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昨日も良い「木ノ口かたし」

おはようございます。

いつもながら、昨日の「土曜日開店 木ノ口かたし」の朝は早く、昨日は夜の部もあって、しかもものすごく蒸し暑い夜であったことから、いろいろな食べ物を、なんとかとにかく冷蔵庫に入れてしまってからでなくては眠れない、ということで、たいへんに長い長い一日になりました。

でもいつも思うことは、「木ノ口かたし」のお店にヒトが来てくれるってありがたいことだな、ということです。

というのも、こうしてヒトが来てくれなければ、会社などに勤めているわけでもないワタクシは、ほぼ誰とも会わず、家族以外の誰とも話さずに過ごしてしまうからです。

最近では、巷の店などに行くのも億劫で、買わねばならないものがあっても、なるべく先に延ばし延ばして全然行かない、というふうにしてしまうくらいです。前にも書いたような気がしますが、ちょっとしたことでワタクシはすぐに「引きこもり」気味になったり、ある方面に足を向けることさえ出来なくなったりしますから、「木ノ口かたし」という店を開けることはお金を稼ぐ目的のためだけではないのだな、と改めて感じます。

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昨日の朝、「ふくれもち」の生地を丸めながら、あの畑の小麦たちが、こんなに立派に「ふくれもち」になることがワタクシは本当にうれしくて、すべすべとして柔らかい生地を丸めたり伸ばしたりしながら何だかすごくシアワセな気持ちになり、いつか友が手紙にしたためていた文章の中の「好きなヒトに触れるってなんて幸せなんだろう」という言葉がフト浮かんだりしてました。

そして、ヒトの世にはさまざまな欲求はあるけれど、自分が好きだと思っているヒトとか、好きだと思っている物事に触れること、というのが、人間の基本的な欲求なのかも、と思ったりしました。それが満たされるとヒトは幸せなんだな、と。

まぁしかし、人間相手だと心と体に触れるところまでこぎつけるのが難しかったりしますから、物事の方が簡単で手っとり早いですね。そしてそれは金で買えることも多いのかもしれないし。だから金が万能、のようにもなるわけで、金さえあれば、となるんだなぁ。

しかし、この「ふくれもち」1個80円で売ってますけど、1キロの小麦粉で出来るのは24個。全部売れても1920円。商売として考えると、あんこ代も必要だから、その労力と得られる金額を秤にかけると「わざわざ早く起きて作って売るほどのことでもない」ということにもなってしまうのです。

金額としてはそうでも、作っている時のそのシアワセ感、というのは金に換算できないし、これは前の「かたし」で作って下さっていた地元の方から作り方を引き継いだもの、ということなどなども考え合わせると、「土曜日開店 木ノ口かたし」には、この「ふくれもち」がやっぱり必要だ、ということになるのです。金や数字で測れないもの、というのが、あるのですね。

まぁしかし、そのような、わが経営にはよくありがちな「重要だけれども直接お金にはならない」仕事も続けていくには「木ノ口かたし」昼の部夜の部で、ちゃんと稼ぐところでは稼ぐということも大事なわけで。

そのように、いつもいつも、それはそれは迷いながら、そして、「いつまで続けられるのかな」と時々フト思いながら、やっております「木ノ口かたし」、そんなお店にヒトビトが来て下さるのは、本当に本当にありがたい、ことなのです。

昨日も良い「木ノ口かたし」の一日でした。

昨日の「かたしのお昼ごはん」は、
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・チキン南蛮&ゴボウ
・キャベツとルッコラのスパサラダ
・焼きナス
・アスパラとインゲンとタコのバター炒め
・ジャコ天(すり身てんぷら
・キュウリの昆布和え
・卵焼き
・菜っ葉とタマネギと薄揚げの味噌汁
・カマド炊き白米&古代米入り玄米
・バナナ&胡桃のチョコチップ入りアーモンド風味ケーキ

でした。

昨日はタイヘン蒸し暑かったのですが、今朝は少しは涼しくなりました。

今日は行事も何もない日曜日、昨日の続きの洗い物をしたいと思います。時々フッとワタクシは「かたし」で一生分の洗い物はしたかもしれない、と思います。

だから、洗い物に関しては悔いはありません、多分。

でも、まだやり残していること、やりたいこと、やってみたいことがあるのです。

時々それもフッと心をよぎります。

叶って欲しいな、願わくば今世。

洗い物ガンバリますから、神様、どうか叶えて下さい。

ではでは、皆さまごきげんよう。

平和な日曜日でありますように。













by sanahefuji | 2019-06-30 09:20 | 「かたし」のお昼ごはん | Comments(0)

お話作りのカタルシス

こんにちは。

本日、中学生の職場体験3日目は恒例のお昼ごはん作り。

わが家にある材料を使って、お昼ごはんを作ってもらいます。

ワタクシの担当は、羽釜で一緒にごはんを炊くこと、だったのですが、今回はおとなしい子ばかりで、なかなか難儀しました。

ナントカ体験をやっていて、一番コマッタな、と思うのは、前に書いた関西地方の工業高校の男子生徒みたいにヤンチャな場合よりも、むしろ「反応が薄い」ということかなぁ、と思います。反応が薄い、とホントこちらもどうにもしようがない、という部分はありますわね。

しかし表面的な反応は薄くても、内部では何かが反応していたりする場合も無きにしも非ず、と思ってやるしか、ないんでしょうけれど。

ワタクシなどは、中高生というのは、もうオトナと同じくらいに働けると信じて疑ってないので、わが家の中高生にはオトナの働きを求めるのですが、中学生の誰も彼もに求めるわけにもいかないのだな、ということが今回わかりました。

わが子自慢、みたいになって恐縮ですが、その実これは家庭内での母親無能化に伴う夫及び子供の家事能力向上推進委員会の途中経過報告という面もあるので書きますけれどね、この間ワタクシが日曜日の朝からグダグダとしたブログを書いていて、それがあまりに熱中しておったので気付かなかったのですが、その間に土曜日に干す機会を失っていた洗濯物も含めた大量の洗濯物をアサが全部干し終わっていたのですよ。

