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土曜日開店「かたし」の人生劇場 2

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凡人の人生が長いわけ

今日は竹の稽古の日。

先週、縁を巻いたものに、今度は竹かごの底の足(今回は「かすがい」のような形のもの)をつけます。
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まずは横に2本。この竹を真ん中は少し厚く残して、両端は薄く削ります。
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このように。そして、これを差し込みます。

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縦の2本も同じように削り、
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差し込みます。
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出来あがり。

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こんな感じになります。それにしても、縁・・・が。まぁいいのいいの自分でやったのだから。

その出来栄えがどうであれ、自分でやったことなら納得できるものです。



今日、竹を削っていたワタクシの心に唐突に浮かんできたことがありました。

ワタクシは、もう随分前から、残りの自分の人生は「農業・合唱・田舎の暮らし」それプラス「言葉」も加えて、この4つについて自分が出来ることをする、と言っていたのですが、これが、これらについてまるで何もやっていない感が激しい、というより本当に何も出来ていない感じがつきまとうのは何故なのか、ということを常々思っておりまして。

それが、分かったのです。突然。というか、薄々は分かっていた、けど、それを認めるのは怖い、というか不都合な真実、というような気がしていたので、気付かないフリをしていたのですね、多分これも。

ワタクシは気付いてしまったのです。

これらに関わる自分の本当の願い、一番望んでいること、というのが叶っていないのに、それを放置しているからです。

そこを放置したまま、他のどんなことも本気で取り組めるはずが、なかったのだ、と。

でもこれは、その「一番望んでいること」が何なのか、が、はっきりしていなかったから、とも言えるのですが。それがはっきりと分かった時、もう既に諦めようとしているに等しい状態であることに、ワタクシは愕然としてしまいました。

その自分の一番の願いに対して、何もしないで諦めてはいけない、それを諦めたら、他のどんなことも既に諦めているのと同じこと。

そのことが、分かったので、これから準備をしなくては。それに挑むには、なかなかの覚悟が必要。

しかしながら、そこを越えないと何も始まらない、ということです。

凡人が早死にできないのも納得、そういう大事なことに気付くのに時間がかかるから、なのですね。

でもいい、気付いたんだから。

竹の時間というのは、本来の目的以外にもいろいろ有意義です。












新美南吉「屁」の話

おはようございます。

スミマセン、朝っぱらから「屁」の話だなんて。

しかしですね、ワタクシが先々週に図書館で借りた新美南吉の作品集「牛をつないだ椿の木」という本の一番最初の作品が、この「屁」という作品なのです。

「ごん狐」や「手袋を買いに」などは、ワタクシが子供のころから国語の教科書に載ってましたけど、わが家の子供たちの教科書にも「ごん狐」はあるようです。他には「飴だま」というのが載ってましたね。このように温かで美しい童話で有名な新美南吉さんの作品集の冒頭が「屁」とは。

ところで、南吉さんは(いきなり馴れ馴れしくてスミマセン)、この「ごん狐」を18歳の時に書いたのだそうですよ。「手袋を買いに」は東京外国語大学の学生だった時に。

なんと!

シューベルトが「魔王」を作曲したのが18歳、というのも驚いたものですが、シューベルトは31歳で、南吉さんは30歳で亡くなっている、ということも、何か通じるものがあります。

昔の芸術家というのは、才能があって優れた作品を作っても、その時は評価されなかったり理解されなかったりして、貧しくて早死にしたり、生きているうちに作品はついぞ日の目を見なかったりして(そうそう、前回の日記に書いた宮沢賢治もそうですね)、なんだか踏んだり蹴ったりタイヘンですが、でも、ヘンな話ですがワタクシは、「そういうの、いいなぁ」と思ったりします。

別に早死にがいい、というわけではなくて、きちんと自分の役割を果たして、さっとこの世を去る、というの、それが「いいなぁ」と思い、そういうのに憧れます。

と言ってもワタクシは、もうすぐ46歳、既に「さっと」この世を去るには遅いような感じになってきて、しかもやることと言えば、恥をさらすようなことばかりで、あー凡人は凡人でタイヘンだなぁ、と思う。

あ、でも「ダメでもともと」と思って、普通のヒトより2か月も遅れて蒔いた小麦、こんなに元気に育ってます。
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今年こそは恥さらしにならないよう、草だらけにしないぞ、と思っておりますが、どうなることやら。


「屁」の話でした。

石太郎という屁の名人がいて、この石太郎は、どんな種類の屁でも放てるそうな。大砲でも機関銃でも、あるいは「とうふ屋」、くまんばち、かにのあわ、こごと、汽車などなど。

個人的には「かにのあわ」とか、ちょっと想像するとイヤな感じがしますが、まぁ石太郎はどんな屁でもできる、ということです。

余談ですが、ワタクシは「屁の見える化」という点では、なかなかの才能がある、と自負しておりまして、これは、家の者の誰かが屁をした時に(自分ではない、ということは言っておきましょう)、それを図形化することが出来るのです。

大抵は、2本の直線で表します。素直な感じのものは起点から真っすぐに、末広がりに伸びて消える、というのが普通です。音によってその角度や長さが変わります。

場合によっては、真ん中が一度二度と膨らむもの、とか、あるいは小刻みな波線で移行するもの、一度ふくらみ収束するもの、などなど、いろいろあります。

しかし、この「見える化」というのは、わが家の女子たちには実に不評で、「今のはね・・」と言おうとした途端に「あーもう言わんでいい、ヤメテヤメテ!」と却下される。面白がるのはコータローだけです。

