昨日は、4年ぶりに小中学校の先生たちと保護者と地域のヒトビトが参加する合同歓迎会が地域の公民館でありました。
その幹事というのが小学校のPTAの三役なので、今年副会長のワタクシは準備に奔走していました。大きな宴会(昨日は参加者が55名)というのは本当に久しぶりで、お手伝いの立場ではなく幹事という立場になるのも7年か8年ぶりなので、もう何も覚えていない状態。
料理の注文や必要なモノの買い出し、その他こまごましたことを分担してやってもらうための連絡とかなんとかかんとか、思った以上に労力気力を費やして、「あっそうだった、自分はこういうことが一番の苦手項目だったんだ」と気がつきました。
コロナが始まって、飲み会なんかがなくなっていって真っ先に思ったのが「なんてラクなんだ!」ということだったのでしたから。
しかしコロナの世の中が続いていて、いろんな行事などがことごとくなくなって、どんどん「ラク」になって気付いたことは、面倒な事、タイヘンな事、負荷がかかることをヤメていくと、人間は退化していくようだ、ということでした。
生きていくことは、面倒な事だらけだし、人との付き合いは楽しいことだけではなくて、ややこしいことやムズカシイこともいっぱいです。自分がやりたいと思ってやっていても、壁にぶち当たるのですから、特にやりたいわけではないけど避けては通れないのでやっていることなら、なおさらです。
でも、そのおかげで見えてくることもあるし、得るものもあるのです。
無理をしすぎて心身を壊してはいけないけれど、少し無理をする、くらいがいいのではなかろうか。筋肉だって骨だって少し負荷をかけた方が鍛えられるそうですし。
昨日の久しぶりの大宴会では、顔と名前が一致しないままになっていた先生方のこともよく分かったり、久しぶりに会う面白いヒトと話して笑いが止まらなかったり、何よりもみんなの前で小学校を存属するための「奥小の守」の取り組みについて紹介できたことがヨカッタです。
今日は母の日ですが、お母さんの役割というのがことごとく不得手なワタクシは、それによく似た幹事の仕事が不得手である、ということを思い出したのでしたが、不得手なことでもやってみるもんだ!
タイヘンだけど、いいこともいっぱいあるよ!
と、いうのがワタクシの結論です。
でもそんなのは、どんなことにも当てはまるのではなかろうか。
そして不得手なら不得手なりに、やり方を変えていく、とか、自分がやりやすいようにしていく、とかいうことだって出来るのです。
落ちこんだり、へこんだり、心のモヤモヤ、そんなこともまた、意外と心の栄養だったりするのかも。
雨や曇り、荒天の日があるからこそ、晴れて穏やかな日のありがたみや美しさが際立つんじゃないのかな。
そんなことも思います。
「昼の部」短縮営業の昨日の「かたしのごはん」は、こんなのでした。
ではでは皆さま、ごきげんよう。
また明日。