で、その干し方というのが実に見事で、その大量の洗濯物が早く乾くように、よく日が当たるようにピシッと、そしてズラッと干してあるわけです。

ワタクシは、自分だったらもっとダラけた感じに干してるなぁ、と思って思わず「アサ、お前の家事能力はスゴイなぁ。家政婦協会に登録してもいいくらいだよ。」と言って褒めたのです。そしたら特に喜ぶ様子もなく「は?誰だってできるでしょ。」などと言うわけです。

なので「いや、かーちゃんだったら、こんなにピシッと干さないよ。誰だってできるわけじゃないんだよ」と力説するも、「フーン」などと言って、さして感動もせずに行ってしまいましたが、いやホントにそうなのですよ。

もう何度も何度も言いますけれど、家事というのは誰でもほっといても出来るようになる、ということはないのです。だけど、暮らしていくには誰もが必要なことなのだから、出来るようになって損はないので、子供にやらせた方がいいと思うけどなぁ。そして、そういう能力は、どんな仕事をするにも役に立つと思います。

この度の職場体験では、ますますその思いを強くしました。

で、まぁ夫が殆どやっていたようなところもあるのだけれど、なんとか出来た昼ごはん。
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初日の魚もすり身てんぷらになり、恒例の鶏さばきでの唐揚げとチキンライスのオムレツ、そしてスープ、などなど。疲れたけど、美味しかったです。

今日はそんな感じで職場体験にも関わりましたが、昨日はワタクシ、午前10時くらいから午後3時くらいまで、誰にも邪魔されない場所に行って、本日(の消印有効)が締め切りの文章を書いていました。昨日書き始めて、今日が締め切り、というんじゃ、やっぱりどうしようもないのですが、それでもなんとか書き終えて、出してきました。

それは何かというと、JAの女性雑誌が募集している「家の光童話賞」というやつなのです。

これは原稿用紙5枚以内、という短いお話なのですが、ワタクシは今回書いてみて、お話を書くって楽しいんだなぁ、ということが分かりました。

こんなにギリギリに急いで書いて、経験も何もなくて、何しろ推敲だってまともにしてないから、きっと荒削りすぎると思うし、これって他のヒトが読んでも面白くないよなぁ、って自分でも思うので、賞なんてまだまだ先の話(でも先には取るつもりでいるところが、これまた自惚れが強いのですがの、ははは)だろうけど、もうホントにホントに書くのが楽しくて、面白かったのです。

創作の楽しさ、というのを初めて知りました。何が楽しいって、この短い文章の中に、自分の願望とか経験とか、思いとか、そういうものを全部、自由に入れることができるんだなーと思って。

事実だったら書けないことも、ホントに自由に書いてもいいんだな、と。だから、ある意味、おそろしくもあって、自分の心の中を全て見られてしまうような、そんな感じもしますね。

でも今回は、それがものすごく自分にとってのカタルシス、つまり浄化作用となったようで、今日はホントに気分が良いことこの上なし。

先週の金曜日には殆ど言いがかりのようにしてケンカをふっかけて勝手に最悪な気分になっていたりしたのに、まぁ単純バカというかなんというか、女心と秋の空、いやいや時節柄、梅雨の空とでも申しましょうか、自分でも呆れるくらいに心はコロコロと変わり、今はこんなに上機嫌なのだから単純なものです。

こうやって、心の中のモヤモヤとか、どうにも出来ない思い、現実には叶わない願い、本当に大切に思っていること、などなどを、お話の中に吐き出していくって、なんと良い療法だろうか、とワタクシは、遅ればせながら発見したのでございます。

まぁそれが、他人が読んで面白いかどうかは別問題、そして、それは今後の課題とすればよいだけであって、とにかく自分が救われた、というのが大きい、この度の「家の光童話賞」への挑戦でありました。

まぁヨカッタヨカッタ、間に合って。

そしてこの楽しみは、これから半永久的に自分の救いとなるような、そんな予感すらするのです。お話の材料だったら、冷蔵庫の食材と違って、置いておいても腐らないし、そしてその量たるや、ものすごく膨大にあるのだから。

とりあえず自己満足でもいいから、また書きたいと思います。そしてたまには、何かの賞の端っこにでも引っかかって、小遣い稼ぎにでもなればなぁ、などと甘いことを思っておりますが、そういう不純な動機も大事です。

そんなわけで、今週は平和でしかも行事もない金曜日、明日はきっと具合は悪くないはずです。

ではでは皆さま、ごきげんよう。

明日の「木ノ口かたし」も、どうぞよろしくお願いいたします。


















by sanahefuji | 2019-06-28 15:06 | 雑記 | Comments(0)

ファイト!闘う君の唄を

おはようございます。

五島地方、ひどい雨でした。とにかくザーザー降り続きました、一日中、一晩中、という感じ。

カラカラの畑に植えたイモの苗が、ちょうどいい塩梅で活着するだろうと思った以上の雨だったので、畑の一部の土がえぐれる程の勢いで水が畑の中を川のように流れてしまい、植えたばかりの苗も随分と押し流されてしまったのでは、ないのかなぁ。

もう、ここ数年ずっと天気の移ろいは極端ですね。急に暑くなったり寒くなったり、カラカラに干からびそうになったかと思えばドシャメシャに雨が降り過ぎたり。なんだか、人間の世界がそのまま天気にも反映されて、いるような。

いろいろと極端な人間であったワタクシなどは、極端なのはあまりヨクナイ、上は熱過ぎて下は水、という風呂を沸かしている途中のような状態のままでは心地よく入れませんから、熱い部分と冷たい部分をよくよく攪拌してちょうど良い温度にした方が良いノダ、ということを、よく思います。

ワタクシは今でもそういう傾向は強いのかもしれませんが、興味のあることに対してはすごく熱くなるのに、そうでないことには全くの無関心、それはまるで全か無かの法則のようで、おそろしくバランスの悪い、無の方には冷淡というか冷酷とさえ言えるような態度になってしまう、というような。

不器用だとこのようになりやすいのですね。何しろ一度にいろいろな方面に注意を払えませんから。まぁしかし、これは人間としては幼稚な段階ではないだろうか。

今の人間の世界って、もうものすごくいろいろな技術は進歩しているようでいて、実は幼稚になっているのかもしれなくて、天はそれを反映しているのかもしれないなぁ、と思ったり。