このような糞尿関係の話題に対しては、女子と男子の態度というのが、このようにはっきり分かれると思うのですが、ワタクシはどうもその点では小学男子と同じレベル、ということが言えます。

まぁワタクシは昔から学校の掃除で一番好きなのが便所掃除であったのだし、持っている運と言えばボットン便所運くらいのものだし、それにさらに「屁の見える化」の才能ぐらいしかない、とすれば、優れた作品を残して早死に(いやだから、今すぐ死んでも既に早くない)、という夢からはますます遠のきそうな感じで、これも誠に遺憾、残念なことです。ホントに。

あ、新美南吉の「屁」の話でした。

その石太郎は、その屁の才能ゆえに尊敬されるか、と言えば、そんなはずはなくて、むしろ級友たちから、あるいは下級生からでさえ軽蔑されておったのです。石太郎の家は貧しくて、不潔で、そういうこともあったからかもしれません。

それで、学級の中で屁をするのは常に石太郎、というふうになっていて、先生に叱られるのも石太郎、というふうになっていたのですね。

ところがある時、春吉君という子が、授業中にうっかり音のないのをやってしまう。気付かれねばよいが、という春吉君の願い空しく「あ、臭せ」という騒ぎが起こってしまう。さわぎが大きくなり、先生もどなり、春吉君は「息を飲んで面をふせた。」のです。みんなの視線が自分に注がれている、と思いながら。

ところがどこかから「石だ、石だ(石太郎のこと)」という誤った声が上がり、石太郎もそれを否定せず、へらへらしている。そして春吉君の代わりに先生に叱られたのでした。

そこでこの春吉君の心には大きな葛藤が生まれるのですね。「正義感と羞恥心とがめまぐるしい闘争をした。」とあります。

これは、粘土で茶わんなどの作品を作っている授業中に起こった出来事でした。石太郎が叱られて、騒ぎは収まった後も、春吉君の心の中では事は終わっていませんでした。

「気持ちに背負いきれぬほどの負たんができてしまった。春吉君にはこんな経験は、生まれて初めてといってよい。春吉君はいままで修身の教科書の教えているとおりの正しいすぐれた人間であると、自分のことを思っていた。
 いま自分が沈黙を守って、石太郎にぬれ衣をきせておくことはこれは正しいことではない。自分は堂々と言うべきである。いまからでもよい。さあいまから。そう口の中で言いながら、どうしても立ち上がる勇気が出ないのであった。
 春吉君はくやしさのあまり、泣きたいような気持ちになってきた。それをはぐらかすために、できあがっていただいじな茶わんをぐっとにぎりつぶしたのである。」

とあります。春吉君のこの葛藤は、彼の人生において最初の「自分で処理せねばならぬ煩悶」となりました。

そして、その後、教室で「屁」騒動が起こった時に、以前のように、それがいつも石太郎の屁だということは信じられなくなったのです。

「あいつかもしれない、こいつかもしれないと思う。」

そして、このお話は、

「そういうふうに、みんなの狡猾そうに見える顔をながめていると、なぜか春吉君はそれらの少年の顔が、その父親たちの狡猾な顔に見えてくる。おとなたちがせちがらい世の中で、表面はすずしい顔をしながら、きたないことを平気でして生きてゆくのは、この少年たちがぬれ衣を物言わぬ石太郎に着せて知らん顔しているのと、なにか似通っている。自分もその一人だと反省して自己嫌悪の情がわく。だがそれは強くない。
 心のどこかで、こういう種類のことが、人の生きてゆくためには、肯定されるのだと春吉には思えるのであった。」

と締めくくられております。

新美南吉さんって、なんという正直なヒト。

ワタクシは正直なヒト、というのが、やっぱり好きだな、と思いました。

南吉さんが早死にしたのは残念ですが、人生に年が関係ないように、その長短も何も関係ないのだな、とつくづく思う「屁」の話。

それはともかくワタクシは、今後、皆さまの脳裏には、誰かが放ったそのものの、図形あるいは直線、曲線が浮かぶかもしれない、と、ほくそ笑むのでございます。

ではでは皆さまごきげんよう。

今日もまた、良い一日でありますように。










うららかな日の「雨ニモマケズ」

昨日、つばき祭のお茶会に行きます、と書きましたけれど、いつもながらの大盛況で、すぐには入れなかったので、待合所のようなところでお喋りをしながら待っていました。

その場所に、前の「かたし」の時には飾り窓のところに、今時期お目見えしていたハルさん作のお雛様がありました。
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相変わらず、かわいいなぁ。

一緒に行ったお友達も二人は着物、お茶会には着物で来ているご婦人方がたくさんいて、とっても素敵だなぁ、と思いました。

お茶の世界や着物の暮らし、いつの日かワタクシも足を踏み入れようと思っておりまする。というのも、やはりその世界の美意識、というのが、すごく自分に合っているような気がするからです。

そして昔は着物で暮らしていたわけだから、普通に仕事も着物でできるんじゃないか、と思ったりもするのです。

「木ノ口かたし」でも、たすき掛けなどして、着物で働いてみたいな、などなどと、夢は膨らみます。

「木ノ口かたし」の場の雰囲気ときっと合うと思うなぁ。

さて、そんな「木ノ口かたし」の、この土曜日の・お昼ごはんは、
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・鯖の竜田揚げ
・ブロッコリーのカレー味フライ
・卵と鶏挽肉の袋煮&ゆでブロッコリー
・糸コンニャクとニンジンとチクワのキンピラ
・大根と鶏胸肉の梅和え
・卵焼き
・水菜とタマネギと薄揚げの味噌汁
・カマド炊きごはん
・ブルーベリー&胡桃のアーモンド風味ケーキ

