞよろしくお願いいたします。









by sanahefuji | 2019-01-18 17:19 | 「かたし」のこと・商品について | Comments(0)