さて、さんざん降った雨も今はようやく止んで、小康状態ですが、これからどうなることやら。本日の中学生の職場体験も、どうなることやら。

昨日は結局、雨が止まないので、この間収穫した小麦を石臼で挽いて粉にして、ホットケーキを作る、ということになったらしいです。

らしいです、というのは、ワタクシは午後から農業委員会の総会があったので出かけていて、作っているところは見ていないからです。
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しばらく使っていなかった石臼、絶好調ではなかったものの、なんとか挽けたようです。

そして総会から戻ってきたら、味見用に、少し残してくれていたの、かな?
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これだけありました。

見た目は黒っぽいのですが、もちろん、とっても美味しかったですよ。わが小麦が、こんなふうに粉になって、ホットケーキになって、食べられるとは、中学生たちは分からないかもしれないけれど、ワタクシにとっては感慨深いことでした。何かその「ひとかけら」でも、中学生たちにも伝わると、いいんだけどな。

本日ワタクシは、ちょっとどうしても書かなくてはならないことがあるので、家にいると気が散って書けませんから、出かけようと思っています。それで弁当をアサの分と二つ作りまして、その準備。
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たまには自分でも食べてみないとね。

職場体験には協力しないで申し訳ないですが、ワガママなワタクシをどうぞお許し下さいませ。

でもワタクシはやっと分かったのです。自分が何と闘っていて、何を手に携えて闘っていくのか、ということが。

だったら、もうそれを貫き通すしか、ありませんもの。

それでは今日も良い一日でありますように。

中島みゆきバージョンがないから、このヒトのもなかなかいいなぁ、と思いまして。

ファイト!





by sanahefuji | 2019-06-27 08:26 | 雑記 | Comments(0)

いよいよ梅雨か

おはようございます。

昨日は、小麦の後の畑にサツマイモを植えました。
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まだ梅雨入りもしていなくて、カラカラのお天気が続き、とりわけ昨日は日差しが強かったので、植えた苗は干からびたようになっていますが、今日は雨。元気になることでしょう。ここまでは思惑通りです。

去年までは3列しか植えてなかったのですが、それでも1年食べる分はとれました。しかし今年は6列、と倍に増やしたので今年の秋はイモだらけになるかな?

イノシシの罠に入れるエサ用のイモを確保するのが目的のようですが、そのイノシシ、最近は全く獲れません。この辺りでは、すっかり鳴りをひそめています。この島の中でのイノシシ社会が、今どういう状況になっているのか、これからどうなるのかは、まだ分かりませんが、とりあえず被害がないのが一番です。このままひっそりと山奥で暮らしていてくれれば良いのですが。

さて、今日から雨が続くというのに、間が悪いことには、今日から3日間、わが家に3名の中学生が職場体験にやって来るのです。晴れていたら、いろいろな作業をしてもらえるのですが、如何せん雨降りでは中学生にやってもらうようなことがない、というので、いろいろ考え中。

そしてワタクシは、またまたちょっと書きたいものの締め切りがあったり、農業委員会の総会があったり、あーどうしようどうしよう、と心はまたまた忙しい。こうしてまたカオスのまま6月は過ぎ去ってゆくのだなぁ。

カオスと言えば、この間、読もうと思って取り寄せた「京大的アホがなぜ必要か」という本、「カオスな世界の生存戦略」という副題がついていたっけね。早く読まなくては。

早くも中学生は、やって来て、今日たまたまもらった魚の処理をやってもらっている途中。

農場に職場体験に来て魚の処理とは、こはいかに、と思うでしょうが、わが職場はなんでもあり、なのですよ。

なんだかんだで二つの中学校から毎年、中学生が職場体験に来るのですよね。ナントカ体験、というのがすっかり定着して久しい今日この頃ではありますが、普通に暮らしている中で、普通にいろいろな体験をしながら育つことができらた、本当は一番いいのだけれど、と、やっぱりワタクシは思うのですが、この現代の社会では、ムズカシイのでしょうね。

家で掃除とか洗濯とか、ごはんを作ったりとか、片付けをしたり、とか、家族の一員として、普段から普通にやってくれたら、一番いいんじゃ、ないのかなぁ。男も女も、どういう仕事をするにせよ、家事の能力というのは、おそらく生きている間中、必要なので。

と、家の中高生を当てにしているワタクシなどは、そのように思う今日この頃。

しかし、この雨、いつまで続く。コマッタな。

せめて明日からは、少しくらい外の作業ができると、いいのだけどな。

せっかく「うとん山農場」の職場体験に来た中学生が、農場の職場体験が出来るように。

いやいや、ますます激しく降ってきた。

コマッタ。

ではでは皆さま、今日も一日、ごきげんよう。

良い一日でありますように。









by sanahefuji | 2019-06-26 09:09 | 雑記 | Comments(0)

トライアスロン大会「バラモンキング」の楽しみ

おはようございます。

昨日はこれを書いている途中にコータローが「絵本よんでー」と言ってきたので、布団に入って一緒に絵本を読んでいるうちに寝てしまいました。

思えば、前はいつもこうだったな、と。こういう場合、ほぼ100%一緒に寝てしまう、というパターン。

先週がいろいろと忙しかったので、いつの間にか家がグチャグチャになっていて、小中高それぞれの学校やらお役所などなどからもたらされる紙がわっさわさと溜まっていて、見てないものもたくさんある、あ、これも前はいつもこうだった、と思い出しました。

わらわらと小さい子供がいる時期って、ホントに片付かないし、疲れているし、で、何もかもが途中のまま一日が終わり、また次の日が始まる、という感じだったなぁ、と。

でも4人目が小学生ともなると、普段は家の中も割と秩序を保てるようになってきていたのだな、と再確認。状況は刻一刻と変化していくものです。

さて昨日は、日曜日に開催されたトライアスロン大会「バラモンキング」のことを書いていたのでした。

ワタクシは今年も、ランの最後の選手が通り過ぎる夜の9時過ぎまで、沿道で応援をしました。

ワタクシは今回、町内のボランティアではエイドステーションではなくて、旗を持って2時間半くらいずつ交差点に立っている係だったのですが、その後は自由なので、もう家に帰ろうかなぁ、と思っていたのです。というのも前述したとおり、家の中がグチャグチャになっておりましたから。