でした。

前日に、またまたブロッコリーをたくさん頂きまして、それをフライにしたら、これが子供にも大人にも大好評でした。鯖も安くて美味しくて、五島はホントに豊かです。

昨日はお茶会もありましたが椿マラソンというのもありました。土曜日には、マラソンのために五島を訪れた方も「木ノ口かたし」に昼ごはんを食べに来て下さったり、走った後に「夜の部」でお疲れさま会、という方もいたり、こんな小さな店でも「つばき祭」の恩恵を受けているんだな、と思います。ありがたいことです。

運営している皆さま、お疲れ様でございます。

良い天気で、どちらもよかったですね。

お抹茶を頂いた後、せっかくなので、みんなでお昼ごはんを食べよう、ということで、図書館近くの「たゆたう。」に行きました。

ロコモコ丼というのを初めて食べました。
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前菜もついて、800円です。美味しかったです。
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パンから手作りのハンバーガーもいろいろありますよ。

一緒に食事をした方の娘さんが二人いて、その幼いながらも聡明そうな子たちが、店の外で宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を朗読してくれました。

うららかな春のような日和の中で、その愛らしい声で朗読される「雨ニモマケズ」は、より一層心に沁みました。

コレ、前に書いたと思いますけど(何年も書いているとそういうのが増えますね)、ワタクシが小学生の時、校長先生に呼ばれて、この「雨ニモマケズ」の原文が書いた紙を渡され、「これを○日までに覚えてきなさい」と言われ、必死で覚えたところが、その後、校長先生はついぞそのことに触れることがなかった、という話。

そして級友の誰に聞いても、そんなことは言われてなくて、ワタクシが一人、必死で覚えていた、ということだったのです。

でも、そのおかげで、この「雨ニモマケズ」は、今でもすらすらと言うことができます。子供の頃に覚えたことは忘れないのです。

それは本当にありがたいことでした。昨日の可愛い朗読と一緒に、ワタクシは心の中で諳んじていました。

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも
夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体を持ち
欲はなく決して怒らず
いつも静かに笑っている

一日に玄米4合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かりそして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな茅葺の小屋にいて

東に病気の子供あれば 
行って看病してやり
西に疲れた母あれば 
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば 
つまらないからやめろと言い

日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにデクノボーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず

そういう者に私はなりたい



原文は漢字とカタカナ表記ですが、これ、何も見ないでここにスラスラ書ける、というの、すごくありがたいなーとワタクシはつくづく思います。

校長先生の意図は結局分かりませんでしたが、結果良ければ全てヨシ、ということですね。

ではでは、皆さまにとっても今日が良い一日になりますように。


またお雛様を忘れていた

いつものごとく昨日、朝のラジオを聞いていて、地方の話題、みたいなコーナーで、お雛様の話題が出た時に、ワタクシは「ハッ」としました。

あ、またお雛様の存在を忘れていた!

と思ったのです。それで、慌てて小さなお雛様たちを出してきて、「木ノ口かたし」の店内に飾りました。ということは、本物の人形のお雛様はまだ出てない、ということです。ホントにどうして忘れてしまうんでしょう。

桃の花ではなくて、梅の花と一緒に。これは親戚のヒトが荷物を送って下さった時に一緒に入っていたもの。
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こちらの吊り雛は前の「かたし」の時に商品を出して下さっていたお客さまに頂いたもの。
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手作りです。

同じ方から頂いた、やはり手作りのもの。
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お顔がなんとも愛らしい。

そして19年前の3月3日、ハナが生まれた時に友たちが贈ってくれた、かわいいかわいいウサギのお雛様。これが里芋の中に入っている、という心憎い演出。物を作るヒト、というのは、どうしてこんなことを思いつくのでしょう。左のトンボがとまっているのが帽子みたいに蓋になって、そうするとそれは里芋になるのです。
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来週の日曜日が3月3日ですから、ヨカッタ、今週の「木ノ口かたし」に飾れて。ラジオを聞いていたおかげです。

いつも土曜日の朝は、「ラジオ深夜便」の時間から聞いていますが、4時台のインタビューというのが、いつもなかなかの人選で、面白い話が聞けるんですけれども、昨日は元お相撲さんの話でした。特に相撲に興味があるわけではないワタクシは、なーんだ相撲か、などと思ってしまったのですがね、これが面白かったのです。

その方は相撲の稽古の基本である「四股(しこ)」について、熱く語っていたのでしたが、その四股の大切さ、奥深さ、というものがよく分かる話でした。赤ん坊のように柔軟に開いた股関節を保ち、体に余計な力を入れず、つまりゆるめて、相手の力を自分の力に変えるような体、というのを目指す、というようなことを仰っていたような。それは、地震とか台風などの災害に遭って、外部から強烈な力が及んでも倒れない五重の塔のような体にする、ということだとか。

ワタクシがその話にすごく納得したのは、以前書いたことがありますが、ワタクシは「ゆる体操」というのを習っていて、やはりそれも、体をゆるめる、ということと、軸を通す、ということが基本だからです。

そのように五重の塔の例を出してお話をされていましたが、相撲と建築、というのは、一見何も関係がないようでいて、どういう世界であっても、上を目指していくと、そこには共通の何かがあるんだな、とワタクシは思いましたのです。