しかし一旦、ランの選手の応援を始めると、もはや抜けることが出来なくなってしまいました。応援しているうちに、このようにガンバッテいるヒトビトを応援するということは、随分と自分のためにもなるんだなぁ、と思って、これはやはり最後までいなくては!という気持ちになってしまったのです。

ワタクシは、どうせやるならより良い応援をしたい、と思いまして、どうするのが一番良いのか、と考えた結果、通るヒトビトは殆ど知らないヒトだけれども、そのお一人お一人が全て自分の親しいヒトであるように応援してみたらどうだろう、ということに思い至りました。

自分が親しくしているヒト、例えば仲の良い友達とか、好きなヒト、とか、まぁそういうヒトが、このトライアスロンの選手であって、ランのコースを走って来た、としますよね、そしたらヒトはまずパッと満面の笑みを浮かべる、でしょう?もうそれは、ごくごく自然に、輝くような笑顔をそのヒトに向けるはずです。

そうして手を振ったりして「ガンバレー!」と心から応援します。

それを、この度ここを通る全ての選手の皆さまにやってみよう、というわけです。

そしたらですね、とっても面白かったのですよ。

なんかそういうのって、通じるヒトにはすごく通じるんだな、と思って。そして、一見反応がないヒトでも、それはもう苦しくて応援に応えることが出来ないからであって、それでも何かうっすらと応えようとする気持ちを感じる、というヒトビトが殆どなのでした。

そのような心の交流、というのを、ほんの一瞬ただ応援するだけでも持てるのだなぁ、と思ってワタクシはすごく嬉しくなりました。

こんな過酷なレースに挑もうなどというヒトビトは、パワーのあるヒトビトばかりなのだから、そういうヒトビトから、その力を分けてもらえるのです。

とりわけカッコいいヒト(男女どちらも)が、この苦しい最中にニコッと一瞬微笑んで下さったりした時にはもう、キャーとか思って、あーいいもの見たなぁ、得したなぁ、とホント思いますから。美男美女って、それだけでも目の保養、笑顔はさらに周りのヒトをシアワセにしますから、出し惜しみすることなく微笑んで頂きたい、とワタクシは願います。

このランのコースは2往復するので、2回目に通るヒト、というのは腕に黄色の蛍光色の腕輪をつけているので分かるのですが、その2回目の、しかも帰り、となると、もうここを通るのは最後ということになります。だから、ああ、もうこのヒトたちと会うのは最後なんだな、って思って、惜別の情すら込めて応援するようになります。

そうすると、それが通じるヒトには、まるでホントに知り合いであるいかのような交流が生まれたりするのです。だから、たかが応援、されど応援、どういうところでもワタクシの課題である人間理解の訓練、というのは出来るのだなぁと思ったことでした。

というわけで「バラモンキング」、楽しかったです。選手の皆さまや、お世話係の皆さま、お疲れさまでした。

トライアスロン、と言えば、ワタクシの好きなフォークシンガーの高石ともや氏を思い浮かべるのですが、今70代の彼はもう随分前から走るヒトで、51歳の時にはアメリカ大陸横断マラソンを完走した、というくらいのヒトなんで、走る歌、というのも何曲かあって、それを久々に聞いてみようかなぁ、と思ったのです。

そしたら、東日本大震災の時にワタクシのブログに、高石ともや氏の「どこにいればいいんだろう」という言葉を検索して入って来た方がいて、その「どこにいればいいんだろう」という歌を久しぶりに聞いて、ものすごくハッとしてので、ここに貼っておこうと思ったら、それが上手くできないので、結局今日は写真も歌も、何もなし。

と思ったけどせっかくだから、ワタクシの学生時代のサークルのテーマソングでも貼っておきますか。


学生時代にこういうのを歌ったり聞いたりしてるのって、アンタ一体年はいくつ?という感じなのですが、ずっと前から常に、現代から遅れながら生きていた、ということなのですね。














by sanahefuji | 2019-06-25 07:33 | 催し物等 | Comments(0)

犬も食わない話

おはようございます。

昨日の「木ノ口かたし」も無事に終わりました。本当に本当にヨカッタ。

というのもワタクシ、金曜日の夜から昨日の早朝にかけて体調が悪くて、昨日の朝にはヨロヨロと起き上がって、ごはんを炊いたり、「ふくれもち」をやっとのことで作ったりしてましたけど、その時は、もうこれは今日一日「木ノ口かたし」に立っていることが出来ないかもしれない、というくらい具合が悪かったからです。

しかしわが家の中学生も高校生も学校に行ってしまうし、夫は今、田んぼがメチャクチャに忙しいし、誰にも店番を代わってもらうこともできないし、あーどうしよう、と思っていたほどだったのです。

が、しかし、そうやってヨロヨロとまともに立てないような感じで開店準備をしていたのに、あれは7時を過ぎたくらいからだったか、「あれ、なんか良くなってきたぞ」という感じがして、その後からは、あんなに具合が悪かったのがウソのように治って、午前9時「木ノ口かたし」開店の時間には、すっかり元気になっていました。そして「木ノ口かたし」の一日ずっと、元気でした。

これは本当に不思議なことでしたが、まぁヨカッタ、本当にヨカッタ。

金曜日は小学校の田植えがあって、その夜は「さなぶり(田植えの後の宴会)」で先生方や保護者の方々がけっこうたくさん「木ノ口かたし 夜の部」に来て下さっていて、それはもうホントに座る場所もないほどだったのをいいことに、調子が悪かったワタクシは早々に抜けて(後からまだ来る予定のヒトもいたので、場所を空けるためにも)、早く寝たのだけれど、具合が悪い時にはやっぱり寝るのが一番ですね。寝れば何とかなる、ということが分かりました。

その「さなぶり」にまともに参加できなかったのは残念ですが、昨日の「木ノ口かたし」の従業員が普通に出来て本当にヨカッタ。無能な従業員というのもお客さまは困るかもしれないけど、具合が悪い従業員、というのはもっとヨクナイと思うので、元気になって幸いでした。