相撲と言えば、ワタクシが子供だった頃に圧倒的な強さを誇っていた横綱が千代の富士、なのですけれど、ワタクシはこの千代の富士がキライでした。

そしてワタクシより一つ年下の国民的美少女ゴクミこと後藤久美子がキライでした。

この二人の人物がどう関連があるかと言いますと、これ、どちらもワタクシにとっての桜と一緒なのだな、ということが、桜に対する特別感が強すぎて嫌っていた、本当は好きなのに、あまりにも気になるためにイヤだと思っていた、ということが判明した件で、分かったのです。

千代の富士って、他のお相撲さんと違いすぎましたよね。だって、あんなにキリリと引き締まった小柄な体躯、顔も鋭いし、それで圧倒的に強い、なんて、ちょっとちょっとズルイんじゃないの、と桜に思っていたのと全く同じようなことを思っていたのです。他を圧倒的に引き離す魅力、というのが許せん、みたいな。

ゴクミも一緒で、美少女は世に多けれど、あんなに存在感のある美少女というのは他にいないと思っていたし、なおかつ、あの顔や生意気な態度がワタクシは本当は好きだったのですよ。なのにキライだと思っていた。なんというヒネくれた子供、天の邪鬼なんでしょう。

だからワタクシが大好きな「男はつらいよ」のマドンナ役に抜擢されたのも、なんかイヤ、こんな棒読みみたいなセリフで、ホントにヘタなのに、なんで山田洋次監督はゴクミを使うんだろう、と文句を言っていた。でも、本当は分かっていた、山田洋次監督が他の誰でもない美少女ゴクミを採用したのは、ただ美しいだけではないからだ、と。

ひねくれ者から出発したワタクシの人生は、だんだんと素直になってゆく旅であります。

桜に対する本当の気持ちを認めた途端に、桜からも溢れるような気持ちを受け取るようになりました。もうそれは、ちょっと恥ずかしくなってしまう程の相思相愛。

チラリと見て「あっ」と思ったら、桜の気持ちが自分の中に入ってくるような、そんな不思議な感覚を味わっています。こんなこと書くと、読むヒトによっては「このヒト、ちょっとイカれた女?」みたいに思われてしまうかもしれませんが、このブログの読者の皆さまなら分かって下さるはず、と思って明かすのです。

そういう世界に暮らしていることが、嬉しい今日この頃でございます。

今日はこれから椿まつりのお茶会に行って来ます。

皆さまも、どうぞ良い一日をお過ごしくださいませ。









新しい商品、入りました

またまた粒揃いのアクセサリー、仕入れてまいりました。
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小さめ、短め、の揺れるイヤリング&ピアスや、

そろそろ薄着になって来る季節、胸元にキラリと光るネックレス、などいかがでしょう。
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一番左のものは、ピアス&イヤリングとお揃い、まーなんてカワイイ!欲しい!とお客様より先に買ってしまいたくなる店員です。だって、稼ぎの少ないワタクシでも買える値段ですから。

にわかにアクセサリーの力に目覚めたワタクシは、いろいろなものが欲しくなるのですが、まぁまぁ、まずは様子を見て、縁があるものを選ぼうと思います。

今までアクセサリーというものを、何か自分を飾り立てるもの、というふうに誤解していたワタクシでしたが、そうではなくて、これは、その時その時の自分に少し足りないものを補ってもらう、とか、ここ一番で力を借りる、とか、気分を良くする、とか、お守り的なもの、とか、いろいろな活用法があるんだな、ということが分かり、そして単純に選ぶのが楽しい、ということも分かったのです。

ホントに遅い目覚めだこと。ま、でもいいのいいの。いろんなことに年は何も関係ありません。どこで何がいつ分かるか、とか、何とあるいは誰と出会うか、とか、そういうのはホントにビックリ箱のようなもの。何も予期してなくても、そのヒトにとって一番ふさわしい時に訪れるものなのですから。


それから、椎茸の原木も来ました。
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こちらも格安です。

前に買って下さったお客さまが、去年は60個くらい出た、などと仰っていましたけど、それだったら、ホントにお得ですね。置く場所などにもよるのかもしれませんが、場所があって椎茸好きな方は、ぜひ挑戦してみて下さい。

アクセサリーを仕入れに行ったついで、というか、ごはんを食べたいから仕入れに行っているのか、どちらか分かりませんが、富江の「ごはん屋さん」で昼ごはん。
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今回は鶏のから揚げ定食にしました。何もかもが優しい味です。そして、いつもお喋りが楽しくて、ワタクシは前の「かたし」でお二人がごはんを作ってくれていた時の「かたしのお昼ごはん」の時みたいに、ごはんを食べるだけではなくて、気持ちも満たされるのでありました。

「ごはん屋さん」は土曜日も開いてますよ。

あ、でも明日の「木ノ口かたし」もよろしくお願いいたします。

玄米餅は先週で終了でしたが、他のものはいつも通りございます。最近、「おっ」と思ったのは、濱崎さんの小麦粉、です。先週に男子高校生が来た時に、具が余ったので濱崎さんの小麦粉で肉まんを作ってみたらばですね、何か口当たりの違う美味しさで、え、これは一体どうして?

とワタクシは思いましたけど、それが子供たちにも分かったらしく、「この肉まん、なんか違う」と好評でした。いつもの肉まんももちろん美味しいのですが、更に美味しかった、ということです。さっすが濱崎さん!

と思ったことでした。研究熱心な濱崎さんの作物は、いつも上をいっているな、と。

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これが、その高校生が来た日に、余った具で作った肉まんです。

明日も、その肉まんありますから、ぜひどうぞ!

もちろん、新しい「うとん山農場プリン」ありますよ。

ではでは、ホントにまた明日。






「自分の本当の気持ち」は意外と分からない

今日になって明るい陽の光の中で見ると、昨夜の妖艶な顔とは全く違う、明るく華やかで健康的な感じすらする昼間の河津桜、もうそろそろ満開を過ぎた頃でした。

夜と昼でこんなに違う、というのがまた、そそられるポイントですな。桜ってばズルイ。

しかしワタクシは、桜に対する自分の本当の気持ちを素直に認めましたから、もう何も怖くはないのです。でも何が本当の気持ちなのかということに、分かるまでには時間が必要だった、ということです。何をそんなに恐れていたというのでしょう。

今日はたまたま夕方ちょっと時間があったので、中学校にサトの部活のお迎えに行った時、やはり満開の河津桜が並んでいるところを、夕闇迫る頃に通りました。そこは人工的な光の当たらない場所で、自然の薄闇の中で見た桜も、趣がありました。

さて本日は竹の稽古の日。

今日は竹かごの縁を巻く作業だったので、行く時には、なんとなく気が重い、というか、足が向かない、というか、そんな気分。というのも、この縁を巻く作業というのは竹かご作りの中でもおそらく一番難しくて、しかもワタクシはこの時に、縁を巻く竹を折ってしまったり、間違えたり、という事を誘発しやすかったからです。

先週の「ふくれもち&肉まん作り体験」の受け入れの時もそうでしたが、始めてしまうまでは、気が乗らなくて、なんだかウダウダ、イヤだなイヤだな、と思ってしまうのです。

しかしながら、現場に行って、その場で作業を始めてしまうと、そういうのはどこかに飛んで行ってしまい、もう作業に集中して、そんなふうに思っていたことすら忘れてしまう、というパターン。

先週は午後から体験受け入れを抱えていたので、午前中は気もそぞろ、で、カゴの縁を巻く前の「芯」を作って縁に巻き付けたところまでしか出来ませんでした。

そして、その芯を蒔きつけた縁の円周の3.5倍の長さの竹を薄く割って、それを巻き付けていくのです。

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手前にある長い竹、これを割って削ります。

師匠は、午前中にお葬式に行かないといけない、ということで、いなくなってしまったので、ワタクシは一人で縁を巻く作業をすることになりました。もう何年もやっているのだから、それくらい出来て当然なのですが、不肖の弟子であるワタクシがあまりにもヘタで危なっかしく見えるためなのか、あるいは師匠が優し過ぎるためか、ちょっと難しいところなんかは、師匠が代わりにやって下さったりすることが多かったのです。

しかし、このような優しすぎる指導というのは弟子にとっては成長の機会を逃してしまうことで、というのは、優しいお客さまばかりだと従業員(ワタクシのことだけど)が無能のまま、というのと同じことなのです。

それで今までも、この縁を巻く作業というのは、とにかく師匠に依存してしまう、ということが多かったのですね。

ところが今日は一人。どうしたって、自分でやり遂げるしかありません。
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カゴの縁になる竹をウネウネと巻いているところ。

そして、なんとかかんとか、出来ました。
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右側のは3年か4年前に作ったもの。殆ど進歩がない、というより退化しているのではないか、という感じ。でもまぁ、なんとか一人で縁は巻けました。

「一人でやった!」

このことが、とっても嬉しくて、朝、師匠のお宅に向かっていた時とは、それこそ別人のような足取りで家に戻って参りました。

ヘタでもなんでも、誰の力も借りずにやってみる、というの、とっても大事なことだな、と思いました。

難しくても、そうやっている時に、こうした方がいいんじゃないか、とか、これは良くなかったから次からはこうしよう、などなどということに、自分で気付ける、のですね。

子供たちのやることにアレコレ口出ししないで、ただ見ているだけで良い、ということにも通じます。

いろいろと、学ぶことが多い竹の稽古の時間です。

でもやっぱりワタクシは、モノづくりが下手で向いてないんだなぁ、ということを思い知らされる時間でもあり、時々がっかりするんですけど、何が自分の本当の気持ちか、ということが、分かるまでには、やっぱり時間がかかるのかもしれない、と桜の例もありますから、そのように思ったりもするのでした。

ま、とりあえず、今日は縁が巻けて、ヨカッタヨカッタ。







「夜桜お七」歌ってみたい

今年は暖冬のせいか、昨年は3月初めの大学の合格発表の時期に満開になっていた「河津桜」が、既に満開になっています。

この「河津桜」、この地域の広範囲に10数年前に植樹されたもので、近年では早春の県道沿いを彩る見事な桜並木となってヒトビトの目を楽しませてくれていました。

ところが、この桜というのは根が浅いのか、昨年の台風7号の暴風で何本も根こそぎ倒されてしまいました。

それでも残った河津桜が今咲いていて、昨夜、合唱の練習に行く時に、街灯の下の夜桜を見たワタクシは「キレイ」と思うよりも「怖い」と思ってしまいました。

夜に人工的な光の下にある桜の花というのは、美しい、というよりは妖艶であり、それを通り越して不気味、あるいは「鬼気迫る」感じがします。

子供のころから桜というのが、どうも苦手でした。桜、というのはどこか悲しい気配が漂っているような気がしていたからかもしれません。

なので桜のことは好きじゃない、と長いこと思っていました。

でも、まてよ、それはもしかしたら違うかも、ということに気がつきました。好きな気持ちが強すぎると、人間というのは「恐怖」と似たような感じを受ける、ということが分かったからです。直視できなかったり、逃げてしまったり、近づけなかったり。それはその好き過ぎる対象に近づいてしまうと、あまりにも自分の心が乱されるから怖いのです。

そうだったのか、桜。

そのことに気付いたワタクシは、少し素直な気持ちで桜を愛でることができるようになりました。

桜なんて好きじゃない、河津桜なんて、なぜ桜の季節でもないのに咲くものを植えたりするんだろう、とかなんとか思い、まだ寒々しい空の下に、鮮やかすぎる濃いピンクの花を嫣然と咲かせるその姿が眩し過ぎて、何かうっとうしいような、見たくないような、そんな気持ちになっていたワタクシ。

中学男子か!?