金曜日に調子が悪くなった、というのは、先週が忙し過ぎたから、というのもあるかと思いますが、もっと決定的な理由があって、実は久々にやってしまった大ゲンカ。

長年の経験上、ケンカというのは、起こりそうになっても、どちらかに気持ちの余裕があれば回避できる、ということが分かっているので、ワタクシはなるべく「ノンキ」で「のほほん」と「機嫌良く」しているのが良い、という結論に達し、極力その状態を保てるようにしてきて、その結果、ホントに見事にケンカというのは起こらない、家庭は平和に保たれるということが実証されつつあったのに、なぜまた大ゲンカになったかというと、ここでまたワタクシの中に大きな焦りが生まれているからなのでした。

6月というのは田んぼの季節なので、本当に忙しい季節です。というのもわが農場では除草剤を使わないので、夫は毎年試行錯誤で抑草のためのあれこれを、その時期その時期で滞りなくやらなくてはならなくて、また、やったとしても全てが上手くいくとも限らないので、それはそれは真剣で、気が立っていることも多い時期なのです。

なのでイライラしやすい時期、というのは分かっていて、それをやり過ごす方法というのも、もうワタクシには分かっているのです。

これは何も夫に限ったことではなくて、思春期の子供の場合でも同じようにすればいい、という鉄則です。

「不機嫌はスルーする」ということ、これで万事OK。どういうことかといいますと、これは誰かが機嫌が悪くて、イライラしていて、それを明らかに態度で表したとします、でもこちらは、その不機嫌などまるでそこに存在しないようにフツーに振舞う、ということです。そのヒトが不機嫌であることなど何も気付いていないかのように。無視する、のとはちょっと違って、ヒトは無視しないけど、そのヒトの中の不機嫌を無視するという感じ。冷淡にではなくあくまでも温かく。

「あれ、なんで機嫌悪いんだろう、何か悪いことしたかな」などとオドオドしたり、ご機嫌をうかがったりというのは、最もヨクナイ。もちろんこちらもイラッとしたり、挑発に乗ってもイケマセンよね、そこでケンカ勃発ですから。あくまでもフツーに穏やかに、やり過ごすのです。

これでやり過ごすと、たいていの場合はイライラしている本人が自分で気持ちを立て直すことができます。

あるいは自分の不機嫌の原因をはっきり口にした場合は、その時に対応すればよい、ということなのです。何も言わないで不機嫌な態度の時に察して動くのは時期尚早。して欲しいことや、自分が不満に思っていることがあるなら、それを口に出して言わなければ分からないのですから。

不機嫌な態度でヒトを動かす、などということを定着させてしまったら、これは周りのヒトにとっても、その本人にとってもヨクナイことではなかろうか。

まぁしかし子供の場合だったら「どうした?何かあった?」と一言くらい聞いてやった方がいいかもしれません。でも反応が思わしくなくても気にしない。それでも長く続く場合は「いつまでもそういうのって、こっちもイヤなんだけど」とか「言ってくれないと分からないんだけど」とサラッと言う、というくらいにとどめます。

それでホントに上手くいきますので、よろしかったらお試し下さい。でも上手くいかないケースもあるかもしれませんが。

しかし、そのためには自分をいつも良い状態にしておく、ということが重要で、そうすれば周りに振り回されることも少なくなるし、結局は周りのためにもなるのです。

でも自分に余裕がないと、そういう時に過剰に反応してしまって、ケンカになるのですよね。

この度、大ゲンカの発端は、やはりこの過剰反応で、それは、ワタクシの中で「何かを書きたい」という欲求がますます大きくなっていて、それなのに何かを書く時間というのがなかなかとれなくて悩んだり焦ったりしている、ということが根底にあります。

最低限、この好き勝手に書けるブログを毎日書く、ということと、時々この間から言っていたような「公民館だより」などを引き受けて書いたり、昨年のように募集されているものに応募する、とか、せいぜいその程度。でも、そのような字数やテーマに制限のあるものを書く、というのもすごく訓練になると思うし、今の暮らしの中でも、この程度ならなんとか出来るので、それは続けたいと思っているのです。

ところが、この度、「公民館だより」の原稿を書いている時に、夫がややイラ立ち気味に「(この忙しい)今の時期に、金をもらうわけでもないのに、そんなものを引き受けなくてもいいんじゃないか」というようなことを言ったので、それに超スーパー大大大過剰反応を起こしたワタクシ、大噴火を起こしてしまいました。

そうなると、もう止められない、超スーパー性格の悪いイヤな女全開で臨戦態勢に突入です。さらに悪いことにはワタクシは昔から国語だけは得意なので、相手にとどめを刺す言葉や最も傷つけるような表現を駆使してしまうのです。そして一般的には男の得意分野である理屈にも強い(ワタクシの場合は「屁理屈」かもしれないけど)、さらに一応性別は女ですからものすごく感情的になって掴みかかる、という具合で、冷静になって考えると、ホント嫌な女、このクソ女、なのですが、そういう時ってもはや誰も止められないのよね。

夫曰くワタクシは「男を追い詰める女」ということですが、全くその通り。

あーそれに比べたら、うちの嫁さんはまだマシだなぁ、カワイイなぁ、ヨカッタなぁ、と、これを読んでいる世のダンナさま方が自分のパートナーのありがたみを再確認したり、あるいは妻本人が、自分も相当ヒドイと思っていたけど、上には上がいるのね、ワタシってまだマシな方だわ、と安心していただければ、犬も食わない夫婦ゲンカの記述も無駄にはなるまい。

というか、何かを書きたい、というからには、見栄を張ったり、ええカッコしてたら、何も書けないよな、とワタクシはよくよく思うのです。

でも事実をそのまま何もかもは、やっぱり書けない、となると、やはりそこでヒトは創作に向かうのかな、とワタクシは思い至るようになりまして、自分には絶対出来ない、と思っていた創作、つまりフィクションというものも、書いてみたいと思うようになりました。

ワタクシはあったことをそのまま書く、というのは割と得意な方だと思います。だって、そのまま書けばいいんだから簡単です。

だから記録賞とか体験記、とかで、特に時間をかけるわけでもなく書いたものが賞をもらったりして、自分のこのヤな性格を隠さずに言うと「あれ、なんでこんな簡単に賞が取れるんだろう」「なんでこんなに簡単にお金がもらえるんだろう」と思ったわけです。