と、そんなふうに思っていた自分に突っ込みたくなってしまう今日この頃でございます。かように、「好き」という心は複雑なのでありますなぁ。


高校生の頃、美容院のヒトに「坂本冬美に似てますよね。似てるって言われません?」と言われたことがあります。

イヤ、全然言われたことないです、と思いましたけど、そしてホントに似てないと思いますけど、でも、自分が似てると言われたヒトのことは良い印象を持つものです。

しかも抜群の歌唱力、憧れます。

昨夜のような夜桜を見ると、「夜桜お七」歌ってみたいな、と思います。

今では全然声が出ないのでダメですが、20代の頃は「天城越え」なども、ワタクシは割と上手に歌えていたんで、随分と拍手喝采を受けたこともありましたが、その後にあるヒトから頂いたのが、「うまいんだけど色気ないよね」というお言葉。

うーん、こればっかりは、天性のもの?努力で身につくものでも、ないからなぁ。

返す返すも残念です!?







敗北感に打ちひしがれる

今日も確定申告のためのレシートの整理をしておりまして、午前中に書きましたけど、音楽を聞きながらやっていたのです。

そして、これも予告通りマッキーこと槇原敬之の歌をいろいろと聞いていたわけです。

そしたら、なんだか昔聞いていたよりも、何かこう、もっと心に迫ってくる感じがして、しかもやっぱりすごく歌も上手いし、声もいいし、歌が色褪せないんだな、ということが実によく分かってしまい、昔KANのファンクラブにまで入っていたワタクシでも、やっぱりこれはKANの完全な負けである、ということを認めざるを得なかった、のであります。

それで今日も何曲かKANの曲を聞いてみたんだけど、昨日も聞いたし、そしてさらに過去に異常なほどに聞き過ぎていた、ということもあって、そしてそしてやっぱりマッキーとの歌唱力の差が気になってしまい、今の自分はマッキーの歌を聞きたい、などと思ってしまった自分が後ろめたくもあり、あぁヒトはこうして才能の前にはヒレ伏すしかないのである、と思った次第でございます。あ、でもKANさまだってスバラシイ才能はあるんです。でもやっぱり敵わないものは敵わないな、とワタクシは勝手に敗北感に打ちひしがれてしまいました。

やっと9月までのレシートの仕分けが終わったところですが、このレシートの束を抱えてワタクシは、ものすごく胸が苦しくなってしまったので、今日はもうヤメヤメ、続きはまた天気が悪い日にしよう、と思いまして、これから少し気分を変えるために、晩ごはんにはチト早いですがカマドでごはんを一升炊こうと思います。

まったく何やってんだか、という感じですが、カマドでごはんを炊くのは精神衛生上、非常にヨロシイことで、バッパと景気よく燃える火を見ているうちに、大抵の気分は切り替わって、ニュートラルな状態に戻れます。

グダグダしそうになった時には皆さまもぜひ!

カマドでごはんを炊いて下さいませ。

ではでは皆さま、ごきげんよう。



久しぶりに木村和など聞きながら

気がつけば、週の真ん中、水曜日です。

この間の「かたしのお昼ごはん」の記述がまだ、でした。この間は、
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・クロ(メジナ)の南蛮漬け
・おでん
・大根の皮のキンピラ
・ゆでブロッコリー
・ブロッコリーのフライ
・卵焼き
・玉ねぎとタアサイと薄揚げの味噌汁
・カマド炊きごはん
・ブルーベリーと胡桃のアーモンド風味ケーキ

でした。

魚は趣味で釣ったり突いたりするヒトから、よく頂けますし、最近は五島ではブロッコリーの収穫の最盛期らしく、たくさん頂きます。

近くで採れたもの、というのは、やはり輸送の時間がたってないせいなのか、どんなものでも美味しいんですよね。そのように、さりげなく美味しい素材がたくさん頂けるので、「かたしのお昼ごはん」は、いつもさりげなく豊かな食卓である、とワタクシは思っております。

新しくなった「うとん山農場のプリン」、前よりも「より『かたし』らしい味」との講評を頂きまして、嬉しいです。

また別のヒトからは「パステルみたいだな、と思いました」というお言葉。

「パステル?」

パステルとは何ぞや?

世間の話題に疎いワタクシ、どこそこの何が美味しい、とか、どこの何が有名とか、いうことを殆ど何も知りませんから、早速ネットで調べてみましたよ。

そしたら、「なめらかプリン」で有名なお菓子屋さんのことでしたね。

そこのプリンについて見てみると、やはり原料には生クリームも入っていて、それがその「なめらかさ」とか「濃厚さ」を出しているのだな、と思いました。

しかしながら、わが「うとん山農場のプリン」は、低温殺菌の牛乳、うとん山農場の卵、キビ砂糖、のみで、この「なめらかさ」としつこくない「濃厚さ」というのが出ているのであるよ、とワタクシはひそかに誇らしいような気持ちになったのでした。

まぁしかし、こんなチマチマやっているところが、そんな大きなところと比べる方が間違っており、商売という点では、わが経営などは、まるでお話にならないのではありますけれど。ママゴトと言われても仕方がないけれど。

でも、さりげなく超上質な材料で、素朴な料理やお菓子をチマチマ作って売るのって、なかなか気持ちの良い仕事だな、とワタクシは、最近とみに思いますのです。

まだ途中ではありますが、これで子供4人を成人させれば、十分な仕事ではなかろうか、と。

昨日は朝から大雨で、そろそろ着手をしなければならない確定申告の準備をしておりまして、好きな音楽を聞きながら、一年間を振り返る時間です。ただのレシートにも、あ、この時はこうだったなぁ、とか、そういうことをじんわりと思いながら。

去年の怒涛の春先、そんな余裕は全くなくて、確定申告も徹夜してやったんでしたが、その時期にワタクシの心はいろいろなことが麻痺してしまい、崖っぷちだった、ということもありました。

いろんなものが一気に押し寄せる時期、というのは、どうやったってあるもので、それは仕方がないのですが、なるべくなら、忙し過ぎて心を亡くさないように、気をつけたい、と思う確定申告の季節なのでありました。

表題の「木村和」が誰のことか分かるヒトも少ないかもしれませんが、これは「愛は勝つ」のKANのことなのですよ。ちょっと恥ずかしい過去、かもしれないのですが、ワタクシはファンクラブにも入っていたんです。

その頃、同じようなジャンルで槇原敬之がいて、もう圧倒的にこちらの方が上だった、歌声も曲も歌詞も才能も、何もかも。顔はどっちもどっちか(なんちゅう失礼な!)。

マッキーの方がとにかく上手いし当世風というかなんと言うか、まぁ絶対にこっちが流行るだろうし残っていくだろう、というのも分かるんです。

でもワタクシはKANがヨカッタのです。軟弱で、小心で、優柔不断で繊細な男子の心を歌うKANさまが。

あーなつかしいなぁ、と思いながら、レシートの山、あるいは数字と格闘。

今日も続き。

今日はマッキーも聞こうかな。






12年前の2月18日

12年前の今日は、旧暦のお正月の元旦でした。なので、長崎ではランタンフェスティバルが始まったところで、あちらこちらに丸くて大きな提灯(これがランタンなのかな)が下がっていたことを覚えています。

ワタクシは1歳だったサトを抱えてジェットフォイルを降りた後、そんな長崎の街を通り抜けて駅に行き、大分へ向かっていたのでした。


ワタクシが子供だった頃、わが家には膨大な量の漫画本がありました。それは約一年の間、母が入院していた病院がある大分市まで毎週日曜日にお見舞いに通っていた帰りなどに、父と兄が本屋に寄っては連載物をずっと買い続けていたり、多分それ以外にも津久見の街でも買っていたのでしょうけれど、とにかく沢山ありました。

そして、それをワタクシも片っぱしから読んでいきました。いつ読むか、というとですね、これが少し特殊なんです。ワタクシは平日の昼休みに毎日読んでいました。というのも、ワタクシが通っていた全校児童20数名の田舎の学校には給食がなく、昼ごはんは家に食べに帰っていた、とは何度か書いたことがありますが、そのように家に戻って昼ごはんを食べるのなど、ものの10分もすれば食べてしまいますから、後はひたすら漫画とか時々は本とか読み、一通りそれも読んでしまうと、今度は子供向けの図鑑とか、そういうのを片っぱしから読んでいくわけです。

小学校って6年間ありますから、その毎日の昼休みの間にワタクシは相当に漫画を読んだ、と思います。何十巻もあるような長いものだと、それが終わるまでは読むものが決まっているのでラクなんです。

手塚治虫のものなんかは、だいたいあったんじゃないかな。よく覚えているのは矢口高雄の「釣りキチ三平」、これも長い。65巻もありましたから。コレがホントに面白いんですよ。ラストは感動的でした。

そして小学生のワタクシにとっては、残酷な場面も多く、救いのない話も多く、難解だったに違いないのだけれど、ものすごい衝撃を受けたのが白土三平の「カムイ伝」という漫画。カムイというのは江戸時代の身分制度の一番下である「非人」の身分の子供で、これがめっぽう強い忍者になるのですよ。ここでワタクシが忍者にハマった、ということもあったかもしれません。

そして後にカムイのお姉さんと身分の違いを超えて結ばれることになる、正吉という頭が良くて、仲間からも絶大なる信頼を得ている人物が、百姓の生活を向上させるために、農具の改良をしたりして、村が少し明るい空気になるところなんかでは、ワタクシもなんだかワクワクしたことを今でもよく覚えています。ところが江戸時代というのは過酷な時代で、どんな理由かは忘れたけど、この正吉さんも鼻を削がれたりして、とにかく酷い目に遭うのです。

身分の低い人間は人間扱いされない時代、というのが確かにあったのだ、ということが小学生のワタクシにも強烈に印象づけられました。

しかしながら一応ワタクシも女子で、少女マンガなども好きで読んでいましたから、この「カムイ伝」の激しすぎるストーリーの中では唯一のロマンス、正吉さんがカムイのお姉さんのナナさんと、厳しい身分制度を超えて愛を貫くところなどには胸を熱くしたものです。しかしながら、やっぱりそれは甘いものではなくて随分と過酷なのでしたが。