苦手なことの多いワタクシが、その苦手なことの数々を相当に時間をかけて努力しても、「こんなに頑張っても、出来たのはたったのこれだけ??」「こんなに長いことやってきたのに、これだけしか出来るようになってないのか!?」、とか、ほぼ進歩がない、どころかむしろ退化していったり、ということばかりなのです。今までやってきたいろんなことが殆ど全部。

なのに、1~2日くらいで書いた体験記で10万円とか、昨年もほんの数日で書いた記録で30万円とかもらえるって、どうなってるの?って。でもこれは、体験が先にあって、それを文章にしたものが評価されたのでしょうけれど。

そのように体験とか記録は書けても、創作というのはワタクシは今はまだ全く出来ないのです。果たして書けるかどうかも分からない。けれど、こんなに書きたいことが山のようにあるのに、そのままじゃ書けないんだから、何か加工して書くしかないのではないか、という気持ちがすごく強くなっていて、でもいろいろなことに追われて取り組む時間がない、どうしよう、このままではイヤだ、このままでは死にたくない、このままではホントにホントにイヤなんだー、と駄々っ子のように思っているところだったのですね。

で、このことは、これを機に夫に全て話しましたよ。突然ブチ切れられても訳が分からないでしょうから。

そしたら、少しは納得したのでは、ないのかなぁ。まぁそれだけのことを、冷静に伝えればいいところを、いろんなものをくっ付けて、攻撃してしまったのだから、気分は悪いでしょうが。でも、ワタクシの機嫌が直れば、特にモンダイはないようにも見えます。向こうも同じように、やり過ごしてくれようとしているのだと思うことにします。

いつかワタクシたちが離婚、ということになったら、あー、ついにあのオナゴに我慢がならなくなったんじゃねー、と読者の皆さまは思って下さることでしょう。

なるべくなら、そうならない方が良い、と思うし、そうならないための工夫とか努力とか、探っていかなくてはならない、と思います。

けれど人間って、そんな単純なものでもないし、ホントにね、何が起こるかなんて、誰にも分からないのです。

真実の愛、というものも、ワタクシにはまだ分かりません。

でも面倒でも困難でも、いつかそれが分かる日が来る、と信じて、ジタバタともがきながら生きていくしかないのです。

あ、そうだった、今年の目標「美しくもがく」でした。半年もたってしまったから、忘れるところでした。

まぁしかし、こんなに中年になっても、傷だらけになりながら、メラメラと燃える気持ちを持っていられるのって、意外とシアワセなことかもしれません。見た目はともかく、まだまだ若いんだなぁ(誰も言ってくれないから自分で言う)。

周り(特に夫)はハタ迷惑かもしれませんが。

でもこのハタ迷惑な女も、ちゃんと、ゴメンナサイは言えるようになりました。


あー、またどうでもいいことを膨大に書いてしまい、昨日の「かたしのお昼ごはん」の記述をちょこっとだけ。
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・筑前煮
・ナスとピーマンの油炒め&カレーソース
・カボチャ&キャベツ&キュウリ&鶏肉のサラダ
・エノキとニラと海苔の和えもの
・キュウリとタコとワカメの和えもの
・卵焼き
・玉ねぎとキャベツの味噌汁
・カマド炊き白米&古代米入り玄米
・ブルーベリーと胡桃のアーモンド風味ケーキ

でした。

本日も「ぼっとん便所ブログ」にお付き合い頂いて、ありがとうございました。

今日は福江島で開催されるトライアスロン大会「バラモンキング」の日であります。ワタクシもボランティアに出ないといけません。その前に、昨日の「木ノ口かたし」の片付けも全部終わってなかったので、やらなくては。

ではでは皆さま、ごきげんよう。

今日も良い1日をお過ごし下さいませ。




























by sanahefuji | 2019-06-23 09:22 | 「かたし」のお昼ごはん | Comments(0)

今日も生きている

おはようございます。

常にギリギリの人生を送っておりますワタクシ、昨夜、例の「公民館だより」の原稿を仕上げて、メールで送りました。

不思議なことですが、人間って追い詰められると力が出るんですよね。もう後がない、となると、今まで出来なかったことができる、というか。

そんな感じで、文章も出来上がるのです。

そして思ったことは、やっぱり書くことって楽しいな、ということです。いくら追い詰められても苦しめられても、全くイヤにならないの。キライになれないの。

こんなに好きなことがあってヨカッタ、と思います。

何かに没頭していると、現実的ないろいろな悩みというのが、その間だけでも全く空白になるので、少しだけ楽になりますね。

この間の日曜日、田んぼの会のみんなで田植えをした田んぼ。
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きれいに植わっています。
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もう一枚。

そして今日は小学校の田植えです。

のほほんとしているようで、心はたいへんに忙しい、今日この頃。生きているということは、いつも体の中では何かが燃えているわけだから、忙しいのは当たり前、なのかな。

中学校の理科の先生が、呼吸というのは火が燃えるのと一緒のことだ、って言ってたもんなぁ。ワタクシたちは生きている限り、いつだって燃えているのです。

それでは皆さまも、どうぞご自愛下さいませ。

明日の「木ノ口かたし」も、どうぞよろしくお願いいたします。


by sanahefuji | 2019-06-21 08:21 | 雑記 | Comments(0)

いいこと あるかな

おはようござます。

本日はもう木曜日。

なんでもすぐにやらないのが悪いのだけれど、計算をため込んでしまっていた部活の会計の計算をしていたら、先週の土曜日の「木ノ口かたし」の売り上げ計算もしないうちに木曜日になってしまい、さらに「公民館だより」の原稿も今週中に書かねばならない、という状況に追い込まれ、常にギリギリに先延ばしする人生から抜けられないワタクシ、しかし今日はブルーベリーも見に行こうかなぁ。

昨日は小学校で給食を子供たちと一緒に食べたり、授業参観があったり、コータローたち2年生の親子レクというのがあったりして、しかも夜は中学校の部活の保護者会ときたもんだから、ほぼ学校の一日。

しかし今って学校、大丈夫?とワタクシはホントに心配になります。

というのも、上からの締め付けがあまりにヒドイのではないか、と思って。英語とか道徳が小学校の教科になったり、学校の評価とか全国共通の学力テストだとか、殆どというか全くいらないものばかりを増やして先生たちの負担を強いることばかりで。