あ、そう言えば、わが農場のおバカ犬、正吉という名前でした。カムイ伝に出てくる正吉さんのように、お利口になって欲しかったのになぁ。

「カムイ伝」の世界を思えば、つくづく今はいい時代になったものだ、と思います。身分が高くなくても普通に人間として暮らせるし、こんなにノンキにしていても、生きていけるのですから。


それらの強烈な印象のある漫画以外にも、少年漫画を中心に、本当に膨大にあった漫画本、それの半分くらいか、あるいはもっとだったかもしれませんが、とにかくそれらを父親が絵を描くためのアトリエとして借りていた古い家の、使っていなかった部屋に移しました。

そしてワタクシの父親は、そこを集落の子供たちが自由にやって来て、漫画を読んだり、遊んだりしても良い場所にしたのです。

今から40年近くも昔に、このような子供の居場所作りのようなことを父親がやっていた、ということに、ワタクシは少なからず驚きました。

特に何をする、というわけでなくても、ヒトがなんとなく集まって、顔を合わせてただ話をしたり、なんとなくそこにいて、漫画を読んだりして自由に過ごせる場所がある、ということが、実はけっこう大事なこと、というのを、この大量の漫画本のある空間で、ひょっとするとワタクシは学んでいたのかもしれません。

そこに行けば誰か仲間がいる、という場所。昔の集落には、そういう場所がいくつもあったのです。

まったく意識はしていなくても、やっぱり親の背中というのを子供は見ているのだな、とワタクシは思いました。

こんなふうに書くと、父親は実に良く出来たヒトであったような誤解をされてしまうから、言っておきますと、それは全く違うのです。子供から見ても、けっこう危うくて、困ったところが沢山ありました。ワタクシが、すぐさま遠い北海道に行って殆ど帰らなかったのも、女を封印したような青春時代であったことも、もしかすると母を亡くした父親から向けられている「なんだか重たい愛情」から逃れるためであったのかもしれない、と思うことがあります。

それはすごく複雑な心境で、難しいモンダイでした。家に女が自分しかいない、というのは思春期には随分とやりにくいことでしたし、しかも自分はまだ成熟していないコドモであるからして、いろいろなことを背負うのはあまりに過酷であったのだ、と、今では分かりますが、そこから逃げた自分のことを、随分と責め続けてきたように思います。

そうして今やっと、ワタクシはいろいろな「桎梏の綱」から解放されたところなのでした。

親子関係が割とすんなりといく、恵まれたヒトも多いようで、ウラヤマシイ限りですが、親子のモンダイは、こじらせると本当にやっかいで大変です。

でも大変なことからしか学べない、ということも多いですから、それはきっと、自分にとっての財産である、ということも分かるようになりました。そういうことが分かるようになるから、年をとるのもいいことですね。


12年前の今日、夜に大分駅に着いた時点で、父親は夕方の5時過ぎには既に帰らぬ人となっていたことを知りました。

次の日、故~と、父親の名前が書かれた看板が、葬儀場の玄関に出ていたのを、なんとも不思議な気分で眺めました。本当に不思議なことですが、親って死なないような気がしていたのです。

まぁワタクシの場合は母が早くに亡くなっているというのに、やっぱりそう思う。死ぬはずがない、と思っていた。これは一体どういうわけなんでしょう。謎です。

葬式の後、ワタクシはもともとがボンヤリしているものだから、2~3日、家でボンヤリしていたいな、と思ったのですが、次の日にはなんだかんだで家を追い出されてしまいまして、途方に暮れて、大分のホテルにとりあえず一泊し、そのあと、その時はまだ元気だった「湯布院のおいちゃん」のところに転がり込んで、泊めてもらったんでした。あの時はなんだか混乱して訳が分からなかったなぁ。

ぬくぬくと、あるいはボンヤリとしていられる実家があるというヒトは、それはとっても幸せなことなのです、そのシアワセをどうか噛みしめて下さい、とワタクシは申し上げたいと思います。余計なお世話かもしれませんが。

とは言え、別に誰が悪いということでもないことで、そのようになるのも仕方がないこと、というのが世の中には、いろいろとあるのです。

その時ワタクシは何か思い出の物が欲しくて、湯布院で柿渋染めの「ガマ口」を買ったのですが、そのガマ口も口金が壊れてしまい、昨年だったか、その前だったか、直してもらおうかと思ったけど、やっぱり無理で、結局それはもう使えなくなってしまいました。

で、そのガマ口もなくなって、その時の混乱した思いとか、悲しい気持ち、苦しい気持ち、などなども、全部消えてなくなったように思いました。本当に。だから使えなくなっても、もう良かったんだ、と思いました。

その時、大分でワタクシは絵本も一冊買いました。父親が亡くなる1か月くらい前に、手術をするというので、子供たち3人を連れて実家に帰った時に、本棚で見つけた、色鮮やかなこの本がワタクシはすっかり気に入って、欲しい、と思いました。

ところが父は何を思ってか、その本の一番色鮮やかな頁を切り取ってしまっていたのです。時々、このような謎の行動をするヒトでした。

なので、その頁がないのはイヤだから、ちゃんとした絵本を買い直したのです。

それは、この本。
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面白くて、美しい、絵本です。

絵描きだけあって、父は絵本を選ぶのが上手でした。

そういうところは、ホントにホントに、ありがたかったな、と思います。

親不孝な娘のままでしたが、今も本当に感謝しています。