ワタクシが子供だった頃、田舎の学校というのはノンキなものでした。だからホントに楽しかった。しかもみんな別に困らない程度に学力は身についていた、と思います。

ワタクシが中学生の頃に、その面白すぎるエッセイにハマって以来、人生の指針としているムツゴロウこと畑正憲氏の御著書の中に「ムツゴロウの野生教育」という本があるのですが、子育て、というものを考える時、ワタクシはこの本をかなり参考にしていました。

その中で、娘さんが通っていたのは道東の小規模な中学校で、その中学校の国語の先生が「日常茶飯事(にちじょうさはんじ)」を「ニチジョウチャメシゴト」と間違えて読んでいた、という短いエピソードがあるのだけれど、氏はそのような(のどかな)学校でこそ、子供は健康でいられると信じている、と書いておられるのです。

きっと国語の先生が読み方を間違えようが誰も気にしない、ましてや母親が「あの先生はとんでもない」などとはきっと言わない、そういうノンキな雰囲気、というのが、子供というか人間が育っていくためにはすごく大事だとワタクシも思うのですよね。

それはさておき、昨日の給食はカレーでした。
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例の「昭和のカレー」にも、ちょっと似ていたなぁ。美味しゅうございました。

給食の後、昼休みを挟んで授業参観、なのでいったん家に帰りました。イノシシがナリをひそめているらしいので、久しぶりに学校から続く「川の道」を自転車で通っていたら、ナントそこでまたワタクシに吉兆をもたらす鳥、カワセミと会ったのです。
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昼間の「川の道」は美しく、水面すれすれに飛んでいくカワセミの背には、輝くターコイズブルーの一本線、その色彩の残像は今もワタクシの瞼の裏に残ります。

なにかいいこと、あるのかな。あるといいな。ほんのささやかな、ことでもいいから。

2年生の親子レクは「タイムカプセル」をみんなで埋めよう、というものでした。

これは、その看板、作成中。
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ではでは、皆さまにも何かいいこと、ありますように。

カワセミのパワーをアナタにも。





by sanahefuji | 2019-06-20 05:55 | 雑記 | Comments(0)

計算って疲れるな

おはようございます。

見栄っ張りなワタクシ、先週収穫した小麦の収量が思っていたよりも随分と少なかったことから、どれくらいとれたか、というのをここに明記することを避けておったのですが、そういうところがイカンのだ、とにわかに反省いたしまして(時々反省するけど、すぐ忘れる)、ここは正直に書いておこう、と思います。

遅れに遅れて蒔いた小麦、きれいに芽が出て、大きく育っただけでも嬉しくて、もうそれだけでいい、なんて言っていたのに、いざ、収穫してみると途端に欲が出る、という人間というのは、ホントにどこまでも強欲なものですな。

で、わが小麦たち、収穫量は66kgでありました。

長崎県の10a当たりの平均収量が257kgなので、わが小麦畑の面積4aに換算すると、102.8kg、ということになります。なので、平均収量の6割くらい、ということです。

まぁしかし、種を蒔かなければゼロだったわけですから、66kgもとれた!ということを喜びたいと思います。

またまたしかし、小麦というのは、米と違って、この量がそのまま小麦粉、というわけではないのですね。粉にするとかなり減ってしまうのですよ。

ちなみに早速、昨日、精米所で粉にしてもらってきたので、どれくらい減るか、というのを計算してみましょう。
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コレが昨日、粉にしてもらった分。8kg持って行って、ちょうど5kgの粉になっています。ということは、×0.625ということですから、66×0.625=41.25ということで、41.25kgの小麦粉になる、ということなのです。

ついでにワタクシの苦手な金の計算をしてみましょうか。

今、五島では地の小麦粉というのがだいたい1キロ500円くらいで直売所では売られています。なので、仮に手数料のかからない、自分の直売所である「木ノ口かたし」で売るとしましょうか。すると41kg×500円=20500円

しかし、これがまるまる全部手に入るわけではなくて、製粉料というのがかかります、これが8kg持って行った時は600円だったので、41kgだと3075円かかります。

なので20500円-3075円=17425円

ウダウダしながら、迷いながら、どうしようどうしようと思いながら種を蒔き、草を取ったり、肥料をやったりして、やっと大きくなって、刈り取って、乾かして、脱穀して、製粉して、膨大な手間ヒマをかけて粉にしたものが、お金にすると、たったのこれくらいの価値になってしまうのですよ。

金ってつまらないなぁ、と思います。なんともったいないこと、粉でなど絶対売らんぞ!と思いますわね。

美味しい美味しい、と言って自画自賛で味わって、お世話になっているヒトには少し差し上げて、後は身近なヒトビトと一緒に食べるのが一番です。

まぁでも「木ノ口かたし」の「ふくれもち」やケーキは、今週からこの小麦粉で作りますので、どうぞ楽しみにしていて下さいませ。

きっと美味しいはずです!

これくらいのことでも金の計算って疲れるなぁ。しかしワタクシは、今日の夕方の部活の保護者会のために収支報告書を作らなくてはなりませぬ。だいたいの計算はやってしまったので、後は清書。

疲れるけど現代社会で生きていく以上は必要なことですから金の計算もガンバリマス?!

ではでは皆さま、今日も一日ごきげんよう。







by sanahefuji | 2019-06-19 08:06 | 雑記 | Comments(0)

「第11回 うとん山農場 田吾作部会&田んぼの会」の田植え&さなぶり、無事に終了

おはようございます。

日曜日の「第11回 うとん山農場 田吾作部会&田んぼの会」の田植え&さなぶり(田植え後の宴会)は無事に終わりました。うとん山農場の田んぼには、小さな子供たちがワラワラといて、笑い声や歓声が響き、昨年までは1枚植えるのがやっとだった田んぼの会の田んぼを2枚に増やして、皆さまに田植えを楽しんで頂けて、とってもヨカッタなぁ、と思います。

ワタクシは田植えの時に印になる紐を引っ張りながら、もうすぐ花が咲きそうなネムの木の優しい眼差しを背中に感じながら、シアワセでした。

田植えの神様をお送りする「さなぶり」も、ヒトと神様が共に楽しく田植えの労をねぎらい、宴を楽しむ、という正しい「さなぶり」ができたのではないか、と思います。

コータローが撮った、田植えの写真があったのですが、それは他のヒトのカメラで、パソコンにつなぐ線がなかったのでここに載せることができませんで、その楽しげな田植えの様子をお見せできなくて残念です。

今年で11回目になる田吾作部会、そして3回目の田んぼの会、その前には旧「かたし」の田植え交流会、、その前には農場を始めたばかりの田植え交流会というのが計6回あったので、この小さな交流イベントも17年続いていることになります。

以前のことを考えれば、いろいろな面で今は本当にラクになった、と思います。

こういう交流イベント、というのは、誰もが思いつくものの、実際にやるのは思っている以上にタイヘンなことで、最初はイキオイでなんとか出来たとしても、継続するのは難しいことだと感じておりますが、わが経営の特徴というのは何もかもが「チマチマしている」、ということなので、その「チマチマ」とした中でやっていくことで続けることが出来ているのかな、と最近思います。

今年は、田吾作部会の方に2家族、田んぼの会の方に6家族のご参加がありました。田吾作部会の方は、田植えをしてから約1か月半の草取りがとにかくタイヘンなので、田吾作部会は縮小して手軽に参加できる「田んぼの会」の方に移行してきた感がありますが、それはそれでいいのかな、と思います。状況が変わっていくことに抗わず、すんなり受け入れると、それはまたそこから新しい展開があったり、出会いがあったりして、いいようになっていく、ということを身を持って感じます。

「かたし」のお店にしろ、農場のイベントにしろ、続けていくことで、そういうことが見えるようになったのです。

日曜日の「さなぶり」の片付けをしてホッとする間もなく、昨夜は外国の団体様が「木ノ口かたし 夜の部」にいらっしゃいまして、せっせとその準備。

「木ノ口かたし」には時々こうして外国の方なんかも訪れて下さるのですが、これもまた前の「かたし」の時にお客様でやって来た、日本が好きなアメリカのヒトとの繋がりのおかげです。今そのヒトは東京で旅行業をやっているらしいのですが、ワタクシにはどういう仕組みになっているのかさっぱり分からないけれど、そのヒトから時々夫のケイタイに電話がかかってきて、何日に何人、と「木ノ口かたし 夜の部」に予約が入るのです。

そしたら、どうもバラバラに五島に旅行に来ているらしい外国のヒトビトが、五島に在住している、やはり外国の方に連れられていらっしゃる、という具合。

ワタクシは英語など、てんで出来ませんから、いろいろと話をすることも出来ないのが残念ですが、英語の勉強をしよう、という気には全くなれないのです。いつの間にか英語がキライになってしまったのです。これは日本の英語教育の弊害かもしれません。などとヒトのせいにしてますが、要は自分は英語が性に合わん、というだけです。でも、こうして外国の方がちょくちょく来て下さるのだったら、少しくらい喋れたらいいのにな、と思わないでもないですので、ちょっと考えておきましょう。

前の「かたし」の時から、外国の方、というのはよく訪れていたのですが、「かたし」によく来てくれる外国の方と接するにつけ、何か日本人以上に日本的、というか、義理人情とか礼儀を重んじているなぁ、という印象があります。

それはおそらく、そういうヒトビトは、自分が外国人であるから、日本のヒトと付き合うには、日本のことを学ばなければと思い、「郷に入れば郷に従え」という姿勢で暮らしているからなのかな、と思います。

ワタクシなどもヒトのことは言えませんけれど、義理人情とか礼儀というのは、限りなく薄く薄くなっている、と感じます。確かにそういうのは面倒なことでもありますが、それは狭い世間でお互いが気持ち良く暮らしていくための昔のヒトの知恵で、そこを押さえておいた方が結局のところ自分のやりたいこともやりやすい、ということはあるかと思います。

今、ホントに移住してくる方が多い五島ですから、他所からいらっしゃるヒトビトには「義理人情および礼儀」というの、古臭いと感じるかもしれないけど、そこを大事にした方が結局は自分のためになりますよ、とワタクシは申し上げたいですな。それもこれも、礼儀を知らずに、思えば恥の多い人生を歩んでいるワタクシが身を持って体験しているから、言えることではありますが。

まぁしかし、若い時には見えないことも多いですよね。

この間の「木ノ口かたし」の日のこと、ハルさんたちと前の「かたし」の話なんかしていて「さなへさんも丸くなったよね」と言われて、え、そうか、前は尖ってたのか、と気がつきました。

そうそう、若い時というのは理想に燃えるあまり、自分の「こうしたい!」という思いばかりが強すぎて、周りの状況とか別のヒトの立場なんかが見えてなかったんだなぁ。

この間、エビータの曲を聞いたら、無性に懐かしくなって、ドイツで買ったCDを引っ張り出して、近頃「あいみょん」一辺倒だった「木ノ口かたし」お片付けの時の音楽に起用したところ、もうホントになつかしくてなつかしくて、20代の頃の気持ちを思い出しました。
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前にも書いたことがありますが、このエビータの映画、ちょうどワタクシがドイツの農家に居候していた時にヒットしていたのです。この映画をドイツの映画館で見た後、一緒に見たリトアニアの子と「私の人生の目標は~」などとお互いの夢について語り合っていた、青臭い時代のこと、思い出しました。

その時語った「人生の目標」というの、細かい点では、多少変化していることもありますが、おおまかな点では、何も変わってないな、と思います。

そして、その時思い描いていたよりも、人生というのは、どこで何が起こるか分からなくて、どこでどんな出逢いがあるかも分からないから、面白いんだなーと感じています。

もちろん、楽しいばかりではなくて、もがき苦しみ、人知れずうめきつつ、あるいは誰にも気付かれないように痛みを感じながら、ということも、あるのですけれど。

今朝は、あの当時、ラジオからよく流れていた、エビータの中でも最も有名なこの曲を聞きながら、いろいろと片付けてまいりましょう。


ではでは、皆さまも良い一日をお過ごし下さいませ。



















by sanahefuji | 2019-06-18 08:53 | 「うとん山農場」のこと | Comments(0)